暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

正客あらそい

2010年01月07日 | 茶道楽
「近代数寄者の名茶会三十選」(熊倉功夫編 淡交社)に
はまっています。
高橋掃庵が記した「大阪・是庵茶会」(東都茶会記)を読んでいて、
思わず笑い転げてしまいました。
「正客あらそい」の様子がユーモラスに書かれていたのです。

大正4年(1915年)4月20日、亭主は上野是庵(理一)、
客は馬越化生、益田鈍翁、高橋掃庵、野崎幻庵、戸田露朝という
そうそうたる顔ぶれです。

 
イザ腰掛に立ち出でんとする段取りとなるや、
例によって正客争いは始まりぬ。

鈍翁は近来耳が遠くなりて、
亭主との応対に頓珍漢(トンチンカン)の挨拶をなすことあり、
かくて大阪三界まで奇談の種を振りまきては
末代までの名折れなれば、
正客は是非に化生翁に懇願と言えば、

化生翁は前回鈍翁、幻庵等と嘉納本家の茶会へ招かれたる時、
小間にて天目点と云う六ヶ敷き(むつかしき)茶会なるを内偵し、
一同申し合わせて翁を正客に推し、
辛き(つらき)目見せられたる経験もあれば、
今度はいっかな承知せず、と言い張りて、

何時果てるとも見えざりけるが、
一同、鈍翁の「耳遠し」と云うに同情して、
腕力づくめに化生翁を正客に押し出し、
末客(おつめ)はもちろん戸田露朝。

かくて東西一騎当千の剛の者が頭となり尾となりて、
軍容正々腰掛に立ち出でければ、やがて庵主の出迎えあり。

・・後略・・

その時の情景が見えるようですね。
正客に押し出された化生翁がかわいそう・・と同情しつつ、
正客が決まっていないことにびっくりしました。
名だたる数寄者を招いての茶会なので、事前に正客が決まっていた
・・と思い込んでいたのです。

そして、大正の昔も今と相変わらず「正客あらそい」が
あったことにへんに納得し、安堵しました。

ここまで書いたところで、一通の手紙が届きました。
茶事への嬉しいお招きでしたが、正客が不明なのです。
楽しみな茶事も少し気が重くなります。

感服係りで名高い化生翁ですが、
その日は「正客あらそい」でお疲れなのか、
今ひとつ感服の気魂が乗らなかったようです。
人間ですもの、そんな時もありますよね・・・。

                       
   写真は「木瓜の花」、散歩途中でパチリ。

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