季節の変化

活動の状況

美ヶ原高原のレンゲツツジ2015年

2015-06-28 00:00:10 | Weblog
美ヶ原高原レンゲツツジ2015年。
2015年6月13日と、6月20日に美ヶ原高原へ行った。
梅雨の晴れ間の6月13日、袴越(はかまごし)のレンゲツツジは満開だった。

赤に白。



袴越の標高は1,700メートル。

さらに上の「思い出の丘」1,935メートルまで上がると、
北アルプスを見ることができた。

思い出の丘のレンゲツツジは、咲き始めである。

N西穂高岳、M前穂高岳、O奥穂高岳、K涸沢岳、H北穂高岳。
大キレットを経て、S南岳、B大喰岳(おおばみだけ)、Y槍ヶ岳が連なる。
穂高連峰は、2015年6月2日に、残雪の涸沢カールから見たばかりである。

武石峰(たけしみね)の下。
小梨とレンゲツツジ。

レンゲツツジは咲いている。

焼山の先の群生地、レンゲツツジは咲き始めている。

奥の小梨は満開。



咲き始めている。ここが満開ならば、圧巻だろうな!

焼山の先にある群生地は、袴越とともに、美ヶ原高原のレンゲツツジの、もう一つの主会場。
ここの満開を見たい。行く日をねらっていた。梅雨で不安定な天気が続く。
1週間後の6月20日、雲はあるが雨は上がっていた。
午後は予定あったから、午前だけ出かけてみる。

浅間温泉から美ヶ原スカイラインを上がるにつれて、
松本を覆っていた雲は、なくなってきた。
電波塔は、王ヶ頭2,034メートル。美ヶ原高原の頂上。朝8時10分。

レンゲツツジは満開になっている。奥にもレンゲツツジが赤く見える。
ガスは湧くが、視界はある。

焼山の先にあるレンゲツツジの群生地へ行ってみると、満開だった。来てよかった!

奥は小梨。その先にもレンゲツツジが咲いている。

近くには遊歩道があるので、あたりも見て歩いた。
頂までレンゲツツジ。


時折、青空も出る。


小梨とレンゲツツジ。


上にもレンゲツツジ。


かなたにもレンゲツツジ。


春になって、焼山(やけやま)にが放牧されていた。

澄んだ空気に広いところ。気分がいいだろうな。

松本市街の浅間温泉から、美ヶ原高原を走る美ヶ原スカイラインでは、
ツール・ド・美ヶ原」が、1週間後の6月28日に開催される。
21.6キロメートル、高低差1,270メートルを駆け上がる、
最強激坂自転車レース大会。
レーサーの気力と体力には圧倒される。
それに、メタボはいない。

本番に備えてレーサーが試走している。

下山途中のレーサーは、レンゲツツジに目を奪われた。
減速して止まり、ザックからカメラを取り出して、
右前方のレンゲツツジを撮っていた。

Vサインで応える。

元気! 元気!  この明るさがいい。本番は期待できる。

「ツール・ド・美ヶ原」2015年6月28日は、
さわやかさと、レンゲツツジが迎えてくれる。

牛も、モウ準備ができている。
晴れれば、北アルプスも待機している。

舞台は整った。
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涸沢カールの春の訪れ

2015-06-21 00:00:15 | Weblog
涸沢カールの訪れを見る。
が奥穂高岳の上にできた。

涸沢ヒュッテから。2015年5月31日、午後1時13分。

が奥穂高岳から飛び出した。午後5時42分。

冬のどんよりした雲ではない。空も、雲もまばゆい。春を通り越して、夏のような空だ。

そして、奥穂高岳の雲がけた。午後7時3分。


2015年5月30日~6月2日に、
残雪の涸沢カールのツアーに参加した。
涸沢カールの春の訪れを、探してみる。
雪の亀裂、雪崩、落石、泉、花、虹、夕焼けの雲…。

雪の亀裂
奥穂高岳。2015年6月1日。

⇒亀裂は、あちこちにある。やがて、雪はずれ落ちる。
頂部の→オーバーハングは、落下しそうだ。


前穂高岳にも雪の⇒亀裂が見える。2015年6月1日。


北穂高岳とナナカマド。2015年6月1日。

このところの暖かさで、ナナカマドの芽吹きは早いという。
このナナカマドは、涸沢ヒュッテにあった。
秋には、紅葉するだろう。

落石
涸沢カールの下。

暖かくなって雪が融け、固定されていた石が落ちてきた。
下から、登山者が2人登ってくる。2015年5月31日。
こんなデカイ石が、転げ落ちてきたら、どうする?
登山者の右のダケカンバは、雪崩で傾いている。

落石。
涸沢岳の下。

下に見えるのは涸沢ヒュッテ。2015年6月1日。

大きい石のほかにも、小さな石が、たくさん落ちている。
もし、飛んでくる小石に当たれば、被害は大きい。
穂高岳に登るには、ヘルメットは必要。
それに、涸沢カールから上の穂高岳には、
完全な冬山装備が必要。冬山登山の技術も。

涸沢ヒュッテは、2015年は4月26日にオープンしたという。
近くで除雪をしていた。

→は吹き流しで、涸沢ヒュッテのテラスにある。奥は前穂高岳。

除雪で舞い上げられた雪は、⇒まで上がっているのが見えるでしょうか?
雪の深さは、除雪機を操作している人の数倍以上ある。
10メートル以上か? まだ、底の地肌は見えていない。
この除雪は、テント設営の整備かと思ったが、違う。
何のための除雪か? 聞けばよかった。
雪崩対策、と予想してみたが?
溝はストッパーになる。

雪崩
倒された木々の間を登る。

奥は北穂高岳。本谷橋の上で、2015年5月31日。

あたりは、木屑が散乱している。
馬が歩いているような、大きな木。
雪崩でなぎ倒されたダケカンバだった。

雪崩で、ダケカンバは傾いている。

手前は、雪崩の端。涸沢カールで、2015年6月2日。

雪崩。
涸沢カールを下山する。
倒された木が散乱している。
人より、はるかに大きい木がなぎ倒されている。2015年6月2日。

登る時には、なかったがな(2015年5月31日)。
青葉がついた木が折れて、倒れている。
2日の間に、雪崩があったのだろう?

雪渓の
雪渓を下山するが、雪の融けは早い。

3日前に登ったときには、穴は、こんなに大きくなかった。
雪渓のブリッジを渡って、右手前に下りて来る。
本谷橋の上で、2015年6月2日。

落ちないように、おそるおそる通る。
落ちたら、天井は雪、下は冷水の急流。
この冬道は、間もなく閉鎖されるだろう。
本谷橋を渡って、横尾谷の右岸の夏道になる。

で春の訪れを追ってみる。
北アルプス 穂高岳涸沢

涸沢ヒュッテのリーフレットから。

涸沢カールへのルートは、
左下の河童橋から始まり、右下の横尾大橋で梓川を渡り、
本谷橋でアイゼンを着けて、涸沢カールの涸沢ヒュッテに上がる。
上高地 ⇒ 明神 ⇒ 徳沢 ⇒ 横尾(1泊) ⇒ 涸沢カール(2泊)。
     1時間  1時間 1時間     4時間
帰りは、登りと同じルートを、河童橋までもどる。

河童橋付近から穂高連峰をを眺めると、
青い空、雪、新緑、緑の梓川、と春の色である。2015年5月30日。

O奥穂高岳3,190メートルと、
M前穂高岳3,090メートルは、
T吊尾根でつながっている。
T吊尾根の下に見える白い渓谷は、岳沢(だけさわ)。

M前穂高岳の右は、J明神岳2,931メートル。
O奥穂高岳の左は、Gジャンダルム3,163メートル、
A間ノ岳2,907メートル、N西穂高岳2,909メートルに連なる。
手前は梓川。

花があるのは、河童橋 ⇒ 明神 ⇒ 徳沢 ⇒ 横尾 ⇒ 本谷橋まで。
特に、明神 ⇒ 徳沢の間に花が多い。眺めながら歩く。
本谷橋から上は、雪渓で覆われた涸沢カールとなる。
花には詳しくないので、人に聞き、そして、調べた。
花の色は白が多い。白から赤まで、色別に掲載する。

小梨。河童橋付近で。2015年5月30日。

後方は穂高連峰。涸沢カールは、この反対側になる。

ニリンソウのお花畑に、▽のエンレイソウが共存している。
明神-徳沢。2015年5月30日。


▽のエンレイソウシロバナエンレイソウが隣り合わせに咲いている。
明神-徳沢。2015年5月30日。

右上はニリンソウ。

ヒダカエンレイソウもニリンソウの中にある。明神-徳沢。2015年5月30日。

エンレイソウを見るならば、上高地へ行けばいい。
エンレイソウ、シロバナエンレイソウ、ヒダカエンレイソウが、
隣り合って、ニリンソウのお花畑に咲いている。

  
エンレイソウ             ロバナエンレイソウ       ヒダカエンレイソウ

サンカヨウ。明神-徳沢。2015年5月30日。

大きい葉と小さい葉があって、花は小さい葉からポツリと出る。
葉はフキのようだが、花は葉に似合わず小さい。

コミヤマカタバミ。徳沢-横尾。2015年6月2日。

ひっそりと、横を向いて咲いていた。見落としそうだ。

ツバメオモト。横尾-本谷橋。2015年5月31日。

雨上がりだから、白が映える。

オオカメノキ。横尾-本谷橋。2015年5月31日。

大きな花の列が、雨上がりの緑に映える。

ヤマシャクヤク。明神-徳沢。2015年5月30日。

ほかにも探したが、ヤマシャクヤクは、この一輪だけだった。

カラフトダイコンソウ。明神-徳沢。2015年5月30日。

あまり見かけない。
右下の紫は、ラショウモンカズラ。

キジムシロ。明神-徳沢。2015年5月30日。

キジムシロの黄色は、白い花が多い中で、ひときわ目立つ。

エゾムラサキ。明神-徳沢。2015年6月2日。

これが、ワスレナグサか! としげしげと見た。

ラショウモンカズラ。明神-徳沢。2015年5月30日。

花弁にある紫の縞がいい。

イワカガミ。徳沢-横尾。2015年6月2日。

イワカガミは数少ない赤。岩に咲いていた。

ミツバツツジ。横尾-本谷橋。2015年6月2日。

あたりの雪や新緑に、ミツバツツジの明るさが目立つ。

雪解けの。2015年5月30日。

明神と徳沢の間にある湧水の古池。
底から湧き立つ泡の波紋に、木立が映る。

穂高岳の虹や雲、雪の亀裂、雪崩、落石、
除雪、融けた泉、花、夕焼けの雲…に、
涸沢カールの春の訪れを見た。

河童橋から本谷橋までは春。
本谷橋の上の涸沢カールは春の兆しで、
お花畑が現れるのは1か月後の7月。そして、
涸沢カールの上の穂高岳は、まだまだ冬である。
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残雪の涸沢カール

2015-06-14 00:04:20 | Weblog
日本で氷河地形として残る、涸沢カール
残雪の涸沢(からさわ)カールのツアーに参加した。

涸沢カールの雪渓を登る仲間。
ツアーは2015年5月30日~6月2日。
奥は前穂高岳側、右上は奥穂高岳側。

涸沢カール

スプーンでえぐり取ったようなくぼみ、カール地形。
中央の吊尾根の左が前穂高岳、右が奥穂高岳。
涸沢カールは、夏でも雪渓が残る。

涸沢カールへは、松本から上高地へ行く。

河童橋は、観光客と登山者でにぎわっている。下は梓川。2015年5月30日。

河童橋から穂高連峰が見える。
O奥穂高岳3,190メートルと、
M前穂高岳3,090メートルは、
T吊尾根でつながっている。

M前穂高岳の右は、明神岳2,931メートル。
O奥穂高岳の左は、Gジャンダルム3,163メートル、
A間ノ岳2,907メートル。さらに左は西穂高岳に連なる。

目指す涸沢カールは、O奥穂高岳、T吊尾根、M前穂高岳の裏側(北)になる。
ルートは、上高地 ⇒ 明神 ⇒ 徳沢 ⇒ 横尾(1泊) ⇒ 涸沢カール(2泊)。
          1時間  1時間  1時間     4時間
参加者10人。遠くは京都、大阪から。群馬の人はリピーター。
リピーターは、ご夫妻も。女性は3人。
ゆったりとした行程になっている。

3日前の2015年5月27日に、美ヶ原から穂高連峰を見た。

標高2,000メートルの思い出の丘から。朝5時過ぎ。

N西穂高岳、M前穂高岳、O奥穂高岳、K涸沢岳、H北穂高岳。K涸沢岳の前山は蝶ヶ岳。
いよいよ、穂高連峰に囲まれた涸沢カールへ行くのか!
穂高連峰には、まだ雪がある。ワクワクする。
穂高連峰と残雪の涸沢カールを見たい!
ケガのないように、当日を迎えよう。
それに、晴れてほしい。

そしてツアーの当日、2015年5月30日。上高地から先は徒歩になり、
明神岳を迂回するように、梓川に沿って、横尾まで北上する。
明神岳2,931メートル。


明神岳の左にM前穂高岳が頭を出し、T吊尾根が連なる。
明神岳の下は梓川、右手前には、小梨が咲いている。
上高地には雪と新緑と花がある。

横尾からは、梓川を渡って西に入り、
それから、南へ回り込んで涸沢カールへ。

上高地 ⇒ 横尾は、梓川に沿った平坦な林の道を3時間。横尾山荘泊り。
翌朝、横尾から、梓川を横切って、本谷橋でアイゼンを着けて、
雪渓を上がり、涸沢カールの山小屋まで4時間。

横尾 ⇒ 涸沢カールまでを写真で追ってみる。
雨が上がった新緑。横尾の朝7時6分。

夜来の雨は上がってきた。
涸沢カールに登るこの日だけは雨の予測だった。が、
前線が南にとどまり、北に上がらななかった。
ありがたい! 涸沢カールを目指して出発。
このあとツアー中、天気に恵まれた。

横尾出発、7時10分。梓川にかかる横尾大橋を渡ると、
屏風岩。2,595メートル。

数分で屏風岩が現れて続く。この写真は、横尾から40分ほど経ったところ。

横尾谷にかかる本谷橋

横尾から1時間20分。

夏道は、本谷橋を渡って、横尾谷の右岸を登るが、本谷橋は通行禁止。
今回は、ここで、アイゼンを着けて、横尾谷の左岸の雪上を登る。

奥は北穂高岳3,106メートル。

右の登山者は、雪の裂け目をのぞき込んでいる。激流が見える。
雪を踏み外して、横尾谷に落ちないように登る。
そして、→突き当たりを左に上がる。
この辺から、上りになる。

涸沢カールを目指して登っていく。
そして、奥穂高岳が右に見えてきた。

横尾から3時間15分。
左は前穂高岳。その右は吊尾根。
足元には落石がある。注意しながら抜けたい。

振り返ると、涸沢カールを、2人の→登山者が上がってくる。

奥の▽は、左が大天井岳、右が東天井岳。右手前は屏風岩。

奥穂高岳の下に涸沢ヒュッテが見えてきた。

奥は奥穂高岳。左は吊尾根。
涸沢ヒュッテはカール地形の中にあって、
モレーンといわれる堆積した土石の上にある。
涸沢ヒュッテの先には、雪が融けると現れる池の平がある。

横尾から4時間で涸沢ヒュッテへ。
夏道はジグザグだが、雪の上は直線だから、
途中、眺めながら、写真を撮りながらでも早い。
涸沢ヒュッテに2泊して、残雪の涸沢カールを楽しむ。

涸沢カールは、夏は穂高連峰の登山
秋は紅葉で大にぎわいするところ。最盛期、
山小屋は、1枚の布団に3人が寝ることを覚悟するという。
春は、残雪の涸沢カールと穂高連峰を見ながら、
涸沢ヒュッテのテラスで生ビールを飲む。が、
標高2,310メートルの生ビールは格別だ!

そして、朝焼けや夕焼けを楽しむ。
布団は、1人に1枚、ちゃんとあった。

奥穂高岳には登らない。
装備、経験、技術から冬山は無理。
涸沢岳のザイテングラートの横で発生した滑落死を見ている。

北アルプス 穂高岳涸沢

涸沢ヒュッテのリーフレットから。
右下は本谷橋、ここから上がってきた。

涸沢ヒュッテからの眺望は素晴らしい。
前穂高岳、吊尾根、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳がそそり立ち、
涸沢岳の左下には、ザイテングラート、あずき沢と、
奥穂高岳へ登り降りする時の難所が見える。

穂高連峰を見回す。
涸沢ヒュッテ奥穂高岳

奥穂高岳の左は吊尾根が続き、
奥穂高岳の右は涸沢岳に連なる。
涸沢ヒュッテの標高は2,310メートル。

前穂高岳3,090メートル。

右は吊尾根で奥穂高岳に連なる。
涸沢ヒュッテから登ってきた仲間。標高2,500メートル付近。

前穂高岳の豪快な岩尾根。

右のT吊尾根から左に、前穂高岳のⅠ峰~Ⅵ峰が続く。
Ⅵ峰には、→たぬき岩が見える。

耳があり、鼻がある。そして、ポンポコ腹が出ている。

涸沢岳3,110メートル。

左端の縦に並ぶ岩稜はザイテングラート。右端の三角錐は涸沢槍。

北穂高岳3,106メートル。

朝5時、陽が刺してきた。
北穂高岳の威容もいいもんだ。
たなびく雲が北穂高岳を引き立てる。

東を見ると、大天井岳(左端)、東天井岳(中)、横通岳(右)。夕方7時。


やがて、雲が焼けてきた。東天井岳(左)と横通岳(右)。


涸沢カールの北寄りから、常念岳が見える。

常念岳からの眺望は素晴らしい。槍ヶ岳が目の前に見える。

涸沢カールの上部から、蝶ヶ岳が見える。

手前は屏風岩。
蝶ヶ岳からは、穂高連峰~槍ヶ岳にかけて、北アルプスの眺望が素晴らしい。
これで、涸沢カールから、360度を見回した。

昼に、北穂高岳を眺めていると、沢を降りてくる人がいる。
北穂高岳の下にある⇒涸沢小屋の右を通って、涸沢ヒュッテにきた。

若い男性だった。テラスでカップ・ラーメンを食べ始めた。
食べ終わると、ホッとしているようだ。落ち着いてきて、
登ってきた北穂高岳の写真を撮っている。
話しかけた。
「北穂高岳へ登ったんですか?」
「そうです」
「やりましたね! いい思い出になりますよ」
喜んでいた。
そして、「怖くなかったですか?」
「怖かった! 北穂沢を下りたが、足がすくんだ」
と、本音を話してくれた。
山慣れした屈強な若者が怖かったから、私には無理だ。

2015年5月31日、夕方5時ころのこと。
涸沢ヒュッテから、360度の眺望を楽しんでいた。
「そろそろ陽が傾くころだ、あの雲が焼けてくれないかな!」
と、陽が沈む方向の涸沢岳を眺めていた。

ヘリコプターが、涸沢カールの静寂を破った。
涸沢槍の上を飛ぶ。

涸沢槍の下の三角は獅子岩。
涸沢岳の左の鞍部は白出のコル。
下にある岩稜はザイテングラート。

ザイテングラートは、奥穂高岳への夏のルート。
岩場の急登で、登り切ると、鞍部に出る。
鞍部には、穂高岳山荘があって、夜に灯りがあることでわかる。

ザイテングラートの左はあずき沢で、奥穂高岳への冬のルート。
雪渓を直登して、白出のコルに出る。
急傾斜で、滑落事故が多い難所。

ザイテングラートの左に、長野県警のヘリコプターが向かって来た。

ザイテングラートの飛び出た岩を目指している。
すでに扉を開けて、隊員が下を見ている。

報道によると、標高2,700メートル付近の岩場で、男性が倒れているのを、
別の登山者が発見し、山小屋を通じて松本署に連絡をした。
単独登山中に、数百メートル滑落したとみられる。
男性(59歳)は収容されたが、死亡が確認された。

奥穂高岳から、下山の途中だったんだろう。 
この時間、あずき沢を登る人はいなかったから。
涸沢ヒュッテまで、標高差で、あと400メートルだった。
無念だっただろうな!

滑落事故に遭遇したのは初めてだ。
奥穂高岳は、装備、経験、技術、体力、集中力、判断力と、
全てを備えた人だけを受け入れるのだろう。冬は、とりわけ厳しい。

夕闇が訪れた。午後7時。

涸沢岳は、ピンクのグラデーションの中に浮かび上がった。

そして、が出た。午後7時半。

涸沢カールは、何ごともなかったかのように、1日が暮れていく。

翌日、穂高岳に挑戦する登山者がいる。2015年6月1日、10時。

大きなリュックが、一歩一歩あずき沢を登っていく。
穂高岳は、急斜面、雪崩、落石、天候の急変で身を守っている。
未知への挑戦、人の飽くなき挑戦を見る。

残雪の涸沢カールは、
人を寄せ付けない峻厳な穂高岳と、
征服しようと挑戦する人間が、格闘するところ。
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棟方志功と浅虫温泉

2015-06-07 00:08:01 | Weblog
棟方志功は、浅虫温泉椿館に逗留している。

棟方志功ゆかりの宿、椿館に泊まろうと思った。
そして、実現した。2015年1月。

椿館では、オーナーから「棟方志功の講話」がある。
参加することができて、講話が終わると、
プレゼントされたのが、浅虫温泉旅館組合のポスター、
浅虫へ 海も 山も 温泉も」。

原画は棟方志功。
棟方志功が椿館に逗留したときに、
観光協会の求めに応じて制作したもの。
オリジナルは、椿館の入口に飾ってあった。

写真が斜めなのは、照明が入ってしまうのを避けたため。

原画の上には、お馴染みの棟方志功の顔写真があり、下の説明には、
「昭和38年製作 浅虫観光ポスター原画」とある。
棟方志功ゆかりの宿、椿館としては、
入口に飾るのにふさわしい作品である。

なぜ青森の浅虫温泉へ行ったのか?
それも、冬の寒い時期に、わざわざと。
それは、荒涼とした寒さを味わいたかった。
浅虫温泉の海岸から、青森方面を眺めていると、

まだ午後3時なのに、あたりは薄暗くなってきた。
黒い雲が流れてきて、太陽を隠した。
太陽の光はスジになって注いできた。
それから、雪が横に飛んできた。
寒い! これこそ青森だ!

それに、青森には棟方志功記念館がある。

雪深い棟方志功記念館へ来て、棟方志功の作品を見るのもいいもんだ。

棟方志功の「釈迦十大弟子」、「大和し美し」は、愛知県美術館で見ている。
棟方志功 祈りと旅」、東北復興支援特別企画展で。

チケット。2011年8月11日。

棟方志功の生誕の地、青森で「釈迦十大弟子」を見たい。そして、実現したのが2015年1月。



絵はがきから。

実際の展示は六曲一双の屏風で、
釈迦十大弟子の左右に普賢菩薩と文殊菩薩が付いている。
普賢菩薩と文殊菩薩の版木は、東京大空襲でけてしまった。
このために、戦後に復刻した版木を使ってあった。
釈迦十大弟子の版木は、東京から疎開できたために、焼けなかった。

釈迦十大弟子は、が生き生きしている。
魚も女性も、みんな目が生き生きしていた。
棟方志功の板画ほ、目が訴える、と眺めた。

棟方志功記念館をじっくり見るために、
棟方志功ゆかりの宿、椿館に2泊した。
庭園は雪が深かった。雪の庭園が見える和室。

夕食は和室で、女性が給仕してくれた。
「青森の人は、こんなに豪華な食事をしているのか?」
女性は笑っていた。じょっぱりがウンメ~。

青森の2日目は、棟方志功記念館を見て、
浅虫温泉の海岸で吹雪に打たれて、椿館に戻った。
椿館から浅虫温泉駅の往復は、送り迎えのバスを勧められたが、歩いた。
雪が舞って、シバレルが、青森らしさを味わいたかったから。
椿館では、午後7時から、椿館のオーナー、蝦名さんから、
棟方志功の講話」があると言う。

ありがたい! すぐに、ロビーへ行った。
数名の参加者に、楽しい語り口の講話だった。
棟方志功は、27歳のときにチヤさんと結婚する。
棟方志功が33歳のとき、「大和し美し」によって、
柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司に見い出される。
棟方志功が34歳のときに、椿館に投宿する。
57歳の時に、左眼を失明した。

椿館の壁に飾ってある「あの日の棟方志功」写真展、撮影:飯窪敏彦から。

女性のモデルはチヤ夫人だった。
棟方志功は近眼だから、近づかなければ見えない。
それでは、モデルは嫌がるから、奥さんがモデルになった。

椿館に飾ってある妃神から。

そうすると、豊満な女性はチヤ夫人か。
女性に対する愛情、感謝を、しげしげと見た。

棟方志功のも味わい深い。
「浅虫へ 海も 山も 温泉も」
書は、陶芸家の浜田庄司から学んだ、と話された。

山仙 鹿内辰五郎頌碑」には、棟方志功とある。

八甲田山の麓の酸ヶ湯温泉の近く、地獄沼で。

奥は、八甲田山の最高峰、大岳(おおだけ)。

地獄沼で、この碑を見た時には(2014年9月)、
板画家の棟方志功が、なんで書まで、と思った。
鹿内(しかない)辰五郎は山の案内人で、
棟方志功も案内され、大の仲良しだった、
ということがわかった。

そして、講話の最後に、蛯名さんからプレゼントされたのが、
浅虫温泉旅館組合のポスター、「浅虫へ 海も 山も 温泉も」。
うれしかったね。折れ目がつかないように、大事に持ち帰る。

蝦名さんの写真を撮らせてもらった。


棟方志功ゆかりの宿、椿館に来て、良かった。
オーナーによる「棟方志功の講話」があり、
館内に展示してある作品を見ることができた。
棟方志功記念館を訪れるほかにも、
棟方志功に触れることができる。
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