拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

heilen(快癒)

2022-11-01 08:46:52 | 日記

この秋の二度目の銚子旅。前回見損なった屏風ヶ浦を見るためのリベンジ旅である。以下、その道中記。

行きの電車から筑波山が見えた。今や、筑波山は、私にとって、富士山と並んで「見ると血圧が上がる山」である。

車窓から見る雲も、なかなか絵になって好きである。遠くから見れば白い雲も、直下では黒く雨を降らせてるんだろうなぁ。いや、遠くから見ても黒い雲がある。雲にもダークサイドに墜ちた手合いがいるらしい。きっと、そこから発せられる雷の電光は赤いに違いない(ダークサイドに墜ちたジェダイ(=シス)のライトセイバーの色は赤である)。

その雲の下で、左右に細く銀色に光っているのは利根川である(銚子旅の電車の車窓から利根川が見えることは前回確認済み)。

駅から海岸まで歩くと畑が多い。これを見るのが湘南の旅では味わえない楽しみである。特に多かったのがキャベツ畑。キャベツは今年はなかなか1玉100を切らないが、ここでは豊作に見える。キャベツと言えば青虫。モンシロチョウの幼虫だ。そのモンシロチョウが乱舞していた。

彼らは人間を認識しているのだろうか。この一枚を撮ったあと、なかなかそばに寄ってきてくれない。

畑には小鳥もやってきていた。この小鳥はなかなかシュッとしているが何と言う鳥なのだろう?

屏風ヶ浦は、海岸に沿って東西10キロに及ぶ断崖絶壁。実は、前回、東のへりに近い所まで来ていた。なのに断念したのは、スマホの地図アプリが屏風ヶ浦の西のへりにそのポイントを打っていたからである。それで遠くて無理だと思ってしまったのだ。今回は、前回と同じルートではつまらないので、崖の背後の集落から崖の切れ目に抜けるルートで行く。敵(って誰?)も、まさか崖の背後からやってくるとは予想するまい。一ノ谷の戦いにおける義経の鵯越を思わせる作戦である。そうしてとうとうお目にかかったのが冒頭の写真の風景。縞々模様は地層である。そう言えば、私が育った横浜市緑区の町外れの造成地に地層むき出しの場所があり、通ってた中学校に、この地層を研究したいからこの地に赴任してきた、という先生がいた。

このあと、このあたりで一番高い山=愛宕山(標高73.6メートル)の頂上付近にある展望台に行った。そこから見た屏風ヶ浦も良い景色だった。

途中、浜に降りて歩いて見た。地元の人が犬の散歩に来たらしい。競馬で言えば、重馬場のダートコースである。

海岸には、こうした白い石もたくさんあった。

これはなんの石だろう?なーんてことが気になるのは、ブラタモリの見過ぎである(タモリさんなら、たちどころにこの石の正体を言い当てるのだろう)。

銚子は、醤油の生産が盛んである。デビューしたての沢口靖子がヒロインを務めた朝ドラ=澪つくしも、銚子の醬油屋の物語だった。当時の沢口靖子は、演技はどうであってもとにかく可愛い、という評判であった。醤油会社のこの地における権勢(?)は、銚子電鉄のベンチにも見ることができる。醤油会社のタンクだとか他にもっとそれらしい写真を撮ったのに、あえてこういう写真をアップするところが、私が人に理解されないところであり、かつ、私の私である所以である。

「絶対あきらめない」が合い言葉の銚子鉄道のこの日の車内アナウンスの主はきゃりーぱみゅぱみゅ(だと名乗っていた)。その関係だろうか、車内がおおいに華やかであった。

というわけで、愛宕山登山も含め、この日歩いたのは2時間半。実は、行きの電車内では不調だった。歩いていて倒れたらどうしよう?と思った。だが、歩いているうちにやたらに元気になってきて、最近「歌を忘れたカナリア」であった私が歌なども口走った……じゃなくて、口ずさんでしまった(日本語は正しく使いましょう)。おおっ、歌もまだまだいけそうである(だが、カウンターテナーだから、向いているのはやはり古楽である)。声だけではない。銚子の地に降り立ったとたんに、足どりもびっくりするくらい軽やか。おととい、家の中で、バスクラのケースにつまづいて転倒してべそをかいたのがウソのよう(ウソはべそをかいたこと。だが、大いに情けなかったのは事実)。帰りなどは、電車に間に合うようにと、愛宕山のてっぺんから駅まで15分走り続けた。半世紀前、飛ぶように走っていたことを考えれば、まるで体に重りでもついているよう。それでも15分間走り通せたのはたいしたものである。こうしてすっかり元気になった。ドイツ語でいう「heilen」(快癒する)とはこのこと。それもこれも、自然に触れたおかげである。やはり、定期的に自然に触れなければ。きっと、血圧はだだ下がりしているに違いない……と思って、帰宅直後、奮発して新調した血圧計で測ってみたが、こちらは期待はずれ。