季節の変化

活動の状況

クンデピークからヒマラヤを眺める

2016-05-29 00:01:06 | Weblog
クンデピークに登る。標高は4,200メートル。

クンデピークから、ヒマラヤを眺める。

マウンテントラベルの企画、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」
には、オプショナルツアーとして、クンデピークの登山、
約6時間が組み込まれていた。

クンデピークの4,200メートルは、
これまでの富士山の3,776メートルを超えて、
標高のレコードになるから、ぜひ登りたい。それに、
昼間のヒマラヤを、高いところから、眺めることができる。

これまで、エベレスト街道を、ルクラ、2,840メートルから
ホテル・エベレスト・ビューの3,880メートルまで、
2泊3日のトレッキングで上がってきた。が、
幸い、疲れも、高山病もない。それに、
晴れている。2016年4月20日。

ホテル・エベレスト・ビューまでは、参加者全員がたどり着いた。
疲れのでている人もいるが、クンデピークには、
登れるところまで行こうと、5人、全員が参加した。
途中のシェルパ族のクムジュン村や、クンデ村を見るだけでもいい…1人、
クンデピークの手前の展望台でも、4,000メートルある…1人。
そして、クンデピークには、3人が登ることができた。

クンデピークとは、どんな山か?

シャンボチェのビューポイントから。

後方は、左から、剣のようなコンデ・リ主峰6,730メートル、
パナヨ・テッパPanyo Tippa、6,696メートル、
パルチャモParchamo、6,187メートル、
テンギラギタウTengiragitau、6,943メートル。
あとで、クンデピークから、テンギラギタウの右奥の山を見ることになる。

クンデピークは前山の稜線で、左から、
△展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートル、
(△の上の位置で示す)
→ヒラリーの碑、
▽クンデピーク4,200メートル。
右端の→は、その先にあるピーク。行ってみると、
テンギラギタウとボーテ・コシ(川)が、より見える。
ここが、クンデピークでもいいと思うが、
ちょうど区切りの、4,200メートルにしたのだろうか?
左下は、シャンボチェ空港。

クンデピークは、雪山の孤高ではない、里山のピークのイメージ。
クンデ村のピークだから、クンデピーク。
だが、なめてはいけない。
4,000メートル近くから、酸素が薄く、息がきれる。
歩みを止めては、登る…これを繰り返す。
ネパール人のガイドは、
日本人を見ながら、極めてゆっくりと上がる。
幸い、ガイドのあとを、ついていくことができた。

上から眺めた、ヒラリーの碑展望台Hillary Memorial View Poit。

手前がヒラリーの碑。奥が展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートル。
尾根を登ってくるが、標高4,000メートル近くからは、息がきれる。
右にエベレスト方面、左にコンデ・リ方面を見ながら登る。

ヒラリーの碑

風が強い。タルチョーが舞い上がる。
左からヒラリーEdumond Hillaryの碑、
「クーンブ地方のシェルパ族の友人であり、啓示者に、永遠を」
飛行機事故で亡くしたヒラリーの最愛の妻ルイーズLouise、そして、
妻ルイーズと一緒に、飛行機事故で亡くした娘ベリンダBelindaの碑。.

クンデピークの4,200メートルは、
ホテル・エベレスト・ビューの3,880メートルよりも、
320メートル高いことになる。この差は、
今まで見えていた高い山では、下の方が見えてくる。
位置が変わるから、見えなかった山や川が、現れてくる。
ホテル・エベレスト・ビューから360度の眺望は、朝だったから、
クンデピークから、昼間のヒマラヤを眺めることになり、期待はふくらむ。

クンデピークへのルートは、
ホテル・エベレスト・ビューを出発して、
クーンビラのふもとにあるクムジュン村に下りる。
ヒラリー・スクールを見てから、となりのクンデ村に行き、
クンデピークに登り始める。
展望台Hillary Memorial View Poit、4,000メートルで一休みして、
ヒラリーの碑を通って、クンデピーク、4,200メートルに到達する。
弁当のおにぎり、鶏のから揚げ、ゆで卵、オレンジを食べる。
往復6時間、実際にはユックリ目で、7時間かかった。

それでは、順を追っていく。
ホテル・エベレスト・ビューから、クムジュン村に下りる。
クムジュン村

添乗員が撮影してくれた。
奥はクーンビラKhumbila、5,761メートル。
クーンビラは、シェルパ族の聖なる山で、登山禁止。
クムジュン村の上に、左右に延びる道は、水道工事という。

クムジュン村のヒラリー・スクール

校門には、KHUMJUNG HIGH SCHOOLとある。

小、中、高がある、人気は高い、成績もいい、
と、ネパール人のガイドは言う。
私立ではなく、公立。

どうして、クムジュン村に、ヒラリー・スクールがあるのだろうか?
ガイドに聞いてみた。
「ヒラリーが、エベレストの初登頂に成功したとき、
ここ出身のシェルパの献身的なヘルプがあった。
ヒラリーの感謝の気持ちの表れである」

校内には、ヒラリー卿の銅像がある。

ヒラリー卿は鼻まで、カタ(絹布)で覆われていた。これは、
シェルパ族が、ヒラリー卿に寄せる敬愛の深さをみる。
今日は、学校は休みで、学童がいなかった。

「日本政府と松本ヒマラヤ友好協会が合同で寄贈した寄宿舎が、
ヒラリー卿の銅像の右手前にある、それと、
向かいに、校舎がある」
と、添乗員が説明してくれた。
私が松本から来たことを知ってのことで、
この説明には、うれしくなるじゃないか。
ヒマラヤの学童の援助に、松本が貢献している。
寄宿舎と校舎の入り口にある、銘板をじっくり見た。

ヒラリー・スクールのとなりにあるチョルテン(仏塔)。

ひび割れているのは、2015年4月25日のネパール地震の影響。
震央の震度は8だった、とガイドは言う。修理をしていた。

クムジュン村手前と、クンデ村奥。

クンデピークは、左奥の→の先になる。
クンデ村の⇒僧院の左を上がる。お寺の屋根は赤。

クムジュン村とクンデ村は、ロッジで、住居を兼ねた家がならぶ。
屋根は緑、壁は石と、色調が統一されていた。
村には、電柱が1本もない。
電線が空を占拠することもない。
地中に埋めてあった。日本でも見習いたい。
門の内側の照明。

地中から⇒ケーブルが立ち上がっている。
景観保護の街づくりは、イギリスの影響、とガイドは言う。

クムジュン村には、イエティ(雪男)の頭皮がある、
というが、「本物か?」、ガイドに聞いてみた。
「イエティには、会ったことがないから、本物か、どうか、わからない」
大笑い、名回答でした。

クンデ村には、クンデ病院がある。
ヒラリー卿の創設した基金で建てられた病院。
設備が整っていて、地域住民に医療サービスを安く提供している。

クンデピークの登りはじめは、ややきつい。

しかし、土地の女性は、我々を追い越して、すいすい登る。
この先に、家はない。
「カゴは空だが、なにしに山に登るの?」
ガイドに聞いてみた。
「松の落ち葉を拾いに行く」と言う。
トイレに敷いて、糞と混ぜて肥料にする。

そういわれて、クンデ村の家を見ると、

トイレは家の外にある。
石積みの上にあって、下の口から肥料を取り出して、
手前の畑にまく。まもなく、ジャガイモを作るという。

松葉を運ぶ女性を、クンデ村で見かけた。

なにを運んでいるのか? と思ったが、松葉だったのか。
すれ違ったときに、匂いはないが…湿り気から、肥料かな?

クンデピークに登っていくと、シャクナゲのトンネル。

高度が高いから、これから咲く。5月になれば、見事だろうな。
シャクナゲの公園が、シャンボチェとクンデ村の間にもある。

つぼみだが、シャクナゲとタムセルクを撮った。

左はカンテガKantega、6,779メートルで、下が現れてきた。

クンデピークに登るにつれ、周囲の山が見えてくる。
360度、見回してみる。
エベレストEverest、8,848メートル。

強風で、雪煙がなびいている。
手前に、ヌプツェNuptse、7,861メートルが横たわる。

エベレストの右のローツェLhotse、8,516メートルは、
雲がかかることが多かった。翌日の2016年4月21日、朝7時、
ホテル・エベレスト・ビューから撮ったローツェがある。


アマ・ダブラムAma Dablam、6,812メートル。

手前はクムジュン村、3,780メートル。
アマ・ダブラムは6,812メートルだから、
標高差が3,000メートル以上ある。
日本でいえば、富士山、3,776メートルから、
さらに、3,000メートルの上空を眺めたことになる。
このスケールの大きさが、ヒマラヤらしい。

アマ・ダブラムの右に、アマラプ・ツァミンブラ

アマラプ・ツァAmalap Tha、6,571メートルと、
槍先のようなミンブラ、6,467メートル。
ミンブラは、前山のくぼみから突き出るように見えてきた。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューの近くから撮った、
アマ・ダブラムがある。2016年4月19日。

⇒アマラプ・ツァと、→ミンブラが小さく見える。
アマ・ダブラムには、雪渓が見える。
世界で最も美しい山の一つという。
アマ・ダブラムは、「母の首飾り」の意味。

タムセルクThamserku、6,623メートル。

タルチョーが、強風で舞い上がる。
左の氷のスフィンクスは、カンテガKantega、6,779メートル。
カンテガは、下が見えてきて、タムセルクとは、別の山になった。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
タムセルクがある。2016年4月19日、午前10時18分。

カンテガは、氷の頂部だけが見える。
ガラスの城というタムセルクは、上からヒマラヤひだ、
V字形の雪渓、その下の大きな雪渓を見ることができる。
V字形の雪渓は、ネックレースのようだ。

前日の午後に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
タムセルクがある。2016年4月19日、午後1時10分。

午後になって、雲が湧いてきた。
タムセルクのピークが3つに割れて、はっきりしてきた。
このダイナミックさが、ヒマラヤらしい。
絶壁のヒマラヤひだも、よく見える。

クスム・カングル

クスム・カングルKusum Kanguru、6,367メートル、
中央峰、5,805メートル、
ゴンラGonglha、5,813メートル、
ナウレクNaulek、6,363メートル、
南峰、6,257メートル。
左端は、6,356メートルとしか、わからない。
右の2つ、ゴンラと、ナウレクは、大きく現れてきた。
タルチョーは、下からの強風で、舞い上がる。

前日に、ホテル・エベレスト・ビューから撮った、
クスム・カングルがある。2016年4月19日。

垂直にそそり立つ絶壁、ヒマラヤひだが印象的。
こんな絶壁を、登る人がいるのかな?

ナムチェ

右奥は、ドゥード・コシ(川)。
エベレスト街道は、このドゥード・コシ沿いにある。
そして、高い吊り橋を渡って、ドゥード・コシとは、
おさらばして、ナムチェまで上がってきた。
標高差600メートルを上がってきたんだ。

2日前に、高い吊り橋から眺めた2つの川がある。2016年4月18日。

吊り橋を渡り終わったところから。ここから、ナムチェに上がって行く。

エベレストからのDドゥード・コシDudh Kosiと、
チベットからのBボーテ・コシBhote Kosが合流する。
このあと、Dドゥード・コシは、下流のルクラへと流れていく。
あとで、Bボーテ・コシの上流を、クンデピークから見ることになる。

なお、Dドゥード・コシの上流は、
エベレストからのイムジャ・コーラImja Kholaと、
ゴーキョからのドゥード・コシとが合流して、名前はドゥード・コシが残る。

コンデ・リKongde Ri。

コンデ・リは曇っていたから、この全体の写真は、
朝に、ホテル・エベレスト・ビューから撮ったもの。

5はコンデ・リ5峰、6,187メートル、
4はコンデ・リ4峰、6,093メートル、
3はコンデ・リ3峰、6,187メートル、
2はコンデ・リ2峰、6,500メートル、
1はコンデ・リ主峰、6,730メートル。

コンデ・リ5峰。クンデピークから。

上方に氷が横たわり、下に氷河が流れる。
氷原や氷河が、ヒマラヤらしい。

左端の槍ヶ岳は、雲に浮かんでいるようだ。
左の雲の中のピークはヌプラ? ルクラから見えた。

ルクラ空港。2016年4月17日、朝7時。
左カリョルンKaryolung、6,511メートル、
右ヌプラNupla、5,885メートル。

テンギラギタウTengiragitau、6,943メートルと、
ボーテ・コシ

クンデピークに上がると、
Bボーテ・コシBhote Kosの上流と集落を見ることできる。
谷の両側の集落は、上の→ターメ、下の⇒ターム。
チベット国境に通じるターメと、タームは、
交易のキャラバンが行き交う。そして、
ナムチェにバザールが開かれる。

Bボーテ・コシは、チベット国境から流れてくる。
谷を削って流れ、コンデ・リの前(北東)を流れて、
高い吊り橋の下で、ドゥード・コシに合流する。

前日に、シャンボチェの手前から撮った、
ナムチェコンデ・リがある。2016年4月19日。

ナムチェは、エベレスト街道で最大の街、
エベレスト登山隊が最後に装備を準備するところ。
⇒はナムチェ・バザールが開催される広場。

ボーテ・コシは、見えないが、
コンデ・リと、ナムチェの間の谷を流れる。
ナムチェから、チベットへ通じる道が、右上に延びている。
ターメ、その先のゴーキョへの一つのルートとして、トレッキングにも使う。

テンギラギタウと氷河

テンギラギタウの右下には、氷河がある。
その氷河の奥と、右に現れた山。

左の山は、鳥が翼を広げて、空に舞い上がるようだ。
右の山は、テンギラギタウに続いている。
氷河を見るのは、うれしくなる!
ヒマラヤには、当たり前のようにある。

タウツェTawetse、6,501メートル。

タウツェの右は、氷の平原だろうか?
これで、360度、見回したことになる。

クンデピークは、急坂でもないのに、
酸素が薄いから、息がきれる。
しかし、苦労して登ったかいがある。
ヒラリーの碑がエベレストを仰いでいる、
見えていなかった雪渓や奥深い山が現れる、
ボーテ・コシの上流が現れて、集落が見えてくる、
チベットとの交易で、ナムチェにバザールが開かれる、
高さと、奥行きの、ヒマラヤの壮大なスケールを味わう。
それに、道中では、ヒラリーに敬愛を寄せるシェルパ族の、
クムジュン村、クンデ村や、その生活に触れることができる。
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ホテル・エベレスト・ビューからヒマラヤの眺め

2016-05-22 00:00:22 | Weblog
ホテル・エベレスト・ビューからヒマラヤを眺める。
ホテル・エベレスト・ビューのテラス

CチョラツェCholatse、6,440メートル、
TタウツェTawetse、6,501メートル、
EエベレストEverest、8,848メートル、世界一の高さ、
LローツェLhotse、8,516メートル、世界4位の高さ。

テラスでは、様々な人、国の人が訪れる。
ホテル・エベレスト・ビューの宿泊客のほかに、
エベレスト街道をトレッキングする人が立ち寄る。
近くのクムジュン村を散策し、クンデピークに登って、
高度順応するトレッカーにとっても、気分が休まるところ。
Top of the Worldを眺めながら、紅茶を飲み、歓談し、くつろぐ。
至福の時」。2016年4月19日。

テラスには、三浦敬三さんの記念プレートがある。

山岳スキーと山岳写真の日本のパイオニアで、
101歳まで、山に人生を捧げた、とある。
スキーヤーで、エベレストに3度登頂し、
最高齢の記録を持つ三浦雄一郎さんの父君である。

3,880メートルのホテル・エベレスト・ビューには、
テラスのほかにも、眺望を楽しむところがある。
ダイニング・ルームには、大きな窓がある。
日本からのトレッカーのグループが立ち寄って、
エベレストを眺めながら、親子丼を食べていた。
アメリカ人が、一人で食事をしていた。

今回のツァーは、マウンテントラベルの、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」。
ホテル・エベレスト・ビューに、2泊する。
宿泊客には、客室の前に広がるテラスから、
エベレストを眺めることができる。

Eエベレスト、Lローツェ、Aアマ・ダブラムAma Dablam、6,812メートル。

宿泊客には、さらに特典がある。
屋上の、ガラス張りのサンルーム
ポカポカと温まりながら、Top of the Worldを眺める。

後方の雪山は、左から、クスム・カングルKusum kangguru、6,367メートル、
中央峰5,805メートル、ゴンラGonlha、5,813メートル。

サンルームから手前のビューデッキに出ると、
朝、昼、晩に繰り広げる、Top of the Worldの、
光のショーを見ることができる。
朝の眺望を、時計回りに追ってみる。2016年4月20日。

Top of the World

NヌプツェNuptse、7,861メートル、
EエベレストEverest、8,848メートル、
LローツェLhotse、8,516メートル、
SシャルツェShartse、7,502メートル。
エベレストは強風で、雪煙が上がっている。
雲や雪煙が朝焼けしてくれた。

アマ・ダブラムAma Dablam、6,856メートル。

「母の首飾り」というアマ・ダブラムは、見たかった山の一つ。
世界で最も美しい山の一つという。
左に赤く焼けた雲が迫っている。

タムセルクThamserku、6,623メートル。

タムセルクの左右から、焼けた雲が湧き立つ。
左の氷のスフィンクスは、カンテガKantega、6,779メートル。
タムセルクは、上部にヒマラヤひだ、下に氷河を見ることができる。

クスム・カングルルKusum Kanguru、6,367メートル。

クスム・カングルは、絶壁が印象的。
右のピラミッドは、中央峰5,805メートル。

コンデ・リKongde Ri。

コンデ・リの高いところから、陽が当たってきた。

5はコンデ・リ5峰、6,187メートル、
4はコンデ・リ4峰、6,093メートル、
3はコンデ・リ3峰、6,187メートル、
2はコンデ・リ2峰、6,500メートル、
1はコンデ・リ主峰、6,730メートル。

コンデ・リは、エベレスト街道を上がってきて、
ナムチェに近づくにつれて、威容を現してくる。
さらに、ナムチェからシャンボチェに上がると、
今まで見えなかった1コンデ・リ主峰が頭を出す。

コンデ・リ主峰

左から、剣のようなコンデ・リ主峰、6,730メートル、
パナヨ・テッパPanyo Tippa、6,696メートル、
パルチャモParchamo、6,187メートル、
テンギラギタウTengiragitau、6,943メートル。

テンギラギタウTengiragitau、6,943メートル。

頂部に朝陽のスポットが当たる。

クーンビラKhumbila、5,761メートルに、陽が当たってきた。

クーンビラは、金比羅(こんぴら)の語源という。
シェルパ族の神聖な山で、登山が禁止されている。
ふもとにはシェルパ族のクムジュン村、クンデ村がある。
クンデピーク、4,200メートルに登るときに、通ることになるが、
2つの村は、屋根は緑に統一されていた。それに、電柱がなかった。
景観保護を考えた街づくりをしていた。

タウツェTawetse、6,501メートル。。

近くにあるから高く見える。東側に陽がさして、氷が光ってきた
左端に、チョラツェCholatse、6,440メートルが見える。

これで、ホテル・エベレスト・ビューから、
360度を眺めたことになる。2016年4月20日の朝。
今日は、これから、クンデピーク、4,200メートルに登る。

トレッキング中の、朝の時間割は、
6時モーニング・コールとお湯。顔を洗い、ひげをそる、
⇒ 6時半朝食。それから身支度、荷造り ⇒ 7時半出発。
これが、繰り返されたが、朝の写真は、
5時前に起きて、外に出る。それから、
モーニング・コールの6時までが、自由な時間。

クンデピークの登山から、ホテル・エベレスト・ビューにもどった晩、
光のショーがあった。夕陽のエベレストと満月のカンテガ。
夕陽のエベレスト。夕方6時15分。

午後は曇り、エベレストは隠れていた。
しかし、黒い雲が一瞬どいてくれた。
群青の空に、エベレストが浮かび上がった。

すぐに、ダイニング・ルームからテラスに飛び出た。
となりの談話室にいたアメリカ人も出てきて、
「数分のショーだ!」
と、思い思いのアングルで写真を撮った。

「フィラデルフィアから、わざわざ来た」
と言う。50代だろうか?
「なぜか、一人なんだ…」
と、自嘲気味に言う。
遠くアメリカから、傷心旅行だろうか?

「数分のショー」を見終わって、
ダイニング・ルームにもどった。
晩飯の続き、茶碗蒸し、豚カツを食べていた。

すると、さっきのアメリカ人がダイニング・ルームに来た。
「満月が上がってきた!」
と、わざわざ、伝えに来てくれた。
豚カツを中断して、あわてて、テラスに飛び出た。

満月とカンテガ。夕方6時35分。

満月が、氷のスフィンクス、カンテガから顔をだして、
タムセルクのとがった岩を、横に見ながら上がる。
満月は、ヒマラヤの群青を背景に、冴えわたる。
神々しささえある。

引き込まれるように、眺めていた。
喜びと幸運をかみしめながら。

世界自然遺産のサガルマータ国立公園にただ一つのホテル、
ホテル・エベレスト・ビューで、
Top of the Worldを望む、
それに、満月が上がる。
これだけそろった舞台は、世界にここだけ。
ホテル・エベレスト・ビューは、別天地。

のホテル・エベレスト・ビュー。

後方の、チョラツェと、タウツェに陽が当たってきた。
手前の地面の白は新雪。2016年4月21日、朝6時50分。

満月の翌朝、アメリカ人は穏やかな表情に見えた。
イヤなものは払拭して、心穏やかになった?
そして、国に帰ることができる。
別天地は、人に生きる歓びを与える。
そして、ヘリコプターで、下界へ飛んだ。

ホテル・エベレスト・ビューのヘリポートから。
後方は、テンギラギタウ、左はパルチャモ。

我がパーティーも続いて、ルクラへ飛んだ。
エベレスト街道を、ルクラ、2,840メートルから、
ホテル・エベレスト・ビュー、3,880メートルまで、
2泊3日のトレッキングで、上がってきたところを、
ヘリコプターは、たった5分でルクラに下りる。

次回は、クンデピーク、4,200メートルについて、記載したい。
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エベレストをトレッキングで見る

2016-05-15 00:05:15 | Weblog
エベレスト街道トレッキングで、エベレストを見たい。
乾季に行くから、とにかく、晴れてほしい。できれば、
エベレストの時間の変化も見たい。

エベレスト

2016年4月19日、10時30分。ホテル・エベレスト・ビューから。

手前に横たわるヌプツェの奥に、エベレストが見える。
晴れてくれた。うれしかったね! 雪煙がすごい。
エベレスト街道を、ルクラ、2,840メートルから、
シャンボチェ、3,880メートルまで、
トレッキングしたかいがあった。

エベレストの、時間の変化も見たい。
エベレスト

2016年4月20日、朝5時25分。ホテル・エベレスト・ビューから。

エベレストは北東にあるから、朝焼けはないと思っていた。
それでも、朝5時前から、エベレストを眺めていた。
すると、雲や雪煙が焼けてくれた。

エベレスト

2016年4月20日、夕方6時15分。ホテル・エベレスト・ビューから。

夕陽のエベレストを見たかった。
しかし、エベレストは雲に隠れていた。
乾季も終わりに近い4月下旬だから、
1日中晴れることはない、午後は曇る。
「やはり、ダメか!」
と、あきらめていた。

すると、黒い雲の下から、エベレストが現れてくれた。
エベレストが、群青の空に浮かび上がった。
イエローバンドがよく見える。
そして、すぐに隠れた。
たった数分のショーだった。

ホテル・エベレスト・ビューはシャンボチェの丘にある。

2016年4月19日、9時30分。シャンボチェのビューポイントから。

CチョラツェCholatse、6,440メートル、
TタウツェTawetse、6,501メートル、
EエベレストEverest、8,848メートル、
LローツェLhotse、8,516メートル、
SシャルツェShartse、7,502メートル、
Aアマ・ダブラムAma Dablam、6,812メートル。
Hホテル・エベレスト・ビュー、3,880メートルは、林の中にある。

エベレスト街道を、ルクラ、2,840メートルから2泊3日のトレッキングで、
ナムチェの上にある、シャンボチェ、3,800メートルに上がってきた。
そして、現れたエベレスト、Top of the World
「ついに、見ることができた!」
しばらく、眺めていた。

左の斜面にエベレスト街道が走る。
Hホテル・エベレスト・ビューまで、もう登りはない。
あと20分ほど。Hホテル・エベレスト・ビューから、
もっと、エベレストを見たい!

ホテル・エベレスト・ビューに着いた。

標高3,880メートルは、富士山の3,776メートルよりも、高いことになる。

ホテル・エベレスト・ビューは、宮原 巍(たかし)さんが建設された。
宮原 巍さんは、ヒマラヤ観光開発株式会社の社長で、
ホテル・エベレスト・ビューを経営され、
旅行社のマウンテントラベルも経営されている。

今回のツァーは、マウンテントラベルの、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」を選んだ。

旅行社を選ぶ条件として、
☆エベレスト街道のトレッキングに、精通していること、
 専属のガイドやポーターの手配、ルクラ便の確保、ロッジの手配、シェラフの用意…。
 (実際に旅行社の力を感じたことがある。カトマンズ-ルクラ便は、キャンセルが多い。
 前日はガスで全便が飛ばず、お客は翌日に回された。翌日の朝、我がパーティーは、
 後回しにされず、予定の6時半の便に、何事もなかったように乗ることができた。
 以後の旅は、極めてスムーズだった。前日の全便キャンセルは、あとで知った)
☆それに、ホテル・エベレスト・ビューに宿泊したい、
 エベレストをはじめ、ヒマラヤを360度眺めることができる。
このことから、ヒマラヤ観光開発株式会社の、
マウンテントラベルを選んだ。

エベレスト街道のトレッキングは、
歳、体力を考えて、
ルクラからシャンボチェの丘にある、
ホテル・エベレスト・ビュー、3,880メートルへ、
さらに、クンデピーク、4,200メートルに登る、を選んだ。
参加者は5人、個別参加の女性2人、ご夫妻、私。

旅の願いは、
☆エベレスト街道をトレッキングしたい、
☆生エベレストを見たい。時間の変化も見たい、
☆クンデピーク、4,200メートルに登りたい。
 富士山の3,776メートルを超えて、標高のレコードになる。

エベレスト街道のトレッキングには、
いくつもの心配ごとを抱えての参加だった。
1) 下痢はしないだろうか? 下痢止めは持ったが、
2) 遅れることなく、ほかの人についていけるだろうか?
3) 高山病にならないか? 水を1日4リットル摂るというが、トイレが心配だ、
4) 風邪をひかないか? 寝るときに、シェラフと湯たんぽが支給されるというが、
5) 2015年4月25日のネパール地震から、1年になる、
  カトマンズの東にあるエベレスト街道は、被害が少ないというが、
6) 禁酒の生活になるというが…やはりダメか?
  (地酒を飲むことができた…ロキシーとトゥンバ)

しかし、経験豊かな添乗員、現地のガイドによって、
ホテル・エベレスト・ビューまで、全員が到達した。
クンデピークには、高山病もなく3人が登った。
参加者のそれぞれの旅の願いは、達成できた。

ルクラ~ホテル・エベレスト・ビューまでの体力は、どのくらい必要か?
上高地、1,500メートルから、梓川沿いを横尾へ行き(3時間)、
涸沢ヒュッテ、2,309メートルに上がる(3時間)、に似ている。
休憩を入れて、標準の7時間で登る体力が目安になる。
ただ、クンデピークの標高は4,200メートルあるから、
体力のほかに、高山病に注意。

マウンテントラベルから、粋な「はからい」があった。
なんと、宮原 巍(たかし)さんに、お会いすることができたのである。

宮原さんは、ネパールの観光開発のレジェンド。
その宮原さんにお合いできるとは、夢のようだ!

宮原さんは、現在、ポカラにホテルを建設されている。
お忙しい中を、カトマンズまで駆けつけられた。
こんなに、うれしいサプライズはない!

なんという、幸運なんだ!
それも、トレッキングの前と後の2度も。
参加者は、出発のお祝いと、生還のお祝いのような歓びになった。

今回のエベレスト街道のトレッキングの前に、
宮原さんの本を、3冊読んでおいた。
「ヒマラヤの灯―ホテル・エベレスト・ビューを建てる」、文藝春秋、
「ヒマラヤにホテルを三つ - ネパールの開発ヴィジョンを語る」、中央公論新社、
「ヒマラヤのドン・キホーテ - ネパール人になった男 宮原巍の挑戦」、中公文庫。
郷里は同じ長野県。青木村の出身。ネパール国籍を取られた。

その宮原さんとお会いできるとは、参加者一同、大喜び。
宮原さんとの食事、歓談は楽しく、そして、はずんだ。
宮原さんの本を、あらかじめ読んでおいてよかった。
宮原さんに感激された参加者は、本を買い求めた。
ホテル・エベレスト・ビューで販売している。

ネパールに、観光を国策とすることを提唱する宮原さんは、
1970年の大阪万博で、ネパール政府に出展を勧めた。
日本山岳会と協力して、ネパール館を実現された。
ネパール館。expo70.exblog.jpから。

時の国王と王妃が、オープニングに来訪された。
ネパール館の人気は高く、予定34万人を上回る、
42万4千人の入場者があった。大成功だった。

宮原さんが計画されたホテル・エベレスト・ビューの建設は、
ネパール政府から、国立公園の中に唯一のホテルとして、認可された。
さらに、ホテルの近くに、シャンボチェ空港を建設する計画も認可された。
シャンボチェ空港では、ネパール政府から、建設費の助成まで得られた。
ネパール政府からの信頼は厚い。現在、宮原さんは、ポカラに、
ホテルを建設中で、2016年内のオープニングを目指している。

お兄さんの宮原 毅(たけし)さんは、青木村の村長である。
青木村に「ふるさと納税」をして、コシヒカリ「恵」や、
特産品の詰め合わせを送られたことがある。

ホテル・エベレスト・ビューでは、
エベレストの変化を楽しむことができた。
のエベレスト」、朝5時25分、
のエベレスト」、10時30分、
のエベレスト」、夕方6時15分。

さらに、には、月のショーがあった。
満月とカンテガ

2016年4月20日、夕方6時35分。ホテル・エベレスト・ビューから。
白いスフィンクスが、カンテガKangtega、6,779メートル。
右は、タムセルクTamseruk、6,623メートル。

ホテル・エベレスト・ビューに宿泊して、
目の当たりにする、Top of the World、
朝、昼、晩に繰り広げられる光のショー、
最高の舞台から、心ゆくまで楽しむことができる。

ホテル・エベレスト・ビューのテラス

Tタウツェ、Eエベレスト、Lローツェ、Aアマ・ダブラム。
テラスでは、様々な人、国の人が訪れて、
Top of the Worldを眺める。
「一生に一度の思い出」
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お花見は北アルプスを見ながら

2016-05-08 00:05:08 | Weblog
松本お花見は、北アルプスを見ながら。
弘法山(こうぼうやま)と北アルプス

後方は北アルプス。3,000メートル級の山並みは白い。
槍ヶ岳(3,180メートル)、J常念岳(2,857メートル)、
横通岳(よことおしだけ、2,767メートル)、
大天井岳(おてんしょうだけ、2,922メートル)、
T燕岳(つばくろだけ、2,763メートル)。
桜は、の競演。2016年4月9日。

松本城北アルプス。2016年4月9日。

O大滝山(おおたきやま2,616メートル)、
槍ヶ岳(3,180メートル)、
J常念岳(2,857メートル)、
横通岳(よことおしだけ、2,767メートル)、
大天井岳(おてんしょうだけ、2,922メートル)。

それでは、弘法山と松本城のお花見に行く。
弘法山は、全山が桜。

後方の東山は、右端が鉢伏山。手前は、田川。柳橋から。

弘法山から、常念岳の左(南)には乗鞍岳(3,026メートル)。


常念岳の右(北)には、爺ヶ岳~白馬三山


爺ヶ岳(じいがたけ、2,670メートル)、
K鹿島槍ヶ岳(2,889メートル)、
五竜岳(ごりゅうだけ、2,814メートル)、
白馬三山(しろうまさんざん)の、
白馬鑓ヶ岳(しろうまやりがたけ、2903メートル)、
杓子岳(しゃくしだけ、2,812メートル)、
白馬岳(しろうまだけ、2,932メートル)。

家族連れが憩う。

弁当を広げる。

見飽きない。

お花見と、北アルプスを、ゆっくりと楽しんでいる。
グループで酒盛りは、いない。

弘法山から、北アルプス

桜は、赤と白の競演。
O大滝山、槍ヶ岳、J常念岳、横通岳、大天井岳。

松本城から。

お堀の先の雪山は、大滝山。

桜のころは、ボケも満開。


家族連れ。


花より団子


結婚式は、桜が満開だった。


黒の松本城に、白の

弘法山も、松本城も、お花見と北アルプスを楽しむことができる。
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福寿草に北アルプス

2016-05-01 00:00:15 | Weblog
福寿草北アルプス

福寿草の奥にそびえる北アルプス。
左の双耳峰は鹿島槍ヶ岳(2,889メートル)、
右は五竜岳(ごりゅうだけ、2,814メートル)。
ここは、大町市の美麻(みあさ)。2016年3月27日。

福寿草の群落が、美麻にあって、住人に、
「写真を撮らせてください」とお願いをした。
こころよく、敷地に入れてくれた。
「絵を描きにくる人もいますよ」

陽に向かう黄金色の福寿草。

春が来たよ! 咲いたよ! 私もよ!  私もよ! といっている。

美麻には、2016年3月25日と3月27日に訪れた。
2016年3月25日の状況から見る。
足を踏み入れるところがない。

これから咲くところ。

場所によっては、まだ、が残っている。


のとなりで、咲く準備。


まだまだ寒いが、咲こうとしている。


雪がないところでは、ふくらんできた。


日当たりのいいところは、咲き始めた。


に伸びる福寿草。

晴れていれば、後方に北アルプスの鹿島槍ヶ岳が見えるのだが。

そして、2日後の2016年3月27日。
晴れた! 北アルプスが見える!
左は鹿島槍ヶ岳、右は五竜岳

2日前よりも、開いていた。
福寿草の天国になっている。
北アルプスに、導かれていくようだ。

に向かっている。


のベルトが走る。

北アルプスは冬、福寿草の丘は春。
福寿草は、北アルプスが好きなようだ。
黄金色、茶色、白、空の青のベルトが走る。

いいものを見ることができた。ありがたい。
住人にお礼を言う。
「景色はいいが、冬は、寒いところよ」

どうして、ここに福寿草の群落が、
あるのだろうか? 聞けばよかった。
福寿草は、北アルプスの眺めが好き?
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