お茶の郷博物館(島田市金谷富士見町)は、
日本有数の茶の産地、牧之原台地の一画、大井川を見下ろす高台にあります。
小堀遠州ゆかりの茶室・縦目楼(しょうもくろう)で抹茶がいただけるそうで、
「どんな茶室かしら?」と楽しみでしたが、
「遠州というお名前が示すように静岡と深い関係があるのかしら?」
と今一つわからないところでした。
小堀遠州(正一)(1579ー1647)は、近江(滋賀県)に生まれ、
父の遺領・近江小室藩(1万2千石)を継いで大名となりました。
徳川幕府のもとで伏見奉行、作事奉行をつとめ、桂離宮、仙洞御所、二条城、
名古屋城などの建築や造園に才能を発揮しました。
慶長13年(1608)駿府城作事奉行をつとめ、その功により従五位下遠江守に叙せられ、
これより「遠州」と呼ばれようになりました。
千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、江戸・寛永になると、
千宗旦や小堀遠州が茶の湯の中心となっていきます。
遠州は将軍家の茶湯指南として活躍し、茶の湯の精神とお好みは「綺麗さび」と言われています。
「中興名物」を選定し、遠州七窯と言われる遠州好みの茶陶を賞賛あるいは指導しています。
七窯とは志戸呂焼(遠州)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、
上野焼(豊前)、高取焼(筑前)で、古曽部ではなく、伊賀を入れて七窯とする説もあります。
志戸呂焼の茶陶製作は遠州が駿府城作事に関係した頃からと考えられていますが、
寛永年間(1624~44)に盛んになりました。
さて、先ほどの小堀遠州と静岡の関係ですが、
遠州が徳川家康の居城・駿府城の作事にかかわったことと、
その頃に志戸呂窯の茶陶製作を指導し、七窯の一つに選定したことの二つらしいです。
そのご縁でお茶の郷につくられた茶室と庭園は目を見張るものでした。
縦目楼は、遠州が住んでいた京都の伏見奉行屋敷と、
遠州と親交のあった松花堂相乗が住んでいた石清水八幡宮滝本坊を合わせたもので、
現存しない寛永時代を代表する建築物を図面から起し、復元しています。
庭園は、徳川幕府が小堀遠州に作事を命じてつくらせたという仙洞御所の東庭を
模してつくられた池泉回遊式庭園です。
臨水亭(伏見奉行屋敷の鎖の間ゆらい)で薄茶を一服頂戴しました。
お点前さんは裏千家の方でした。
菓子、薄茶ともに美味しく、拝見した志戸呂焼の茶碗も味わいのあるものでした。
交代で地元の先生方が茶席を担当していらっしゃるそうです。
席主の先生から臨水亭や対雲閣(滝本坊ゆらい)の見どころを伺ってから、
特別に(?)奥にある三畳台目の茶室・友賢庵(ゆうけんあん)を
見学させて頂きました。ここも遠州のお好みが感じられる茶室でした。
秋にこの友賢庵で特別な茶会があるそうで、
「ぜひその時においでください」
また、Mさん、ご主人とその時に来れたら・・・と思いました。
「お茶の郷」のパンフに書いてあったとおり、三人で体験した
「一杯のお茶から始まる発見と感動」の半日でした。
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