暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

昭和美術館 (2)

2010年05月20日 | 美術館・博物館
(つづき)

展示室には床が設えてあり、
藤原定家筆の「小倉色紙」が掛けられ、
花入は「赤絵盛盞瓶(せいさんびん)」(萬歴赤絵)でした。
生けられていた花がどうしても思い出せないのですが、
「赤絵の水差も好いけれど、こういう使い方もステキねぇ~」
Kさんと唸りながら床の取り合わせに魅入りました。

中興名物、古瀬戸尻膨茶入「伊予簾」にも逢えました。
尻膨の形はどっしりと安定感があります。
細いロクロ目に黒釉がまだらに落ちて生じた
褐釉の鶉班(うずらふ)が古瀬戸特有の味わいです。

小堀遠州はそのまだらの景色から
恵慶(えぎょう)法師の歌を引用して
「伊予簾」と銘名しました。
    逢ふことは まはらに編める伊よ簾
      いよいよ我を 侘ひさするかな

四つ並んだ仕覆は、
萌黄地造土金襴、伊予簾緞子、紺地橘紋金襴、白地龍爪金襴。
どれもステキで、持ち主の愛情が感じられました。

残念ながら、茶杓「弱法師(よろぼし)」は展示されていませんでしたが、
いつか出逢える日を待つことにしましょう。

展示室を鑑賞した後に、庭へ廻り
「捻駕籠(ねじかご)」の茶室のある南山寿荘へ行きました。
南山寿荘(旧渡辺家書院と茶室)は、裏千家十一世・玄々斎の
実兄である尾張藩・渡辺兵庫頭規綱(又日庵(ゆうじつあん))の別邸として、
1832年(天保3年)、又日庵40歳、玄々斎22歳の時に建立されました。
昭和10~12年にかけて後藤家の別邸として現在地へ移築されています。

「捻駕籠」の茶室は四畳中板入り台目切りの炉で、
三畳の客座と中板のある一畳点前座からなっています。
中板が貴人座との結界となっていて、
正客(貴人)と亭主が向かい合い、下座のニ畳は相伴席です。
興味深い茶室ですが非公開なので、中は拝見できませんでした・・。

南山寿荘、有合(うごう)庵などの茶室や庭を巡りましたが、
裏千家と縁の深い文化遺産なのに手入れが行き届かず、
荒れた印象を持ちました。
これからの昭和美術館のあり方を心配しながら帰途に着きました。

伊勢神宮でご一緒したSさんに昭和美術館へ行った事を話すと
「あそこは茶道具が優品揃いだったでしょう。
 知る人ぞ知る、名品の多い美術館ですよ。好い所へ行かれましたね」

同好の方がいらして嬉しいです!

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