柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

無人

2018-08-19 09:55:11 | Weblog
高校野球、下馬評通りに大阪桐蔭が勝ち進みますからこの盆休みにはよく見てました。当県代表も思いもよらず勝ち進み、昨日も期待したことでしたがさすがに連投の疲れが出ましたね、素人目にも気の毒でした。エースで4番の大黒柱依存チーム(昔の田舎代表チームははこんなばかりでしたけれど)の弱点ですね。対照的に今次の相手は投手が何枚も居る、しかもどれも使える駒で。まさに力尽きるまでの勝負。こういう酷使を指して識者達は高校生の肘肩を守れと批判しているわけですが、昔は(今もですが)悲運のエース、腕も折れよと投げて散る なんて賞讃してたわけです。観ている方もこの悲壮な自己犠牲に感動してる。最後まで立っていればよくやったと褒める、高校野球の神髄だと讃える、一方で途中で倒れれば(今で言う熱中症とかで)どうしてあそこまで投げさせる?と正義の味方にすぐに変身する。茶の間の正義と呼ばれることですが、所詮は個人の資質の問題で。ハンカチ王子や松坂のようではなかったということなのですが。力尽きて打たれて行く所はやはり可哀想でした。サヨナラ二点スクイズはまさに劇的でした。観ている者のどれだけが予想したでしょうね、ええ?でした。解説者や経験者達は、あり得ることですよと涼しい顔してますが。新聞やで解説読めば今までも練習していたことだったそうで(本番でいきなりの奇策ではなかった)、三塁手がボール持ち直した分だけ遅れましたね、それを見て二塁走者は突っ込んでますからね。やはり練習の賜物でしょう。相手の投手の呆然観(彼の幼さの残る童顔も併せて)、捕手の暫く突っ伏しての地団太観、これも観客を魅せました。高校野球はやはり面白いですよ。朝日新聞がこんなおいしい儲け仕事(大宣伝効果)を手放す筈がないですね。
 JR東日本が無人列車を走らせるそうです。乗客がいない無人じゃなくて、運転手がいない列車。driverless train だそうです。無人自動車の次はこっちでしょうねぇ。こっちは線路の上を走るだけですから自動車よりは克服項目が少ないように素人考えしますが、違うんでしょうかね。でも思うことです。自動操縦車の開発は、自動車産業界の単純な技術の競争、新たな需要の拡大目的に加えて宅配事業などの運送業の人手不足を追い風にして進んできてます。が、町中を自動操縦車が走り回ってる光景ってのは想像しにくいでしょう?運転好きは大勢います。道路の走行レーンを区別するんでしょうか、となれば田舎には走らせられません、都会の道路は大渋滞でしょう。もちろん自動操縦車がもっと増えればその時なりに対応の工夫が生まれるでしょうが、そんなに広まるとも思えません。一方電車です。こちらは線路を走るだけです、速度の設定や時間走行は今よりもずっと徹底できましょう。こちらも人口減少を睨んでのこと、乗務員運転手のなり手が減るだろうとの想定の元でしょうが、男児の共通の憧れの一つ、バスや電車の運転手がなくなるってのはどうですかねぇ。世の中の鉄っちゃんの多さが物語っていると思います。いや、電車がなくなるわけじゃないのです、そう分かってますが、技術の進歩が人から職場を奪ってきた歴史です。古くは自動車が馬車や人力車を駆逐し、TVが映画界を衰退させ、冷蔵庫や掃除機が世の中を便利にしましたが町の氷屋や旬の食べ物をなくし、工場のオートメーション化は作業員を締め出し、さらには練達な技術を無用化し、国鉄の民営化(これは技術じゃないですが)による人員減らしは貨物列車の車掌車を消し(これはよく覚えてます)、次々に無人駅を作りだしました。自動車よりは電車の方が運転手がいないことに抵抗は少ないかとも思いますが、それでも事故への不安が残ります。慌てて急ブレーキ!という人間臭さがなくなるわけです、結果がどうあれですが。そこを技術がカバーしていくということなのでしょうが、一身専属の熟練の技を要求するのではないにせよ、人が少ないから代わりに機械が(人件費の節約のためにという需要の方が大きかったのでしょうが)という流れが尚一層人を仕事から剥がし追いやっている現象です。人口は減少します(するのでしょう)、でも今現に仕事を奪われる人もいるのです。世の必要が新たな技術や仕組みを生む、のでしょうけれど、技術が人の世を再構成するのも確かな一面です。便利になりゃエエというわけじゃないぞ!取り残される者の小言ですが、これも真実の一面でしょう?
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