みどりの野原

野原の便り

4月8日 田原本史跡めぐり  唐古・鍵遺跡

2008年04月08日 | Weblog
奈良盆地の中央「国中(くんなか)」に位置する田原本。
賤ヶ岳7本槍の1人平野権兵衛長泰が領主となり、寺内町が発達、後に
陣屋町として栄えた町だ。

我が家にとっては関係の深い町だけど、あまり歩き回ったことはない。
お正月に多神社や鏡作り神社他ちょっとうろついて、田原本って面白そ
うと思ったけれど・・・

今日はそんな田原本の町中と弥生時代の唐古・鍵遺跡を歩いた。

津島神社
元、祇園社と言われた。神宮寺で明治2年に津島神社と改めた。


子供が小さい頃、親戚と7月に「祇園さん」というお祭りに行った思い
出がある。 夜店が出て賑わっていた。

それ以来だが、社はきれいに建て替えられていた。
立派だが、新しい建物にはあまり興味がないわ、と思っていたら、昔の
図面どおりに復元されているという。
そして古い彫刻の部分なども利用されていた。

街中にあるお寺などを見、平野氏の陣屋跡という田原本町役場を通り、
寺川と渡り、唐古・鍵考古学ミュージアムへ

唐古・鍵 考古学ミュージアム
図書館・傷害学習センター・ホール・公民館などの機能が詰まった複合
施設。
立派な建物にまず驚く。ゆったりと明るい。

3班に分かれてボランティアさんの説明を受ける。

唐古・鍵遺跡関連の発掘された絵画土器や木器など本物が多数展示され
ているのがうれしい。

大型建物の柱の発掘状態も足元の床下のガラス越しに見れる。

中央には弥生の暮らしが模型を使って展示されていて、イメージがわき
やすくおもしろかった。
機織りや藁?を編むなど、現代にも通じる技術が既にあったようだ。
木製の鋤や鍬を石の斧で削ったりする様子も見られる。
木製品は水に漬けて加工しやすくしたらしい。水に漬かった半製品も出
土している。

 
     石細工の模型       木を削る      

 
   出土した柱       ヒスイの勾玉        

銅鐸の復元の様子なども見られるらしいが、時間が不足だ。
またゆっくりと見に来たい。

午後は唐古・鍵遺跡
のどかな田んぼ道を歩く。

説明者は一番近くに住む?Sさん
唐古・鍵遺跡は長谷川と寺川に挟まれた地域で、弥生時代前期から後期
まで継続する大環濠集落だったそうだ。

村を囲む何本もの環濠は川の氾濫から村を守るものだったそうで、最大8
メートルもの幅ののもあったらしい。

環濠の中には竪穴式住居や井戸。約50畳もあるような大型建物があった
そうだ。

今は埋め戻されて、見えるのは田んぼばかりだが、左を見れば、国道の
向こうでは、大型建物跡や鶏頭形の土器の出土した場所が。
国道のこちら側にはヒスイの勾玉などが出土。
右横に見える小学校(田原本北小学校)からは、楼閣の描かれた絵画土
器の破片が出土、埴輪や環濠跡など、ここは弥生の村の真っただ中だ。

銅鐸を鋳造する場所は、公害を考えて村の中でも一番風下の南の方にあ
ったそうだ。

居住区の外側にはお墓や田んぼが広がっていたらしい。

少し歩いて木の茂ったところ、ここが唐古池。
ここに復元された楼閣がある。

絵画土器の破片を元に復元された楼閣。池の中に建てられているが、
もとあった場所は不明という。

高さ12メートルあまり、出来てだいぶたつので痛んでいるところもあ
るが、古びて自然っぽくなっている。
くるりと巻いた棟飾りはかわいい。
丸太を刻んだ刻み梯子、これを登るのはこわそう。

国道から見える楼閣はおもちゃみたいで、あまり興味がなかったが、ミ
ュージアムで遺跡のことを少し知り、ここまで歩いて、こんなシンボル
もいいかな?と思えてきた。

 
唐古池の周りは桜がいっぱい。まだ花がいっぱいのところもあり、花び
らの散り敷いたところもまた風流だった。

撮ってやろうと言われ、一人写真を撮ってもらったが、きれいな桜・花
びら道、これだけの方がよかったか? 写真を見るのが怖い。

 
  アケビ満開               下に落ちていたヤドリギ 
                      実の周りのネバネバは想像以上

この後は、また町中へ戻り、主人の実家のお墓のある本誓寺・隣の
浄照寺へ。

ここは2代目平野氏と支配問題で争いになった教行寺を他へ移し(追
い出し?)跡地を2分して本誓寺・浄照寺を建立させたとのこと。

いつもお墓参りしているお寺、古いとは聞いていたが、そんな由緒が
あったのか。

知っているようで全く知らなかった田原本。もっと知ったら面白そう。











コメント (4)
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