牛乳の話、承前。昨日毎朝運ばれてくる牛乳(瓶詰)、それを受ける木箱の話をしました。新聞受けのある家よりも牛乳の木箱の方が一般的でしたよね、こっちは子供のいる家にはほぼ全戸じゃなかったですか。あの頃の早朝の音は、新聞配達の自転車のブレーキの音、バイクの音に加わって牛乳瓶が自転車の荷台に括りつけられた大きな木箱の中でカチャカチャ鳴る音でしたね(もっとも子供の頃にこんなに早く起きてはいなかったですが)。思うにこういう習慣、毎日牛乳を飲むという習慣が広まったのはいつの頃だったのでしょうか、私が覚えているのですから小学低学年頃には既に、です。給食が脱脂粉乳から転換していく時期にもちろん重なることでしょうが。当時は毎朝菓子パンを売りに来る店もありました、夕方の豆腐屋さんの如く。行商と言えばそうなのでしょう、ロバのパン屋とは別口の、普段はパン屋で小売りしている店の大将が自転車に乗せて売りに来てました。スーパーマーケットなんてはない時代です、八百屋魚屋雑貨屋どれも別々の時代です。牛乳の国産化が進み販路拡大の宣伝が経済成長の波に乗って各戸に拡がった、もちろん廉価だったことも要因でしょうし。まだまだ電話が各戸に備わってない時代です(ここで何度も書きましたが、私の家はもらい湯ならぬもらい電話、お隣さんから呼び出しを受けてました。おおらかな時代ですね考えれば)。で、瓶の時代から紙パックの時代に移っていく。これもよく覚えてます、私はよく銭湯に行きました、そこで瓶詰のコーヒー牛乳やフルーツ牛乳(思えば気持ちの悪いことではあります、ピンクや薄緑色の牛乳でした)に混じって雪印のテトラパックという、そのまま四面体の紙容器に入った牛乳が登場したのでした。これは驚きましたね。ストローで飲むのです。はぁ。ここから紙容器が次々に登場して瓶が姿を消していくのです。この時期でしょう瓶詰のラムネが姿を消していくのも。瓶のことで思い出すのはもう一つ、コカ・コーラの500ml瓶が出た時です。従来のくびれ瓶よりずん胴のシェイプになったことでしたが大きい瓶。18,9歳の頃です。ここから500mlや1000mlの大型容器が出始めて、今の大容量のプラボトルに繋がっていくのです。私の世代はこういう文化や風景の転換期を少年青年期にリアルに過ごしてきたことよと改めて感じ入ることです。思わず長々と書きました。思い出話は次々と湧いてきて、私も歳をとったことです。
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