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大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載 24 朝鮮王の抵抗は最後まで続き、協定書には正式な王印もない。抵抗する人は弾圧、殺害

2015-07-08 | 原発再稼動反対・増設・輸出反対

       1910年(8月22日)の韓国「併合」

 同年8月22日、韓国「併合」条約 「韓国併合ニ関スル条約」が調印され、韓国は消滅、日本の完全な植民地となりました。「併合条約」と言われるゆえんです。  

  ここに、1907年の第3次日韓協約以後、1945(昭和20)年8月15日終戦までの38年間のいわゆる「日帝【日本帝国主義=対外的には、国家 が領土や勢力範囲拡大を目指し他民族や他国家を侵略・抑圧し、国内的には、資本主義が高度に発達し生産の集積と独占体がつくり出され、資本輸出が盛んになった段階をいう】(1910年以降満35年間)」と呼ばれる朝鮮・韓国植民地支配が続くこととなりました。

 

朝鮮王の抵抗は最後まで続き、協定書には正式な王印もない
 ところが、このやり方が、法律要件を満たしているので有効だという議論がありますが、 実態はこの条約を締結するのに政治の実権を握り、警察・軍隊を解散させ、日本軍隊まで動員して戒厳令を押しつけ、抵抗する人や抵抗運動を弾圧、殺害、どのような人権侵害・強権政治をしたのかが大問題で、その実態はまさに無法、不当な条約の押しつけだったのです。
  また朝鮮王の抵抗は最後まで続き、協定書には正式な王印もなく当時の外交文書として正式な形態を整えていないものとして現在その書類が残っているのです。

 日本政府は、「併合」後、天皇に直属し、軍事・行政のすべてを統轄する朝鮮統治機関としてソウル(京城)に1910年10月1日朝鮮総督府を開設しました。

 

3、「抵抗運動」は地域的・全国的に繰り広げられました。    

  こうした屈辱的な条約締結に対して韓国人民は激しく怒り、ソウルでは抗議集会が開かれたほか、韓国の各地で抗日義兵(反日の武装闘争。朝鮮では国家の危機に際して自発的に立ち上がった人々を義兵【ぎへい=正義のために起こす兵】と呼んだ)の闘いが高揚、同時に、条約の無効を叫んで自決する高官が続出しました。

 日本軍は弾圧のため強力な軍隊を各地に派遣しましたが、その結果1908~1910 (明治43)年までの3年間に約1万7,000人以上を殺害し、約2,100人を処刑したのです。

 1910年以降「併合」韓国は、日本の戦争政策の最前線に立たされることになりました。第1次世界大戦へと進みましたがここではその年代的な関係だけ見てください。第一次1914~1919・二次世界大戦 41~1945年を参考に後ろの年表を見てください。

  このような状況の中で、1917年ロシア革命など世界の動きと深く関わって歴史は展開していました。 

 1919年3月1日ソウル朝鮮独立宣言「独立万歳」の戦いが組織されます。 
 朝鮮の3月1日、3・1記念日といい、朝鮮民衆の抵抗が広がり、今のソウルで「朝鮮独立宣言」文が読み上げられ「独立万歳」の声が、全土に広がりました。これに対し、日本帝国軍隊と警察は、多数の民衆を逮捕・拷問・虐殺し、8000人の命を奪ったのでした。

 1919年5 月4日、中国でも五・四運動 北京の学生が日本の中国侵略に抗議して行ったデモに端を発した中国民衆の愛国運動。日本の対中国侵略政策と、それに対する中国民衆の抗議でした。

1919年 6月28日 - ヴェルサイユ条約調印。第一次世界大戦終結しました。1920年  1月10日 - ヴェルサイユ条約発効。 国際連盟発足。

  

  写真と記事は関係ありません。

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安倍政権は「原子力規制委員会のもとで手続きを進めていただきたい」(7日、菅義偉官房長官)

2015-07-08 | 原発再稼動反対・増設・輸出反対

川内原発「再稼働見過ごせない」

核燃料を挿入開始 避難・火山・老朽化…置き去り

 

 

写真

(写真)九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)

 九州電力は来月中旬の再稼働を想定する川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県薩摩川内市) で7日、原子炉に核燃料を入れる作業を始めました。地元などでは「住民の不安の声をいっさい無視するものだ」「福島のことを考えれば再稼働は絶対に許せな い」と抗議行動が行われました。

 九電は10日までに計157体の核燃料を入れた後、核分裂反応を抑える制御棒など設備の検査を実施。再稼働前に、重大事故を想定した訓練を行うといいます。

 川内原発の審査をめぐっては問題が山積しています。住民の安全にとって肝心な避難計画の実効性や、火山学会から火山対策の審査基準の見直しを求め られたのをはじめ、老朽化対策の審査が終わっていないなど審査のずさんさが明らかになり、再稼働での同意自治体が限定されていることも批判されています。

 ところが安倍政権は「原子力規制委員会のもとで安全を厳格に確認しながら手続きを進めていただきたい」(7日、菅義偉官房長官)などと、無責任な態度に終始しています。

写真

(写真)川内原発の正門前で「再稼働を許すな」と抗議の声を上げる人々=7日、鹿児島県薩摩川内市

住民ら抗議行動

 この日、同原発の正門前には、早朝から住民ら約120人が集まり、抗議集会を開きました。参加者は「核燃料装荷は事故への一歩」などと書かれた横断幕を掲げ、「再稼働を許さないぞ」と怒りのこぶしを突き上げました。

 「ストップ再稼働!3・11鹿児島集会実行委員会」の向原祥隆事務局長がマイクを握り、「1号機は運転開始から30年以上経過し、原子炉はボロボ ロの状態だ」と強調。「九電は住民の不安の声をいっさい無視して再稼働に突き進もうとしています。黙って見過ごすわけにはいきません」と訴えました。

 同市在住で川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長は、「原発事故のことを考えると、再稼働は絶対に許されません。この町の自然や人々の命を守るため、再稼働に反対したい」と力を込めました。

 日本共産党の、まつざき真琴県議が駆けつけ、「みなさんと団結し、なんとしても再稼働をストップさせたい。共にがんばりましょう」と呼びかけました。

図

(図)防災計画の策定が求められている30キロ圏

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世界的に誇れる財産として後世に引き継げるようにしっかりと取り組 みたい

2015-07-08 | 琉球新報より

 土砂条例、10日成立へ 県議会特別委で可決 県「外来種リスク減」

2015年7月8日

 

 県外からの埋め立て土砂や石材の搬入を規制する条例案を審議する県議会の特別委員会は7日午後、条例案 を与党と中立の公明県民無所属による賛成多数で可決した。条例案は10日の最終本会議で賛成多数で可決される見通し。可決されれば11月1日から施行され る。条例が成立した際の県の対応を問われた當間秀史環境部長は「(沖縄の生物多様性を)世界的に誇れる財産として後世に引き継げるようにしっかりと取り組 みたい」と述べた。

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連載 23 天皇が日本の権力を握ることに矛盾がないように歴史・文化・伝統などが創り変えられました。

2015-07-08 | 「私がお話し」します。

 韓国「併合」前夜   世界の激動の中で日本は進路を誤った。

 

日本政府は軍隊を出し、1875年(明8)江華島事件・雲揚号事件(戦争)を起こしました。  

           
 この事件は、1875年(明治8年)9月20日に朝鮮の北西岸、漢江の河口に位置する江華島付近において日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件・戦争です。
 日本より前にヨーロッパの国々が朝鮮の開国を要求して、この場で銃撃戦が何度かありましたが、日本の軍艦雲揚号が、江華島砲台と交戦して日本側の勝利となるのですが、その時の軍艦の名を取って雲揚号事件・島の名を取って江華島事件と呼ばれました。 ここを突破口にして侵略を強めて行ったのです。

 当時アジアの多くの地域では、ロシアやヨーロッパの国々から、開国が迫られ、大小の紛争が絶えませんでした。  世界的に狂った時代が進んでいたのです。

  明治は、1868年からです。大日本帝国憲法が制定され侵略戦争の法整備が整えられたのは、1889 年(2月11日)でした。江戸時代が終わって20年以上、当時の西欧に学んで新しい国づくりが模索され、創られたのが、天皇が全権力を握る「大日本帝国」だったのです。 アジアの日本というより、西洋の日本の道が進められました。
 

 天皇が日本の権力を握ることに矛盾がないように歴史・文化・伝統などが創り変えられました。(天皇万世一系・神話・神道・鎖国?)     
 1889年大日本帝国憲法が制定されました。 侵略の法律が整備されました。
国民は天皇の臣民(家来)とされて、陛下の赤子と言いました。

 当時、朝鮮にも清国や旧ロシアの覇権の手が伸びてきていました。  覇権をめぐって
1894年~95年 日清戦争  朝鮮における権力闘争 、日本は、 台湾(遼東半島)を植民地にした。
1904年~5年  日露戦争    同じ      日韓議定書で日本が韓国の支配権を握る。       
1905年 乙巳【ウルサ】保護条約 第2次日韓協約を結ばせる。         
  日本政府は、日露開戦から半月後の 1904年2月、韓国での軍事行動の自由を獲得した日韓議定書の締結に続き、 1904(明治37)年8月に日本が推薦する者を財政・外交の顧問とすることを強制した「第1次日韓協約」を結ばせました。

  日韓協約のうち1905(明治38)年に締結された条約で、日露戦争に勝利した日本が、アメリカ、イギリス、ロシアなど列国の承認を取り付けて 韓国を事実上属国化した全文5条からなる、第2次日韓協約(韓国では乙巳【ウルサ】保護条約と呼んでいる)で「保護国」にしました。1905年11月17日、特派した伊藤博文に、日本の軍隊、警察が周囲を固めるなかで、この条約案を韓国の国王および政府に突きつけました。

 国王は、内心抵抗しましたが、日本軍の圧力で、政府で脅迫に屈した5人の大臣達によって、条約が結ばれてしまいました。
 日本は、翌1906年2月1日、外交の監督にあたらせるとともに、内政面を監督する目的で韓国統監府という強力な日本の監督機関を設置し、初代統監に伊藤博文をあてました。これで、韓国政府は統治能力を失い、外交権を日本に奪われ、国際的には独立国とみなされなくなってしまいました。
 統監府は、1907年7月、(第3次日韓協約7月24日調印)朝鮮李朝の高宗に譲位を強制、 高宗(コジヨン)と閔妃(ビンヒ)の子の純宗(スンジョン)李氏朝鮮、最後の王の時でした。  第3次日韓協約を結ばせました。
 
このような強引なことが簡単に進むわけもなく全国で反日義兵闘争が繰り広げられました。

  1907年 初代統監伊藤博文は朝鮮亡国の元凶としてハルビン駅で暗殺されました。ピストルを撃ったのは安重根と言う人で、その場で捕らえられ、旅順の 監獄に送られ、翌年の裁判で死刑の宣告を受けて、1910年3月26日に処刑(享年32歳)されました。この事件は、さらなる反日義兵闘争を巻き起こす契機となりました。
 しかし安重根は韓国の英雄として記念切手にもなり、現在も安重根を知らない韓国人はいないのではないでしょうか。  龍谷大学に安重根の書があります。
  安重根自身は、「テロではない」正当な軍事行動であり、軍法会議を開くことを要求しました。    

  韓国併合直前の情勢は、1910年を前にして、1908(明治41)年に制定していた東洋拓殖株式会社法に基いて朝鮮における農業拓殖事業を主とする植民地政策遂行のための国策会社である東洋拓殖会社をソウル(京城)に設立、韓国最大の地主となり、その一部の資金を、朝鮮半島の日本窒素などの財閥に対して投資を行いました。同社はその後、満洲・蒙古・中国・マレー半島・南洋諸島などに事業を拡大しましたが、1945(昭和20)年の敗戦で解体されました。  

 1910(明治43)年から1919(大正8)年にかけて日本政府は、日本の大企業と共同で、土地調査事業だとして測量を行なって土地を接収・没収しました。
 さらに日本は、日本の世論の動向から「内鮮一体(「日鮮融和」)」の号令のもと、
1909年7月に韓国併合の閣議決定を行い、翌1910年6月、韓国の警察事務の一切を日本政府に委託させて警察権を奪い、その上、同年8月1日には韓国軍隊の解体を強行しました。日本政府は、ソウルに軍隊を送り、戒厳令をしき「併合条約」を押しつけました。

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東アジアの文化と歴史を学ぶ会、7月例会、中尾先生の講義。

2015-07-08 | 原発再稼動反対・増設・輸出反対

 

      

      第四回 7月例会 百済文化と最近の韓国見てある記・映像を見る    講 師 : 中尾秀正(元長岡京市埋蔵文化財調査センター長)

     日 時 : 7月5日(日) 10時~12時  9時:30分より受付        場 所 : 向日市民会館4f第2会議室

    

次回の日程

      

第五回 8月例会 8・15安倍談話にふさわしいものは?

韓国「併合」・ポツダム宣言・河野談話・村山談話・菅談話

講 師 :  大橋 満 (日朝協会全国代表理事)

日 時 : 8月2日(日)10時~12時  9時:30分より受付

場 所 : 向日市民会館第5会議室


    第六回 9月例会 在日朝鮮人の歴史と京都の文化

              講 師 :  金 鐘現(立命館大学卒、京都朝鮮総聯役員)

              日 時 : 9月6日(日)10時~12時 9時:30分より受付

場 所 : 向日市民会館第5会議室

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