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日本語版新聞紹介

統一協会の関連団体の会合に参加する、祝電を打つ、賛助会員になる、月額会費を払うなど、何らかの関わりがあった日本維新の会の国会議員は15人。

2022-08-27 | 維新松井・吉村・馬場・橋下にはもうだまされない!

足立氏「宗教弾圧」維新、

統一協会と蜜月

 自民党と統一協会(世界平和統一家庭連合)との根深い癒着の実態が明らかになる中、与党の補完勢力である日本維新の会も、統一協会と関わりを持つ議員らの存在が続々と判明しています。

 統一協会の関連団体の会合に参加する、祝電を打つ、賛助会員になる、月額会費を払うなど、何らかの関わりがあった日本維新の会の国会議員は15人。総議員数62人のうち、およそ4人に1人にあたります。この中には維新の会代表選挙に立候補している馬場伸幸共同代表と足立康史国会議員団政調会長も含まれています。

 馬場氏は、2015年に関連団体「世界平和女性連合」のクリスマスパーティーに出席。池田克史堺市議のフェイスブックには「馬場伸幸代議士が笑いで場を和ませ、W選挙のお礼と意義について話をしました」と記述されています。

 18年に統一協会の関連団体「世界戦略総合研究所(世界総研)」で講演した足立氏は7月29日のツイッターで、統一協会への批判を「宗教弾圧」だと述べています。

 また、地域政党である大阪維新の会は2日、党内調査の結果、統一協会と関係があった議員ら16人を公表しました。その後、大阪維新設立当初からの重鎮である大内啓治大阪市議が、関連団体への行事参加を党内調査で伏していたことが判明。大内氏は元統一協会信者だったことも明らかになりましたが、横山英幸幹事長は口頭注意のみに処分をとどめています。

■統一協会や関連団体との接点が確認された維新議員ら(※敬称略)

〈日本維新の会〉

◆衆院◆
馬場伸幸(共同代表)
藤田文武(幹事長)
足立康史(国会議員団政調会長)
伊東信久
小野泰輔
中司宏
沢田良
高橋英明
吉田豊史
◆参院◆
室井邦彦(参院幹事長)
高木佳保里(幹事長代理)
柴田巧
青島健太
石井苗子
松沢成文

〈大阪維新の会〉

◆首長◆
山入端創(羽曳野市長)
◆府議◆
三田勝久(大阪市港区)
伊良原勉(堺市北区)
岡沢龍一(枚方市)
松浪武久(泉佐野市・熊取町)
三橋弘幸(堺市西区)
美好かほる(交野市)
◆市議◆
野上蘭(大阪市中央区)
大内啓治(大阪市此花区)
池田克史(堺市北区)
門川紘幸(枚方市)
小池晶子(枚方市)
妹尾正信(枚方市)
中川健(寝屋川市)
沼元彩佳(羽曳野市)
高橋正子(東大阪市)
臼口誠二(交野市)

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統一協会は、霊感商法で多くの国民に被害を与えてきた、反社会的なカルト集団です。自分の選挙に役立つからといって、ずぶずぶの関係をつくって、多くの国民を被害者にした。

2022-08-27 | 自民党の常識は、国民の非常識

統一協会とずぶずぶ

赤嶺議員、自公候補を批判

写真

(写真)玉城デニー知事の必勝を訴える日本共産党の赤嶺氏=25日、沖縄県庁前

 沖縄県知事選が告示された25日、那覇市内で行われた、玉城デニー知事の知事選出発式での統一協会問題をめぐる日本共産党の赤嶺政賢衆院議員の訴え(要旨)を紹介します。

 今度の県知事選挙は、沖縄の進路にとっても、日本の進路にとっても、大変大事な選挙戦です。

 相手候補(自民、公明推薦の佐喜真淳氏)は、統一協会とずぶずぶの関係です。今度の選挙からは、統一協会の応援は受けないといっていますが、これでは反省が足りません。

 統一協会は、霊感商法で多くの国民に被害を与えてきた、反社会的なカルト集団です。自分の選挙に役立つからといって、ずぶずぶの関係をつくって、多くの国民を被害者にした。被害者に対する反省の気持ちがあれば、今度の県知事選挙、辞退すべきではありませんでしょうか。

 辞退しないのであれば、私たちが統一協会とずぶずぶの自民党政治は許さない、この思いをデニーさんの勝利で決めていこうではありませんか。

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韓日フォーラムの日本側の初代議長でもある同氏は、自身と韓国の縁、日本軍「慰安婦」問題を扱った際に痛感した民間交流の重要性、両国関係回復の必要性などを受賞演説で語った。

2022-08-27 | あらゆる差別を許さない

「天皇の義父」元国際司法裁判所長

「『慰安婦』、法的整理以上のことすべき」

登録:2022-08-26 03:38 修正:2022-08-26 07:04
 
小和田恒元国際司法裁判所長 
第7回「韓日フォーラム賞」受賞後の演説で感想 
外務省在職時代の「慰安婦」解決努力紹介も
 
 
小和田恒元国際司法裁判所長(左)とユ・ミョンファン元外交通商部長官=韓国国際交流財団提供//ハンギョレ新聞社

 「国家間の危機管理のためには政府間の外交が必要です。しかし、それで終わりではありません。国家を構成するのは民族であり、人間であり、国民です。だから民間の交流が本当に重要です」

 25日、東京千代田区のホテルニューオータニで「第7回韓日フォーラム賞」受賞のために演壇に上がった小和田恒元国際司法裁判所(ICJ)所長(89)は、感慨無量といった面持ちでそっと微笑んでみせた。韓日フォーラムの日本側の初代議長でもある同氏は、自身と韓国の縁、日本軍「慰安婦」問題を扱った際に痛感した民間交流の重要性、両国関係回復の必要性などを受賞演説で語った。

 同氏の韓国との縁は、韓日両国が国交を正常化した1960年代半ばにまでさかのぼる。同氏は1955年に大学を卒業し外務省に入省。主に条約に関する業務を担当した。そして1965年6月に調印された韓日基本条約の文書作成にかかわることになる。

 韓国との関係が「決定的」に深まるきっかけとなったのは、1991年8月に外務省の「ナンバー2」である事務次官に任命された直後に浮上した「慰安婦」問題だった。自身の受けた被害を自ら明らかにした金学順(キム・ハクスン)さんの「歴史的証言」によって、それまで水面下に沈んでいた慰安婦問題が歴史の表舞台に浮上したのだ。この問題をどのように処理するかをめぐって、日本政府は非常に困難な立場に追い込まれた。同氏は「慰安婦問題をどのように処理するかが、次官だった私の業務の大半だった」と語った。当初、日本の外務省は「慰安婦問題は1965年の国交正常化の過程で締結された請求権協定で法的処理済み」だとの原則を固守していた。「国際法の専門家」である小和田元所長の見解も同じだった。しかし、果たしてそうだろうか。同氏の心は揺れ動いた。

 「法的にはそうだとしても、人間としてそれで良いのでしょうか。法的に整理された問題だからといって、人間と民族の関係はそんな風に(簡単に)整理されません。だから日本が誠意をもって対応することが重要だと思ったのです。日本の外務省もそのような方針を決めることになります」

 小和田元所長は、韓国との関係を重視した宮澤喜一(1919~2007)首相にもそのような趣旨の報告をした。「宮沢首相も私の話を反論せずにずっと聞いていらして、『その通りだ。そのような方向で問題を解決していこう』とおっしゃいました。こうして日本政府の方針が決まったのです」

 その後、宮澤内閣は「慰安婦」動員過程の強制性と日本政府の関与を認めた「河野談話」(1993年)を発表することになる。さらに日本政府は、村山富市内閣時代の1995年7月、日本の市民の義援金を集め、被害者に「償い金」を支給する「アジア女性基金」という解決策を提示した。しかし、明確な法的責任を要求する韓国社会の反発に阻まれ、日本政府が期待していた「完全な解決」には至らない。

 
 
第7回韓日フォーラム賞授賞式で、ユ・ミョンファン元外交通商部長官(右)が小和田恒元国際司法裁判所長を紹介している//ハンギョレ新聞社

 「慰安婦」問題を扱う際に小和田元所長が痛感したのは、民間外交の重要性だった。外交は国の役割も重要だが、韓日が和解し、理解の幅を広げていくために必要なのは、民間の持続的な交流だと感じたからだ。事務次官の退任を前に、当時のオ・ジェヒ駐日韓国大使と、2つの社会が交流する民間プラットフォームを作ることを提案する。この提案が実を結び、1993年11月に金泳三(キム・ヨンサム)大統領と細川護熙首相が慶州で会い、両国の持続的な民間交流のために幅広い対話を続けていくことで合意する。それから30年間、一度も絶えることなく続いてきた韓日フォーラムが誕生した瞬間だった。フォーラムはこれまで2002年韓日W杯共催、金浦(キンポ)-羽田直行路線の新設など、両国関係を改善し交流を深める様々な提言を行ってきた。24日から3年ぶりに東京で「対面」で開催された第30回フォーラムの2日目には林芳正外相が出席し、祝辞を述べた。林外相はこのフォーラムに16回も参加している「常連メンバー」だ。

 小和田元所長は、現在「史上最悪の状態」と言われる韓日関係についても楽観的な見解を示した。「関係は厳しいですが、十分克服できます。現在の両国間の問題を単に分析するだけでは意味がありません。それは学者たちがやれば良いことです。両国間の肯定的な要素を見つけ出して実現しなければなりません。この集まりに政府関係者の代わりに政治家、ジャーナリスト、学者、元官僚を入れたのはそのためです。意見を結集して具体的な行動に起こさなければなりません」。小和田元所長は徳仁天皇の妻・雅子皇后の父親だ。

東京/キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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日本や多くの極右保守勢力が『慰安婦』を攻撃する時に根拠として使われることもある」ということを知るようになった。直接ミャンマーのその場所を訪ねてみると、報告書がどれほど歪曲・・・

2022-08-27 | あらゆる差別を許さない

映画『ココスニ』監督

「極右勢力の『慰安婦』歪曲、

論理的に反論したかった」

登録:2022-08-26 10:18 修正:2022-08-27 07:24
 
映画『ココスニ』のイ・ソクチェ監督インタビュー 
連合軍の48・49番報告書をもとに深層取材 
ミャンマーにいた「慰安婦」被害者スニさんを捜し出す 
被害者を攻撃するラムザイヤー教授なども追及
 
 
連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真に載っていたスニさん=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 「(歪曲された歴史の記録を)論理的に反論する映画を作ってみたかったんです」

 日本軍「慰安婦」被害者問題を扱ったドキュメンタリー映画『ココスニ』(25日公開)を演出したイ・ソクチェ監督は、最近行われたインタビューで、日本の歴史歪曲が現在進行形だという点を指摘しながら、演出意図をこのように明かした。

 これまで多くの「慰安婦」関連素材を扱った映画、ドラマ、放送、著書などが出版されたが、その中でも『ココスニ』は史料に基づき日本の極右勢力の一部の主張がでたらめであることを論理的に反論する。映画は、連合軍戦争情報局(OWI)が作成した日本軍捕虜尋問報告書のうち「慰安婦」問題を叙述しているいわゆる「48・49番報告書」の内容をもとに、ミャンマーのミッチーナーという地に「慰安婦」として連れて行かれ、苦難を強いられたスニさんの人生を辿る。韓国放送(KBS)探査プログラム「時事企画・窓」のチームで記者として働くイ監督は、長い間取材する中で、連合軍報告書に記録されたミャンマーの「慰安婦」20人余りの内、姓はココ、名前はスニと記録されたある女性が慶尚南道咸陽(ハミャン)に住んでいたパク・スニさんであったことを突き止める。そしてスニさんの子や孫たちと、連合軍報告書を作成した当時の連合軍幹部たちの子孫を訪ね、その記録を一つひとつ比較する。

 
 
連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 東北アジア歴史財団が発表した資料によると、日本軍が作った「慰安所」は全世界に559カ所あった。韓国を含め中国、日本、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマー、インドネシア、インドにまで設置されたという事実が明らかになっているが、そこにいた多くの被害者の行動はいまだにきちんと分かっていない状況だ。『ココスニ』の主人公と言えるスニさんの存在を知ったのは、長年の資料発掘と比較分析、数多くの機関・団体・放送会社の協業で可能だった。

 『ココスニ』の企画の出発には、国史編纂委員会があった。2018年、国史編纂委員会に「慰安婦」戦争犯罪調査チームが構成され、連合軍の48・49番報告書を詳細に調査し始めた。「時事企画・窓」でこの調査過程を撮り、その年の光復節特集2部作「国家は彼らを捨てた」編を作った。当時「制作過程での数多くの問題と不十分な取材」などを理由に、自ら「企画内容に対する礼儀ではない」と考えたイ監督は、追加取材をしながら内容を補完し、映画化することを決めた。

 
 
連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』というタイトルの主人公でもあるパク・スニさんは、イ監督と「時事企画・窓」チーム、国史編纂委員会がなければ世に知られなかった人物だ。スニさんは連合軍資料から発見された数枚の写真に登場した「慰安婦」被害者のうちの一人だった。イ監督はスニさんの名前と住所が記録された49番報告書の内容を映画で集中的に取り上げる。取材を通して「49番報告書が『慰安婦』に対して偏向的な立場を取っており、日本や多くの極右保守勢力が『慰安婦』を攻撃する時に根拠として使われることもある」ということを知るようになった。直接ミャンマーのその場所を訪ねてみると、報告書がどれほど歪曲されたものかすぐに分かった。

 
 
米国立文書保管庁を訪問したイ・ソクチェ監督=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 日系米国人アレックス・ヨリチが作成した連合軍の捕虜尋問報告書である49番報告書には、「慰安婦」に対して「利己的だ」「狡猾だ」「贅沢をしている」などの表現が出てくる。「該当する場所に行ってみると、いまも立ち遅れている地域でした。そんな場所で贅沢できるわけがないでしょう。しかも戦争の渦中にです」。直接ミャンマー国立記録院の映像資料を探してみたところ、当時「慰安婦」がいた場所は見渡すかぎり田んぼと畑ばかり。まともな病院すらないところだった。イ監督は、当時連合軍報告書を作成したチェン大尉の親戚と友人たちを直接訪ね、彼が書いた著書『語られなかったミャンマーの話(Untold Myanmar Story)』に関する話を聞いた。そこに記録されたスニさんをはじめとする「慰安婦」被害者20人余りの姿は、残酷という言葉でも足りないほどだった。

 
 
『ココスニ』のマスコミ試写会に参加したイ・ソクチェ監督=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』で注目すべきもう一つの点は、世界的に「慰安婦」を積極的に批判し非難する勢力の声もともに暴いたという点だ。「米国で『テキサス親父(Texas Daddy)』という極右ユーチューバーが『慰安婦』を積極的に批判していた。日本と何かつながりがありそうだった」という考えで取材を始めたイ監督は、ハーバード大学ロースクールのジョン・マーク・ラムザイヤー教授もともに注目した。昨年、「慰安婦」被害者を「自発的売春婦」と規定した論文を発表した人物だ。「ラムザイヤー教授に研究費を後援した会社が極右性向の団体を支援しており、その団体が『テキサス親父』を後援するという形式につながる」のを知ることになった。「彼らは公式の教科書から『慰安婦』という章全体をなくそうとし続けている」とイ監督は説明した。『ココスニ』の制作スタッフが直接ラムザイヤー教授を訪ねてインタビューを試みるシーンが映画に盛り込まれた。

 
 
ラムザイヤー教授を訪ねた『ココスニ』のスタッフ=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』が観客に見せようとするのは、歴史がきちんと記録できなかったスニさんの苦痛の人生だ。慶尚南道咸陽の地から遠いミャンマーまで連れて行かれ、あらゆる侮辱を受けながらも、帰るべき時に故国に帰ることができなかった人生。戦争が終わっても様々な理由で帰国できず、インドを経て中国に渡ったスニさんは、結局、子や孫とともに2004年に韓国に来て4年間滞在し、2008年に死去した。スニさん生きていた頃、彼女がミャンマーから帰ってきたことを誰も知らなかった。スニさんは子どもたちにも伝えることのできなかった話を胸に納めたまま亡くなった。それでも最後の韓国での4年はあたかかったという。「娘さんと孫の話によると、スニさんの人生で一番幸せだった4年だったそうです。韓国の現代史の一番大きな傷跡ではないでしょうか」

キム・ヒョンス|元「シネ21」記者・映画コラムニスト

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