最初の土曜日がやってきました。
今日から週に一回の予定で、『風景をまきとる人』を連載のような形でお送りし、また、短編をひとつ併載させていただきます。
まずは、なんといっても、自己紹介を、遅ればせながら、させていただくべきですよね。といいつつ、「、」ばかりが並ぶのも、私があまりそんなことをしたくないという心の表れだと思います。
しかし、やはり、何もそういうことをしないのも失礼かもしれないと考え、書きます。
麻里布栄は、もちろんペンネームです。
麻里布とは、私の生まれた町の名前、栄は母の名前です。
戸籍にも書いてありますが、私は麻里布町一丁目で母の股から生まれました。
ですから、このペンネームは、自分にとって、「ゼロ地点」というような意味になるかと思います。
性別は男。1959年11月生まれです。
父方の薩摩地方の血と母方の中国地方の血を併せ持つ混血児です。
小学校から高校まで、地方の公立校に通い、地元で1年浪人したあと、東京の私立大学に入学し、上京しました。2年留年し、社会に出てからは、30代の半ばまでは主に編集者として飯を食っていました。そのあとは、ほぼ、『風景をまきとる人』を書くことと、それを本にすることに費やしたといっても過言ではありません。
これが、だいたいのプロフィールです。
もう少し、内面的なことを書けば、高校2年生の前半まで、およそ文学とは縁のない人間で、好きな科目は唯一数学、趣味は音楽でした。
高2の半ば以降、急に文学が好きになり(よくあるパターンだと思います)、文系に鞍替えしたかったのですが、すでにコースは理系で決まっており変更は不可。そのせいもあって、学校に行かなくなったり、出席しても2限で帰るなどという生活が続き、何とか進級できましたが、卒業時には2科目追試を受けました。
1年後、第一志望の大学に受かったのはいいのですが、1限が8時20分開始ということにまず驚き、続けて大学が出席を取るということにも驚き(私は、文学部というところは1年中本を読んでいれば卒業できると思っていたのです)、あわわと思っているうちに、3年が過ぎていきました。しかし、そうやって教養課程で留年している間に少しずつやりたい勉強が見えて、専門に進級してからは、自分でも驚くほど勉強しました。強制されない勉強はとても楽しかったです。
学生当時から、やはり、文学部の学生ですから、自分で何か書いてみたいと思い、何度かやってみましたが、当時は原稿用紙2枚以上の文章をつづるのは私にとって至難の業でした。たぶん、少し神経症的な病気だったと思うのですが、「僕は、今日とんかつを食べた」というような単純な文を書くのさえ、「『僕』とは、なんのことだ? おまえはその意味をわかりながら書いているのか」などと疑念がわき、『僕』という概念は何なのかということを考えているうちに、一文字も進まなくなるのです。
このような状態から、なんとか脱出したいと思い、やり始めたリハビリは、寝ている間に見た夢を書くことでした。
夢に出てくる風景や人物は、たしかに、元々は私が作り出したものなのでしょうが、その、元になった経験と、夢の世界の因果関係は、無意識の領域内に隠されていて知ることはできません。それをいいことに、私は、「それはどういう意味なのか」という自分自身の突っ込みに、「知らないよ、意味なんか。夢で見たんだから」と言い訳をすることで、少しずつまた文が書けるようになりました。
(このころ書いた短編もこれから、載せていくつもりです)
仕事に就いてからは、自分では「さらなるリハビリ」と称し、ありとあらゆる文章を書きなぐり、書き捨てました。もちろん、そうしないと生活できなかったから、というのも事実ですが、そうすることで、文章に厳密な突っ込みをする自分を抹殺し、その代わりに三流ジャーナリストとしての、「書きゃいいんだよ。埋めりゃいいんだよ」というニヒリスティックなキャラを自分の中に作り上げ、そいつに奉仕するマゾ的自分を楽しむ……。なんだかそんな復讐的な動機で「書くこと」に接していたように思います。自分を苦しめるだけ苦しめ、そのくせ才能は与えてくれなかった文章の神に対する復讐的な気持ちで。
当然、文学に対する考えも変わっていきました。出版の世界にいると、さまざまな仕掛けが見えてきます。いやらしい話もいろいろ聞きます。近くで見もします。「どんな文学書も商品に過ぎない」。いつのまにか私の中のニヒリスト・ジャーナリストは、私の全部をのっとって、そう言い始めていました。
また、大人になった私には、以前にもまして、作家の、その作品を書いた動機が見えるようになり、その動機がどうやら最終的には、どれもこれも自分の自慢なのだと考えるにいたって、作ろうとしている人すべてに、うんざりしました。
作家たちのことを、まるで「自分キチガイ」のような人間の集団がいる、というふうにしか感じられなくなっていったのです。
……長くなりすぎました。
この続きはまた来週。
今回、掲載します短編は『絵本』という童話です。23歳ころ書いたもので、ノートに殴り書きで一気に最後まで書き、いまだにどこも直す必要を感じないという、唯一の作品です。
短編のほうは、『夢』、『童話』、『詩(の様なもの)』、『その他』に分けられるような感じです。ランダムに提出していくつもりです。
それでは、『絵本』と、『風景をまきとる人 第一回』をよろしくお願いします。
麻里布栄
今日から週に一回の予定で、『風景をまきとる人』を連載のような形でお送りし、また、短編をひとつ併載させていただきます。
まずは、なんといっても、自己紹介を、遅ればせながら、させていただくべきですよね。といいつつ、「、」ばかりが並ぶのも、私があまりそんなことをしたくないという心の表れだと思います。
しかし、やはり、何もそういうことをしないのも失礼かもしれないと考え、書きます。
麻里布栄は、もちろんペンネームです。
麻里布とは、私の生まれた町の名前、栄は母の名前です。
戸籍にも書いてありますが、私は麻里布町一丁目で母の股から生まれました。
ですから、このペンネームは、自分にとって、「ゼロ地点」というような意味になるかと思います。
性別は男。1959年11月生まれです。
父方の薩摩地方の血と母方の中国地方の血を併せ持つ混血児です。
小学校から高校まで、地方の公立校に通い、地元で1年浪人したあと、東京の私立大学に入学し、上京しました。2年留年し、社会に出てからは、30代の半ばまでは主に編集者として飯を食っていました。そのあとは、ほぼ、『風景をまきとる人』を書くことと、それを本にすることに費やしたといっても過言ではありません。
これが、だいたいのプロフィールです。
もう少し、内面的なことを書けば、高校2年生の前半まで、およそ文学とは縁のない人間で、好きな科目は唯一数学、趣味は音楽でした。
高2の半ば以降、急に文学が好きになり(よくあるパターンだと思います)、文系に鞍替えしたかったのですが、すでにコースは理系で決まっており変更は不可。そのせいもあって、学校に行かなくなったり、出席しても2限で帰るなどという生活が続き、何とか進級できましたが、卒業時には2科目追試を受けました。
1年後、第一志望の大学に受かったのはいいのですが、1限が8時20分開始ということにまず驚き、続けて大学が出席を取るということにも驚き(私は、文学部というところは1年中本を読んでいれば卒業できると思っていたのです)、あわわと思っているうちに、3年が過ぎていきました。しかし、そうやって教養課程で留年している間に少しずつやりたい勉強が見えて、専門に進級してからは、自分でも驚くほど勉強しました。強制されない勉強はとても楽しかったです。
学生当時から、やはり、文学部の学生ですから、自分で何か書いてみたいと思い、何度かやってみましたが、当時は原稿用紙2枚以上の文章をつづるのは私にとって至難の業でした。たぶん、少し神経症的な病気だったと思うのですが、「僕は、今日とんかつを食べた」というような単純な文を書くのさえ、「『僕』とは、なんのことだ? おまえはその意味をわかりながら書いているのか」などと疑念がわき、『僕』という概念は何なのかということを考えているうちに、一文字も進まなくなるのです。
このような状態から、なんとか脱出したいと思い、やり始めたリハビリは、寝ている間に見た夢を書くことでした。
夢に出てくる風景や人物は、たしかに、元々は私が作り出したものなのでしょうが、その、元になった経験と、夢の世界の因果関係は、無意識の領域内に隠されていて知ることはできません。それをいいことに、私は、「それはどういう意味なのか」という自分自身の突っ込みに、「知らないよ、意味なんか。夢で見たんだから」と言い訳をすることで、少しずつまた文が書けるようになりました。
(このころ書いた短編もこれから、載せていくつもりです)
仕事に就いてからは、自分では「さらなるリハビリ」と称し、ありとあらゆる文章を書きなぐり、書き捨てました。もちろん、そうしないと生活できなかったから、というのも事実ですが、そうすることで、文章に厳密な突っ込みをする自分を抹殺し、その代わりに三流ジャーナリストとしての、「書きゃいいんだよ。埋めりゃいいんだよ」というニヒリスティックなキャラを自分の中に作り上げ、そいつに奉仕するマゾ的自分を楽しむ……。なんだかそんな復讐的な動機で「書くこと」に接していたように思います。自分を苦しめるだけ苦しめ、そのくせ才能は与えてくれなかった文章の神に対する復讐的な気持ちで。
当然、文学に対する考えも変わっていきました。出版の世界にいると、さまざまな仕掛けが見えてきます。いやらしい話もいろいろ聞きます。近くで見もします。「どんな文学書も商品に過ぎない」。いつのまにか私の中のニヒリスト・ジャーナリストは、私の全部をのっとって、そう言い始めていました。
また、大人になった私には、以前にもまして、作家の、その作品を書いた動機が見えるようになり、その動機がどうやら最終的には、どれもこれも自分の自慢なのだと考えるにいたって、作ろうとしている人すべてに、うんざりしました。
作家たちのことを、まるで「自分キチガイ」のような人間の集団がいる、というふうにしか感じられなくなっていったのです。
……長くなりすぎました。
この続きはまた来週。
今回、掲載します短編は『絵本』という童話です。23歳ころ書いたもので、ノートに殴り書きで一気に最後まで書き、いまだにどこも直す必要を感じないという、唯一の作品です。
短編のほうは、『夢』、『童話』、『詩(の様なもの)』、『その他』に分けられるような感じです。ランダムに提出していくつもりです。
それでは、『絵本』と、『風景をまきとる人 第一回』をよろしくお願いします。
麻里布栄