男心と秋の空。一口に秋の雲と言っても、いろいろあるらしい。写真の右下はさば雲、左上はうろこ雲であってるだろうか。とにかく、空を見上げるのが楽しい季節である。
ぽしゃ。スワン号がびわ湖に着水したときの音である(朝ドラ)。
5回目のワクチン(オミクロン株対応)を打った。例によって、打ったところが痛い以外は副反応の「ふ」の字も出ない。だが、打つ瞬間は、1回目のときは気がつかないくらいだったのにだんだん感じてきて、今でははっきり痛いくらいである。
源実朝が由比ヶ浜での大型船の建造を命じたと聞いて(史実)、遠浅の由比ヶ浜で、大型船を作ってどうやって沖に出すんだろう?と思ったら、案の定、大型船は海に移動させられないまま浜で朽ち果てたという(これも史実)。由比ヶ浜には、室内合唱団時代、年に一度、正月に団の仲間と一升瓶を抱えて繰り出しただけ。言わば、私は由比ヶ浜の「素人」。そんな素人でも分かるようなことが分からなかった実朝さんって……。「実朝は実は優秀だった」と言われても、そんなエピソードを聞かされちゃったらね。因みに、「鎌倉殿の13人」で実朝が暗殺されるのはもうすぐのはず。放送後は、惨劇の舞台である八幡宮は人で混みそうだから今のうちに行っておくか。
さて。今朝の「古楽の楽しみ」で、バッハのモテット第1番「Singet dem Herrn ein neues Lied」を流していた。いろいろ話したいことのある曲である。それを徒然に記そう。
バッハが忘れ去られてる間も、この曲だけは演奏されていて、それを聴いたモーツァルトは「全身耳になった」そうで、演奏後、ただちに楽譜を求めたという。
この曲は、普通は「主に向かって新しい歌を歌え」と訳されるが、今朝の放送では「向かって」が「御前で」になっていた。ドイツ語の原題は、定冠詞の「dem」のみで「向かって」という意味を表している。あえて「御前で」という意味を強調するなら「vor」という前置詞もあるが、それは使われていない。なお、「Singen Sie」ではなく「Singet」だから、「歌ってください」ではなく「歌え」と訳すのは相当である。
私が室内合唱団で学生指揮者だったとき、定期演奏会にかけたかったのは、実はこの曲である。だが、当時、ソプラノのパートリーダーのB子(私にとってのB子は、ジェダイにとってのダースベイダーであった)が、最後にB♭が出てくるという理由で強く反対。それでなくても、当時、執行部を形成していた私の学年は、ルネサンス派が多数を占め(数の力にモノを言わせる彼らの手口は、田中派を継承した竹下派のようだった)、バッハは新しすぎる(そういう世界も存在する)という理由で難色を示し、結局、ボツってしまった(議会の過半数を野党に占められた場合のバイデン大統領の苦労が想像できる(まだ開票中である))。
私がこの曲を歌えたのは、翌年、4年生になり、半分「隠居」状態になってから。合宿の練習で、件のB♭がきれいに決まった日の夜、男部屋で男達は「すげぇ。誰だ?」と犯人(?)探しをし、新入生の彼女だろう、ってことになった。その彼女と夫殿ともども再会したのは、今年の麹味噌合唱団において(世間は狭い)。あと、卒業後に入ったSM合唱団でも歌った。SM合唱団では、指揮者のオルガニストが私の主張を取り入れてくださり、ダブルコーラスの並び順が普通は客席から見てSATBSATBとなるところ、SATBBTASとなった。こう並ぶことにより、第1部の「Die Kinder Zion」のすさまじいフーガが、左から右に移っていって、真ん中のBにきたところで、今度は、両サイドに向かって広がっていく、という効果が得られるのである。
この曲の特に第2部(第2コーラスがコラールを歌い、第1コーラスがその合間にアリアを歌う)は、演奏しようによってはいくらでもロマンチックにできるのだが、ロマンチックな演奏は古楽の世界では禁じ手。古楽の人はザッハリヒ(即物的)な演奏を好む人が多い。室内合唱団に所属してた当時買ったリリングのモテット全集のレコードの帯には「リリングのバッハはロマン的すぎると批判されるがどうのこうの」と書いてあって、聴いてみると、なるほど、柔らかくて「ぐにゃぐにゃ」なイメージ。当時、私は、室内合唱団で相当洗脳されていた証しである。ウィーン国立歌劇場合唱団が歌うベートーヴェンのミサ・ソレムニスの「in gloria dei patris」など、高校時代はあんなに好きな演奏だったのに、室内合唱団時代に聴いたときは野蛮人の足踏みのように感じたのも同じく洗脳が進行していた例である。その後、再び、近代オペラをたくさん聴くようになると、洗脳も半分、青い……ではなく、半分、解けてきて、前記の二つの演奏も、再び楽しく聴けるようになった。すなわち、どっちにもいい顔をしつつ、どっちにも混ぜてもらえない哀れな「こうもり」こそがワタクシの現在の立ち位置である……が、今後は、古楽に特化しようかと思っている今日この頃である。それこそが、カウンターテナーの生きる道、と思うからだが、現実がそうなっていないのは、私にとり、ゆゆしき事態である……