拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

仕事

2022-11-23 12:17:01 | 日記

ベランダの二個のプランターにはどっちもバジルを植えているのだが、そのうちの一個について収穫を敢行。一年草は寒くなるといきなり枯れる。それに備えてである。こんだけ穫れた。

これを新聞紙でくるみ、ジップロック(もどき)に入れて冷凍庫で保存。葉っぱだけにしたヤツと、茎のついたヤツで分けた。どっちが長持ちするかの実験である。

残る一個のプランターについては、収穫はもう少し待って様子を見る。

12月になると言っても、南向きのベランダは陽があたるとかなり暖かい。そこで作業すると暑いくらいである。まったく、この温度を北側の書斎(音楽室)に持っていけないものか、と思う。因みに、こうした栽培・収穫の作業は趣味でやっているのではない。しっかり食して大事な私のNahrung(栄養)とするためである。だから、これは私が生存するために必要な生産活動であり、仕事である。

それを言うなら料理も同じ。会社の社員食堂の厨房の作業やレストランの賄い作りが立派な仕事であるのと同様、料理は私が生きるための仕事である。

そのほか、ネットショッピングでお買い物をするのは会社が備品を購入するのと同様に仕事だし、次にどの山を登ろうかどの海岸を歩こうかと考えるのは総務課がレクリエーションを企画するのと同様に仕事。株や馬券で財産をなくすのは、経理部が会社のお金を運用しようとして損をするのと同様に仕事である。

そもそも、外に働きにいって給料を稼いでくるだけが仕事(Arbeit)ではない。もし、私がベランダでバジルを育てなければスーパーでその分出費するわけだし、もし料理をしなければ外食でその分出費するわけだし、もし山や海岸を歩かなければストレスから体調を崩して病院代を出費するわけだ。これらの出費をしないで済んでいるのだから、十分にわが家の財政に寄与し、ひいては私の生存に寄与しているのであり、立派な仕事である。

最後にオチがつかなかったのでおまけ。長いこと疑問に思っていたことを吐き出そう。ウルトラマン(初代)は、最終回でゼットンに倒されたときうつ伏せに倒れたのに、地面に横たわる姿は仰向けであった。なぜだろう。因みに、テレビ放送では、ウルトラマンの手元からスペシウム光線が発射されるシーンと、それが怪獣に命中するシーンはいつも別々だったが、映画「シン・ウルトラマン」は、横長のスクリーンサイズのおかげで、これを同時に見ることができた。同映画で一番感動したシーンである。