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「サムパリ、チュンサミ、ポクスニが赤ちゃんイルカと泳ぐ姿を見たい」というドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の主人公ウ・ヨンウのように、どこかでテサニの子どもが泳いでいることを望むだけだ。

2022-08-14 | 韓国あれこれ・・・

ショーを拒否したイルカの「テサニ」、故郷の済州の海で死亡確認

登録:2022-08-11 09:39 修正:2022-08-14 07:21
 
[アニマルピープル] 
6月、済州道城山邑の沖合で死体で発見 
2009年に不法に捕獲された後、6年間展示…2015年に野生に放流 
捕まったが飼いならされることを拒否し、イルカショーにも出ない 
海洋水産部「解剖検査により正確な死因などを調査中」
 
 
2015年、水族館から済州海で放流されたミナミハンドウイルカ「テサニ」が5月に死亡したことが明らかになった。写真は2015年済州咸徳の野生適応場で仲のいいポクスニ(左側)と泳いでいるテサニ(右側)=キム・ドクシン水中撮影監督提供//ハンギョレ新聞社

 2015年に野生に放流された済州(チェジュ)のミナミハンドウイルカ「テサニ」が、故郷の済州海で息をひきとった。不法捕獲を経て水族館で過ごした後、海で野生の群れに合流した「チェドリ」を含む5頭のイルカのなかでは初めて死亡が確認された。

 10日のアニマルピープルの取材を総合すると、ミナミハンドウイルカのテサニ(雄、推定27歳)が6月、済州道城山邑古城里(ソンサヌプ・コンソンリ)の沖合で死体で発見された。当時テサニの頭は腐敗が進行していた状態だったが、胴体とひれは完全な状態だった。

 
 
野生放流後に撮影されたテサニの背びれ(左側)と6月25日に済州城山邑の沖合で死体で発見されたテサニの背びれ=写真、ホットピンクドルフィンズ、キム・ビョンヨブ教授提供//ハンギョレ新聞社

 海洋水産部の関係者はこの日、「野生放流されたミナミハンドウイルカの背びれを見てみると、あたかも人間の指紋のように個体ごとに違う。死骸の背びれを済州のミナミハンドウイルカのヒレの記録と対照し、死んだ個体がテサニであることを確認できた」と伝えた。この関係者は「7月に国立水産科学院クジラ研究センターと済州大学イルカ研究チームが解剖検査を行い、現在は正確な死因と年齢などを明らかにするために組織検査を進行中」だと述べた。

 テサニは、2009年6月に済州翰林邑帰徳里(ハンリムプ・クィドクリ)で不法捕獲されたミナミハンドウイルカで、捕獲後に済州道西帰浦市(ソギポシ)の中文団地にあるパシフィックランド(現パシフィックリソム)に引き渡された。以後4年間、その水族館で生活したが、ショーのイルカとして容易には飼いならされることはなく、ほとんど内部の部屋で隔離生活をしなければならなかった。

 
 
2015年7月6日午後、済州朝天邑咸徳里チョンジュ港近くで開かれた「ミナミハンドウイルカのテサニとポクスニの済州海域自然放流記念式」の後、適応訓練を受けていたテサニとポクスニが故郷に戻っていった=済州/イ・ジョンヨン先任記者//ハンギョレ新聞社

 その後、2013年、ソウル市がテサニの1カ月前に捕獲されたチェドリの野生放流を推進し、テサニはソウル大公園に移された。最高裁の決定によって、チェドリとチュンサミ、サムパリが先に故郷の済州海に放流され、2年後の2015年にテサニと“仲の良い”ポクスニと一緒に、済州の咸徳(ハムドク)沖合に戻った。6年ぶりの帰郷だった。

 放流後7年を野生の群れで生活した。テサニの最期はどうだったのだろうか。海洋水産部海洋生態課のイ・ジェヨン課長は9日、「正確な死因はまだ調査中だ。解剖結果が整理されれば、1~2週間のうちに詳細な内容を公開する予定」だと述べた。さらに、「海洋保護生物種であるイルカについては、死体で発見された場合、混獲や疾病の有無などの死因調査に重点が置かれなければならないので、一般的なクジラの死体の発見事例より発表に時間がかかる」と説明した。

 
 
テサニとポクスニは不法捕獲後、パシフィックランドに移されたが。うまく馴れず、イルカショーにはあまり出ることはできなかった。写真は2015年2月の野生放流前のソウル大公園で活魚の給与訓練を受けている様子=ナム・ジョニョン記者//ハンギョレ新聞社

■エピソードの多いイルカ、テサニとは

 推定年齢27歳。自然界のミナミハンドウイルカの平均寿命が40歳以上であることを考慮すると、長生きはできなかった。人間の網に捕まったテサニの一生は不運だったが、一方では堅固だった。テサニは2009年6月、済州の翰林邑で不法捕獲された後、水族館業者のパシフィックランドに売られた。テサニの年齢14歳の時のことだ。この時から6年間の監禁生活が始まった。

 たとえ、体を狭いセメント水槽に閉じ込められた状態であっても、彼は飼いならされることを拒否した。過去にパシフィックランドでテサニを扱ったことがある飼育員は、「テサニはあまりにも警戒心が強く、初めから人が近付くことを嫌がった」と、2015年のインタビューで語った。1カ月前に捕獲されたポクスニ(雌、2015年放流)も同じだった。ポクスニはくちばしが歪んでいる奇形を持っているうえ、エサを拒否するなど、うつ病症状を示していた。

 上くちばしがないテサニは、そのようなポクスニに同病相憐れむ感情を抱いたのだろうか。テサニは水族館から野生の海に戻るまで、ポクスニのそばを守った。ポクスニはテサニの子どもを2回も妊娠したが、いずれも死産してしまった。イルカショーに出られなかった2頭は、多くの期間をパシフィックランドの内部の部屋に閉じ込められて過ごした。

 
 
2016年3月17日、済州島の海岸で、ミナミハンドウイルカのテサニとポクスニらが一緒にいる様子が確認された=海洋水産部提供//ハンギョレ新聞社

 そうしたなか、2013年にイルカの運命を分ける出来事が起こる。ポクスニと一緒に網で捕まったチェドリが、ソウル市の決定により海に戻ることになった。最高裁は、不法に捕獲されパシフィックランドでショーをしていたチュンサミ、サムパリ、テサニ、ポクスニについて没収決定を下し、イルカが海に戻る道が開かれた。しかし、テサニとポクスニは多くの現実的な理由により、チュンサミとサムパリに順番を譲らざるをえなかった。パシフィックランドで過ごした「イルカのカップル」はその後、ソウル大公園に移り、さらに2年間を水族館で過ごすことになる。

 「帰郷の約束」はついに2015年5月に実現した。テサニとポクスニは同じ日に済州咸徳沖合のカドゥリ(野生適応場)に移され、その年の7月6日、カドゥリを越えて野生に戻った。ミナミハンドウイルカの群れに合流しても、2頭はいつも付き添っていたという。2018年8月にはポクスニが生んだばかりの子どもを連れていく姿が確認された。

 テサニの子どもだったのだろうか。わからない。ソウル大公園の飼育時代、ポクスニに付きまとう苔紙を“一撃”して制圧した実力で、ポクスニをずっと独占していたかどうかもわからない。「サムパリ、チュンサミ、ポクスニが赤ちゃんイルカと泳ぐ姿を見たい」というドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の主人公ウ・ヨンウのように、どこかでテサニの子どもが泳いでいることを望むだけだ。

キム・ジスク記者、ナム・ジョンヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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