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活動の状況

バルセロナのランドマークはサグラダ・ファミリア

2010-11-28 00:11:28 | Weblog
世界の景観をみる。

「バルセロナの景観」2010年11月24日の追加版として、
バルセロナのランドマークは「サグラダ・ファミリア」。
楽しんでいただけたらと思う。

サグラダ・ファミリアの東の面(ファサード)は、
アントニ・ガウディの建築群として、
未完成ながら、世界遺産になっている(2005年)。

サグラダ・ファミリアの東のファサードの2枚の写真がある。
1988年。

上には足場が見える。

1999年。

上の足場はなかった。
下には、観光客がみえる。

東のファサード、キリストの「生誕」の2枚の写真。
1988年。

下では、笛を吹き、ハープを奏でて、キリストの生誕を祝福している。

2001年。

下のバイオリンをひく人、ほかの像が増えていた。
右下には、観光客が見える。

サグラダ・ファミリアの西のファサードは、
世界遺産ではない。
3枚の写真がある。
1988年。

キリストの像は、まだない。

1999年。

キリストの「受難」が見える。

2001年。

キリストの「受難」。
多くの観光客が訪れる。

サグラダ・ファミリアを、西から見た3枚の写真がある。
1988年。

このあと、どうなるのか?
予想がつかなかった。

1999年。

南に延びて、3列から4列になった。
列の上に3つの三角が現れて、上には実が乗っている。

2001年。

南に延びた4列には、上には4つの三角、4つの実が乗っている。
だんだんと、形が明らかになってきている。

急ピッチで進んでいるから、
ガウディの没後100周年の2026年に、
間に合うかもしれない(1926年に亡くなった)。
着工して(1882年)から完成まで、144年になる。

バルセロナ人(カタルーニャン)に、
「完成は、いつになるかわからない」
と、言われて、
「そんな建築があるのか?」
と、心躍らせて見に行った1988年は、

塔が建つ廃墟か、化け物のようだった。
得体が知れない怪物だった。

天才のひらめきは、かけ離れていて、
この先、どんな形になるのか?
予想がつかなかった。

しかし、だんだんと姿を現してきた。
そして、建築中でも、世界遺産になった。
やがて、完成するが、建築過程をみることができた。
文化の創造と、めぐり合うことができたのは、幸運だ。

独自の文化に、カタルーニャン(バルセロナ人)は誇りを持っている。
「あと100年は、かかりそうだ」
と、半分自慢しながら、東洋人を案内してくれた。

サグラダ・ファミリアは、世界一の「文化のショー」だ。
「怪物は、どうなったのかな?」
と、また見たくなる。

バルセロナは、独自の文化創造する街だ。
文化の創造は、観光資源となって、
世界から、観光客を呼び寄せる。

バルセロナにしかないから。
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バルセロナの景観

2010-11-24 00:04:07 | Weblog
世界の景観をみる。

ガウディの芸術品の街、バルセロナの景観をみる。
スペインのバルセロナのランドマークは、「サグラダ・ファミリア」。
アントニ・ガウディの建築群の一つで、世界遺産になっている。

ホテルに飾ってあったガウディの建築群の絵。

中央にあるのが、サグラダ・ファミリア。

「完成は、いつになるかわからない」
「あと100年は、かかりそうだ」
と、スペイン人に言われて、
「そんな建築があるのか?」
と、心躍らせて見に行った。

工事用エレベータで上がった。
そして、サグラダ・ファミリアを見降ろした。

「なるほど、100年はかかりそうだ」
建築中のサグラダ・ファミリアだが、
ガウディのほかの建築群とともに、
世界遺産になっている。


建築中も芸術だ。
急ぐ必要はない。
世界の人が見に来る。

ガウディの設計したアパートメントを案内してもらった。
カサ・カルベ。ホテルの絵の最下段右。

ガウディ初期の作品。
ガウディらしさの予感がする。

カサ・カルベは、案内されたから見ることができたが、
そうでなければ、見落としそうだ。

カサ・バトリョ。ホテルの絵の最下段中。

どうしてこんな発想がでてくるのだろう?
天才のひらめきだろうか?

カサ・ミラ。ホテルの絵の最下段左。

ガウディを代表する作品になっている。

バルセロナは、天才鬼才を生む街だ。
ガウディのほかに、ピカソミロダリも生まれている。

ピカソ美術館。

ピカソの初期の作品、「科学と慈愛」がある。

ミロ美術館。

モンジュイックの丘にある。

モンジュイックの丘には、ミロ美術館のほかに、
カタルーニャ美術館、オリンピック競技場、
オリンピック・スポーツ博物館などがある。

モンジュイックの丘のカタルーニャ美術館から、市街を眺めた。

中央の噴水の広場、その先のスペイン広場へと続く。
スペイン広場の右には円形の闘技場(レンガ色)が見える。

ホテルからモンジュイックの丘を眺めた写真がある。

左の白がミロ美術館、茶色の塔がカタルーニャ美術館、
オリンピック競技場、右の白いモニュメントがオリンピック・スポーツ博物館付近。

バルセロナの旧市街の写真がある。

バルセロナのお祭り(サンタ・エウラリア、2月)。
巨人(ヒガンテ)の人形が、練り歩く。

これらのバルセロナの街に共通していることは、
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
鉄塔がない。
屋上には、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。

スペイン人が自慢するスペイン料理は、
「食材が豊富で、その食材の本来の味を生かしている。
ボリュームがあるし、それに、むやみに飾らない」
肉も魚も、ハモン(生ハム)もうまい。
それに、まばゆい太陽だ、ワインもうまい。

バルセロナは、
太陽」の街、
歓び」の街、
ひらめき」の街だ。
観光客が、世界から押し寄せる。
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ツェルマットの景観

2010-11-21 00:03:01 | Weblog
世界の景観をみる。
スイスに山岳リゾート、ツェルマットがある。
アルプスのふもとの街、ツェルマットの景観をみる。

「ブルージュの景観」2010年11月17で、ベルギーからは、
多くのノーベル賞の受賞者が、うまれていることを書いた。

それは、ノーベル賞の受賞に必要な人数で、ベルギーは9位である。
人口をノーベル賞の受賞者数で割ると、つぎになる。


物理学賞、化学賞、医学生理学賞の自然科学部門の受賞者とした。
恣意がからむ文学賞、経済学賞、平和賞は除いた。
右端のスイス比は、スイスを1とした、受賞者1人に必要な人数比。

ベルギーは、213万人に1人の割合で、ノーベル賞の受賞者がうまれる。

ノーベル賞の受賞に必要な人数の、11位以下はつぎである。

日本は17位。
908万人に1人の割合で、ノーベル賞の受賞者がうまれる。

もし、ベルギーの人口が日本と同じなら、
21人のノーベル賞の受賞者がうまれることになる。
日本は14人だから、ベルギー21人のほうが多くなる。

ノーベル賞の受賞に必要な人数の最少は、スイスである。
45万人に1人の割合で、ノーベル賞の受賞者がうまれている。

そのスイスのツェルマットの街には、
CO₂の排出規制から自動車で入ることができない。
乗ってきた車を下に駐車し、鉄道に乗り換えてツェルマットに入る。

ツェルマットからも、マッターホルンを眺めることができるが、
もっと身近に、マッターホルンやアルプスを眺めようとすると、
ツェルマットから出る登山電車、ゴルナーグラート鉄道に乗る。
そのゴルナーグラート鉄道から眺めたツェルマットの写真がつぎである。


屋根は灰色と、色調を統一している。
それに、三角屋根と、形を統一している。
高層建築はない。
広告看板はない。
電柱電線がない。
街にも山にも、鉄塔がない。
観光客用のリフトは見える。
屋根に煙突はあるが、空調機械はない。

世界からの観光客でツェルマットはあふれ、
ホテル、レストラン、みやげものや、が並ぶ。

観光客のねらいは、アルプス。
マッターホルンモンテ・ローザなどの、
4,000メートル級の山並みや、ゴルナー氷河である。
これらのアルプスを眺めたり、トレッキングや登山をする。

ツェルマット1,604メートルから、
ゴルナーグラート鉄道に乗って、
ゴルナーグラート駅3,089メートルへ。

マッターホルン4,478メートルが身近に見えた。

世界からの観光客は魅入る、感激する。

モンテ・ローザ4,634メートル。

アルプスで、モンブラン4,810メートルに次ぐ高い山。
晴天に感謝することになる。

ゴルナー氷河。正面はリスカム4,527メートル。


「こんな神秘的な景色があるのか?」
と、自然に畏敬する。

ツェルマットで買ったワインを雪に突き刺した。
こんな神々しい景観に囲まれて育つと、
ノーベル賞を受賞する人がうまれるのだろう。
適度に冷えたワインを飲みながら、
アルプスの山並みや、氷河地形を眺めた。

スイスの人口は757万人、面積は九州くらい。
そのスイスから17人のノーベル賞の受賞者がうまれている。
もし、スイスの人口が日本と同じなら、
286人のノーベル賞の受賞者がうまれることになる。
日本は14人だから、スイスの286人は驚異的だ。

日本でも、北アルプスがある。
穂高連峰。河童橋、上高地から。

多くの観光客が押し寄せる。世界からも。
そして、屏風のような山並みに感激する。
北アルプスの登山口である。

穂高連峰~槍ヶ岳。
蝶ヶ岳2,677メートルから。

左の穂高連峰(左から2番目が奥穂高岳3,190メートル)から、
右端の槍ヶ岳(3,180メートル)まで、
3,000メートル級の山並みが続く。
氷河地形のカールも見える。

蝶ヶ岳まで、安曇野市側から、5時間かけて、
登ってきた甲斐があったというもの。

槍ヶ岳より、さらに北の鹿島槍ヶ岳や白馬鑓(やり)ヶ岳。
聖山1,447メートルから。

左から蓮華(れんげ)岳2,799メートル、爺(じい)ヶ岳2,670メートル、
中央の鹿島槍ヶ岳2,889メートル、五竜(ごりゅう)岳2,814メートル、
白馬三山の白馬鑓ヶ岳2,903メートル、
杓子(しゃくし)岳2,812メートル、
白馬岳2,932メートル、へと続く。

手前の木々とブッシュには、霧氷がついている。
おにぎりを食べながら、見続けた。そして、
陽が高くなるにつれて、霧氷も消えた。

ふもとの街から、北アルプスを眺めてみる。
松本市からは、常念岳、横通岳、東天井岳、燕(つばくろ)岳がよく見える。


安曇野市からは、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬三山。


大町市からは、蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳。


白馬町からは、八方尾根と白馬鑓、杓子岳、白馬岳の白馬三山。

左にジャンプ台が見える。
長野オリンピック1998年で、日本が団体優勝をした。

白馬町の街。

長野オリンピックのときには、多くの観光客が宿泊した。

ふもとの街に共通していることは、
広告看板がある。
電柱、電線が縦横に走る。
鉄塔が街中を走る。

北アルプスだけ見れば、きれいなのだが。
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ブルージュの景観

2010-11-17 00:01:34 | Weblog
世界の景観をみる。
ベルギーにブルージュという中世の街がある。

ブルージュは、交易によって繁栄していたが、
砂で港が埋まって、交易の機能がなくなった。
中世がそのままで止まった街は、世界遺産になっている。

ヨーロッパでも美しい街、ブルージュの景観をみる。
街の中心、マルクト広場の「鐘楼」から、
ブルージュの旧市街を眺めた3枚の写真がある。

マルクト広場。右は州庁舎。

マルクト広場を囲うように、ギザギザの三角屋根の、
フランドル様式のギルド・ハウスがならぶ。

近くのブルグ広場。右は市庁舎。


運河の一部が見える。


3枚の写真に共通して言えることは、
屋根はレンガ色灰色に、色調を統一している。
住宅のとなりに、突然に高層建築はない。
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
屋上には、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。

そして、ブルージュは観光客をひきつける。

マルクト広場、右は州庁舎。
馬車で街めぐり。パカパカと石畳を進む。

正面の三角屋根のギルド・ハウスは、
いまはショップやレストランになっていて、
観光客を待ちうけ、うまい食事を提供する。

ブルグ広場の市庁舎も観光客をひきつける。


石畳の広場を中心に、庁舎とギルド・ハウスが囲み、
教会や美術館、運河が広がっているブルージュが、
ヨーロッパで、好きな街の一つになった。

車でベルギーやオランダ、ドイツを旅するときには、
なるべく、ブルージュを経由することにした。
それに、いくつかの中世の街がつながっている。
ゲント、ブリュッセル、アントワープで、
いずれも世界遺産である。まるで「中世の回廊」だ。
小さな奈良が、いくつかつながっているようである。

画家のヤン・ファン・エイクは、ブルージュで活躍した。
ブルージュには「ファン・デル・バーレの聖母子」があり、
ゲントにはファン・エイク兄弟の「ゲントの祭壇画」がある。

ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」は、
ロンドンのナショナル・ギャラリーで観ることができた。

「世界の美術」、週刊朝日百科、1979年から。

ヤン・ファン・エイクは、油絵の技法と、
表現方法を確立して、油絵の発展に功績を遺した。
ブルージュでは、ヤン・ファン・エイクの絵に会える。
それに、ブルージュの運河めぐりは外せない。

中世の港町は、世界からの観光客を誘う。

運河から望む鐘楼。

この鐘楼から、ブルージュの街を眺めて、
掲載した写真を撮った。

奈良の街。


ビルディングの屋上を見る。東京。


屋上には、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲っている。
広告看板がある。
電柱、電線がある。
ごちゃごちゃした街の景観である。

ブルージュの街にイルミネーションがともる。

こうゆう街から芸術家がうまれる。それに、
ベルギーからは、多くのノーベル賞の受賞者がうまれる。
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ライの景観

2010-11-14 00:11:14 | Weblog
世界の景観をみる。
イギリスのロンドンから南東へ90キロメートル。
ライRyeという中世の街がある。

中世の街、ライの景観をみる。
教会(聖メアリー)の塔から、ライの街を撮った2枚の写真がある。




2枚の写真に共通して言えることは、
屋根はレンガ色と、色調を統一している。
住宅のとなりに、突然に高層建築はない。
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
樹木がある。
屋上には、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。
ライは、イギリスで、好きな街の一つになった。

そして、多くの観光客が、ライの街を訪れる。

アンティーク・ショップ、カフェ、レストラン、聖メアリー教会、
伝統があるマーメイド・ホテル、要塞のイプラ・タワーなどを散策する。

正面は聖メアリー教会。

塔に登って、ライの街を眺めた。

聖メアリー教会の塔から、イプラ・タワーを見る。

イプラ・タワーは海に面していたが、
川の堆積によって、港町の機能を失った。
ライは、中世の面影を遺す街になっている。

京都のみやげものやの景観。二年坂。

古い家並みの、みやげものやに、多くの観光客が訪れ、
「いい街だな!」
と、思って撮った写真。

電柱、電線が、街と空を支配しているではないか!
わざと、電柱、電線を撮ったのではない。
自然に写ってしまう。避けようがない。

アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
「先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」
と、言っているが、それを見る思いだ。

世界の京都が、電柱、電線でごみごみしているから、
世界遺産でもない、日本のほかの街が、
電柱、電線でごみごみするのは、当たり前か?

鉄塔が住宅地を走りまわる。東京。中央線から。

12~13本の鉄塔が写っている。

街に、電柱、電線がある景観には、慣れてしまっている。

鉄塔が住宅地を走る。松本市。

田んぼを埋めて、道路を左右に拡幅する工事。松本市。

道路沿いの、田んぼに並んでいた電柱は、どうするのだろう?

電柱を、左に数メートル移動する大工事をした。
つまり、白い車の先にあった10何本の電柱は、
車のうしろの、田んぼの中に移動した。

どうして、電線を歩道にめないのだろう?
側溝を、道路の右側に埋めているように。
電線を埋める、いい機会だったのだが。

電柱、電線があるのは、当たり前。
日本では、街や田園の風物になっている。
景観」を大事にする「美意識」は、
日本では、無いか、薄いか、大事にしていない。

「景観」のほかに、「安全」の問題がある。
阪神・淡路大震災では、
電線が垂れさがり、電柱が倒れた。
危険で近寄ることができなかったほかに、
電気、電話の「ライフライン」が、
広範囲で長期間、使うことができなかった。

電線が垂れさがり、電柱が倒れた写真は、
インターネットほかで見ることができるが、
傾いた街灯の写真がある。

破壊したメリケン波止場。神戸港。
阪神・淡路大震災の災害状況を示す記念として遺されている。

道路をつくるときには、側溝をつくるように、電線も埋設する。
そして、「景観」を大事にする、「安全」にする。
そんな時が、日本に来るのだろうか?

先進国の都市と町では、電線埋設するのは、
当たり前になっているのだが。
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ローマの景観

2010-11-10 00:00:27 | Weblog
世界の景観をみる。
アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
「京の街は、フィレンツェローマに並ぶ文化都市として、
世界の人々に愛されていた」
「第二次世界大戦の末期に、連合国軍司令部が京都を、
空爆対象からはずしたのもそのためだ」
と、言っている。

そのイタリアの首都、ローマの景観をみる。
ヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院(世界遺産)から、
ローマの街を撮った3枚の写真がある。

サン・ピエトロ寺院から東側、サンタンジェロ城方面。


サン・ピエトロ寺院から東南方面。


サン・ピエトロ寺院から北側、ヴァチカン美術館方面。

3枚の写真に共通して言えることは、
屋根はレンガ色、壁はと、色調を統一している。
高さが統制されて、突然に高層建築はない。
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
樹木がある。
屋上には、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。

東京の景観をみる。


色調の統一はない。いろんな色がある。
住宅のとなりに高層建築がある。
高層建築の高さがバラバラである。
広告看板がある。
電柱、電線がある。
樹木は少ない。
屋上には、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲っている。広告看板にしている。
高速道路が、高層建築の間を走る。
プラニングがない。
ごちゃごちゃした街の景観である。

イタリアの首都、ローマと、日本の首都、東京では、
「調和と統制」がある街と、ない街になっている。

アレックス・カー氏は、
「日本は『古い=不便』と『新しい=味気ない』という、
両極端のあいだで引き裂かれている」
「この断絶を埋めるものがなにもない状態、
それが現代日本の街の風景だと言えるかもしれない」
と、言っている。

ローマはフィレンツェと同じように、プラニング
そして、伝統文化発展との調和は、
うまくいっている。

スペイン広場、ローマ。

ローマの街は、世界からの観光客であふれている。
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フィレンツェの景観

2010-11-07 00:11:07 | Weblog
世界の景観をみる。
アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
「京の街は、フィレンツェローマに並ぶ文化都市として、
世界の人々に愛されていた」
「第二次世界大戦の末期に、連合国軍司令部が京都を、
空爆対象からはずしたのもそのためだ」
と、言っている。

そのイタリアのフィレンツェの景観をみる。
世界遺産のドゥオーモ(大聖堂)から、
フィレンツェの街を撮った2枚の写真がある。

ジョットの鐘楼とフィレンツェの街。

屋根はレンガ色、壁はと、色調を統一している。
高さが統制されている。突然に高層建築はない。
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
屋上に、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。

ドゥオーモ(大聖堂)から、別の方向のフィレンツェの街を見る。


やはり、屋根はレンガ色、壁は白と、色調を統一している。
高さが統制されている。突然に高層建築はない。
広告看板は見当たらない。
電柱、電線がない。
屋上に、水タンクや空調機械がない。
周囲には緑が広がる。
プラニングがある。
整然とした街の景観になっている。

京都の景観をみる。2010年。

京都駅から北側、西本願寺方面。

色調の統一はない。
住宅のとなりに高層建築がある。
高層建築の高さがバラバラである。
広告が最上階に描かれている。
電柱、電線が西本願寺の前の堀川通にある。
西本願寺には樹木がある。
屋上には、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲っている。
ごちゃごちゃした街の景観である。

京都駅から南側を見る。2010年。


色調の統一はない。
住宅のとなりに高層建築がある。
広告看板がある。
電柱、電線がある。
樹木は少ない。
屋上には、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲っている。広告看板にしている。
球状のガスタンクがあり、工業地域が広がるようだ。
ごちゃごちゃした街の景観である。

フィレンツェも京都も連合軍の空襲をまぬがれた。そして、
フィレンツェは、街全体が美術館のようであり、
京都は、部分部分に名所、旧跡が残されている。

アレックス・カー氏は、
「日本は『古い=不便』と『新しい=味気ない』という、
両極端のあいだで引き裂かれている」
「この断絶を埋めるものがなにもない状態、
それが現代日本の街の風景だと言えるかもしれない」
と、言っている。

フィレンツェは、プラニング、そして、
伝統文化発展との調和は、
うまくいっている。

街全体が美術館のようなフィレンツェは、
世界からの観光客であふれている。
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チュニスの景観

2010-11-03 00:11:03 | Weblog
世界の景観をみる。
アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
「日本は、日本の伝統や文化を切り捨て、自然を破壊しながら、
無秩序に開発を進めてきた。このために、世界の中で、
醜い国』の一つになってきている。問題は、このことに、
日本人気付いていないことです」
「日本の街には、プラニング(都市計画)がない」
と、言っている。

アフリカ、チュニジアの首都、チュニスの景観をみる。
チュニスの街を撮った2枚の写真がある。
ホテルの窓から見たチュニスの街の右側と左側。

チュニスの街の右側。


屋根も壁もに統一している。
飛び抜けた高層建築や、
周囲と調和しない高層建築はない。
砂漠の地だが、樹木がある。
広告看板が見当たらない。
電柱電線がない。
屋上は平らで、水タンク空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。

チュニスの街の左側。


屋根も壁も白に統一している。
飛び抜けた高層建築や、
周囲と調和しない高層建築はない。
樹木がある。
看板が1つある(青色)。
看板の面積、高さによって、高い看板料を払うのだろうか?
電柱、電線がない。
屋上は平らで、水タンクや空調機械がない。
美しい街の景観になっている。
チュニスの街は、右側を見ても、
左側を見ても、「調和と統制」がある。

チュニジア人にとって、シディ・ブ・サイドは、ご自慢だ。
つきあたりの「カフェ・デ・ナット」に、連れて行ってくれた。

シディ・ブ・サイドは、美しい街並みの保存地区で、
壁は、窓や扉はチュニジアン・ブルーに、
色調を統一している。

カフェ、レストラン、みやげものや、があって、
市民の憩いの場になっている。
そして、観光客が訪れる。

正面の階段を上がって、カフェの中に入ると、
高さが60センチ、2メートル四方の高床が、
通路に区切られるように、いくつかある。

その高床には「ござ」が敷いてあって、靴を脱いで上がる。
「カフェ・デ・ナットのナットnatteは、ござのこと」
と、チュニジア人は説明してくれたから、
「カフェ・デ・ナット」は、「カフェ・ござ」になる。

ござの上で、あぐらをかいて、
小さなグラスに注がれた、やや緑色のミント・ティーに、
チュニジア人のマネをして、砂糖を入れて、甘くして飲む。
「なんだか、なごむなぁ!」

シディ・ブ・サイドは、
壁は白、窓や扉はチュニジアン・ブルーに、
色調を統一しているほかに、
突然に高層建築はないし、
広告看板は見当たらない。
電柱、電線がないから、青空が広がる。
樹木がある。
屋上に水タンクや空調機械がない。
美しい景観にしている。

奈良には、古都を感じながら、休めるところがある。
「カフェ・ござ」の代わりに、「カフェ・赤い毛せん」になる。

広告看板はないし、電柱、電線が見えない。

あるのは、上も下も緑。
気分がいいじゃないか。
それに、緑に、赤い毛せんが映える。
赤い毛せんに座ってビール、うまかったな。ゆったりする。

外国のお客さんも、うれしそうに見える。


東京の景観。

ホテルから見た新宿副都心方面。

チュニスとの違いは、おわかりと思います。
色調の統一はない。
住宅のとなりに高層建築がある。
高層建築の高さはマチマチだ。
広告看板があるのは普通のこと。
電柱、電線があるのも普通のこと。
樹木が少ない。
屋上はデコボコで、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲って、広告看板にしている。
全体のプラニングがない。
ごちゃごちゃとした街の景観である。

日本は、部分部分には、いいところがあるが、
全体のプラニング(都市計画)となると、
チュニスの方がはるかに上だ。
日本人の「美意識」は、どこへ行ったのだろう?
プラニングには、生かされていないが。

掲載したチュニスの写真と、日本の写真は、
街の「景観」を比較しようとして、
意図的に撮った写真ではない。
たまたま撮った写真である。
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