季節の変化

活動の状況

徳本峠と霞沢岳

2016-10-30 00:03:20 | Weblog
イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンは、
徳本峠(とくごうとうげ)を越えて、
槍ヶ岳穂高連峰に登っている。
その徳本峠からは、目の前に穂高連峰が開ける。

2016年10月20日、徳本峠の見晴台から。
N西穂高岳、2,909メートル、O奥穂高岳、3,190メ-トル、
M前穂高岳、3,090メ-トル、手前に広がるJ明神岳、2,931メ-トル。

ウォルター・ウェストンは、
槍ヶ岳を目指して、徳本峠に上がってきた、1892年。
そして、この穂高連峰の雄大な山塊がそびえ立つ絶景を見て、
穂高連峰に登ろうか? と心を動かされた。が、思いとどまって、
予定どおりに、槍ヶ岳に登っている。

槍ヶ岳は、穂高連峰の右後方になる。
徳本峠から蝶ヶ岳方向に4キロほど先の、
「明神見晴し」へいくと、槍ヶ岳がちょこんと頭を出す。

2016年10月20日。
M前穂高岳、▼槍ヶ岳、3,180メートル。

徳本峠小屋

徳本峠、2,140メートル。
徳本峠小屋は、屋根に石がある手前が、創設当時の建物(1923年)で、
つっかえ棒で補強してある。奥のトタン屋根が、新館(2010年)。

徳本峠は、奥に下りれば島々谷へ。
ウェストンは島々谷から上がってきた。
手前に下りれば明神、上高地へ。
私は、明神から上がってきた。
左に上がれば、明神見晴しを経て、蝶ヶ岳方面へ。
右に上がれば、霞沢岳(かすみざわだけ)へ。

霞沢岳、2,646メートルまで登ると、なんと言っても、
穂高連峰の眺めがすばらしい。

2016年10月21日、午前10時33分。
穂高連峰が、霞沢岳に対峙して、
「見てくれ! 」と言わんばかりに、迫ってくる。

W西穂高岳、2,909メートル、A間ノ岳(あいのだけ)、2,907メートル、
T天狗ノ頭、2,909メートル、Gジャンダルム、3,163メートル、
O奥穂高岳、3,190メートル、M前穂高岳、3,090メートル。

▽は岳沢小屋、2,170メートルで、重太郎新道が、
右上の⇒紀美子平、2,910メートルへ伸びる。
⇒紀美子平は、M前穂高岳とO奥穂高岳の分岐点、
▽岳沢小屋の下は、上高地になる。

穂高連峰は、上高地、1,500メートルから、
すばらしい景色を見ることができる。

2016年10月20日、朝9時30分、河童橋で。
N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
3,000メートル級が、屏風のようにそそり立つ。

霞沢岳とは、上高地を挟んで反対側にある、
活火山の焼岳、2,455メートルに登っても、
穂高連峰を見ることができる。

2014年10月7日。
焼岳からは、Y槍ヶ岳を見ることができる。それに、
N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。

右下に、上高地が広がる。⇒は河童橋。
梓川左岸に▽帝国ホテル。
梓川右岸に▼清水屋ホテル(新:上高地ルミエスタホテル)。

焼岳からは、上高地の右側にそびえる、
R六百山、S霞沢岳を見ることができる。

上高地は、焼岳とR六百山、S霞沢岳の間に広がる。
⇒河童橋、▽帝国ホテル。
手前は焼岳で、右からは、小さな噴煙が上がる。
あちこちにある噴煙には、なるべく近寄らないようにする。

霞沢岳から見る、穂高連峰と上高地の清水屋ホテル

上高地の梓川右岸には、▼清水屋ホテルが見える。
ウェストン碑は、▼清水屋ホテルの右、梓川の曲がり角にある。
左上の西穂高岳の稜線にある▽は西穂山荘、岳沢にある▽は岳沢小屋。

上高地から、六百山霞沢岳の両方を見るには、清水屋ホテルの前がいい。

2004年11月10日。
R六百山、2,470メートル、S霞沢岳、2,646メートル。
手前は、梓川。徳本峠へは、梓川の上流、明神から東に上がる。

清水屋ホテルの前には、六百山と霞沢岳の説明板がある。

「穂高の名声に隠れがちですが、梓川左岸の山にも捨てがたい魅力があります。
あまりにも近すぎるため、全容を望める場所がかえって少ないのですが、
このあたりは二つの山がもっともよく見えるところです」
「登る人もまれな山ですが、霞沢岳(かすみざわだけ)には、
徳本峠(とくごうとうげ)から尾根伝いに登山道が通じています」
「六百山(ろっぴゃくさん)、八衛門沢(はちえもんざわ)などの、
こあたりの地名には、かつて木材生産の場であった上高地の、
長い歴史が示されています」

「穂高の名声に隠れがちです」
「登る人もまれな山です」、とあるから、
霞沢岳に登るのは、後回しにしよう、と思った。
松本から見える霞沢岳を確認できたことで、満足していた。

それが、今回の2016年10月に登ろうと思ったのは、
すでに、槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳には登った。
ウェストンが、槍、穂高に登るときのゲートウェイとした、
徳本峠を見たくなった。それに、穂高連峰の眺めがいい、という。

徳本峠小屋は、霞沢岳に登る人が宿泊する。
食事をしながら、宿泊者と話をすると、
霞沢岳に登る共通点があった。それは、
すでに、槍、穂高には登っている、
穂高連峰の眺めのすばらしは、気になっていた、
そして、ウェストンが通った徳本峠も見ておきたかった。

田代橋から、清水屋ホテルを見る。

2013年11月9日、朝8時30分。
奥には、奥穂高岳と前穂高岳、明神岳がそそり立つ。
六百山、涸沢岳は、白い清水屋ホテルから梓川を挟んで、反対側。
清水屋ホテルの左、木の陰に上高地温泉ホテルがある。

ウォルター・ウェストンは、
上高地を訪れたときには、清水屋ホテルに滞在している。
ウェストンは、世界には、日本アルプスを紹介し、
日本人には、近代登山の道を拓いた。
それまでの、狩猟や鉱物資源を得たり、
信仰や修行のために、山に入ることに加えて、
登山は探検になり、スポーツになり、行楽や観光になっていく。
ウェストンの勧めで、日本山岳会が結成された。

ウェストン碑が、清水屋ホテルの近くにある。

上高地の開山祭である、ウェストン祭は、
毎年6月の第一日曜日に、ウェストン碑の近くで開催される。

今回の2泊3日の、徳本峠と霞沢岳の行程。
2016年10月20日 上高地 ⇒ 明神 ⇒ 徳本峠、徳本峠小屋泊。
            09:30    10:30    13:06
2016年10月21日 徳本峠小屋 ⇒ 霞沢岳 ⇒ 徳本峠、徳本峠小屋泊。
            04:30     10:23 11:22   16:00
2016年10月22日 徳本峠小屋 ⇒ 明神 ⇒ 上高地。
            07:00       08:47   12:36

2日目の2016年10月21日、
霞沢岳往復に11時間半もかかっているが、
これは、ご来光をのんびりと待っていた。
今日は、急ぐ必要はない、4時までにもどって、
夕食5時半を待てばいい、と思っていた。
本当は、霞沢岳を甘く見ていた。予想より険しかった。
K1ピークの登りがきつかった。が、まだ勢いがあった。
帰りは、K1ピークからいったん下りて、
ジャンクションピークへの登りでへばった。帰りが遅いから、
徳本峠小屋で知り合った人が、様子を見に、上がって来てくれた。

3日目の2016年10月22日、
明神 ⇒ 上高地は、1時間のところ、4時間弱と、
上高地の、今や見ごろの紅葉をゆっくり見ていた。

それでは、2泊3日の徳本峠と霞沢岳の道中をみる。
2016年10月20日。
河童橋から、梓川沿いの道を上がる。
このを渡ると、分岐点(1,545メートル)を右に折れて、徳本峠に向かう。

奥は、明神岳。

分岐点からは、がらりと人が減る。
登山者だけになる、散策の人はいなくなる。

白沢、つぎは、黒沢に沿って上がる。

誰とも合わない道を、上がる。

登山道わきの紅葉


振り返ると、西穂高岳が見えてきた。手前の山は紅葉。

上がるにつれて、下山する人に会う。

近くの山の紅葉


振り返ると、穂高連峰がせり上がってくる。

N西穂高岳、O奥穂高岳、J明神岳、M前穂高岳。

徳本峠に着いた。
早朝の穂高連峰

2016年10月22日、朝5時58分。

2016年10月21日、霞沢岳往復。
徳本峠小屋を朝4時半に出発。真っ暗な中、ライトを灯けて登る。
1時間でジャンクションピーク、2,428メートルに着く。
誰もいない。南側が開けている。
八ヶ岳の空が燃えてきた。

2016年10月21日、朝5時43分。
左のピークが▼蓼科山、右が主峰▽赤岳。
右側の空の方が赤い。こちらから、ご来光? と思った。

八ヶ岳の右に南アルプスがあり、富士山が見えた。

2016年10月21日、朝5時46分。ジャンクションピークで。
F富士山、K甲斐駒ヶ岳。

ご来光

2016年10月21日、朝6時。ジャンクションピークで。
ご来光は、蓼科山の左から上がってきた。

ジャンクションピークまで上がってきたが、そのあと、下りが続く。
南側に御嶽山(左)と乗鞍岳(右)が見える。


ジャンクションピークから、いったん下りて、
K1ピークを目指すが、この急登が険しい。
K1ピークに近づくにつれて、北側が開けて、穂高連峰がせり上がってくる。


K1ピークに着いた。

正面にK2ピーク、奥に霞沢岳が見えた。
K1ピークまで登って、霞沢岳が見えると、
「K1ピークで、引き返そう!
という軟弱はなくなって、奮い立ってきた。

K2ピークを過ぎると、焼岳が大きくなる。

右下は上高地で、⇒は大正池。
焼岳の噴火で、梓川がせき止められて、⇒大正池ができた、1915年。

霞沢岳の頂上から、登ってきたK2ピークK1ピークを振り返る。

奥の▼は常念岳。▼常念岳の右は、蝶ヶ岳。
▼常念岳の左には、横通岳、東天井岳、大天井岳が連なる。
右下の▽は梓川。

霞沢岳から、奥穂高岳前穂高岳


霞沢岳から、西穂高岳奥穂高岳

霞沢岳から見る穂高連峰は、「見てくれ! 」と迫ってくる。

徳本峠から見る穂高連峰は、
「いつでも、待っている! 」と誘っている。
上高地から見る穂高連峰は、絵はがきのようだ。
活火山の焼岳から見る穂高連峰は、噴煙と景観がある。
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ウェストンの日本アルプス絶賛の地、保福寺峠

2016-10-23 00:02:00 | Weblog
ウォルター・ウェストンが、
日本アルプスを絶賛した地、保福寺峠
ウェストンは、1891年8月2日の夕方6時に、
保福寺峠(ほうふくじ)、1,350メートルに着いた。
そして、目の当たりにした日本アルプスに驚嘆した。

2016年10月15日、夕方5時9分。

N乗鞍岳、3,026メ-トル、S霞沢岳、2,646メ-トル、
M前穂高岳、3,090メ-トル、O奥穂高岳、3,190メ-トル、
R涸沢岳、3,110メ-トル、K北穂高岳、3,106メ-トル、
J常念岳、2,857メ-トル、Y槍ヶ岳、3,180メ-トル。

日本アルプス 登山と探検

ウォルター・ウェストン著。岡村精一訳。平凡社、1995年発行。

「大連峰の全景が始めて眺められたが、
われわれの心はひきつけられた」
「私たちは、思いがけなくその展望に接したので、
その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった」
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳
「それより遥か南のほうには、
どっしりした双峰の乗鞍岳がそびえ、
それぞれ特徴のある横顔(プロフィールを見せている」
「この素晴しいパノラマに目を楽しませているあいだに、
午後の日はまもなく暮れて、夜の帳(とばり)がおりた」

「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳」
常念岳~槍ヶ岳

2016年10月15日、夕方5時6分。

Y槍ヶ岳、J常念岳。
右端は、J常念岳に連なる横通岳、2,767メートル。
Y槍ヶ岳の左は、大喰岳(おおばみだけ)、3,101メート、
左端は、南岳3,033メートルで、その左は大キレットを経て北穂高岳に連なる。

穂高連峰

2016年10月15日、夕方5時6分。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳。
北穂高岳の右は、大キレットを経て、大喰岳。
大キレットの手前の丸い山は、蝶ヶ岳の一部。

「遥か南のほうには、どっしりした双峰の乗鞍岳

2016年10月15日、夕方5時18分。
鞍のように見える双峰は、
左が大日(だいにち)岳、3,014メートル、
右が主峰の剣ヶ峰(けんがみね)、3,026メ-トル。

保福寺峠にある、ウォルター・ウェストンの碑。
「ウォルター ウェストン」
日本アルプス絶賛の地
"Walter Weston"

2016年10月6日。保福寺峠、松本市。

ウェストンは手前の上田から、保福寺峠を、人力車で上がってきた。
そして、奥の松本市街へ向かった。標識は、181号、松本市 保福寺峠。

左の白いポール、
「ウォルター ウェストン」
「日本アルプス絶賛の地 入口」
を右に上がると、円い丘の先に、
「日本アルプス絶賛の地」の碑がある。

昼の日本アルプス。保福寺峠から。

2016年10月。

ウェストンの、1891年8月の槍ヶ岳は、
雨と日没で、登頂できずに引き返している。
槍ヶ岳~常念岳

2016年10月。

翌年の1892年の槍ヶ岳は、
途中の徳本峠(とくごう)から見た、
穂高連峰の雄大な山塊がそびえ立つ絶景に、

N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳。2016年10月。

強く心を動かされたが、その願いを抑えた。そして、
穂高連峰の奥にある槍ヶ岳を目指し、登頂に成功している。

穂高連峰には、ウェストンは1893年を手始めに、何度か登っている。

2016年10月。

乗鞍岳には、ウェストンは1892年ほかに登っている。

2016年10月。

1896年にイギリスで発行された、
Mountaineerig and Exploration in the Japanese Alps
によって、日本アルプスが、世界に知られることになった。。

日本で発行された、「日本アルプス 登山と探検」は、
日本人には、登山を教えてくれた。
それまでの山は、鹿や猪の猟、材木、炭焼き、
放牧、銀や銅、水晶を採取するところだった。
生活の糧や原材料を得るため、それと、
信仰や修行のために、山に入り、
山は、楽しむところではなかった。

それが、ウェストンによって、登山は、
探検になり、スポーツになり、行楽や観光になっていく。
装備も用具も改良されて、近代登山の幕開けとなった。
ウェストンの勧めで、日本山岳会が結成され(1906年)、
ウェストンは、日本山岳会の名誉会員になっている。

ウェストンの山岳ガイドとして、上條嘉門次(かもんじ)が案内している。
嘉門次のレリーフ。嘉門次小屋の前。


嘉門次小屋

明神池、上高地。2016年10月。

上高地は、釜トンネルの開通、バスの運行、宿泊設備、
中部山岳国立公園に指定され、多くの観光客が訪れている。
海外からのお客さんも多い。団体のほかに、個人でも訪れる。
2016年から、8月11日が「山の日」として、祝日となった。
ウェストンが槍ヶ岳に挑戦した1891年から、125年後になる。
第1回「山の日」記念大会が、上高地で開催されて、
皇太子殿下は、日本山岳会の会員でもあり、
ご一家で、記念式典に出席された。

夕暮れのウェストンの碑。

夕焼け雲の下の日本アルプスが映る。

ウェストンにとって、保福寺峠は、
日本アルプスに見惚(みと)れたところであり、
日本アルプスへ行き来する、ゲートウェイだった。
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穂高連峰のお気に入り

2016-10-16 00:01:05 | Weblog
穂高連峰お気に入りの写真。
奥穂高岳の朝焼け、モルゲンロート

涸沢カールから。2016年9月1日、朝5時22分。
こんなに、赤くなるのか!

2泊3日の奥穂高岳、前穂高岳の行程。
2016年8月31日 上高地 ⇒ 涸沢カール、涸沢ヒュッテ泊。
2016年9月1日 涸沢カール ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 穂高岳山荘泊。
2016年9月2日 穂高岳山荘 ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 前穂高岳 ⇒ 岳沢 ⇒ 上高地。

道中については、これまでに、つぎに掲載しているので、参照してください。
「奥穂高岳のモルゲンロート」、2016年9月25日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/177c305e194163a706dcc1d2f368c378

「奥穂高岳の陽の変化」、2016年10月2日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2f6290b34813e3644cac9eaf05153719

「前穂高岳からの眺望」、2016年10月9日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2bbf3f3a657bfe313b12103dee62c36f

穂高連峰のお気に入りとして、
これまでに掲載してない写真を選んだ。
似ていても、時間や色、撮影場所が違っているので、
場所や日時を明記した。訪れるときの参考になれば、と思います。

モルゲンロートの時間の変化を見る、5枚。
涸沢カールから、穂高連峰を見上げた。
1) 奥穂高岳と涸沢岳が目覚めた

2016年9月1日、朝5時15分。
静かだ! なにかが、始まる予感。
このときは、モルゲンロートが始まるとは、思っていなかった。

2) 奥穂高岳と涸沢岳に、赤味が射してきた。

2016年9月1日、朝5時19分。目覚めから4分。
赤味が射してきたではないか。焼けるのか?

3) 奥穂高岳と涸沢岳が焼けた

2016年9月1日、朝5時22分。
焼けた! 赤味が射してから、たったの3分。

目を離すことなく、眺めていた。
4) 奥穂高岳と涸沢岳が、露わになってきた。

2016年9月1日、朝5時29分。燃えてから、3分。
空の青、山の赤、影の黒と、3つの帯が広がる。

5) 奥穂高岳と涸沢岳のモルゲンロートは、終わった

2016年9月1日、朝5時47分。
影の黒が下がって、山が露わになってきた。
目覚めてから32分、焼けてから25分のショーだった。

池の平に映る、奥穂高岳と涸沢岳。

2016年9月1日、朝6時11分。
モルゲンロートから一変して、
穂高連峰が、冴えた青に浮かんだ。

ナナカマドと、奥穂高岳と涸沢岳。

涸沢カールから。2016年9月1日、朝6時38分。
池の平に映る奥穂高岳と涸沢岳を眺めてから、27分、
涸沢カールにあるナナカマドにも陽が当たってきた。

ナナカマドと涸沢岳。

2016年9月1日、朝6時34分。
穂高連峰は、ナナカマドに囲まれている。
紅葉すると、涸沢カールがまばゆくなる。
日本一の紅葉として、大賑わいになる。

北穂高岳。
1) 北穂高岳の夕暮れ

涸沢カールから。2016年8月31日、夕方6時20分。
夕陽で、雲が燃えた。北穂高岳の周りが、燃えた。

2) 北穂高岳の目覚め

2016年9月1日、朝5時2分。
涸沢小屋の灯りが残り、テント場が見えてきた。
テントが少ない。台風の合間、それに、紅葉前の静けさ。

槍ヶ岳。奥穂高岳の頂上から。
1) 北アルプスの女王、槍ヶ岳の目覚め

奥穂高岳から。2016年9月1日、朝5時24分。

2) 槍ヶ岳が、妖艶な姿を現した。

2016年9月1日、朝5時24分。

3) 槍ヶ岳と岩峰

2016年9月2日、朝5時54分。
手前から、奥穂高岳の一部、涸沢岳、北穂高岳。

ジャンダルム。
1) ジャンダルムのアーベントロート

穂高岳山荘2,996メートルから。2016年9月1日、夕方6時20分。

2) ジャンダルムのモルゲンロート

奥穂高岳から。2016年9月2日、朝5時27分。

3) ジャンダルムにが当たった。

奥穂高岳から。2016年9月2日 、朝6時22分。
モルゲンロートから55分。

岩壁は垂直に落ちている! 
それに、頂上には、すでに人がいる。
穂高岳山荘から登ってきた? 西穂山荘から?
それとも、岳沢小屋から? 朝3時に出発して、
真っ暗な中を登ってきた? 超人がいるもんだ!

4) ジャンダルムの南は、活火山が並ぶ。

奥穂高岳から。2016年9月2日、朝6時20分。
O御嶽山3,067メートル、N乗鞍岳3,026メートル、Y焼岳2,455メートル、
W西穂高岳2,909メートル、Gジャンダルム3,163メートル。
O御嶽山、N乗鞍岳、Y焼岳は、活火山。

前穂高岳から見る、奥穂高岳

2016年9月2日、朝9時28分。
「日本アルプスの主峰」が、迫ってくる。

前穂高岳から見る、槍ヶ岳

2016年9月2日、昼9時11分。
「日本アルプスの女王」が、翼を広げて、舞い立つようだ。

ホシガラス

重太郎新道で。216年9月2日、昼11時25分。

ホシガラスは、人の気配を感じると、逃げてしまう。
写真に撮るのは難しい、と思っていた。それが、
どこからか飛んできて、横の岩に飛び降りた。
「ここは、おれのテリトリーだ!
「邪魔するな!
と、にらんでいるように見えた。
あわてて、カメラを構えて、撮った。

ホシガラスは、数秒は止まっていた。
カメラは、ブレ防止のために、2秒のセルフタイマーにしてあった。
シャッターを押してから、2秒待った。が、その長いこと。
しまった! と思ったが、どうしようもない。
そして、シャッターが下りたが、それまで、
ホシガラスは、待っていてくれた1枚。

明日も天気がよさそうだ!  相談

涸沢ヒュッテで。2016年8月31日、夕方4時18分。
O大天井岳、H東天井岳、Y横通岳。

2泊3日の奥穂高岳、前穂高岳は、
ゆっくりと、景色を眺めることができた。
台風の合間だったが、いい天気になってくれた。
アーベントロートは、山小屋の夕食後の楽しみだった。
モルゲンロートは、山小屋の朝食と重なるが、
2日ともスキップしたところ、現れてくれた。
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前穂高岳からの眺望

2016-10-09 00:00:55 | Weblog
前穂高岳、3,090メートルからは、
奥穂高岳、3,190メートルが、威容を誇り、
槍ヶ岳、3,180メートルが、優美な姿を見せる。

ウォルター・ウェストンが、絶賛した大連峰、
日本アルプスを、目の当たりにすることができる。
奥穂高岳を中心に、南に西穂高岳~焼岳~乗鞍岳~御嶽山、
北に涸沢岳~北穂高岳~槍ヶ岳と、3,000メートル級のパノラマが広がる。

イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンは、
横浜から上田を経て、人力車で松本の保福寺(ほうふくじ)峠に着いた。
標高1,345メートルから見た、日本アルプスに驚嘆した。1891年8月2日。
「とつぜん目の前に憧れの大山脈が姿を現した」
「そのすばらしさにただただ驚くばかりだった」
「日本のマッターホルンともいうべき槍ヶ岳、
優美な三角形の常念岳、どっしりした乗鞍岳の双耳峰」
「このすばらしいパノラマに見惚(みと)れていた」
日本アルプスの登山と探検」岩波新書、1997発行から。
この本で、日本アルプスが世界に知られることになった。

「ウォルター ウェストン」
日本アルプス絶賛の地
"Walter Weston"

保福寺峠、松本市。
峠道の181号は狭く、冬季はクローズ。
かっては、東山道として主要道だった。

前穂高岳からの眺望。2016年9月2日。
ジャンダルム~奥穂高岳~涸沢岳

奥穂高岳が、「日本アルプスの主峰だ! 」とばかりに威容を見せる。

Gジャンダルムは、ナイフのように尖っている。その右は、ロバの耳。
奥穂高岳の右、R涸沢岳は急峻になる。
左端の三角は、西穂高岳。

奥穂高岳~涸沢岳

▽は穂高岳山荘、奥穂高岳と涸沢岳の鞍部にある。
⇒はザイテングラート、右下の涸沢カールから上がった。
▽穂高岳山荘に1泊して、今朝、暗い中、奥穂高岳に登ってきた。

北穂高岳~槍ヶ岳

槍ヶ岳が、「日本アルプスの女王よ! 」と優美な姿を見せる。

K北穂高岳の北峰。下の⇒ジグザグは、
涸沢カールから、K北穂高岳の南峰に登る道。
槍ヶ岳の左は▼大喰岳、その前は▼中岳、その右は▼南岳。

槍ヶ岳の周辺に、山小屋が3つ見える。
左から、▽槍ヶ岳山荘、▽殺生ヒュッテ、▽ヒュッテ大槍。
槍ヶ岳に登った2015年7月に、3泊して、
日本アルプスや、高山植物を眺めた。
▽槍ヶ岳山荘からは、槍ヶ岳に登り、高山植物を探した、
▽殺生ヒュッテでは、東鎌尾根に登って、穂高連峰を眺めた、
▽ヒュッテ大槍では、白ワインにチキンのホイル焼きを味わった。

槍ヶ岳の右奥に、T立山がある。
奥穂高岳からは、槍ヶ岳の左に見えていたT立山が、
前穂高岳からは、槍ヶ岳の右に現れる。それに、
剱岳が、T立山の奥に頭を出す。

T立山の3つのピークは、左から、
▼雄山(おやま)3,003メートル、
▼大汝山(おおなんじやま)3,015メートル、
▼富士ノ折立(ふじのおりたて)2,999メートル。

▽剱岳(つるぎだけ)2,999メートルが、
▼大汝山と▼富士ノ折立の間に、ちょこんと顔を出す。
立山の右は、剱岳から延びる八ツ峰。
手前は、N野口五郎岳2,924メートル。
2016年9月2日、朝9時25分。

奥穂高岳から見た立山と比べてみる。

T立山の3つのピークは、左から、
▼雄山、▼大汝山、▼富士ノ折立で、
剱岳は、立山の奥にあって、見えない。
手前は、N野口五郎岳。2016年9月2日、朝5時34分。

奥穂高岳の左には、西穂高岳

W西穂高岳2,909メートル、A間ノ岳(あいのだけ)2,907メートル、T天狗ノ頭2,909メートル。

西穂高岳の南には、焼岳~乗鞍岳~御嶽山

O御嶽山3,067メートル、N乗鞍岳3,026メートル、
Y焼岳2,455メートル、S霞沢岳2,646メートル。
下に、上高地。K河童橋、T大正池。
右の⇒は、岳沢。左手前は明神岳のすそ。

明神岳が、前穂高岳の東隣にある。

明神岳主峰2,931メートルとⅡ峰。クライマー専用。

前穂高岳の北東には、
唐沢岳~燕岳~大天井岳~横通岳~常念岳

K唐沢岳2,633メートル、T燕岳2,763メートル、O大天井岳2,922メートル、
H東天井岳2,814メートル、Y横通岳2,767メートル、J常念岳2,857メートル。
手前は、B屏風ノ耳2,566メートル。左端は、前穂高岳の北尾根。

前穂高岳から、紀美子平に下りてきた。

このあと、⇒岳沢に下りて、上高地に向かう。

この夏は、台風が多くて、天気が悪かった。
台風の合間をねらった奥穂高岳、前穂高岳だったが、晴れてくれた。
2泊3日の、奥穂高岳、前穂高岳の行程は、つぎ。
2016年8月31日 上高地 ⇒ 横尾 ⇒ 涸沢カール、涸沢ヒュッテ泊。
2016年9月1日 涸沢カール ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 穂高岳山荘泊。
2016年9月2日 穂高岳山荘 ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 前穂高岳 ⇒ 岳沢 ⇒ 上高地。
          04:00     05:00~06:30  09:00~11:00 13:10~13;:40 15:40

2016年9月2日は、穂高岳山荘から、奥穂高岳に登って、
ご来光から、陽の変化を、1時間半ほど眺めていた。
それから、前穂高岳に登るが、道中の、
奥穂高岳 ⇒ 前穂高岳 ⇒ 岳沢 ⇒ 上高地、を記載する。

奥穂高岳から見る前穂高岳

右は明神岳。2016年9月2日、朝7時28分。

前穂高岳の下にある、⇒紀美子平を目指す。
手前の吊尾根は、稜線を歩くのではなかった。
右側の▽岳沢側を歩く。

前穂高岳では、→岳沢側の切り立った崖を通って、⇒紀美子平に出る。
⇒紀美子平から、左上に上がれば、前穂高岳、
右下に下りれば、▼重太郎新道を、上高地に出る。
⇒紀美子平にザックを置いて、左上の前穂高岳に登る。

前穂高岳から⇒紀美子平にもどって、ザックを背負い、
ところ▼どころ▼が光っている尾根を下りていく。
こうして重太郎新道を見ると、急な下りだ。

⇒紀美子平に向かう吊尾根では、左側(北)の、
涸沢カールを眺めるところがある。

→涸沢小屋。2日前に泊まった⇒涸沢ヒュッテ。
奥は屏風ノ頭。右は前穂高岳の北尾根。

一か所だけ、長いを下りるところがある。

2016年9月2日、朝7時5分。
○登山者は、鎖をつかんで、下に見える⇒の○印に下りてくる。
鎖が1本だから、上りと下りが集中して、行列ができるところ。
しかし、空いていた。台風の合間で、人が少なかった。
それに、時間が朝早かった。

紀美子平は、休憩地であり、情報交換の場である。

紀美子平は分岐点で、左は穂高岳へ、上は前穂高岳へ。
右は明神岳へ。これは、クライマー用。
右下は重太郎新道を、岳沢を経由して、上高地へ。

紀美子平は、上高地から重太郎新道を上がってきて、
奥穂高岳を目指す人と、奥穂高岳から下りてきて、
上高地に向かう人が行き交う。それで、
双方の情報交換の場になった。

奥穂高岳への登りは、長い鎖が一か所ある。
奥穂高岳の先、ジャンダルムは左、穂高岳山荘は右になる。
晴れているから、標識や、○に注意すれば、迷うことはない。
最後の、穂高岳山荘への下りは、急なはしごと鎖に注意する…。

重太郎新道の下りは、長くて急な坂が続く。
途中、鎖やはしごがある。最後にある40段の、
はしごを過ぎると、急坂はなくなる。

これを聞いただけで、役に立つ。
「それでは、気をつけて!

奥穂高岳から下りてきた人は、
前穂高岳に登ろうか? 迷っていた。
「奥穂高岳で、たっぷり眺めたし、
前穂高岳からの眺めは、大きな変わりはないだろうから。
それに、前穂高岳の登りはきついから、辞めておこうと思う」

そこで、前穂高岳からの眺望について。
★奥穂高岳の全容が見えて、威容が迫ってくる、
★槍ヶ岳の優美な姿を、違う角度で見ることができる、
★御嶽山~乗鞍岳~西穂高岳~奥穂高岳~涸沢岳~北穂高岳~槍ヶ岳と、
  日本アルプスのパノラマを一望できる(ウェストンが驚嘆した)、
★剱岳が、立山の奥から顔を出す、
★富士山はまだ見える。
  天気は、夕方まで持ちそうだ。ここまで来たのだから、
  前穂高岳からの眺望を見ておいた方がいい。
すると、バッグを置いて、前穂高岳にスイスイと登った。健脚そうだ。

重太郎新道を下りながら、心配した。
前穂高岳に登ったが、ケガでもしなければいいが。
しかし、若い人は、前穂高岳に登ってから、
岳沢小屋の手前で、追いついてきた。
ケガもなく、つらそうでもない。
「台風で、双六岳で足止めになって、山小屋で本を読んでいた。
日程が長引いたので、早く帰りたかったが、
前穂高岳からの眺望を見ておいて、よかった」
と聞いて、ホッとした。

紀美子平から、重太郎新道を下りるが、
登りのはしごが、一か所だけある。

あとは、ひたすら下りるだけ。

岳沢小屋と西穂高岳

⇒は岳沢、その先、赤い屋根が岳沢小屋。
あそこまで下りるのか! まだまだある。

はしごがある。

岳沢小屋が近づいた。

岳沢小屋で休憩。疲れた!
スポーツドリンクをごくごくと飲んだ。
本当は、ビールで乾杯! といきたかった。

休みながら、2泊3日を振り返った。
余裕の日程で、前穂高岳に登ることができた。
ウェストンが絶賛した日本アルプスを、
ユックリと眺めることができた

最後に、前穂高岳に登る途中で現れた槍ヶ岳

槍ヶ岳は、前穂高岳の頂上から見ることを期待した。
それが、登る途中で、優美な姿を見せてくれたから、
勇んで登った。「待ってろよ! すぐに行くから」

奥穂高岳については、これまでに、
奥穂高岳のモルゲンロートや陽の変化を、
つぎに記載してあるので、参照してください。
「奥穂高岳のモルゲンロート」、2016年9月25日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/177c305e194163a706dcc1d2f368c378

「奥穂高岳の陽の変化」、2016年10月2日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2f6290b34813e3644cac9eaf05153719/?st=1
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奥穂高岳の陽の変化

2016-10-02 00:13:20 | Weblog
奥穂高岳、3,190メートルから、
陽の変化時間の変化を見る。
槍ヶ岳、3,180メートル。

2016年9月2日、朝5時29分。
槍ヶ岳の目覚めを見たかった。

手前から槍ヶ岳まで、
O奥穂高岳の一部、
R涸沢岳3,103メートル、
K北穂高岳3,106メートル、と、
3,000メートル級の岩峰が連なる。

槍ヶ岳の奥は、左から、
▼薬師岳2,926メートル、▼水晶岳2,986メートル、
▼立山3,015メートル、▼唐沢岳2,632メートル、
▼燕岳2,763メートル、▼大天井岳2,922メートル。

奥穂高岳には、穂高岳山荘から登ってきた。
早朝4時、真っ暗な中の単独登山に備えるために、
前日の2016年9月1日の昼に、奥穂高岳の下見をした。

穂高岳山荘から、奥穂高岳を見ると、トドがいる。
いきなりの岩壁は、→はしごと鎖があって、垂直に登っていく。

2016年9月1日、10時36分。
これは、とっかかりから、大変だ!

右の穂高岳山荘2,996メートルには、
涸沢カールから、昨日の2016年9月1日に着いた。
チェックインして、ザックを部屋に置いて、身軽になり、
午後は、涸沢岳に登って、槍ヶ岳を眺める予定でいた。

ところが、明日の2016年9月2日に登る奥穂高岳は、
そそり立つ岩壁

岩壁を登るルートは、
下のペイントのP○を目がける ⇒ 左にあるC1鎖を登る ⇒
右のC2鎖を、横に伝わって、S1はしごへ行く ⇒
それから、S2はしごに移る。

こんな岸壁を、真っ暗な中、登るのか!
P○、C1、C2の鎖、S1、S2のはしごを、
ライトで、ウロウロと探りながら、
一人で岩壁を登るのは、無理だ。
それに、重いバッグを背負っているから、
身軽に、ヒョイ、ヒョイと動くことができない。

それで、急きょ、予定を変更。
涸沢岳に登るのは、止めて、
奥穂高岳を下見することにした。
明るいうちに、奥穂高岳を見ておきたい。

下の赤い屋根は、穂高岳山荘。

登ってみると、はしごと鎖の岩壁の難関は最初だけで、
岩壁のあとは、ガレ場の登りとなって、はしごや鎖はない。

▼の黒い岩は、穂高岳山荘から見たときに、
トドの鼻先のように、飛び出ていたピーク。

ルートを示す、それに、行ってはいけないXを見ておいた。
暗くても、道を間違わないように、左右の谷底へ転落しないように。

翌日の2016年9月2日、朝4時、
真っ暗な中、岩壁の単独登山を開始。
ライトで、→や○を探り、はしごや鎖にたどり着き、
しっかりとつかんで、「あせるな! 」と言い聞かせながら、
慎重によじ登った。そして、難関を乗り越えた。
背中が冷たい! 冷や汗が出ていた。

つぎはガレ場。→や○を、ライトで探りながら登る。
先を行く人のライトが、違う方向を進んでいる。
それで、引き返すように声をかけた。
下見の効果で、自信があった。

登り始めて1時間、奥穂高岳の頂上に着いた。
富士山が見えた!

2016年9月2日、5時9分。頂上は6、7人。
右は、南アルプスの甲斐駒ヶ岳。

ご来光

2016年9月2日、朝5時19分。右は奥穂高岳の一部。

槍ヶ岳に、陽が射してきた。

2016年9月2日、朝5時25分。

手前から槍ヶ岳まで、
O奥穂高岳の一部、R涸沢岳、K北穂高岳、
と、3,000メートル級の岩峰が連なる。
槍ヶ岳は、日本アルプスの女王のようだ。

槍ヶ岳~北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳、さらに、
~ジャンダルム~西穂高岳の3,000メートル級の岩峰は、
技術と体力を備えたエキスパートが、一度はトライしたいと、
あこがれる日本アルプスの縦走ルートである。

ネパールで、エベレスト街道をトレッキングしたときに、
日本へ行ったことがあるというネパール人のガイドに聞くと、
槍ヶ岳~北穂高岳~涸沢岳~奥穂高岳に登っている。
日本を訪れる外国人にとっても、人気のルートだ。

日本アルプスは、イギリス人宣教師、
ウォルター・ウェストンによって、世界に広まった。

ウェストン碑と説明文が、上高地にある。

ウェストンは、槍ヶ岳や穂高岳などに登り、1896年に、
日本アルプスの登山と探検」をイギリスで出版した。

上高地の開山祭、ウェストン祭が、
毎年6月第一日曜日に、ウェストン碑の前で開催される。

日本アルプスの命名は、ウィリアム・ゴーランド。
明治政府から大阪造幣局に招聘されたイギリス人技師。
1881年の「日本案内」で、日本アルプスを紹介している。
そして、ウェストンの、「日本アルプスの登山と探検」で、
日本アルプスは、世界に広まった。

日本アルプスの縦走は、エキスパートではない私には、無理だ。
しかし、奥穂高岳に登って、眺めることができた。
槍ヶ岳には、2015年7月に登っている。そして、
奥穂高岳を眺めた。いつかは登ってみたい、と思った。
それが、1年後の今回、2016年9月1日、2日に実現できた。

奥穂高岳からの槍ヶ岳の陽の変化、時間の変化を追ってみる。
槍ヶ岳が目覚めようとしている。

2016年9月2日、朝5時19分。
東鎌尾根は女王のドレス、
手前のカールが、ドレスの裾を広げている。

槍ヶ岳が目覚めてきた。

2016年9月2日、朝5時23分。
カールに陽が射してきた。

槍ヶ岳が染まってきた。

2016年9月2日、朝5時30分。
槍ヶ岳がリンとして来た。

槍ヶ岳が、空に突き出てきた。

2016年9月2日、朝6時3分。
槍ヶ岳の手前の、3,000メートル級のピークも、眠りから覚めた。
▼大喰岳(おおばみだけ)3,101メートル、
▼中岳3,084メートル、
稜線を経て、右端の、▼南岳3,033メートル。

槍ヶ岳の周囲の山を見る。
槍ヶ岳の右の山。

2016年9月2日、朝6時24分。
槍ヶ岳の手前に▼大喰岳、▼中岳、稜線を経て▼南岳。
大キレットを経て、K北穂高岳3,106メートル。
K北穂高岳から、手前の涸沢岳に向かう断崖も、目を覚ました。

槍ヶ岳の右奥の山。

2016年9月2日、朝5時34分。
左から▲針ノ木岳2,821メートル、▲蓮華岳2,799メートル。
奥は、左から▼旭岳2,867メートル、▼白馬岳2,932メートル、
▼白馬鑓ヶ岳2,903メートル、双耳峰の▼鹿島槍ヶ岳(南峰)2,889メートルと、
▼鹿島槍ヶ岳(北峰)2,842メートル、▼爺ヶ岳2,670メートル。

槍ヶ岳の左の山。

2016年9月2日、朝5時56分。
槍ヶ岳の奥は、左から、Y薬師岳2,926メートル、
W鷲羽岳(わしばだけ)2,924メートル、S水晶岳2,986メートル、
T立山(たてやま)3,015メートル。
手前は、R涸沢岳3,103メートル。O奥穂高岳3,190メートルの一部。

槍ヶ岳の左にある、T立山、3,015メートル。

2016年9月2日、朝5時34分。
T立山の3つのピークは、左から、
▼雄山(おやま)3,003メートル、
▼大汝山(おおなんじやま)3,015メートル、
▼富士ノ折立(ふじのおりたて)2,999メートル。
剱岳(つるぎだけ)は、立山の奥にあって、見えない。
あとで、前穂高岳に登ると、剱岳が、立山の奥に顔を出す。
立山の右は、剱岳から延びる八ツ峰。
手前は、N野口五郎岳2,924メートル。

薬師岳の左。

2016年9月2日、朝5時31分。
▼黒部五郎岳2,840メートル、▼双六岳2,860メートル、▼薬師岳2,926メートル。
手前の岩峰は、O奥穂高岳の一部、R涸沢岳。

奥穂高岳の西にある、笠ヶ岳、2,898メートル。

2016年9月2日、朝5時36分。
笠ヶ岳の頂部に陽が射してきた。

奥穂高岳の南にある、ジャンダルム、3,163メートル。
ジャンダルムの朝焼け、モルゲンロート

2016年9月2日、朝5時26分。
奥の空も、焼けている。
右後方は、大木場ノ辻2,232メートル。

昨日の2016年9月1日に、穂高岳山荘から、
ジャンダルムのアーベントロートを見ている。
これで、モルゲンロートと、両方を見たことになる。

モルゲンロートから、20分後のジャンダルム。
南に、西穂高岳~焼岳~乗鞍岳~御嶽山が浮かぶ。

2016年9月2日、朝5時46分。
O御嶽山3,067メートル、N乗鞍岳3,026メートル、Y焼岳2,455メートル、
W西穂高岳2,909メートル、Gジャンダルム3,163メートル。
上高地は、Y焼岳の左、雲の下に広がる。

モルゲンロートから、50分後のジャンダルム。

2016年9月2日、朝6時15分。
ジャンダルムは、奇怪な姿を現した。
左下の三角は、西穂高岳2,909メートル。

上高地

梓川の上流から、K河童橋、Bバスターミナル、H帝国ホテル、T大正池。
ウェストン碑は、Bバスターミナルの対岸にある。

2016年から、8月11日が「山の日」として、祝日となった。
第1回「山の日」記念大会が、上高地で開催された。
Bバスターミナルが会場で、幸い、晴れてくれた。
日本山岳会の会員である皇太子殿下は、
ご一家で、記念式典に出席された。
天皇、皇后両陛下と、1967年に上高地を訪れていて、
「穂高連峰の雄大な景色に魅了されました」
「多くの人が美しく豊かな自然を守り、
次の世代に引き継いでいくことを心より願います」
と、挨拶された。

奥穂高岳の周囲の山を調べるには、
奥穂高岳の頂上にある「奥穂高岳展望図」が役に立った。

ただ、槍ヶ岳の▽北鎌尾根は、東鎌尾根が正しい。

この夏は、台風が多くて、天気が悪かった。
台風の合間をねらった奥穂高岳だったが、晴れてくれた。
2泊3日の、奥穂高岳、前穂高岳の行程は、つぎ。
2016年8月31日 上高地 ⇒ 横尾 ⇒ 涸沢カール、涸沢ヒュッテ泊。
2016年9月1日 涸沢カール ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 穂高岳山荘泊。
2016年9月2日 穂高岳山荘 ⇒ 奥穂高岳 ⇒ 前穂高岳 ⇒ 岳沢 ⇒ 上高地。

2016年9月2日、穂高岳山荘から、朝4時、真っ暗な中を、
ライトを灯けて、奥穂高岳に登ってきた。
冷や汗をかいたが、その見返りは、
日本アルプスの女王のような槍ヶ岳、
それに連なる厳しく、荘厳な山並みが、待っていてくれた。

奥穂高岳から、
富士山、
ご来光、
ジャンダルムのモルゲンロート、
朝陽に浮き出る槍ヶ岳、と1時間半ほど、
陽の変化、時間の変化を、楽しむことができた。

最後に、陽が当たってきた槍ヶ岳。

2016年9月2日、朝5時55分。
奥穂高岳に挑戦したごほうび、
槍ヶ岳~K北穂高岳~R涸沢岳~O奥穂高岳と、
日本アルプスは、「見てください! 」と、誇らしげだ。
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