3月1日
新潮文庫から村上春樹訳の「フラニーとズーイ(ゾーイー)」が出たようですね。なかなか改版にならないと思っていたらそういうことだったのですね。でも、なにかサリンジャーと村上春樹はミスマッチな気がして、「ライ麦」のときもそうでしたが、読まないつもりです。フィッツジェラルド作品の訳がいいのはわかりますが、村上春樹にホールデンやグラース家の人々のドン・キホーテ的な「過剰」への共感があるのか。「彼女と寝た。」というような表現をよしとする物書きが、批判的な視点なしにこっけいさを日本語に移せるのか。とても疑問ですね。私のように感じるサリンジャーファンもたぶん多いと思います。まあ、村上春樹訳「シーモアー序章ー」は絶対に出ないでしょうね。出しても売れそうにない作品だから。もし、その骨折り仕事をやるところまでいくのなら、2作の既訳も読んでみようと思います。ノーベル賞候補作家に対して、ゴミのような人間のゴミのような反感を書いてみました。
新潮文庫から村上春樹訳の「フラニーとズーイ(ゾーイー)」が出たようですね。なかなか改版にならないと思っていたらそういうことだったのですね。でも、なにかサリンジャーと村上春樹はミスマッチな気がして、「ライ麦」のときもそうでしたが、読まないつもりです。フィッツジェラルド作品の訳がいいのはわかりますが、村上春樹にホールデンやグラース家の人々のドン・キホーテ的な「過剰」への共感があるのか。「彼女と寝た。」というような表現をよしとする物書きが、批判的な視点なしにこっけいさを日本語に移せるのか。とても疑問ですね。私のように感じるサリンジャーファンもたぶん多いと思います。まあ、村上春樹訳「シーモアー序章ー」は絶対に出ないでしょうね。出しても売れそうにない作品だから。もし、その骨折り仕事をやるところまでいくのなら、2作の既訳も読んでみようと思います。ノーベル賞候補作家に対して、ゴミのような人間のゴミのような反感を書いてみました。