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「思い」と「つながり」

ダイヤモンドオンラインにて、第4回目の記事「「思い」と「つながり」こそが経験から学ぶ力の原動力」を掲載しています。

より詳しい内容を知りたい方は、先日出版した『経験学習入門:職場が生きる人が育つ』の第4章をご参照ください(書名をクリックするとアマゾンサイトに飛びます)。

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『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(読書メモ)

近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』講談社文庫

オカッパ頭にロイド眼鏡の変わったおじさん、というイメージのある藤田嗣治だが、世界に知られる日本人画家の中ではトップクラスの存在だ。

1920年代のパリにおいて、誰も真似のできない独特の「乳白色の肌」により一世を風靡したフジタだが、第二次大戦中に日本に戻り、戦争画を描いたために戦犯扱いされる。再びパリに戻るが、すでに一時の勢いを失った彼は、静かに絵を描き続けて、フランス人として死んでいく。

本書を読んで感じたのは、個人のオリジナリティ国の文化が切っても切り離せないという点である。

世界から有能な画家が集まり、しのぎを削るパリのモンパルナス。独自の世界を作り上げるために、フジタは何をしたのか?

「日本人が洋服を着てキャンバスを立て、西洋人と同じものを描いても、仲々西洋人はその日本人を、ゴッホやセザンヌのような大家とは認めない。どうしても西洋人の出来ない仕事をやってみることだ。西洋人も偉いが、俺だって、東洋を背景にした、大きな実を持っている」「既にパリにいる時分から、所謂日本画を描いていた。それは伝統の繰り返しでないまったく私の考案した日本画であった。それは異国に出て初めて生まれ故郷を見ることが出来、また研究ができるようなものだった」(p.168-169)

要は、西洋の文化と日本の文化を融合し、そこに自分の工夫を加える、ということだ。これは芸術にかかわらず、ビジネスや研究の世界でも当てはまることではないか。

驚いたのは、フジタの独創である「乳白色の肌」(淡いクリーム色の色彩)の秘密である。彼は技法を極秘にしていたため長い間謎であった。しかし、最近行われた科学的な分析によって、あの乳白色は、独特のキャンバスの作り方と関係していることがわかったらしい。

普通のキャンバスは二層なのだが、フジタのキャンバスは三層からできている。第一層は一般的な膠(にかわ)なのだが、第二層は硫酸バリウム、第三層は鉛白と炭酸カルシウムを三対一で混ぜたものだった。これによって、ほのかな温かみのある白が出来上がり、絵具を厚く塗り重ねないことで、透明感のある肌の微妙な質感がでるのである。

「西洋文化と日本文化の融合」とよく言われるが、それだけでは不十分なのだ。両者をどのように融合するか、そこに個人の工夫をいかに盛り込むかが勝負の分かれ目になる、ということがわかった。

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信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる
(マタイによる福音書21章22節)



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