みどりの野原

野原の便り

11月26日 日本書紀講座

2021年11月26日 | Weblog

天武天皇7年(678年)
4月 天皇が斎宮に出発する行列が動き始めようとした時、十市皇女が突然の病で宮中で亡くなり、行幸は中止となる。
赤穂の地(諸説)に葬られた。 
天皇は声をあげて泣かれたそうだ。
私がドキドキしたのは、十市皇女の死に何か事件性があったのか、それについて何か記述があるのかと思ったのだが、詳しくは書かれていなかった。

9月 忍海造能摩呂が、「瑞稲」(珍しい稲)を献上し、これにより罪人に恩赦があった。

10月 綿のようなもの(長さ5・6尺 広さ7.8寸)が難波に降って、松原や葦原にも翻った。
時の人は「甘露だ」と言ったとか。 何だろうか?
「甘露」は天子の徳が高く、天地が調和すると天から降るめでたいものと言われる。 

珍しくめでたいものとして「瑞稲」の前にも「白鵄」「瑞鶏」「赤鳥」などが今までに出てきた。
そういう「吉祥のしるし」を見た時には報告して、認められれば、褒賞もあるという。

「5瑞」白鹿 甘露 木連理 黄龍? 喜千(稲?)は 吉祥のしるし(瑞相)とされた。

また、官人の勤務評定をして、昇進や降格を審議せよと詔があった。
重病や親の喪でもないのに公事を欠席したら「階を進めない」など・・細かい。

地震や嵐の記述も。
「地震の地すべりで家が壊れないまま下方に滑りおち、家の人が朝、起きてびっくり」なんて、うっそ~、と思うようなことも記されている。

天武天皇8年(679年)
正月 拝賀の礼は高位の人だけ。身分の低い人は拝賀できない。

亡くなった人の身分によって「薨(親王級 三位以上)」「卒(5位以上皇親)」「死(6位以下 庶人」など言葉の使い分けもされる。
死にさえ身分制度が付いてくるのか~。

知らないことが多く、へ~と面白く思うことがある。ちょっとわからないままのこともある。😢

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