みどりの野原

野原の便り

4月15日 吉野 宮滝のポットホール&蜻蛉の滝

2008年04月15日 | Weblog
卓球仲間でのハイキング 13人が参加
このところ練習には行けてないのに、ハイキングはうまく日が合った。

「上市からバスで宮滝まで行き。ポットホールを見た後、またバスに
乗り、蜻蛉の滝を見て帰る」という、らくらくコースの予定だ。

「物足りないんじゃない?」なんて言われたりしながら上市へ。
電車は満員。さすが桜シーズンだ。

上市駅から、さあバスへ。ところが満員でバスに乗れない。

タクシーも4台分のタクシースペースがあるのに1台もない。
タクシーは全部吉野へ行ってるのか?

次のバスしか仕方ないといわれ、もう一つのグループと30分後のバス
を待つことに・・

やっと来た20分遅れの次のバスに乗った。
渋滞していたとのことで、運転手さんは「すみません」を連発しておら
れた。
まあ仕方ないか。

結局予定より1時間遅れで宮滝へ着く。
縄文遺跡・吉野離宮のあった宮滝あたりの吉野川は巨岩の間を清流が淵
をなす絶景のスポット


山吹が出迎えてくれた

上市から下流では子供のころ泳ぎに来たりしたことがあり、今も河原で
はバーベキューなどができるスポットだ。

ところがここに来ると巨岩が両岸を占め、雰囲気が全く違う。
初めてここに来た時は感動したものだ。

  
        吉野川          奥の小滝が「夢のわだ」

柴橋から「夢のわだ」を眺める。
吉野山・青根が峰から流れ下る「象の小川」(喜佐谷ともいわれる)が、
吉野川本流に流れこむ滝となっている景勝地だ。

ポットホールは、柴橋から少し上流へ入ったところにあった。

吉野から宮滝へのハイキングコースは何回も来ているが、こんなところ
にポットホールがあるのは知らなかった。

    
岩の上をポットホールへ         スミレが岩の間に

大岩の上をおっかなびっくり行くと、丸い岩の穴があった。
これは急流が岩の窪みに入った石や砂を激しくころがし、長年の作用で
大岩が丸く削られた穴だ。

 
    1つは直径1mぐらい    もうひとつは直径数mぐらい。
大きい方の底には砂利がたまっていた。
この砂利が水によってぐるぐるとまわるうち岩を削ったのに違いない。

気の遠くなるぐらいの時間を要したことだろう。偉大な自然の力。

しかし、今。水面ははるか下の方にある。
上流のダムによって水量が減ったんだろう。

昔の水量の多い吉野川を想像してみる。

宮滝から次の蜻蛉の滝の近くのバス停まで、バスに乗る予定が、また
なかなか来ない。

電車だと、どのぐらい遅れているかとか情報が伝えられるが、バスは全
く情報がない。
わかっていれば、もう少し見るべきところでゆっくりできるのに・・

いつ来るかと待つこと1時間。やっと来た。待ちくたびれた。
おなかもすいた。


蜻蛉の滝手前の公園で遅くなったお弁当。

お天気は最高。桜は満開 機嫌を直して楽しいひと時。
紅しだれは満開・ソメイヨシノは風が吹くと花吹雪となって私たちに降
り注いだ。

それも早々に切り上げ、2つ目のポイント「蜻蛉の滝」(川上村)へ。

       
水量もたっぷりの「蜻蛉の滝(せいれいのたき)」は見ごたえがあった。

バス停までの斜面でツクシをみんな協力してくれて摘み、袴をとりなが
ら歩いた。

これで後は調理するだけ。節約料理の日々

連日の草料理に家族は何というかな?(さすがに昨日は肉料理だったが)

帰りは、電車は満員だったがスムーズに予定通り帰宅。

企画してくれた方は気を遣われたことだろう。仕方ないですよ。

桜のシーズンはこんなものなのかとわかった。
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4月14日 家にも出来てた コゴミ &うちの庭の花

2008年04月14日 | Weblog
Tさんにコゴミをもらった。娘たちも大好きなので分けてあげよう。

家にももらったコゴミが2株植えてある。
つい何日か前に見たけど出てなくて、枯れたかな?と思っていた。

念のためにもう一度覗いた。そしたら出てるじゃないの。
地植えの株はもう葉が伸びてる。
鉢植えの方は? ギボシの葉陰の鉢を見たら、ちょうどいいのが5本
ぐらい出てた。 いただいたのと一緒にして食べよう。

    
鉢植えのコゴミ       ムサシアブミも咲いていた。 
ごめんごめん気がつかなくて。

  
今朝見つけたシイタケ。  手が隠れるぐらい大きい。

他の人はお正月に採れたって言ってたので、半分あきらめていた。
「おくて」なだけだったのか。

一番大きいのを収穫した。焼きシイタケにしよう。
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4月13日 高安山

2008年04月13日 | Weblog
里山一斉調査 八尾・高安山コースに参加

もう10年も前にも参加したことがあるが、久しぶりのこのコース。

チョウや野の花や鳥を観察しつつ山道に入る。

      
 クサイチゴのブーケ          キリノ花

  
山は木の芽ぶきの色がやわらか。コナラ・ナラガシワ・クヌギ芽の色は
ひとつひとつ違う。よく見るとみんな花をつけている。

遠目に見る春の山の色は、こんな色の集まりなんだ。あ~きれい!

アケビ・ミツバアケビ・ゴヨウアケビも花が咲いていた。
この山道にはウラシマソウが多かった。1メートルぐらいのもあった。

イノブタ注意の看板もあり、ラッセル跡がたくさん見られた。
「勝手に捕まえてもいいの?」と聞いてみた。やはり許可がいるそうだ。

山道のぬかるんだところには動物の足跡大 小・鳥の足跡などがくっきり
と残っていた。

だんだん見晴らしがよくなってくる。 町はうすくかすんでいた。

  
山の上では桜が満開 うれしい。またお花見ができるとは・・


小さい溜池 つぶされて埋め立てられていた溜池もあった。

      
やっと出会った雌花 アオキはほとんどお株だ。 アケボノシュスランの葉

帰りのおおみちコースは谷道で、リーダーの方は山慣れた様子でなんな
く歩かれるが、ぬかるみもある急な下りだった。

高安山の向こう側の奈良県側も花木生産が盛んだが、こちら大阪側も花
木の生産地のようだ。

家に帰るのを待っていたように雨が降り出した。
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4月12日 タケノコ掘れたよ

2008年04月12日 | Weblog
3時過ぎから、畑の横にあるうちの竹藪へタケノコを探しに行った。

足場の悪い斜面を降りる。

斜面を見ても全く見つからない。畑には根が入ってくるのにタケノコっ
てないものだ。無理かとあきらめかけた頃、「あったー!」
5・6センチ頭が出ているのを見つけた。手ぶらで帰らなくても済みそう。

父が愛用していたタケノコ堀りのクワを入れる。

竹の根に当たって思うようにはいかなかったが、なんとか掘れた。

2本目を見つけた頃に、娘夫婦が犬を連れてやってきた。
掘るのを代わってもらい、娘と探す。

    
自然の中で遊ぶのはおもしろいな。娘宅の愛犬「ころも」

隣の竹藪・下の竹藪を見ると、手入れがされていて、太い竹が均等に生
えている。
それに比べて、この斜面は竹が少ししかない。太い竹を少し残す方がい
いのかな?

タケノコの藪としてはあまり良くないが、いろんな草が生えている。

クサイチゴ・シダ・ホウチャクソウ・ノギクらしいもの・シシウド・・
それが楽しみだ。タケノコよりも草に目がいってしまう。
でも夏になれば草が繁って大変なんだろうな。


キクラゲもあった。タケノコごはんと汁物に入れよう。

 
羽化したて?アゲハチョウ     ウサギの糞もあった。

イノシシは来ないらしい。ウサギに出会いたいな。

娘たちははじめてのタケノコ掘り。
私もずっと前、1度だけ父についてきたことがあるだけで、今日は2度目。
タケノコを掘るのは初めてだ。


小さいのも入れて合計10本ぐらい採れた。上出来だ

根元を鍬で切ってしまったものもある。
本当は頭の出ていないのがいいけれど、まあ仕方ないか。


植木鉢いっぱいになったニッコウキスゲも植えた。

娘夫婦と畑のカラスノエンドウやフキ・ヒメドリコソウ・タンポポの葉
と花・スイバノ穂・ウド・ノビルなど摘んでかえった。

娘の婿 Y君がアサリ入りのスパゲティとスープとサラダを作ってくれ、
私はノビルと花菜の酢味噌。娘が野草とタケノコの天ぷらを作り、夕
食は野草パーティ。

野草の天ぷらも好評だった。

明日はタケノコごはんと若竹煮を作ろう。

この季節しか味わえない春の味を楽しもう。
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4月11日 薬草見本園 & うちの庭の花

2008年04月11日 | Weblog
薬事研究センターの薬用植物見本園の一般公開 
トンボ帰りで行ってきた。

おまけに持っていったデジカメの電池がない!
いつものウエストポーチには入っているのに・・・

アケビやハナズオウ・ミツガシワ・エンゴサク・バイモ・ニリンソウ・
カリン・・シャガ・ヤブサンザシ・アマドコロなど花が咲いていた。
ボタンももう2輪ほど咲いていた。

奈良県の中でも御所は昔からの製薬会社が多い。
そんな生薬の材料になる見本の薬草300種を園内に植えてある。

薬にする時にはボタンも花を摘んでしまうそうだが、ここでは花を楽し
める。

毒草もその辺に生えてる雑草も、ほとんどが、薬草として利用されてい
るんじゃないかと思う。

それは草木の根であったり、茎であったり実であったり。葉や花であっ
たり、中にはカギカズラのように、カギ型のトゲが薬になっているもの
もある。

薬の資料室
光明皇太后が聖武天皇の遺物として正倉院に献納された60種の薬の
目録がある。
前にはビンに入った見本が置いてある。

それを見ると、
犀角やジャコウなどツノ・肝など動物性のもの
ハンミョウの仲間やラックカイガラムシの分泌物など虫由来のもの、
キノコ・マンゴウなどのくだもの、石や鉱物も薬になっている。 

今のようにいろんな薬がなかった昔の人の知恵には感服する。

今日は写真がないので、うちの庭の花紹介
 
    ハナカイドウ             ウラシマソウ       

 
    コモチベンケイソウ      ウラシマソウ


    ジロボウエンゴサク
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4月10日 高松塚周辺 里山クラブ

2008年04月10日 | Weblog
今年度最初の自然観察サークルの定例会だった。

3月に講座を修了した13期生も交え、雨のやんだ公園周辺を歩いた。

2週間後には14期生の講座「野草観察とクッキング」をサークルが担当
する。
その下見も兼ねる。


ちょっとした草むらも花がいっぱい咲いてうっとりする花園だ。

クッキングに使えそうな野草を確認した。
タケノコは年々とるところが狭まり、当日あるかどうか。


頭をちょっと出したタケノコ


   クヌギの切株についたキクラゲ
キクラゲは漢字で「木耳」と書く。手触りも耳。裏のひだも耳のよう。
木も芽吹いてきた。クヌギもかわいい雄花が垂れてきた。

お昼は弁当を食べた後、コーヒーで懇談会
新サークル員の方の自然にもっと触れたい思いが伝わってきた。

春は自然観察サークル関連の行事が次々あって忙しいが、みんなで盛
り上げていけたらと思う。


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4月8日 田原本史跡めぐり  唐古・鍵遺跡

2008年04月08日 | Weblog
奈良盆地の中央「国中(くんなか)」に位置する田原本。
賤ヶ岳7本槍の1人平野権兵衛長泰が領主となり、寺内町が発達、後に
陣屋町として栄えた町だ。

我が家にとっては関係の深い町だけど、あまり歩き回ったことはない。
お正月に多神社や鏡作り神社他ちょっとうろついて、田原本って面白そ
うと思ったけれど・・・

今日はそんな田原本の町中と弥生時代の唐古・鍵遺跡を歩いた。

津島神社
元、祇園社と言われた。神宮寺で明治2年に津島神社と改めた。


子供が小さい頃、親戚と7月に「祇園さん」というお祭りに行った思い
出がある。 夜店が出て賑わっていた。

それ以来だが、社はきれいに建て替えられていた。
立派だが、新しい建物にはあまり興味がないわ、と思っていたら、昔の
図面どおりに復元されているという。
そして古い彫刻の部分なども利用されていた。

街中にあるお寺などを見、平野氏の陣屋跡という田原本町役場を通り、
寺川と渡り、唐古・鍵考古学ミュージアムへ

唐古・鍵 考古学ミュージアム
図書館・傷害学習センター・ホール・公民館などの機能が詰まった複合
施設。
立派な建物にまず驚く。ゆったりと明るい。

3班に分かれてボランティアさんの説明を受ける。

唐古・鍵遺跡関連の発掘された絵画土器や木器など本物が多数展示され
ているのがうれしい。

大型建物の柱の発掘状態も足元の床下のガラス越しに見れる。

中央には弥生の暮らしが模型を使って展示されていて、イメージがわき
やすくおもしろかった。
機織りや藁?を編むなど、現代にも通じる技術が既にあったようだ。
木製の鋤や鍬を石の斧で削ったりする様子も見られる。
木製品は水に漬けて加工しやすくしたらしい。水に漬かった半製品も出
土している。

 
     石細工の模型       木を削る      

 
   出土した柱       ヒスイの勾玉        

銅鐸の復元の様子なども見られるらしいが、時間が不足だ。
またゆっくりと見に来たい。

午後は唐古・鍵遺跡
のどかな田んぼ道を歩く。

説明者は一番近くに住む?Sさん
唐古・鍵遺跡は長谷川と寺川に挟まれた地域で、弥生時代前期から後期
まで継続する大環濠集落だったそうだ。

村を囲む何本もの環濠は川の氾濫から村を守るものだったそうで、最大8
メートルもの幅ののもあったらしい。

環濠の中には竪穴式住居や井戸。約50畳もあるような大型建物があった
そうだ。

今は埋め戻されて、見えるのは田んぼばかりだが、左を見れば、国道の
向こうでは、大型建物跡や鶏頭形の土器の出土した場所が。
国道のこちら側にはヒスイの勾玉などが出土。
右横に見える小学校(田原本北小学校)からは、楼閣の描かれた絵画土
器の破片が出土、埴輪や環濠跡など、ここは弥生の村の真っただ中だ。

銅鐸を鋳造する場所は、公害を考えて村の中でも一番風下の南の方にあ
ったそうだ。

居住区の外側にはお墓や田んぼが広がっていたらしい。

少し歩いて木の茂ったところ、ここが唐古池。
ここに復元された楼閣がある。

絵画土器の破片を元に復元された楼閣。池の中に建てられているが、
もとあった場所は不明という。

高さ12メートルあまり、出来てだいぶたつので痛んでいるところもあ
るが、古びて自然っぽくなっている。
くるりと巻いた棟飾りはかわいい。
丸太を刻んだ刻み梯子、これを登るのはこわそう。

国道から見える楼閣はおもちゃみたいで、あまり興味がなかったが、ミ
ュージアムで遺跡のことを少し知り、ここまで歩いて、こんなシンボル
もいいかな?と思えてきた。

 
唐古池の周りは桜がいっぱい。まだ花がいっぱいのところもあり、花び
らの散り敷いたところもまた風流だった。

撮ってやろうと言われ、一人写真を撮ってもらったが、きれいな桜・花
びら道、これだけの方がよかったか? 写真を見るのが怖い。

 
  アケビ満開               下に落ちていたヤドリギ 
                      実の周りのネバネバは想像以上

この後は、また町中へ戻り、主人の実家のお墓のある本誓寺・隣の
浄照寺へ。

ここは2代目平野氏と支配問題で争いになった教行寺を他へ移し(追
い出し?)跡地を2分して本誓寺・浄照寺を建立させたとのこと。

いつもお墓参りしているお寺、古いとは聞いていたが、そんな由緒が
あったのか。

知っているようで全く知らなかった田原本。もっと知ったら面白そう。











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4月7日 4月の花 カキドオシ

2008年04月07日 | Weblog
4月の花 カキドオシ(シソ科)

クッキーの抜き型で抜いたような丸い葉。涼しげな薄紫色の花。
この季節にぴったりの花ですね。花が咲き進むと茎は倒れて延び、
垣根もなんなく超えて広がる。
そんなたくましさも持っているところから名が付いたようです。

カキドオシに限らず、花の形・色・模様の多様さ。子孫を残すた
めの工夫。
すぐ消えてしまいそうなか弱いところがあるかと思えば、思わぬ
したたかさを持つ野の花たち。

そんな魅力いっぱいの野の花が“好き”というだけで、無謀にも
引き受けた表紙絵。

丸2年描かせて頂きました。こんな機会をいただけて幸せに思っ
ています。

多くの方に声をかけていただいたことは本当にうれしく励みにな
りました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

次回からの表紙絵。今度は見るほうで楽しませていただこうと思
っています。


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4月6日 笠置でトルマリン探し

2008年04月06日 | Weblog
笠置川の河原はテントがいっぱい。桜も満開

駅には線路と鉄道を撮ろうとするカメラマンが何人もいた。


真似してカメラマンの後ろから撮った

観音坂を登る。
このあたりは昔は石墨の採掘場があったらしい。

 
      シュンラン          キチジョウソウの実
 
  
     ウグイスカグラ

石墨
鉛筆の芯や放射能を吸収することから、炉心材などにも使われるらしい。
同じ炭素でできたダイアモンドは硬度が10なのに対し、でき方の違いで
硬度は低く、鉛筆の芯だなんて・・

今日探すトルマリンは、電気石ともいわれる。電気を帯びる性質を持つ。
その種類の中には宝石になるようなものもあるそうだ。

昨今、健康にいいと宣伝されているのは、今日の講師のYさんによると、
あまり期待しない方がいいみたい。

とにかく、トルマリンなるものが実際に自分で掘りだせるときいて期待
をもって参加した。(・・なのに、掘る道具を忘れて借りた・・)

この付近は中央構造線の北側にある領家変性帯で、変成岩や花崗岩・斑
レイ岩類や火成岩類など変化にとんでいるそうだ。そんな岩石の中に混
じっているらしい。

       
観音坂を上ったあたりでトルマリンを含んだ石を探す。 この石の中に含む

これかな?水で土を落として見てもらう。
「これは違いますね」「この辺に筋状に光ってるのがそうです」
見てもらう内、なんとなくどんなものかわかってきた。

わりあい黒っぽいもろそうな石の中に混じっているようだ。

いくつか持って帰ることにした。

うちにはこんな石がごろごろしている。
ちゃんと整理しないまま、どこで採った何の石だかわからないものもい
っぱい。

講師のYさんはどっぷり石の世界にハマっておられるが、石はむつかしい。

今日の石もわからなくなる前に袋に入れてシールを貼るぐらいはしてお
こう。

午後からは笠置寺

石垣は笠置花崗岩 ピンクがかった色

ソメイヨシノにいっぱいヤドリギがついていた。
花が咲いているのも見られた。

ヤドリギは枯れていると思ったら、桜が枯れていた。頼りにする桜が枯
れてはヤドリギも死ぬしかないか。

笠置山は巨石がごろごろしている。
どんな成り立ちでこんなことになったのか?角のない丸い巨石ばかりだ。

  
      巨石            ヤマザクラ

笠置寺は巨石に仏像が彫刻され、信仰の山として栄えたが、倒幕に失敗
した後醍醐天皇を迎えたことで、鎌倉幕府から攻撃を受け全山焼失した
という。

巨石をめぐる「修行場めぐり」をした。

「笠やん」
うちに帰ったら夫が「笠やんの碑があったやろ」という。そんな有名な
ものらしい。

笠置寺に登る途中、道のわきに「笠やん終焉の地」の石碑があって、
「笠やん」って誰?と思っていたら、野良猫だが、みんなに愛された有名な
案内猫らしい。
磨崖仏の近くには笠やんを偲ぶ追悼碑まであるのにはびっくりした。

明日は天気が悪くなるようだ。平地の桜も見納めか。

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4月5日 桜井~大福遺跡

2008年04月05日 | Weblog

      粟原川の桜も満開。

戒重・春日神社
このあたりは敏達天皇の宮、又、織田藩の陣屋跡。織田城とも言われる。
いわゆる城のような建物はなく、川や竹藪など自然地形を利用した要塞
のようなものだったらしい。
吉野南朝に忠誠を誓い、最前線となって幕府軍と戦った。
幕府の大軍に対し半年以上も持ちこたえたが、ついに力尽きたといわれる。
ツバキの咲き乱れる境内は静かで、そんな激しい歴史があったとは偲ぶこ
ともできない。
このあたりに大津の皇子の邸宅があったと言われる。

              
               イタビカズラの大木
     (左イチイガシ・右の細い幹がツル性植物のイタビカズラ)
         太いところでは16センチもあるとか。
         こんな大木は珍しく貴重だそうだ。


勝山曲輪製作所
曲げわっぱと言えば秋田を想像するが、桜井にも曲げ輪制作会社が3軒
ぐらいあるそうだ。


曲げ輪の材料のヒノキの薄板。最高9ミリぐらいまで曲げられるという。
    
  
    曲げ輪製品             熱湯の窯・曲げる機械

秋田の曲げ輪の材料は杉で工芸品を作り、ここはヒノキの端材を利用し
て生活用品を作っているそうだ。
セイロやヒシャク・刺繍枠・ふるい。裏ごしなどに使われている。

中国産ばやりだが、ヒノキは中国にはなく差別化を図っているという。
そして、曲げた薄板を留めるのは桜の皮が一番耐久性があるそうだ。
年月が経っても艶が残っていた。

ヒノキの薄板を熱湯につけ、やわらかくしたところで何枚か一緒にロー
ラーにかけると薄板はぐるりと曲がり、それを丸い型に叩き込み型をつ
ける。
その棒は30年来使っているとのことで、使いやすそうだった。

曲げた輪は少々力をかけても折れない。
木を曲げて利用するなんて、昔の人はよく考えたものだ。

三十八柱神社(大福)
イザナギ・イザナミと36の神を祀る。
小懇田の宮跡の伝承地とのこと。
宮に関する土器等の出土があるという。

飛鳥にも墨書土器の出た小懇田の宮跡がある。

大門醤油醸造所 
昔、うちの近くにも「しょうゆ屋」があった。その時と同じような懐か
しい醤油の香りがした。
材料にこだわったしょうゆ作りをされている。


製品になるまで2年ぐらいかかるという。

濃い口醤油は小麦より大豆の方が多く、薄口は小麦の方が多い。
たまりは大豆がほとんど。白醤油は小麦がほとんど。
出来上がったしょうゆに麹を入れ再仕込みをした再仕込みしょうゆとい
うのもあるらしい。

古い木造の柱や天井に長年住み着いた「菌」がいて、おいしい醤油造り
に関係しているという。
今も木製の樽が使われていた。ステンレスよりも長持ちするらしい。
木の文化は素晴らしい。

大福遺跡
弥生時代の中心的なムラの一つ。
大福小学校の改築の際の発掘で土器など出土、銅鐸もでた。


近くには「方形周溝墓」の発掘現場があった。
上部は削られている。

藤原京は最初言われていたよりはずいぶん範囲が広いということで(大
藤原京)、このあたりは藤原京の出垣内的な場所だったらしい。

元耳成高校の近くでは、
竹取物語の舞台はこのあたりだったと説明があった。
ちょうど南に天の香具山があり、旧暦の8月15日には天の香具山から満月
が昇るという。
竹取物語に「竹田原の讃岐の翁あり・・・」とある。このあたりの地名
は「竹田」という。

広陵町の讃岐神社あたりも竹取物語の舞台と言われている。

野道にはツクシがいっぱい。

桜井大福あたりも春まっさかりだった。
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