拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

2022-11-16 17:30:40 | 日記

「らん」と言えば、

「ゆきぃがぁとけて、かわぁにぃなってながれてゆきます」「らんちゃーん!」の「らん」。あるいは、

「ラン!ルーク、ラン!」の「らん」(オビワンケノービが発するこの台詞は、ドイツ語版では「Lauf!,Luke,lauf!」。第九のテノール・ソロの「Laufet!」と同じ動詞である)。

これら2つの「らん」が世に出たのは1970年代であり、時間の経過とともに人々の記憶の彼方に去ってしまうべきところ、記述され、後に読まれることにより記憶の奥から発掘される。民法を勉強する人が習う「雲右衛門事件」の「雲右衛門」(浪曲師)も、漱石が「猫」に書いてくれてるおかげで、現代人の身近に復活するのはその例である。当ブログのようなとるに足らない駄文であってもそうした役回りを担うことがあるかもしれないと思えば執筆のモチベーションになる(なーんてことをたった今思いついて、すぐ書いている。浅はかのそしりは免れまい)。なお、蘭さんについては、人々の記憶から遠のいているのは「キャンディーズのランちゃん」であって女優さんとしてはもろ現役だし、そのお嬢さんは来年秋からの朝ドラのヒロイン役が決まっている。因みに、蘭さんの夫殿(相棒)がデビュー作で演じたのがバンパイア役であったことこそどれだけの人が覚えているだろうか)。

黒澤明の「乱」は、ほんの少し時代が下って1980年代。シェークスピアのリア王を原案とした映画である。黒澤映画は大概観たが、どういうわけかこれだけ観損なっていて、今回、ようやく観ることができた。以下、その感想文である。

なかなかの映像美であった。セットのお城は、燃やすためだけに5億円かけて建てたのだという(同じ金額を仮設住宅のために使えば……という考えが頭をかすめたが、芸術のためだ、そういうことは言うまい(もう言ってる))。その燃えさかるお城から仲代達矢演じる狂気の殿が現れるシーン、背後から黒い煙がもくもく出てくる。危ない。あれをちょっとでも嗅いだら一酸化炭素中毒である。仲代達矢も怖かったのだろうか、心なしか早足だった気がしたが、あれはよろめく演技だったらしい。その際こけてしまったら5億円が台無しになるので、仲代達矢は、こけないように、こけないようにとそればかり考えていたという。だが、こけたとしても、意外にいいシーンになったかもしれない。「ラドン」のエンディングで、ラドンは阿蘇の火に焼かれるのだが、そのシーンでラドンを吊っていたピアノ線が切れてラドンが半吊りの状態となった。予想外の展開なのだが、それがなんとも切ない名シーンとなった。

「乱」には原田美枝子が御姫様役で出ている。白塗りで誰だか分からないところだが、前ドラ(前の朝ドラ)でオーナーを演じてたときあさイチにゲストで来て、「『乱』に出たとき眉毛を剃っていた」と言っていたので、眉毛のない御姫様が原田美枝子だと分かった。当時、原田美枝子は「100人中99人が敵」と思ってつっぱって生きていたというが、そのまんまの怖い役であった。因みに、私と原田美枝子の産まれた日はほんの数日違いである。原田美枝子は、その後、つっぱりから卒業されたそうだが、同い年の私の性格はねじ曲がったままである(つうか、一層ねじ曲がったという噂もある)。

音楽についても面白い話がある。作曲者はかの武満徹。武満は、自分の曲をいじり倒す黒澤明にぶち切れてその面前で席を蹴ったという。逆に、黒澤明は、演奏にロンドン交響楽団を使いたかったのに竹満に反対され(理由は、同オケが映画の仕事をやりすぎて仕事が荒れてるから、というもの。なるほどー、「スターウォーズ」の演奏もロンドン交響楽団である)、札幌交響楽団になったことが不満で団員の顔をろくに見なかったそうだ。だが、実際にその演奏を聴いた後は、至極満足し、団員に深々と頭を下げたそうだ。

映画の冒頭で「An Akira Kurosawa Film」の文字がスクリーンに映し出された。私は、瞬間的に「an」をドイツ語に解釈して「黒澤明に捧げる」と思ったのだが、この映画が公開されたとき黒澤明はまだ存命だった。普通、作品を捧げる相手は故人だから変だなぁ、と思いながら観てた。そうか、これは「A ○○ Film」(○○監督作品)の「A」か。次が「Akira」で母音始まりだから「A」が「An」になったのか、と中学校で習ったことを思い出して合点がいったのは映画も終わる頃であった。

冒頭に戻る。雪が解けて川になって流れるのはごく自然である。雪が解けて岩になって浮かんだら、それは自然摂理には反するが、どっかで見たことがある気もする。と思ったら、ルネ・マグリットの「ピレネーの城」であった。