季節の変化

活動の状況

エミール・ガレに触発されたドーム兄弟

2017-11-26 00:02:55 | Weblog
エミール・ガレに触発されたドーム兄弟
ドーム兄弟の作品は、北澤美術館にある。
企画展、「ドーム兄弟」を訪れた。

2014年11月。長野県諏訪市。

美術館の正面の壁に掲げられた、案内板には、
ピンクのランプが左に、鶴頸の花瓶が右に、描かれている。
開館30周年記念特別展
北澤美術館所蔵
アール・ヌーヴォーのガラス工芸
ドーム兄弟
― 秘蔵の名作を一堂に公開 ―

北澤美術館といえば、
エミール・ガレの「ひとよ茸ランプ」。1904年頃。

チケットから、北澤美術館。
これを見るだけでも、来てよかった。

2014年に訪れたのは、企画展、
「ドーム兄弟」の作品を見たい。それに、
エミール・ガレに触発されたドーム兄弟のことを知りたい。

北澤美術館には、エミール・ガレやドーム兄弟の名作がある。
フランスからは、アール・ヌーヴォーのガラス工芸で、
世界第一級のコレクション」と評価されている。

実は、うらやましがられている。
(フランスにもない)
(できるものなら、買い戻したいが…)
フランス人になり代わって、つぶやいた。

1900年パリ万国博覧会のガラス部門で、
エミール・ガレとドーム兄弟は、同時に、
グランプリを獲得するが、そのときの、
出品作や出品モデルを北澤美術館で見る。

エミール・ガレ、「花瓶《アザミ》」。1900年。

ガラス図録から、北澤美術館。
1900年パリ万国博覧会出品作。

ドーム兄弟、「藻魚文花瓶」(そうぎょもん)。1898年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
1900年パリ万国博覧会出品モデル。
アンテルカレールという、ガラスの複層構造。
深みがでるという。ドーム兄弟の特許。

ドーム兄弟は、
1900年のパリ万国博覧会
ガラス部門で、初めてグランプリを受賞した。
エミール・ガレに触発されて始めたガラス工芸。
エミール・ガレの真似だ、と言われてきたが、
これで払拭できて、ガラス工芸を進めてきた甲斐があった。

一方のエミール・ガレは、
1889年のパリ万国博覧会で、
すでにグランプリを受賞している。
1900年のパリ万国博覧会には、
アール・ヌーヴォーの旗手として、
満を持して臨んだ。だが、グランプリを、
ドーム兄弟と分かち合うことになった。不満が残る。

エミール・ガレとドーム兄弟の略歴はつぎ。
エミール・ガレ。
1864年、フランスの北東部ロワール地方、ナンシーに生まれる。
1877年 父の後を継いで、ガラス、陶器の製造、販売をする。
1878年、パリ万国博覧会に出品したガラス工芸品が好評。
1889年、パリ万国博覧会、ガラス部門でグランプリを受賞。
1900年、パリ万国博覧会、ガラス部門で、グランプリを、
 ドーム兄弟と分かち合う。

ドーム兄弟。
兄オーギュスト・ドーム、1853年生まれ。
三男アントナン・ドーム、1864年生まれ。ナンシーに移住してきて、
1879年、父の後を継いで、日用品のガラス製品を製造販売をする。
1889年、パリ万国博覧会で、ガレのガラス工芸品の好評に触発されて、
 高級なガラス工芸分野に進出する。デザイナー、技術者を採用。
1900年、パリ万国博覧会、ガラス部門で、グランプリを受賞。
 エミール・ガレとともに。

エミール・ガレは、日本の「北斎漫画」や浮世絵に、
魅せられる「ジャポニスム」から、日本の美を探求して、
独自の芸術、アール・ヌーヴォーに育て、確立してきた。

ドーム兄弟は、エミール・ガレのガラス工芸に触発されて、
後を追い、競った。そして、アール・ヌーヴォーを発展させた。
やがて、エミール・ガレとドーム兄弟は、ナンシー派と呼ばれる。
対応するパリ派は、揺らぐ髪の乙女がある。

北澤美術館で、ナンシー派、
「エミール・ガレに触発されたドーム兄弟」、
を追ってみる。

ドーム兄弟、「花瓶《黄金の雨とアネモネ》」。1899年。

ガラス図録から、北澤美術館。
1900年パリ万国博覧会出品モデル。ドーム家旧蔵。
どうして、こんな黄金色ができるのだろう?
それに、さわやかさがある。

ドーム兄弟、「春草文花瓶《矢車菊とモクセイソウ》」。1902年。

ガラス図録から、北澤美術館。
どうして、こんなに、さわやかな春が、表現ができるのだろう?
アンテルカレール、複層ガラスのおかげだろうか。
草が生え、花が咲く、春の歓びにあふれている。

ドーム兄弟、「脚付花瓶《蜻蛉と蛙》」。1905年。

ガラス図録から、北澤美術館。ドーム家旧蔵。
ドーム兄弟に見る、蜻蛉と蛙。

ドーム兄弟、「藻魚台花形ランプ」。1902年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
チューリップのようなピンクのランプに、
下から藻が巻付き、目をむいた魚がその下にいた。
美術館の正面の壁に掲げられた、案内板に載っていた作品。

ドーム兄弟、「睡蓮文鶴頸花瓶」(すいれんもん つるくび)。1909年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
1909年フランス東部国際博覧会出品。ドーム家旧蔵。
真っ直ぐに伸びた鶴頸(つるくび)の上は青。
その下は水草。下に白の睡蓮。

美術館の正面の壁に掲げられた、案内板に載っていた作品。
ドーム家旧蔵の最高傑作。オークションで得ることができた。

ドーム兄弟、「花瓶《蜘蛛に刺草》」(くもに いらくさ)。1910年。

ガラス図録から、北澤美術館。
1911年エピナル展、1913年ヘント万国博覧会出品作。ドーム家旧蔵。
花瓶は、何という色なんだ! 蜘蛛を見つけた。

最後は、エミール・ガレ、「花瓶《松》」と、
ドーム兄弟、「花瓶《ナナカマド》」。
どちらも、大きな花瓶だ。
エミール・ガレの松の実と、
ドーム兄弟のナナカマドの実は、
どうだ! 見てくれ! と主張していた。

エミール・ガレ、「花瓶《》」。1903年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
松の枝から、実が垂れ下がっている。
エミール・ガレの方が、ドーム兄弟よりも、
葛飾北斎の色合いが強い、躍動感を感じる。

ドーム兄弟、「花瓶《ナナカマド》」。1910年頃。

絵はがきから、北澤美術館。
1913年ヘント万国博覧会出品。ドーム家旧蔵。
ナナカマドの実が飛び出ていた。
その下層には、葉や枝がある。

アール・ヌーヴォーのガラス工芸を見るならば、
北澤美術館へ行けばいい。
エミール・ガレに逢える、ドーム兄弟にも逢える。
それに、日本の美術に傾倒するジャポニスから、
アール・ヌーヴォーに発展していく過程を見ることができる。

(しかし、アール・ヌーヴォーが、どうして、日本にあるのだ?)
(それも、長野県の諏訪に)
フランス人の代わりに、つぶやいた。
(しかも、博覧会出品のために、特別に制作されたものを所蔵している)
(フランスの万国博覧会で、グランプリを受賞した作品がある)
(ドーム家に秘蔵されていた、歴史的な名作まである)
(フランスでも一級品、名品ばかりじゃないか! )

北澤美術館が開館して、2017年で35年になる。
「ジャポニスム」や「アール・ヌーヴォー」のガラス工芸が、
今日ほど、注目される前に、買い求めている。
エミール・ガレや、ドーム兄弟も、
よく知られていなかった。

東京で、「北斎とジャポニスム」展を見たならば、
長野県まで、足を伸ばしてみるといい。小布施と諏訪に。
小布施では、葛飾北斎に逢える。
ジャポニスムの起源になった人。
葛飾北斎の肉筆画を見ることができる。

葛飾北斎の、祭屋台の天井絵、「男浪」。1845年。

絵はがきから。北斎館、小布施。

諏訪では、エミール・ガレドーム兄弟に逢える。
ジャポニスムから、アール・ヌーヴォーを築いた人。
エミール・ガレとドーム兄弟の名品を見ることができる。

葛飾北斎、エミール・ガレについては、これまでに、
つぎに掲載してきたので、参照してください。
「小布施の葛飾北斎」、2017年10月1日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5c7d8af0cddb8d8499340ccd81f829ec

「小布施の訪問者は人口の100倍」、2017年10月8日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/518d7ceb55d02e35a294cdb2db8d824f

「「北斎とジャポニスム」に見る「波」」、2017年11月12日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f07fef7ca8e94b63e2b96b7d81cde1dc

「「北斎とジャポニスム」に見るエミール・ガレ」、2017年11月19日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5705aebcfaa19a75846ad19d927686d6
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「北斎とジャポニスム」に見るエミール・ガレ

2017-11-19 00:06:55 | Weblog
「北斎とジャポニスム」に見るエミール・ガレ
国立西洋美術館の企画展、「北斎ジャポニスム」。

看板から。開催期間は、2017年10月21日~2018年1月28日。
訪れたのは2017年11月5日。

「北斎とジャポニスム」では、
Ⅲ「北斎と動物」と、Ⅳ「北斎と植物」に注目した。
「北斎漫画」や、浮世絵に描かれた動物昆虫植物が、
エミール・ガレのガラス工芸に、大きな影響を与えたことに興味を持った。

北斎漫画十三編。1819年。
魚濫観世音」(ぎょらんかんぜおん)。2017年11月5日。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。国立西洋美術館発行。

この「魚濫観世音」に、並べて展示されていたのは、
エミール・ガレ、「双耳鉢:鯉」。1878-90年。

ミニ図鑑から、「北斎とジャポニスム」から。

エミール・ガレの作品は、長野県諏訪市の「北澤美術館」にある。

2017年11月10日に訪れた。4度目の訪問になる。

エミール・ガレ、「ひとよ茸ランプ」。1904年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。

北澤美術館のシンボル的な作品で、
展示室に入ると、最初に迎えてくれる。
大きい! 高さ83センチ。奇抜なデザインだ。

「ひとよ茸」は、陽が落ちてから傘が開いて、一晩で枯れる茸。
ヨーロッパでは、森の奥深くにある、ジメジメした茸は、
芸術の対象として、採りあげられることはなかった。

エミール・ガレは、
葛飾北斎の浮世絵や北斎漫画を見てから、
題材に変化が生じた。花鳥風月を採り入れるようになった。
それまでは、古代エジプト、中世の貴婦人、神話、妖精…が題材だった。

エミール・ガレ、「ひとよ茸文花瓶」。1900-1904年。

ガラス図録から、北澤美術館。
「ひとよ茸」から、森を見上げている。

北斎漫画」1~3巻を見ると、
昆虫、動物、鳥、花や植物が描かれている。

永田生慈監修・解説、東京美術刊行。

この「北斎漫画」や、
山口県立萩美術館・浦上記念館の「絵本の世界」を見ると、
昆虫では、トンボや蝶、カタツムリ、バッタ、セミ、キリギリス、蜂、クモ…、
動物や鳥では、カエルやネズミ、ウサギ、ヘビ、トカゲ、
雀、鶏、キジ、カモ、鶴、コウモリ、カラス、ペリカン、ウグイス、
犬、キツネ、ウサギ、猫、イタチ、馬、トラ、蛸、鯛、海老、カレイ…、
花や植物では、あじさいや菊、アサガオ、ハス、藤、ユリ、
牡丹、杜若(かきつばた)、ナス…。
全部では、4,000図ほどあるという。

エミール・ガレは、花鳥風月を題材にする日本美術に、衝撃を受け、
大きな興味を抱いた。日本美術にあこがれる、ジャポニスム。
日本の美意識を、さらに探求し、アール・ヌーヴォーを生んだ。
ガラス工芸、陶器では、エミール・ガレのほかに、ドーム兄弟、
ルイス・コンフォート・ティファニー…がいる。

国立西洋美術館の企画展、「北斎とジャポニスム」と同じ時期に、
北澤美術館では、創設35周年記念、
ガレジャポニスム展」、が開催された。

案内板から。開催期間は、2017年4月3日~2018年3月31日。

北澤美術館で、
「北斎漫画」十三編の「魚濫観世音」と、並べて展示されていたのは、
エミール・ガレ、「鯉文双魚形花瓶」。1879-1889年。

ガラス図録から、北澤美術館。
2匹の鯉が向かい合っている花瓶。
奇抜な形状だ。そして、鯉が泳いでいる。

国立西洋美術館の企画展、「北斎とジャポニスム」、
で見た、「北斎漫画」やエミール・ガレのガラス工芸、
北澤美術館の、創設35周年記念、「ガレのジャポニスム展」、
で見た、エミール・ガレのガラス工芸を追ってみる。

葛飾北斎、「和漢絵本魁」。1836年。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。

エミール・ガレ、「壺:ペリカンとドラゴン」。1889年頃。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。
怒り、闘うペリカンを採り上げている。

北斎漫画初編。1814年。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。
右上にカエル、右下に蜻蛉(トンボ)と、
エミール・ガレが題材にする昆虫が描いてある。

エミール・ガレ、「蜻蛉にカエル文扁壺」(へんこ)。1888-1890年。

ガラス図録から、北澤美術館。
1889年パリ万国博覧会出品モデル。

左の蜻蛉(トンボ)を、右のカエルが、
「好かれようと気にかける」と、うかがう。
蜻蛉もカエルも、これまでは、花瓶の題材ではなかった。

エミール・ガレ、「蜻蛉文鶴頸扁瓶」(へんびん)。1889年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
1889年パリ万国博覧会出品モデル。

1889年パリ万国博覧会で、エミール・ガレは、
ガラス部門で、グランプリを受賞。
アール・ヌーヴォーの萌芽。

北斎漫画二編。1815年。

山口県立萩美術館・浦上記念館から。

エミール・ガレ、「百合文水差」《暗い花》。1893年頃。

ガラス図録から、北澤美術館。
1894年ロレーヌ装飾美術展出品(ナンシー)。

サミュエル・ビング編、「芸術の日本」。

リーフレットから、北澤美術館。

サミュエル・ビングは、ドイツ人でフランスに帰化。
月刊誌「芸術の日本」を出版。1888 -1891年にかけて、
36巻を発行。日本の美術を世界に紹介する。パリで、
ギャラリ―「アール・ヌーヴォー」を開く(1895年)。

エミール・ガレ、「雪中笹に雀図花瓶」。1898年。

リーフレットから、北澤美術館。
雪が積もった笹に、雀が舞う。
植物の笹、雪の自然に、雀を組み合わせている。

エミール・ガレ、「蜻蛉文脚付杯」。1904年。

ガラス図録から、北澤美術館。
なんと大きな蜻蛉なんだ! カップ(杯)を取り囲んでいる。

葛飾北斎、「朝顔に蛙」。1831-1833年頃。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。

エミール・ガレ、「ランプ:朝顔」。1904年頃。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。

エミール・ガレは、植物園を作っている。
その際に、植物学者、松村任三(じんぞう)の、
「植物名彙」を参考にし、植生している。

エミール・ガレ、「蘭文八角扁壺」《親愛》(カトレア)。1900年。

ガラス図録から、北澤美術館。
1900年パリ万国博覧会出品モデル。

花弁が盛り上がっているではないか!
飴細工のように、熔着して盛り上げ、
冷めてから、彫り出すという、
アプリカシオンという技法。

エミール・ガレ、脚付杯「フランスの薔薇」。1901年。

ガラス図録から、北澤美術館。

カップ(杯)の形状が船のようだ。そして、
「フランスの薔薇」が盛り上っている。
「フランスの薔薇」とは、「ロサ・ガリカ」。

エミール・ガレは、フランスの北東部、
ロレーヌ地方のナンシーで生まれる。
1870年の普仏戦争で、フランスは敗れて、
ロレーヌ地方は、ドイツに割譲された。
ロレーヌ地方に咲く「ロサ・ガリカ」に、
フランスへの、熱い想いを込めている。
フランスに、乾杯!

国立西洋美術館の「北斎とジャポニスム」と、
北澤美術館の「ガレのジャポニスム展」から、
エミール・ガレは、
北斎漫画や、浮世絵に衝撃を受けて、
日本の芸術、ジャポニスムに傾倒して、
日本の美意識を理解し、さらに追求して、独自の芸術、
アール・ヌーヴォーへと発展させてきている、ことが伝わってきた。
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「北斎とジャポニスム」に見る「波」

2017-11-12 00:11:12 | Weblog
国立西洋美術館で企画展、「北斎ジャポニスム」が開催された。

リーフレットから。開催期間は2017年10月21日~2018年1月28日。

「北斎とジャポニスム」のサブ・タイトルにある、
HOKUSAIが 西洋に与えた衝撃
モネ、ドガ、セザンヌ… みんな HOKUSAI に学んだ
を見たい。2017年11月5日。

モネの「ポプラ並木」が、
葛飾北斎の「富嶽三十六景」の、
「東海道程ヶ谷」の構図から、強い影響を受けていた。

セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」の連作は、
葛飾北斎が、富士山を主題にした連作、
「富嶽三十六景」から、着想を得ていた。

そして、「北斎とジャポニスム」で、
最も注目したのは「」。
北斎漫画に「波」があることを知った。
浮世絵では、「神奈川沖浪裏」のほかにも「波」があった。

「波」が展示されている、
Ⅴ「北斎と風景」と、Ⅵ「波と富士山」を、
行ったり来たりした。気が付くと、5時間眺めていた、食事せずに。

「北斎漫画」に、「波」があるのだろうか?
これは、かねてからの疑問だった。
江戸東京博物館の企画展、「北斎漫画展」でも、
「波」はなかった。2008年2月。
小布施の北斎館の企画展、「北斎漫画の世界」では、
「波」はなかった、と思っていた。2017年9月。

北斎漫画展」。江戸東京博物館で。2008年2月。

力士、雀踊り、動物、妖怪…を描いている。

北斎漫画の世界」。小布施の北斎館で。2017年9月。

魚、動物、人物、昆虫、木、植物、風俗、妖怪…だった。

ところが、この企画展、「北斎とジャポニスム」を見たあとで、
「北斎漫画の世界」を調べなおしてみると、
「北斎漫画」に「波」はあった。
「北斎漫画」二編の「寄せる波」と、
「北斎漫画」七編の「阿波の鳴戸」だった。

「北斎漫画展」に「波」は、見当たらなかったと思っていた。そして、
神奈川沖浪裏」、1831年、の名作が生まれた、と思っていた。

絵はがきから、水野美術館。2009年10月。
波は砕けて「龍の爪」になる。そして、しぶきが舞い散る。

「波」は、浮世絵のほかに、最晩年の肉筆画にもある。
それは、小布施北斎館の、祭屋台の天井絵。
東町の祭屋台の天井絵と、上町の祭屋台の天井絵、

東町の祭屋台の天井絵、「」。1844年。

絵はがきから、北斎館。2017年9月。
縁絵は、「」。
「龍」は、「龍の爪」の「」に取り囲まれている。

上町の祭屋台の天井絵、「怒涛図」。
男浪」。1845年。

絵はがきから、北斎館。2017年9月。
「龍の爪」が踊り、しぶきが舞う。

女浪」。1845年。

絵はがきから、北斎館。2017年9月。

企画展、「北斎とジャポニスム」では、
「北斎漫画」に「波」があった。
北斎漫画七編。1817年。

ミニ図鑑、「北斎とジャポニスム」から。国立西洋美術館発行。
右上に、「阿波の鳴戸」とある。「龍の爪」が描かれている。
波頭は砕けて、「龍の爪」のように割れているではないか!
うれしかった!  「龍の爪」を思わせる「波」の絵手本があった。

この「阿波の鳴戸」は、
企画展、「北斎とジャポニスム」のあとで、
小布施の北斎館で開催された、「北斎漫画の世界」、
2017年9月を調べなおしてみると、展示されていた。

これがキッカケで、「北斎漫画」を調べると、二編にもあった
北斎漫画二編。1815年。

山口県立萩美術館・浦上記念館から。
左は「引波」(ひきなみ)、右は「寄波」(よせなみ)とある。
この「寄せる波」は、小布施の北斎館で開催された、
「北斎漫画の世界」、2017年9月で、展示されていた。

「波」は、「北斎漫画」のほかに、
「富嶽三十六景」、図案集、「富嶽百景」にもあった。

「富嶽三十六景」の「甲州石班沢」(かじかざわ)。1830年-33年。

ミニ図鑑から。
波頭は砕けて、「龍の爪」のように尖っている。
荒れた海を予想していたが、鵜飼。甲州(山梨県)の富士川という。

「櫛とキセルの図案集」にも「波」はあった。
今様櫛きん雛形」。初版は1823年。

ミニ図鑑から。
きんは、キセルで、竹かんむりに捦。

この「今様櫛きん雛形」に、並べて展示されていたのは、
ギュスターヴ・クールベの「」。1870年頃。

絵はがきから、国立西洋美術館。

これは、ロシアのプーシキン美術館で見た、
ギュスターヴ・クールベの「ノルマンディー海岸」。1867年。

プーシキン美術館。2013年8月。

この「ノルマンディー海岸」1867年と、「波」1870年頃は、
ノルマンディーの、夕暮れの荒々しい波を描いた連作である。
比べてみると、後で描かれた「波」1870年頃の方が、
波が高く、怒っている。壮観で、迫力がある。

おしをくりはとうつうせんのづ」。1804年-07年頃。

ミニ図鑑から。
荒波にもまれる押し送り船。
有名な「神奈川沖浪裏」と前後して、
この「おしをくりはとうつうせんのづ」は描かれている。

「富嶽三十六景」の後に刊行された、
富嶽百景二編に「波」がある。1835年。

ミニ図鑑から。
波頭は砕けて、鷹の爪のように割れている。
波頭の奥には、千鳥が波のように舞っている。

これがキッカケで、浮世絵を調べると、
江ノ島春望」があった。1792年。

大英博物館から。

「『波』は、まだ主役ではない。
しかし、猛々(たけだけ)しくなる予兆がある」
と、偉そうに言ってみた。
「神奈川沖浪裏」が、40年後に現れるのを、
知っているから言えることだった。
50年後には、祭屋台の天井絵が現れた。

このときに、私が葛飾北斎の画商だったとして、
「先生、『波』を主題にして、
広げてみては、いかがでしょうか?」
と、進言できていただろうか?
NOである。そんな先見性、才覚はなかった。

しかし、葛飾北斎には、現状に留まることなく、
先を模索し、挑戦する意欲、創造力があった。
そして、「神奈川沖浪裏」や、祭屋台の天井絵、
「龍」や「怒涛図」に結実させた。

葛飾北斎が、
「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」で、
日本人で、ただ一人選ばれている(1998年、「ライフ」誌)、
ゆえんを見ているようだ。

「北斎とジャポニスム」では、
「北斎漫画」にも、浮世絵にも、
「波」があったことを知ることになった。
そして、葛飾北斎の「波」が、ヨーロッパの芸術家に、
ひらめきを与え、新たな画風、境地を築き、
連作を、もたらしたことを教えてくれた。
素晴らしい企画展だった。

葛飾北斎の「波」の肉筆画である、
祭屋台の天井絵については、つぎを参照してください。
「小布施の葛飾北斎」、2017年10月1日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5c7d8af0cddb8d8499340ccd81f829ec
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冠雪の乗鞍岳と池

2017-11-05 00:11:05 | Weblog
冠雪乗鞍岳オソメ池

2017年10月26日。

冠雪した乗鞍岳と紅葉の大カエデをねらって、
晴れた日に、乗鞍高原に上がった。

乗鞍岳の冠雪は、きれいだ。
ところが、大カエデは、半分しかない。
もう、散っていた。これでは、ガッカリだ。

「大カエデの紅葉は、終わっている!
と、近くのカメラマンに声をかけた。すると、
日本語はわかりません、という笑みが返ってきた。
あとで、台湾からのお客さんであることを知る。

これは、おととしの乗鞍岳大カエデ。2015年10月14日。

乗鞍岳に雪はある、それに、大カエデはこんもりしている。
今年の2017年も、こんな光景を予想していたのだが。

ちなみに、去年の乗鞍岳大カエデ。2016年10月24日。

大カエデは輝いていた。が、乗鞍岳には雪がちょっとあるだけ。
やはり、白い屏風がほしい。そうすると、上から空の青、
乗鞍岳の白、大カエデの赤、草原の黄と、
乗鞍高原の秋模様になるのだが。

理想は、乗鞍岳の冠雪は、2017年がいい、
大カエデは、2015年か2016年の輝きがほしい。

この3年間は同じような時期に、
晴れた日をねらって、訪れているのだが、
大カエデの紅葉と乗鞍岳の白の組み合わせは、
なかなかうまくいかないもんだ。

大カエデの紅葉の様子を知るには、いい方法がある。
「のりくら〜女将のとれたて情報」を見るといい。
大カエデの紅葉の最盛期がわかる。
次回から、参考にしよう。

2017年は、大カエデを主役にすることはあきらめた。
それで、池に映る冠雪の乗鞍岳を追ってみた。
3つの池は、オソメ池、どじょう池、まいめの池。

オソメ池

晴天で、風がないのが幸いして、
オソメ池に映った乗鞍岳は、クッキリしている。

大カエデで会った台湾からのお客さんは、
後を追うようにオソメ池に来て、再会した。
団体のツァー客は、一の瀬牧場の大カエデまで。
オソメ池までは、足を延ばすことはない。

英語で話をすることができて、
「兄弟で、日本の秋を楽しむ旅」であることがわかった。
乗鞍高原のあとは、諏訪のビーナスライン、白馬三山へ行く。
ビーナスラインでは、日本アルプス、富士山と360度のビューを楽しみ、
白馬三山では、雪の北アルプスを間近に見るという。
高原の秋、360度の山のビュー、雪の北アルプスを巡る、
こういう、日本の楽しみ方があるのだ。

乗鞍高原では、冠雪の乗鞍岳、池に映える乗鞍岳、高原の紅葉を、
カメラに収めていた。非常に嬉しそうだった、楽しそうだった。
台湾は、世界で一番フレンドリーな国だ。ほかに、トルコ。
ヨーロッパでは、フィンランド。

どじょう池

水が残っていたどじょう池に、冠雪の乗鞍岳が映える。

まいめの池

まいめの池では、雄大な乗鞍岳が、映し出された。

3つの池の周辺で見た木の実と冠雪の乗鞍岳
マユミ


ノイバラ


草原


枯れた花


ノイバラ


マユミ


ノイバラコナシ


ナナカマド


ススキ


マユミ


ノイバラ


ナナカマド


最後に、まいめの池


乗鞍高原で、冠雪の乗鞍岳、池に映える乗鞍岳、
高原の紅葉、そして、木の実を楽しむことができた。
乗鞍岳の雪は、やがて乗鞍高原に下りてきて、
3つの池は、間もなく白くなる。
コメント
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