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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

夏休み前の定期テスト そして 『わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。しかし、彼らは聞き従わなかった。』

2020-07-27 19:41:37 | 娘と娘家族
7月27日。月曜日。曇り。

 夏休み前。
 
     学生さん達は・・・       『期末テスト』
 
          
  孫娘が、コロナ禍で休校も多く中間テストもなく、今日から、いっきに『期末テスト』です。
             初めての経験の『期末テスト』

        昨夜に 「今日は8時間以上勉強したよ」 とメールがあり、
            孫娘の緊張度が伝わってきました。


私には忘れられない中学時代の友人がいます。
超美人。超スタイル良し。超性格良し。超優しい。そして超頭良し。
正に、非の打ち所のない、天才女性でした。
当然のごとくに
トップの都立高校入学。トップの大学入学。そして留学。
国会議員になられました。


       私には、その友人と私の『会話』で、忘れられない思い出があります。

     中学の『定期テスト』の時に・・・
     「どこが出ると思う? どこに山をかけて勉強する?」 と、聞いた私。
     『あら、山をかけるの? すべて覚えるのじゃないの?』 と、スラッと返事をした友人でした。

           私は、その時に悟ったのです。

        『何事にも優れている人』というのは・・・
        天才というよりは、
        落ち着いて、淡々と、黙々と、丁寧に、
        『今やるべきことをまじめにこなす人』 のことである。
        山を掛けて、一部だけの勉強で済ませようなんてことは、頭にもよぎらないのでしょう。


         『一部をいい加減にサボって、 その結果を満足できるのですか?
        全部をこなして後にこそ、 その結果に満足できるのではないのかな。』



              忘れられない中学生の『友人の言葉』
          今でも、私の人生の『あり方』に繋がっているのです。


              孫娘にも教えてある『友人の言葉』
       「やるべきことはやったわ。 これで安心して寝るね。」 と、昨夜の孫娘。
   「やるべきことが終わったら、自信となって、明日は大丈夫ね。」 と、私は返事をしました。

           
      人生には、 人の一生を左右する素晴らしい『出会い』、 があるものですね。
                                  感謝!感謝!



そして。

今日は7月27日。年間第十七月曜日。


『今日の入祭唱』

    『主に感謝をささげ、 その名をたたえよ。
 主は恵み深く、慈しみはとこしえに、 主の真実は代々に及ぶ。』

        詩編 100章4&5節


そして。

『今日の第一朗読 神の警告』

   
        『主は わたし(エレミア)に こう言われる。
    
                『エレミア』    ミケランジェロ作品

     「麻の帯を買い、それを腰に締めよ。 水で洗ってはならない。」
わたしは主の言葉に従って、
       帯を買い、腰に締めた。
主の言葉が再びわたしに臨んだ。

         「あなたが買って腰に締めたあの帯をはずし、
     立ってユーフラテスに行き、 そこで帯を岩の裂け目に隠しなさい。」
    

そこで、わたしは主が命じられたように、ユーフラテスに行き、帯を隠した。
多くの月日がたった後、
主はわたしに言われた。
    「立って、ユーフラテスに行き、かつて隠しておくように命じたあの帯を取り出しなさい。」
わたしはユーフラテスに行き、
    隠しておいた帯を探し出した。 見よ、帯は腐り、全く役に立たなくなっていた。


主の言葉がわたしに臨んだ。 主はこう言われる。
     「このように、 わたしはユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。
        この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、
          かたくなな心のままにふるまっている。

      また、
    彼らは他の神々に従って歩み、 それに仕え、 それにひれ伏している。
         彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。

           人が帯を腰にしっかり着けるように、
    わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、
  わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。

           しかし、彼らは聞き従わなかった」
  と主は言われる。』
             エレミヤ書 13章1-11節



       今日語られる『神の言葉』は、 誠に厳しい『告発の言葉』です。

当初。

 神は『ご自分の体を支える帯』のように、しっかりと、イスラエルを、『腰に巻き付けられた』 のです。
      主のお気持ちは、
     『わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、
       わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った』
 のです。

ところが。

 イスラエルの民は、
            神が『告発』なさるとおりに、
  『神の言葉に聞き従うことを拒み、 かたくなな心のままにふるまっている。
   また、彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏している。
      彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。』
 のです。

 
   『イスラエルの使命』は、
     神の愛の応えて・・・
     神が肌身離さず用いられる 『主の腰帯』 として、生きることでした。

しかし。

    イスラエルの民は
        エレミヤが神の命じられた通り、岩の裂け目に隠しておいた帯が、
        数ヶ月後に・・・
        取り出すと、帯は腐り、全く役に立たなくなっていたように、
    『他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏し
           全く役に立たないこの帯のようになった』
  のです。


      神は、
   『エレミヤの帯』の教訓から、
   『神の民イスラエルは、神の帯として全く役に立たない、腐った帯となっている』ことを、
          エレミアに明らかにされたのです。
     エレミアに、イスラエルの民に『背信』を告げ、『回心』を呼びかけるように、と言ったのです。


       神の『厳しい言葉』は、 『神の警告』 であったのです。

神の『警告』にもかかわらず・・・

紀元前627年~587年。
    エレミヤが活躍した時代に、 エルサレムは滅亡へと急速に転落していくのです。

  紀元前605年。 ユダの国はバビロンに、 征服され滅び去り、 掌握されたのです。
 
            『イスラエルのバビロン捕囚』

  紀元前587年。 エルサレムの滅亡をみたエレミアは、エジプトへ連行されるのです。


    それでも。
    『神の御心』は、いつも、変わることがないのです。
 『イスラエルの民(すべての人)を、わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう。』
               ・・・と、お望みなのです。


      私たちは、
      心の弱い者であること、 神を離れては道に迷いやすいこと、 を自覚し、
         いつも 『回心』 を繰り返し、
      『神の帯』として、 あたえられた『使命』を
         落ち着いて、淡々と、黙々と、丁寧に、 果たしたいものですね。



『今日の祈願』

    『全能の神よ、
信じる人々が、あなたにふさわしい礼拝を捧げることができるのはあなたの恵みによるものです。
   わたしたちが、約束された国に向かってともに歩むことができますように。』



 
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人にわずらわされることなく、人をうらやむことなく、自分の使命を果たしたいですね。
長雨にもめげずに穏やかな明日でありますように。  お元気で!