拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

主の「御前で」新しい歌を歌え!

2022-11-08 10:56:42 | 音楽

男心と秋の空。一口に秋の雲と言っても、いろいろあるらしい。写真の右下はさば雲、左上はうろこ雲であってるだろうか。とにかく、空を見上げるのが楽しい季節である。

ぽしゃ。スワン号がびわ湖に着水したときの音である(朝ドラ)。

5回目のワクチン(オミクロン株対応)を打った。例によって、打ったところが痛い以外は副反応の「ふ」の字も出ない。だが、打つ瞬間は、1回目のときは気がつかないくらいだったのにだんだん感じてきて、今でははっきり痛いくらいである。

源実朝が由比ヶ浜での大型船の建造を命じたと聞いて(史実)、遠浅の由比ヶ浜で、大型船を作ってどうやって沖に出すんだろう?と思ったら、案の定、大型船は海に移動させられないまま浜で朽ち果てたという(これも史実)。由比ヶ浜には、室内合唱団時代、年に一度、正月に団の仲間と一升瓶を抱えて繰り出しただけ。言わば、私は由比ヶ浜の「素人」。そんな素人でも分かるようなことが分からなかった実朝さんって……。「実朝は実は優秀だった」と言われても、そんなエピソードを聞かされちゃったらね。因みに、「鎌倉殿の13人」で実朝が暗殺されるのはもうすぐのはず。放送後は、惨劇の舞台である八幡宮は人で混みそうだから今のうちに行っておくか。

さて。今朝の「古楽の楽しみ」で、バッハのモテット第1番「Singet dem Herrn ein neues Lied」を流していた。いろいろ話したいことのある曲である。それを徒然に記そう。

バッハが忘れ去られてる間も、この曲だけは演奏されていて、それを聴いたモーツァルトは「全身耳になった」そうで、演奏後、ただちに楽譜を求めたという。

この曲は、普通は「主に向かって新しい歌を歌え」と訳されるが、今朝の放送では「向かって」が「御前で」になっていた。ドイツ語の原題は、定冠詞の「dem」のみで「向かって」という意味を表している。あえて「御前で」という意味を強調するなら「vor」という前置詞もあるが、それは使われていない。なお、「Singen Sie」ではなく「Singet」だから、「歌ってください」ではなく「歌え」と訳すのは相当である。

私が室内合唱団で学生指揮者だったとき、定期演奏会にかけたかったのは、実はこの曲である。だが、当時、ソプラノのパートリーダーのB子(私にとってのB子は、ジェダイにとってのダースベイダーであった)が、最後にB♭が出てくるという理由で強く反対。それでなくても、当時、執行部を形成していた私の学年は、ルネサンス派が多数を占め(数の力にモノを言わせる彼らの手口は、田中派を継承した竹下派のようだった)、バッハは新しすぎる(そういう世界も存在する)という理由で難色を示し、結局、ボツってしまった(議会の過半数を野党に占められた場合のバイデン大統領の苦労が想像できる(まだ開票中である))。

私がこの曲を歌えたのは、翌年、4年生になり、半分「隠居」状態になってから。合宿の練習で、件のB♭がきれいに決まった日の夜、男部屋で男達は「すげぇ。誰だ?」と犯人(?)探しをし、新入生の彼女だろう、ってことになった。その彼女と夫殿ともども再会したのは、今年の麹味噌合唱団において(世間は狭い)。あと、卒業後に入ったSM合唱団でも歌った。SM合唱団では、指揮者のオルガニストが私の主張を取り入れてくださり、ダブルコーラスの並び順が普通は客席から見てSATBSATBとなるところ、SATBBTASとなった。こう並ぶことにより、第1部の「Die Kinder Zion」のすさまじいフーガが、左から右に移っていって、真ん中のBにきたところで、今度は、両サイドに向かって広がっていく、という効果が得られるのである。

この曲の特に第2部(第2コーラスがコラールを歌い、第1コーラスがその合間にアリアを歌う)は、演奏しようによってはいくらでもロマンチックにできるのだが、ロマンチックな演奏は古楽の世界では禁じ手。古楽の人はザッハリヒ(即物的)な演奏を好む人が多い。室内合唱団に所属してた当時買ったリリングのモテット全集のレコードの帯には「リリングのバッハはロマン的すぎると批判されるがどうのこうの」と書いてあって、聴いてみると、なるほど、柔らかくて「ぐにゃぐにゃ」なイメージ。当時、私は、室内合唱団で相当洗脳されていた証しである。ウィーン国立歌劇場合唱団が歌うベートーヴェンのミサ・ソレムニスの「in gloria dei patris」など、高校時代はあんなに好きな演奏だったのに、室内合唱団時代に聴いたときは野蛮人の足踏みのように感じたのも同じく洗脳が進行していた例である。その後、再び、近代オペラをたくさん聴くようになると、洗脳も半分、青い……ではなく、半分、解けてきて、前記の二つの演奏も、再び楽しく聴けるようになった。すなわち、どっちにもいい顔をしつつ、どっちにも混ぜてもらえない哀れな「こうもり」こそがワタクシの現在の立ち位置である……が、今後は、古楽に特化しようかと思っている今日この頃である。それこそが、カウンターテナーの生きる道、と思うからだが、現実がそうなっていないのは、私にとり、ゆゆしき事態である……

 


ピザ焼きあれこれ(妄想はタダ)

2022-11-08 10:46:12 | グルメ

アラジンのトースターの未開封品(完全な新品より安い)を購入。未開封品については、実は中古だったとか、箱がぼろかったとかって話がネットにあふれているが、もともと中古でもいいと思っていたのだから、そういうことはまったく気にならない。ウチに来たヤツは、たしかに未開封品のようである。

購入目的はピザ焼き。この器械のウリは、0.2秒で庫内の温度が280度に達する点である(だから、予熱がいらない。電気代の節約になる)。庫内で、ピザが膨らんでいく様子を見るのが楽しい。

出来上がりは、こんな感じ……と言っても、形がいびつなのは器械とは関係ないが、ふわっとした感じが出ていてbeneである。

食感も同様にふわっとしている。この後、いろいろ焼き時間を変えて試してみるつもり。もともとピザを焼くために買ったのだが、せっかくだからトーストも焼いてみよう(そっちが本来の用法である)。ただし、これまでピザ焼きに使っていた専用のピザメーカーの「焼き温度400度」も捨てがたい。そもそも、なぜ、ピザメーカーがありながらトースターを買ったかというと、予熱の要否のほか、ピザメーカーで作る場合は具を乗せたピザ生地を専用の取っ手を使ってピザメーカーに入れるのだが、取っ手にくっついちゃうとうまく移せない。くっつかないようにするには結構大量の打ち粉を打たなければならない(このご時世、粉代もバカにならない)。それに対し、トースターの場合は、ピザストーン(セラミック製の円形のプレート)の上でピザ生地を整えたらそのままストーンごと庫内に入れることができて楽である。だからである。

Doch halt!(だが待てよ)。本格的にピザ窯で焼く場合はシャベルみたいなヤツ(文字通りピザシャベル)でピザを窯に入れるのだが、その場合もコツがいるし、打ち粉を打たねばならぬ。そこんとこを面倒くさがってるようでは、到底、アマチュア・ピザ職人を名乗ることはできぬ。しかもでござる。そもそも、なぜピザメーカーにストーンごと入れてはいけないのだろうか。トースターにストーンごと入れてよいなら、ピザメーカーにだって入れていいはずである。ピザメーカーには予めストーンがしつらえられているからストーンを二枚重ねる感じになるが、ストーンを置くと遠赤外線効果で良く焼けるというのなら二枚重ねたってよいはずだ。ということで(思い立ったら命がけ)、昨夜はその実験であった。

二重円の内側が生地ごと乗せたストーン、外側がピザメーカーにしつらえられたストーン。焼けるではないか!しかも、このピザメーカーを使ったなかで最高の出来である。さて、そうなると、鳴り物入りで加わった新戦力のトースターは内心おだやかではない。ピザストーンごと入れる技を敵も備えたとなると、残るアドバンテージは「予熱不要」のみとなる。400度VS予熱不要。今後、両者は熾烈な争いを繰り広げるだろう。互いに切磋琢磨して、わが家のピザ生活の向上に努めてもらいたい(切磋琢磨する両者の背後にいるのはどっちも私。同じく、相争う共和国と分離派の背後にいるのはどっちもシスの暗黒卿パルパティーンである)

本格的なピザ窯と言えば、先日、某地方を散策しているときに田園地帯の中に忽然と姿を現した下記物体は、焼却炉でなければピザ窯だと思われる。

こういう窯をしつらえることのできる庭付き一戸建の格安物件は、探せばありそうだ。200万円でぼろ家を買って、600万円でリフォームして、人に賃貸して副収入を得るサラリーマンをNHKで紹介していたが、そういう物件があれば人に貸さずに自分で住んじゃったってよいと思った。そうして庭でピザを焼くことになったら、消火のための大量の水を必ず用意しなければならないな……例によって妄想中だが、妄想は試着と同じでタダである。


2022-11-08 10:41:56 | 

ワサビは、前掛け(顎から胸にかけての白い毛)がチャームポイントである。足下の爪とぎをおニューのものに取り替えた。人間(私)ばかりいろいろ買ってることの罪滅ぼしである。

尾張名古屋は城でもつ、なら、お江戸上野はパンダでもつ。ついでに足立区のわが家は猫でもっている。

「キクラゲ」は「木耳」であり、海にいるクラゲのことではないのだが、では、海に黄色いクラゲはいないのだろうか?調べた。いた!クラゲの名は不明だが、黄色いんだから「黄クラゲ」と言ってもバチはあたらないはずである。

国会図書館に一度行ったことがある。子供の頃読んだ「こども科学館」(月刊誌)を是非読み直してみたかったから。索引票(当時は紙だった。今は当然電子化されてるんでしょうねぇ)を検索したらその名の本があったので閲覧を申し込んだら、出されてきたのが同名の単行本。私が望んでいた本はなかった。「本はなんでもある」わけではなさそうである。因みに、お目当ての本は、ネットオークションサイトで見つけてゲットできた。

スターウォーズの「ジェダイ」は、ドイツ語では綴りは同じ「Jedi」だが読みは「イェーディ」。こないだ見たスピンオフで、女性のジェダイが「Ich bin ein Jedi」と言っていたから、ドイツ語の「Jedi」は男性名詞である。ジェダイが女性であっても同じである(「ein」は男性名詞に付く不定冠詞である)。

ドイツ語とスターウォーズのからみをもう一つ。30年前、ドイツのテレビでスターウォーズを見てたら、冒頭、がーんと大写しになるタイトルが「Star Wars」ではなく「Krieg der Sterne」だった。すなわち、まだドイツ人がドイツ語に愛着を持っていた。今ではオリジナルのまま「Star Wars」。別の映画では「もう一曲」と言うべきところを「Noch ein Song」と言っていた。一昔前なら「Noch ein Gesang」と言ったはずである(「Krieg der Sterne」について追記。「Sterne」が複数形なので「星々の戦争」「星間戦争」って感じだろうか。あれぇ?複数形と言えば、「Wars」が複数なんだから、「Kriege」じゃなきゃおかしいよなぁ、でも確認したらやはり「Krieg」で合ってた。けど、ちょっと不思議)。

源実朝は夢日記をつけていたそうだ。私もつけようか。ここしばらくは、以前のような荒唐無稽な精神の破壊を疑わせるような内容の夢は影を潜めていたが、最近、復活しつつある。そういうヤツをここに書くわけにはいかないので、最近見た穏便なヤツを一つ。麹味噌合唱団と思しき団体で、バッハのロ短調ミサとモテットの第1番を練習する夢だった。メリスマを走ってしまって隣の人に睨まれた。夢でも楽しいだけってないものだ。あと、なぜヨハネではなく、過去にやったメサイアやマタイやドツレクでもなくロ短調とSingetなのかは不明である。


「恋せや乙女」は求愛の歌?

2022-11-08 08:37:40 | 音楽

写真をスマホからPCに移してたらこんなのが出てきた。いつ?どこ?建物は東京駅っぽい。!(ブラタモリで、タモリさんが何かにピンとくるとびっくりマークが出る)まさに東京駅だ。久々に外でたくさん飲んで(お茶を、ではない)、地下鉄を乗り過ごして、大手町まで戻っても千代田線がなくて、それでも、少しでも自宅に近づきたいと思って、大手町から東京駅まで歩き、山手線で上野まで行ったが、常磐線も終わってて万事休す。そのときの大手町から東京駅までの間に撮った写真である(記憶にないが、状況証拠による)。うむ。切羽詰まった状態でありながら、写真を撮る心の余裕があった私を誉めてあげたい(人間は、たまには誉められたい。私の場合、自分以外にほめてくれる人はいない。だから、遠慮無く誉めてあげるのである)。

あさイチにビズリーチ先輩が出ていた。私は先輩推しであるが、人力飛行機発進のときのかけ声はヒロインの方が張りがあっていい。先輩は、落ち着いて「ビズリーチ!」と言うのはいいが、大声は不得手であるとお見受けした。そう言えば、信長に扮したキムタクもかけ声はいまいち。それに引換え、暴れん坊将軍の松平健の声は立派である。現在、マツケンサンバが再ブレーク中ということで、ご同慶の至りである。

さて。古い録音・録画を新しいメディアに移す作業は、いつ果てるとも知れない長旅であり、やる意味があるのか?と問われるが、その過程で思わぬ再発見に出くわす楽しみがある。最近では、レナータ・スコットやルチア・ポップのずっと前の記録が出てきて驚喜乱舞したところである。そんななか、ベータやVHS等のビデオテープはすべてDVDにダビングし終えたと思っていたら、まとまった量のVHSが出てきた。わが家にベータや8mmビデオなら再生機ならあるが、VHSの再生機は既にない。ないなら買おう、ホトトギス。生産が終了したものでもネットオークション等で中古を安く買えることに最近味をしめている。ということで、4000円(+送料)でS-VHSのデッキを購入して、作業開始。おおっ、出てくる、出てくる(「出てこいシャザーン」で分かる人いる?「出てこい」でググったらちゃんと「シャザーン」が候補として出てきたけど)。まず、出てきたのは、(シャザーンではなく)NHKのイタリア語講座とドイツ語講座の録画である。

イタリア語講座で記憶にあるのは、ジローラモさんと一緒にパスタを茹でたアシスタントMCが「ジローラモさんは、茹でるときこーんなに塩を入れるんですよ」と言ったこと。そのシーンがいきなり出てきた。「大量の塩」と聞いて「血圧に悪い」を連想するのは今だからこそ。当時はそんなことを思わず、ただ、「そうか、イタリア人はパスタを茹でるとき塩をたくさん入れるのか」だけ頭に残り、それを実践してきた。だが、イタリア人は、茹でるときの塩で十分味付けができるので茹で上がった後の塩を控え目にして調整するのだそうだ。今回、再生してみたら、そのこともちゃんと言ってたが、当時、そこのところは聞いてなかった。すると、今日のワタクシの高血圧はパスタのせいだろうか(他に疑われる原因はストレスである)。

そしてドイツ語講座。なんと、ある放送回で、エルンスト・ヘフリガーが登場して歌を歌っていてびっくり。当時、ヘフリガーは日本の歌をドイツ語で歌うのをライフ・ワークとしていた。で、タモリさんが司会をしてたテレ東の「音楽は世界だ」にゲストで出演し、タモリさんと一緒にフルトヴェングラーのモノマネをしていたことはよく覚えているが、ドイツ語講座出演についてはまったく記憶にない。そこで歌われていたのは「ゴンドラの唄」。ヘフリガーが歌うとまったくドイツリートに聞こえる。さて、その歌詞である。私がこの唄で第1に思い浮かべるのは、黒澤明の「生きる」のエンディング近くで、志村喬がブランコに揺られながら「いーのちぃみじぃかしー、こいせやぁおとめー」と歌うシーンだが、ヘフリガーは「恋せやおとめ」を「liebe mich」と歌っていた。ほぉー!私は「命短し、恋せや乙女」は、女性に恋を勧める人生のアドバイスだと思っていた。だが「lieb mich」だと「私を愛せ!」であり、求愛の歌となる。なら、今後、女性の前でこの歌を歌うときは、自分自身を指さして「恋せや乙女」と歌おうか?いや、そういう血圧が上がりそうなことはもうしないのである。