麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第165回)

2009-04-05 19:55:55 | Weblog
4月5日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「風景をまきとる人」に、また書き加えたい箇所が出てきました。
シチュエーションも、意図も、別に何も変わりませんが、ただ2行ほど、説明の足りないところを見つけてしまったのです。
それだけで、また落ち込んでいました。当然気づいていいところなのに、やっぱりあせっていたんですね。まあ、もう死ぬまでに決定稿にするよう、やってみるだけです。



新潮文庫から、ポーの短編の新訳が出ました。
「黒猫」と「ウィリアム・ウィルソン」を読みましたが、ちょっと、「?」という感じ。それが、ひさしぶりにポーを読んだせいなのか、訳文のせいなのか、すぐにはわかりませんでした。「これって、こういう書き方だったっけ」と、読みながら何度も自問しました。なんだか、ラヴクラフトの小説と(以前はそう感じなかったのに)似ているな、と思いました。もちろん、ラヴクラフトはポーの後継者を自任していたわけだから、その作品がポーに似ているのは当然だとして、ご本尊が弟子に似ていると感じたのは初めてです。

要するに、ちょっとがっかりしました。
それで、なんとなく、「これはどうだろう」と試してみたくて、ほぼ同時代の作家、ワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」を読み直しました。結果、いままでとまったく同じ感想。完璧な創作。イカボッド・クレーンの、失恋して沈みこんだ気持ちと、田舎の夜の森の描写とが溶け合って、怪異が登場するのに十分な雰囲気を織り上げていくクライマックス。しかも、本当に起こったことは喜劇的なイタズラだったという暗示的タネあかしもあり、おかしみもある。また、哀れな男を喜劇的に扱いながらも、作者の同情もしっかり伝わってくる。もう一度言いたい、「完璧な創作」。人間世界が続いていく限り読まれ続ける、一見古臭いが、その実いつまでも古びない小説。絶対無理ですが、こんな作品が書けたら、その瞬間に死んで本望でしょう。(ワシントン・アーヴィングも、そのすべてが傑作というわけではなく、この作品が頂点だと思います。)

たぶん、訳文のせいではありません。
あらためて考えてみると、ポーは40歳で死んだ人。すべての作品は、20~30歳代のもの。もちろん、その若さであれだけのものを書けるのは天才に違いありません。
ただ、50近くまで生き延びてしまった凡夫には、もうポーの小説は、「これからも再読したいリスト」からは外れていくと思います。これらは、若い読者にこそ読まれるべきで、そこには、もはや私が必要とするものはなにもなさそうです。(「ユリイカ」は別だと思います。)

しかし、ワシントン・アーヴィングの作品を「もういいいや」と思うことは死ぬまでないことでしょう。



では、また来週。
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