暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

金沢・南砺の旅  城端曳山祭

2011年06月03日 | 2011年の旅
城端曳山祭一番の見どころは華麗な曳山の行列です。

5月5日の朝、8時半に宿を出発し、城端の古刹真宗・城端別院善徳寺へ。
曳山と庵屋台(いおりやたい)が善徳寺前で集合し、9時30分から町内を巡行します。

曳山と庵屋台の行列順序は毎年交代するそうですが、平成23年は次の順番でした。
かつて、この順番を巡っていろいろあったようなので、公平に記録します。

 一番山 西上町・「竹田山」(たけだやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
                  御神像は恵比須、寛政7年(1795年)荒木和助作)
       庵唄(いおりうた)・・・手鏡に (恵友会)

 二番山 東下町・「東耀山」(とうようやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
                  御神像は大黒天、安永7年(1774年)荒木和助作)
       庵唄・・・雪巴 (宝槌会)

 三番山 出丸町・「唐子山」(からこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
                  御神像は布袋、宝暦12年(1762年)荒木和助作。
                  弘化3年(1846年)、小原治五右衛門改作)
       庵唄・・・五月雨 (布袋同志会)

 四番山 西下町・「諫鼓山」(かんこやま、享保年間(1716-1736年)の作を改修。
                  御神像は堯王、享保元年(1716年)木屋仙人作)
       庵唄・・・沖の瀬に (諫鼓共和会)
                
                       (御神像 堯王・・・飾り山)
 五番山 東上町・「鶴舞山」(つるまいやま、安永年間(1772-1781年)小原治五右衛門作。
                  御神像は寿老人、安永2年(1773年)荒木和助作)
       庵唄・・・宇治茶 (松声会)

 六番山 大工町・「千枚分銅山」(せんまいぶんどうやま、明治31年の大火で類焼、
                    明治39年浅野喜平・辰次郎作。
                    御神像は関羽・周倉、寛政8年(1796年)荒木和助作)
       庵唄・・・辰巳  (冠友会)
                                        (御神像 関羽・周倉・・・飾り山) 

順番に善徳寺前から出発するのですが、最初からびっくりしたのは方向転換でした。
高さ約六メートルの山車の上には羽織袴を来た人が数人乗っていて、
立ち位置を変えたり、身を乗り出したり、重心のバランス係です。
曲がり角に来ると、頭(号令係?)が重心の掛け方を支持します。

山車の重心をかける側の長押(引手?)に約十人くらいの男衆が一斉に飛び乗ると、
車輪の前が少し持ち上がるので、「ソレッ!」と車を横に回します。
その時に「ギュウギュウ」と車のきしる音が響きました。
この音が特徴で、城端の曳山は「ギュウ山」とも言われているそうです。

「ソレッ」という掛け声に合わせて約二十人の男衆が力を合わせて
山車を廻す時の様子が印象に残っています。
男衆は決して若くなく、五十代、六十代の方が多いようでしたが、
その方たちは涼しい顔をして廻していました。
若者の方が顔をゆがめて、とても苦しそうでした。
長年の馴れなのか、苦しくてもそれを見せない心意気なのか・・・?

私たちは見れませんでしたが、出丸町で狭い場所のUターンがあり、
曳山の一番の見せ場だそうです。

                
                           
         
もう一つの見どころは、江戸の料亭を模したという、
風雅な庵屋台(いおりやたい)と、そこで唄われる庵唄(いおりうた)です。
町のあちこちに「庵唄所望」と書かれた紙が貼られていました。
ご祝儀をだして所望すると、庵唄を自分の家で聞くことができます。

六つの町の庵屋台が所望する家の前に止まり、
各町の庵唄を書いた短冊を白扇に載せて渡してから、庵唄を披露します。
座敷には親類縁者が集まり、きれいな着物を着ている女の方もいました。
座敷には座れませんが、傍で聞くこともでき、宵山とはまた違う味わいです。
たしか、曳山会館に庵唄所望の特設会場があったように思います。

曳山会館に庵唄を書いた短冊が売られていたので、
「宇治茶」の短冊を記念に買ってきました。
                 

曳山祭は夜まで続き、出丸町での見事な(たぶん)Uターンの後に
提灯をつけた「提灯山」となり、これも圧巻だそうです。
そして、車を「ギュウギュウ」と軋らせる音と、
庵屋台の囃子が重なって聞こえる「帰り山」は
何とも言えない情感が漂うそうです。

残念ながら、14時に城端を出て17時の便で帰宅した私たち旅人には
祭りのクライマックスの「提灯山」と「帰り山」を味わえなかったのですが、
十分に満足して帰宅したのでした。

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 (写真は宵山でバッテリーが切れ、肝心の本祭がありません・・・)

追記・・・城端曳山祭は「城端神明宮祭の曳山行事」として
     平成14年(2002年)に重要無形民俗文化財に指定されました。