拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

自己肯定感

2022-11-18 11:03:06 | 音楽

今日は資源ゴミの日。ついこの間出したと思ったらもう一週間たったのか。ゴミ出しついでにスーパーに行くと、なんとパンも牛乳も100円値上がり。値上がりが噂されていたボジョレー・ヌーヴォーはもはや店頭に並んでなかった。だから何も買わ(え)ないで帰ってきた。賃金の上昇は物価の上昇に追いついていないという。この点で、政府・日銀の政策は失敗である。だが、日銀総裁はとーっても偉そうで個々人間のヒエラルキーで「俺は総理よりも上」と思っているっぽい。だから、総理も日銀総裁にモノを申せないのかなー、と勘ぐっている。

さて。あさイチに出てた戸田恵梨香が外国の無医村で無料医療を行っているお医者さんの話をしてて、そのお医者さんが言う「自分を信じることの大事さ」に感銘を受けていて、仕事で無理だと思ってもその言葉を思い出してがんばってる、と言っていた。いいことを聞いた。私は、こう見えても、自己肯定感のとっても低い人間である。え~?あんなにいろいろやってるくせに?いろいろやるから返り血も大量に浴びているのである。そこにもってきて、周りに私が大好きな人=褒めてくれる人がいない(反対の人はたーくさんいる)。だから、歌で言えば、バスもテナーもやめて、唯一、カウンターテナーだけは、これは、相当に自分の声が好きなので、あまたの白い目に耐えつつ続けているのである。そんななか、古い録音の移行作業をしてたら、20代30代の頃の自分のバスの歌の練習風景が出てきた。これが、あらびっくり、なかなか上手なのである。こんだけ歌えてて、なんで当時あんなに悲観したんだろ。褒めてくれる人がいない点は今も昔も変わらない。自分で高いハードルを課していた?それが歳とって下がった?それもあるかもしれないが、思うに、当時、世界的名歌手の声を浴びるように聴いていた。それが耳に残っていて、自分の歌など、学校の机の中でひからびたコッペパンに生えたカビのようにしか思えなかったのかもしれない。例えば、カール・リッダーブッシュの声はオペラ映画で聴いたのだが、上映会場を出た後しばらく私は歌を忘れたカナリアであった。リッダーブッシュが音大の声楽科にやってきて生声を披露してガラスがビリビリ揺れたときは声楽科の学生の半分はやる気をなくしたそうだが、声楽家の卵がやる気をなくすんだったら、コッペパンのカビが裸足で逃げ出すのは当然である。だが、リッダーブッシュはバイロイトで番を張っていたような大歌手。そもそも古楽を歌いながらオペラ(しかもヴァーグナー)を聴くのが間違いのもとであった。因みに、最近、オペラはほとんど聴いてない。昔の自分の声の録音が良く聞こえるのはそのせいかもしれない。

それでも、いくら自己肯定感を強く持ったとしても、時と場所を選ぶことは、返り血を浴びないために必要である。カウンターテナーが活きるのはやはり古楽。シュッツの会で、シュッツやモンテヴェルディのアルトパートを歌うときこそ自己肯定感が満ちあふれていた(それもそのはず、アルトパートはもともとカウンターテナーのパートである)。だが、同会は現在休眠中。しばらくは、ソロ会やセッションで研鑽を積むことになりそう。ヴァイオリンやチェロも私は古楽の方が弾きやすいから同様である。近代ものは、もっぱらクラリネットに託そう(因みに、私の血圧は、クラリネットを吹いたときにもっとも上がるようである(最後にとんでもないオチがついた))。