暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

山王日枝神社 献茶式

2011年06月18日 | 茶会・香席
17日(金)に山王日枝神社の献茶式へ行きました。
昨年5月に先生に連れて行って頂いた伊勢神宮以来の献茶式です。

朝から小雨が降っていました。
大雨の予報だったので、前日まで洋服でと決めていましたが、
小雨だったので急遽着物(無地)にしました。

10時の献茶式に間に合うよう日枝神社(千代田区永田町)へ着くと、
拝殿前に大きな茅の輪がつくられていました。
6月30日には夏越しの祓の神事がおこなわれ、
正月から半年間の罪や穢れをお祓いし、無事息災を祈ります。
茅の輪くぐりをすると、疫病や罪穢が祓われるといわれています。                                               
くぐり方を書いた看板があって、「祓い給え 清め給え」と唱えつつ、
三度、左回り・右回り・左回りと、八の字を描くようにくぐり抜けました。
すっきりした気持ちになって献茶式へ参列しました。

                  

拝殿正面に点前座が設けられていて、台に乗った天目茶碗が2つ、
茶入が2つ、台子に荘られています。
祝詞が奉じられ、お家元のお点前にて濃茶が二服練られ、
神様に献じられました。
お家元のお点前がかろうじて拝見でき、貴重な機会となりました。

横から拝見した姿勢の良さ、一本筋が通っている背の動き、
水を釜に入れる柄杓の動き、流れる一丈の水の美しさなど、
今でもお家元の所作のひとつひとつが目の前に浮かんでくるようです。
流れるようにサラサラと、お点前は二十分で終えられました。
最後に参列者一同も宮司様にお祓いして頂き、献茶式が終了です。

すぐに、山王閣の薄茶席へまわりました。
立礼席が設けられ、本席の床には鵬雲斎大宗匠筆で
「山是青々水碧」。
鮎籠につくばねテッセンと鳥足升麻が生けられていました。

そばざるに涼しげに盛られた菓子「緑陰」(菊家製)が運ばれ、
三島刷毛目の平茶碗で薄茶をたっぷり美味しく頂きました。
主茶碗は、宗入作の赤楽・平茶碗、
小ぶりで味わいのある茶碗は、鵬雲斎大宗匠の御銘「涼風」です。
円能斎お好みの桃山風炉が華やかで、初めて見る寿老棗が印象に残りました。
山王日枝神社の神の使いは猿なので、申年の円能斎好みを多用されたようでした。

                 

濃茶席の寄付で、以前お習いしていた先生の社中の方にお会いし、
濃茶席と点心をご一緒しました。
寄付には「氷室の絵大横物」(鶴嶺画)が掛けられています。
暑さをしのぐため氷を江戸城へ献上する様子を描いています。
席主が空調関係のお仕事なので、氷室の絵を・・・と
ユーモラスな説明がありました。

濃茶席も立礼席でした。
点前座の床には坐忘斎お家元筆の「無事是貴人」が掛けられています。
宗旦一重切の花入「ツワモノ」が色と言い、風格と言い、心に響き、、
夏椿(沙羅の木)が風情を添えていました。

もう一つ、少庵好みという霰巴釜をほれぼれと拝見しました。
蓋に巴文が鋳込まれているそうですが、よく見えません。
でも、蓋の鉄味や覗き見る釜口の破れ、切掛け風炉だったという形や霰の力強さ、
心ときめく霰巴釜とのお出会いでした。大西家七代の浄玄造です。

虎屋製のきんとんは「沢辺の蛍」、確かに蛍が草陰に・・美味しく頂戴しました。
肝心な濃茶ですが、薄く、練りが足らず、残念に思いました。

               

帰りには雨も上がり、もう一度茅の輪を見てから日枝神社を後にしました。

                           のち 


水無月の茶事 (2)

2011年06月14日 | 茶事
                  (蛍が飛び交う矢指谷戸に咲く紫陽花)
 (つづき)
懐石の後に初炭をしました。
風炉の時期はいつもドキドキしながら釜を上げます。
上げてみて炭が真っ黒なこともありました・・・。
今回は下火を3本入れ、向こう側に丸ぎっちょ2本を入れておきました。
懐石が長くなりましたが、下火が残っていて無事に炭を置くことが出来ました。

              
              
風炉は唐銅の道安(一之瀬宗和造)、
釜は桐文車軸釜、長野珠己さまのご主人・長野新氏の作です。
桃山から江戸時代初期の茶人に好まれた、車軸の形や団扇の文様を
注文して造って頂きました

繊細な総糸目になっていて、
胴の糸目を団扇形に抜いて桐文が格調高く描かれています。
優雅さと粋を感じる、お気に入りの風炉釜です。
やっとやっと今日が初使いです。
長野夫妻はきっと首を長くしてこの日を待っていたことでしょう・・・。

風炉では初炭から濃茶までそれほど時間がありません。
縦に長い車軸釜は熱効率が悪く、湯が沸きにくい形なのです。
早く火が熾って湯が沸くように炭を置かなくてはなりません・・・うーん難しい。

炭斗は松山籠、香合は檜扇貝香合、宗悦の塗りです。
源吉兆庵製の「清水かげ」をお出しし、中立をお願いしました。

              

中立の頃には雨が上がって陽が射してきました。
それで、喚鐘ではなく銅鑼を打って後入りのお知らせをしました。

後座の床には、白い蛍袋をグランブルーの吹き硝子花入へ入れました。
心配していた湯相もほどよく、
幽かな松風を聞きながら濃茶を練りました。
「とても美味しゅうございます」
というお客様さまの声を聞き、安堵しました。
濃茶は伊藤園の万歴の昔です。

お正客さまから水指についてお尋ねがありました。
昨年秋に播州(兵庫県)を訪ねた折、揖保川焼展で購入した水指です。
柔らかな肌色に貫入が美しく、草花文が描かれていて、薊のようにも見えます。
池川みどりさんの作で、銘は「黙座」(もくざ)です。
亡くなった人への祈り、今生きている喜び、一期一会の茶会・・・
そんなことを思いながら水指を荘りました。

                
              
イルカの火入の煙草盆と干菓子を持ち出し、
濃茶に続いて薄茶を差し上げました。
お正客さまと次客さまは、
井上良斎作の 十五世市村羽左衛門追憶「うずまき茶碗」
三客さまとお詰さまは煌めく星空を思わせる藍色の義山茶碗にて
薄茶をお点てしました。
薄茶は茶友からこの日のために頂戴した、近江朝宮抹茶「翠峰」です。
茶碗を代えてもう一服喫んで頂きながら、いつまでも愉しく、
笑声が満ちるひと時でした。

                

茶事終了後待合で、お持ち寄りの香合の披露があり、これも愉しかったです。
Hさんは雫の形がユニークで、露のようなポッツンがかわいらしい香合、
Aさんは青年部でご活躍の頃の思い出深い、漆の艶やかな塗が格調高い丸香合、
Kさんは漆工芸作家さんとの合作だそうで、虹やオーロラを連想する香合、
長野さんは渋いけれどどっしりした力強さがみなぎる、樫の香合、
そして、私のはブータン・タクツァン僧院で購入した登頂記念の一品でした。

また、お会いできますことを楽しみにしています。

     (水無月の茶事(1)へ)              のち 


水無月の茶事 (1)

2011年06月13日 | 茶事
                   (矢指谷戸の一里山湧水に咲く紫陽花)

6月11日は、大雨注意報がでるような凄い雨でした。
それで、朝7時にお客様へメールしました。
 
  はずれてほしい・・・と願っていた天気予報が当たってしまい、
  朝からすごい雨ですね。
  天が「これが水無月じゃわい!」と言っているようです。

  つきましては、
  皆さまの素敵な着物姿を楽しみにしていましたが、
  このような天候なので、どうぞ洋服で気軽にいらしてください。
  それから、お荷物でしょうが、「香合」を一つお持ちくださいませ。
  どうぞ お気をつけていらしてください。
                          
雨の中、全員が着物でいらしてくださり、びっくりしました。
今日の茶事へのお気持ちを感じて、ただ感謝感激です・・・。
私も前日用意していた紋入りの無地(青の江戸小紋)と
水色地に桔梗を刺繍した帯にして良かった!

待合の色紙は、
大好きな映画「グランブルー」(リュック・ベンソン監督)をイメージして
湧き上がってきたフレーズを書家の知人Mさんに書いて頂きました。
三日前に出来上がったばかりです。

                 
               (海があり 水があり 空があり 愛がある)のつもりでしたが
               (海であり 水であり 空であり 愛である)となっています・・ま、いいか。

雨なので玄関先に置いた蹲で手を清め、席入して頂きました。
お正客のHさまは、「茶事へ招きあいましょう」」と話し合ってから
二年が経っていました。
お互いに介護や家庭の事情があり、延び延びになっていたので、
今回、お正客としてお招き出来てウレシイです。

次客は今年はじめ、茶室披きの茶事へお招き頂いたAさまです。
三客は数年前思いでの茶事 正午の茶事へお招き頂いたKさま、
そして、お詰は半東として茶事を手伝ってくださった長野珠己さまです。
外は雨ですが、茶室は茶の湯パワーが全開だったかも・・・です。

床の軸は、足立泰道老師の筆で
「水上青々翠」(すいじょうせいせいたるあおし)。
ご挨拶の後、香盆を持ち出しました。
折据を回して、Aさまに香を炊いて頂きました。
雨音を聞きながら、伽羅の香をみんなで愉しむひと時・・・
私の心も落ち着いたような気がします。

                 
           
                 

懐石をお出ししました。
今回もご近所のIさんが強力な助っ人でした。
蒸し暑かったので、冷たいものは冷たく、温かいものは温かくを心がけ、
最初の膳、特に一文字に気合いを入れてもらっています。
Iさんの提案で、清々しさを演出するための工夫をしてみたり、
二人で料理を楽しみました。
(・・・ですが、写真を撮る余裕は全くありませんでした)
お出しできた献立は次のようなものでした。

  向付    鯛のカルパッチョ(赤と黄パプリカ、胡瓜、レッドオニオン) 山葵
  汁      赤味噌仕立  南瓜  とき辛子
  つぼつぼ  紅白なます  スダチ
  煮物    清まし汁仕立  枝豆とホタテの真蒸 青楓麩 人参 三つ葉 隠元 木の芽
  焼物    銀だら粕漬
  預け鉢   茶筅なす  高野豆腐オランダ煮  絹さや  針生姜
  強肴     白アスパラガス  胡麻マヨネーズ  パセリ
  箸洗い   のし梅
  八寸    合鴨ロース 山葵漬  イチジク天ぷら
  香の物   沢庵  赤カブ浅漬け  瓜
  ワイン   スパークリングロゼ
  酒      立山

      (水無月の茶事(2)へ続く)         のち  

   
 

水無月の茶事支度

2011年06月10日 | 茶事
4月に予定していた「花の夕去りの茶事」が中止になったので
いつか、その時のお客様を茶事にお招きしたいと思っていました。
7月と8月は電力事情が不透明なこともあり、
水無月(みなづき、6月)の茶事へお招きしています。

水無月は、水と縁のある私には茶事をしたくなる月ですが、
横浜開港150周年を祝う茶事以来2年ぶりのことです。
昨年の6月は、仙桃庵の茶事へお招き頂き、
心に残る水無月の茶事を愉しませて頂きました。

               

ところで、6月は梅雨の最中なのにどうして「水無月」というのでしょうか?
旧暦6月を水無月と呼んでいましたが、現在は新暦6月の別名となっています。
調べると諸説があり、旧暦と新暦で由来が違うことを知りました。

旧暦6月は梅雨が明けて水が涸れてなくなる月と解釈されています。
逆に、田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月、
つまり「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」とする説もあります。
さらに、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり、
「水の月」とする説などがいろいろです。

新暦6月はちょうど梅雨なので
「梅雨で天の水がなくなる月」や「田植で水が必要になる月」
といった解釈がされているそうです。
いずれの説も水、水量、稲作に関係していて面白いですね。

               

今にも降りだしそうな空を見上げながら、
お客様ひとりひとりとのご縁を思い出しながら
茶事支度にいそしんでします。
迷った時には、利休さまの七則へ戻ります。

   茶は服のよきように点て
   炭は湯の湧くように置き
   花は野にあるように
   夏は涼しく冬あたたかに
   刻限は早めに
   降らずとも雨の用意
   相客に心せよ

どれも奥の深い大事な教えですが、先ずは
「茶は服のよきように点て
 炭は湯の湧くように置き・・・」を目指します。

新しい風炉釜(釜師 長野新さんの作で、ステキです!)と、
久しぶりに使う風炉(灰)なので
何回も炭を置き、湯を沸かし、湯を変えて、釜や灰を慣らしています。
まだ釜が落ち着いてくれず、茶を入れて沸かしてみたり・・・試行錯誤です。

それから灰型。二文字押切をつくっています。
「茶事の前に風炉の灰型を整えるのは茶人の喜び・・・」だそうですが、
未だその域には程遠いと思いながら、「やるっきゃない!」

              

忘れてはいけないのは、「梅雨で天の水がなくなるほど雨が多い月」なので
「必ず降ると思って雨の用意」でしょうか。
露地草履を拭いたり干したりしながら
外の腰掛や蹲が使えない場合は? などと、あれこれ考えています。

点前の稽古や懐石の打ち合わせなど、やることは尽きませんが、
身体と心の準備を調えて、お客様をお迎えしたいと思います。
「さぁ、そろそろ・・・」

                           

         写真は上から、「雨の竹林」(岡部・玉露の里にて)
                   「藤枝・蓮華寺池の菖蒲園」
                   「蓮の玉水」
                   「菖蒲」

お茶の郷博物館 その2

2011年06月08日 | 美術館・博物館
                
お茶の郷博物館(島田市金谷富士見町)は、
日本有数の茶の産地、牧之原台地の一画、大井川を見下ろす高台にあります。

小堀遠州ゆかりの茶室・縦目楼(しょうもくろう)で抹茶がいただけるそうで、
「どんな茶室かしら?」と楽しみでしたが、
「遠州というお名前が示すように静岡と深い関係があるのかしら?」
と今一つわからないところでした。

                

小堀遠州(正一)(1579ー1647)は、近江(滋賀県)に生まれ、
父の遺領・近江小室藩(1万2千石)を継いで大名となりました。
徳川幕府のもとで伏見奉行、作事奉行をつとめ、桂離宮、仙洞御所、二条城、
名古屋城などの建築や造園に才能を発揮しました。
慶長13年(1608)駿府城作事奉行をつとめ、その功により従五位下遠江守に叙せられ、
これより「遠州」と呼ばれようになりました。

千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、江戸・寛永になると、
千宗旦や小堀遠州が茶の湯の中心となっていきます。
遠州は将軍家の茶湯指南として活躍し、茶の湯の精神とお好みは「綺麗さび」と言われています。
「中興名物」を選定し、遠州七窯と言われる遠州好みの茶陶を賞賛あるいは指導しています。
七窯とは志戸呂焼(遠州)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、
上野焼(豊前)、高取焼(筑前)で、古曽部ではなく、伊賀を入れて七窯とする説もあります。

志戸呂焼の茶陶製作は遠州が駿府城作事に関係した頃からと考えられていますが、
寛永年間(1624~44)に盛んになりました。
さて、先ほどの小堀遠州と静岡の関係ですが、
遠州が徳川家康の居城・駿府城の作事にかかわったことと、
その頃に志戸呂窯の茶陶製作を指導し、七窯の一つに選定したことの二つらしいです。

                 

                 

そのご縁でお茶の郷につくられた茶室と庭園は目を見張るものでした。
縦目楼は、遠州が住んでいた京都の伏見奉行屋敷と、
遠州と親交のあった松花堂相乗が住んでいた石清水八幡宮滝本坊を合わせたもので、
現存しない寛永時代を代表する建築物を図面から起し、復元しています。
庭園は、徳川幕府が小堀遠州に作事を命じてつくらせたという仙洞御所の東庭を
模してつくられた池泉回遊式庭園です。

                 

                 

臨水亭(伏見奉行屋敷の鎖の間ゆらい)で薄茶を一服頂戴しました。
お点前さんは裏千家の方でした。
菓子、薄茶ともに美味しく、拝見した志戸呂焼の茶碗も味わいのあるものでした。
交代で地元の先生方が茶席を担当していらっしゃるそうです。

席主の先生から臨水亭や対雲閣(滝本坊ゆらい)の見どころを伺ってから、
特別に(?)奥にある三畳台目の茶室・友賢庵(ゆうけんあん)を
見学させて頂きました。ここも遠州のお好みが感じられる茶室でした。
秋にこの友賢庵で特別な茶会があるそうで、
「ぜひその時においでください」
また、Mさん、ご主人とその時に来れたら・・・と思いました。

                 

「お茶の郷」のパンフに書いてあったとおり、三人で体験した
「一杯のお茶から始まる発見と感動」の半日でした。


       (その1へ)