麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第523回)

2016-04-03 22:23:13 | Weblog
4月3日

昨日は、神保町は古本まつりでした(知らずにでかけたのですが)。
しかし、なにも買わずに帰ってきました。
筑摩の世界古典文学全集の、私が大学生のころ再版になったきれいな本が、ある書店に並んでいて、30代のころなら片っ端から買ったに違いないのですが、もはや買っても読む時間があるかどうかわからず、また、いつ収入がなくなるかもしれないという事情もあって、見るだけであきらめました。

最近は神保町の古本屋でさえ(古本まつりでなくても)土日にやっているところが増えました。昔では考えられないこと。便利になったのはありがたいですが、あのプライドの高かった街の雰囲気もなつかしい。26~27歳ごろ、数カ月、九段下の俎橋が職場だったことがあります。一週間くらい編集部に泊まり込みで仕事をすることもざらだったのですが、夜中になにか飲み食いしたいときはとても困りました。九段下には当時は何もなく(飲み屋は一二軒あったのでしょうが、私には無関係なので)、神保町にもコンビニ、ファミレス、深夜喫茶もなくて、大げさに言うと、靖国通りを水道橋のほうに左折してしばらく歩かなければ明かりさえないような感じでした(ものすごく腹が減ったときは、「キッチン南海」の残飯でもいいから食いたいとよく思いました)。そんなとき、おろされた古本屋のシャッターの前を過ぎると、こんな声が聞こえてくるようでした。「いま、私たち『知性』は眠りにつく時間なのだ。こんな時間にこの街を徘徊するおまえは獣か犯罪者か」と。犯罪者ではもちろんありませんが(だと思います)、当時の自分が限りなく獣に近かったのはたしかでしょう。だいたい着替えてもいないのですから、においは完全に獣です。ただ、獣と違うところは、自分がいま獣だという自覚を忘れたことはなかったということ。だから、昼間に時間があるときも、学生時代には高田馬場と同様慣れ親しんだ古本屋の店内に一歩も足を踏み入れませんでした。――しばらくして恵比寿が職場になり、仕事も生活も獣指数が下がり、とりあえず毎日風呂に入って着替えるようになると、今度は毎日のように昼古本屋に寄り、それから職場に入るという生活が10年続くことになりました――夕方は6時にさっさとシャッターを下ろし、土日は当然のごとく休んでいた古本屋街。本の値段を見ても、いまその経営が大変なのはよくわかります。どの店ももはやプライドなど持っていられなくなってきているのでしょう。実用と効率。それのみが大切とされ、金にならない教養は軽視される。そういう時代なのでしょう。――いつも不思議に思うのですが、そんなに効率が大事ならなぜ子供なんか作るんでしょうね。だって最も効率的なことは「生まれてこないこと」でしょう? 生まれてこなければ病気になることもないし、死ぬこともない。また、その二つを心配することもないのですから。本当に不思議です――しかし、神保町よ、なんとかこのクソみたいな時代を生き延びてください。私はもうすぐくたばりますが、そのあとにまた、正常な感覚を持つ人間らしい人間の時代はきっとくるでしょう。その時代の人たちに贈り物を届けるために。――それとは関係ないけど、開店当初から知っている「ボーイズ」よ、私は貴店のハムピラフの復活を熱望しています。
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