(つづき)
③二本襖の給仕口
茶道口と並んで二本襖の給仕口があります。
使い勝手がよさそうですが、当時としては大変珍しいそうです。
二本襖の茶席は、清洲城から名古屋城内へ移築された
「猿面茶室」(第二次世界大戦中に焼失)にも見られました。
「猿面茶室」の名の由来は、床柱上方の手斧目の両脇に
節が二つ出ており、それが猿の面のように見え、
織田信長が秀吉の顔にそっくりだと言ったとか。
信長が清洲城内で古田織部に作らせたと伝えられていますが、
一説によると織田有楽作とも・・・。
さて、茶会で二本襖をどのように使おうかしら? 思案中です。
④客座と点前座
点前座に袖壁をつくり、客座と一線を画しています。
さらに客座三畳の天井は一面の竿縁天井ですが、
台目の点前座の天井だけ掛込天井になっています。
⑤構造材の違い
窓の方立(ほうだて)に竹ではなく、
削り木を使っています。
天井の竿縁も竹ではなく、削り木ですし、
台目構えの釣棚にも吊り竹が省かれています。
・・・構造材や化粧材に竹を極力使わないことで
何かの「竹」を際立たせたかったのでしょうか?
それは窓ごとに意匠が違う竹格子でしょうか?
それとも、外の竹の景でしょうか?
何度も移築されているので、外の景色は今と違っていますが・・。
有楽作と伝わる国宝「如庵」の床柱は竹だそうです
(残念ながら写真でしか席中を拝見していません)。
それから竹を詰め打ちした点前座にある二つの「有楽窓」、
竹の美、明りの美、有楽の独創性に眼を見張ります。
「如庵」へ至る過程の九窓であり、茶室だったのでしょうか?
想像をたくましくして、あれこれ胸を躍らせています。
これら見所を念頭に、春草廬での一服を楽しんで頂ける
茶会ができれば・・・嬉しいです。
名古屋からDさんも参席してくださるとのこと、
これまた嬉しいことです。
(前へ) 春草廬・有楽茶会 (1)へ


参考書:「数奇屋と五十年」中村昌生著(淡交社)
「茶室と露地」監修・中村昌生(小学館)
「三渓園100周年原三渓が描いた風景」(三渓園保勝会)
写真は、春草廬に付随している広間です。
③二本襖の給仕口
茶道口と並んで二本襖の給仕口があります。
使い勝手がよさそうですが、当時としては大変珍しいそうです。
二本襖の茶席は、清洲城から名古屋城内へ移築された
「猿面茶室」(第二次世界大戦中に焼失)にも見られました。
「猿面茶室」の名の由来は、床柱上方の手斧目の両脇に
節が二つ出ており、それが猿の面のように見え、
織田信長が秀吉の顔にそっくりだと言ったとか。
信長が清洲城内で古田織部に作らせたと伝えられていますが、
一説によると織田有楽作とも・・・。
さて、茶会で二本襖をどのように使おうかしら? 思案中です。
④客座と点前座
点前座に袖壁をつくり、客座と一線を画しています。
さらに客座三畳の天井は一面の竿縁天井ですが、
台目の点前座の天井だけ掛込天井になっています。
⑤構造材の違い
窓の方立(ほうだて)に竹ではなく、
削り木を使っています。
天井の竿縁も竹ではなく、削り木ですし、
台目構えの釣棚にも吊り竹が省かれています。
・・・構造材や化粧材に竹を極力使わないことで
何かの「竹」を際立たせたかったのでしょうか?
それは窓ごとに意匠が違う竹格子でしょうか?
それとも、外の竹の景でしょうか?
何度も移築されているので、外の景色は今と違っていますが・・。
有楽作と伝わる国宝「如庵」の床柱は竹だそうです
(残念ながら写真でしか席中を拝見していません)。
それから竹を詰め打ちした点前座にある二つの「有楽窓」、
竹の美、明りの美、有楽の独創性に眼を見張ります。
「如庵」へ至る過程の九窓であり、茶室だったのでしょうか?
想像をたくましくして、あれこれ胸を躍らせています。
これら見所を念頭に、春草廬での一服を楽しんで頂ける
茶会ができれば・・・嬉しいです。
名古屋からDさんも参席してくださるとのこと、
これまた嬉しいことです。
(前へ) 春草廬・有楽茶会 (1)へ


参考書:「数奇屋と五十年」中村昌生著(淡交社)
「茶室と露地」監修・中村昌生(小学館)
「三渓園100周年原三渓が描いた風景」(三渓園保勝会)
写真は、春草廬に付随している広間です。