7月26日。土曜日。曇りときどき雨。
コロナ禍で
旅行はお預け。
旅行再開の日を迎えたら、
行きたい所に
優先的に行っておく方が
良いのかもしれませんね。
私が行きたい所は。
キリスト教三大巡礼地・・・『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』

私が歩きたい道は 『トゥールーズの道』
世界中からの巡礼者が、 年間35万人、1500kmの巡礼路、 徒歩で歩くのです。
フランスからピレネー山脈を越えて、 スペインの巡礼の拠点の街を目指すのです。
私は、 自分の信仰生活とアスリート生活の集大成として歩きたいと、 長年の願いです。
巡礼は、聖地への旅の過程において、人々は「神との繋がり」を再認識し、信仰を強化するのです。
幸いに、私は、キリスト教三大巡礼地の二つを訪れ、
『神との繋がり』を認識させていただきました。
最後の一つ:サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼で、三つを制覇して、
『神の存在』を確信して、自分の信仰を現実として確信するのです。
目的地は・・・ 『サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂』

『聖ヤコブの墓』
42年頃。 聖ヤコブは、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、
エルサレムで殉教。
殉教の771年後。
813年。 ヤコブの遺体が、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で
”奇跡的に発見された”。 これを記念してその墓の上に大聖堂が建てられた。
旅を重ねてきた私だったが、
コロナ禍のお陰で、
1月早々の東京旅行を最後に
6ヶ月間の外出自粛生活である。
ある日突然に
日常の茶飯事が終わるときが来る
と思い知らされました。
私の場合の自粛の日々は、
コロナ禍に限らず、 年を重ねる現実が、
今までの日常の茶飯事に終わリを告げるとき、が突然に来る。
老齢なりの使命に恥じない日々にシフトしていくとき、が必ず来る。
と納得する、大事な時間となっています。
神様の御心なら・・・
私は、私の長年の『夢』がかなえられ、『トゥールーズの道』 を歩むことでしょう。
皆様! 素敵な、格好いい老人、になりたいものですね。
がんばりましょう。
皆様は、老人にはほど遠くお若いお方なら、沢山の旅を楽しんでください!
そして。
今日は7月25日。年間第十六土曜日。
『聖ヤコブ使徒 祝日』

『ヤコブ』 エル・グレコ作品
ゼベダイの子ヤコブは、イエスの使徒の一人で、
使徒ヨハネの兄弟である。
ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共に
ガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、
そのまま父と雇い人を残して、ヨハネと共に弟子になった。
彼ら二人は「ボアネルゲス」(雷の子ら)とよばれた。
ヤコブは キリストが大切な奇跡を行う場に居合わせ、
エルサレム教会において中心的な立場を占めていた。
44年頃。 ヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教した。
『今日の入祭唱』
『イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、
船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

彼らをお呼びになった。
この二人はすぐに、 船と父親とを残してイエスに従った。』
マタイ福音書 4章18&21-22節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、
その二人の息子 と一緒に
イエスのところに来て、

ひれ伏し、 何かを願おうとした。
イエスが、 「何が望みか」 と言われると、
彼女は言った。 「王座にお着きになるとき、
この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
イエスはお答えになった。 「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」
二人が、 「できます」 と言うと、
イエスは言われた。 「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。
しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
ほかの十人の者はこれを聞いて、 この二人の兄弟のことで 腹を立てた。
そこで、
イエスは一同を呼び寄せて言われた。
「あなたがたも知っているように、
異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。
あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
マタイ福音書 20章20-28節
世の母親は、子どもの出世を願うものなのかもしれませんね。
ヤコブの母の気持ちもわからないではないような・・・。
でも。 上司のイエス様に、 息子の出世を直接に談判に伺うとは、 なんと!
更に。 ヤコブ兄弟以外の12人の弟子は、ヤコブの先駆けを許せないとばかりに、二人にいきどうります。
考えられないような・・・場面です。
ところが。
当然。
イエス様のお考えは別です。
イエス様は、以前に、弟子たちに3回も、 『お話し』 していたのです。
『私は、苦しみ=杯 を受けることになる。』 と。
弟子たちは、 イエス様の『お話し』を理解することはできず、
イエスは、 『偉い人』、『王』 になると考えていたのです。
そこで、 ヤコブ兄弟は、イエスのそばの『特別席』を頼んだのです。
イエス様は、この際に、弟子達に、
ご自分 と 弟子たちの これからを詳しく『話』をなさいました。
『イエス自身が、先に苦しみを受けて、苦しみを通して、 『栄光』 に入る予定である。
同様に。
弟子たちも、同じように、先に苦しみを受け、苦しみを通して、『栄光』に入るのである。』
イエス様は、 御父に従順で、
御父が望まれたとおりに、 『十字架の苦しみ』 を果たされて後、

『栄光』 に入られたのです。
同様に。 弟子たちも、イエスの従順に倣って後に、 『栄光』 の席に着くのです。
弟子たち全員は、 イエスのそばで、 『偉い人』になることを望んでいたのです。
イエスは、 そんな弟子たちの気持ちが分かり、 『忠告』をしたのです。
『あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。』
イエスご自身が、神の身でありながら・・・
『この世の民に仕えるために』 御父・神から、この世に派遣され、
人々に棄てられるまで、 『人に仕える者』 であられたのです。
弟子たちは、 イエスの『話』を聞き、 イエスの『十字架』を見て・・・
初めて、『イエスの話』を理解することができました。
イエスのために、『苦しみ』を受けることができました。
私たちも、イエスの復活を知っているので、
『苦しみ』においても、 イエス様が共に支えてくださると、 『苦しみ』を乗り越えていきましょう。
『今日の祈願』
『聖なる父よ、御子イエスが受けられた苦しみの洗礼によってわたしたちを清めてください。
殉教したヤコブを祝うわたしたちが、み心にかなう供え物を捧げることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍が終息したら、何をやりましょう!と、『希望』を持っていましょうね。
『希望』は、何をも我慢できる、『力』です。 お元気で!
コロナ禍で
旅行はお預け。
旅行再開の日を迎えたら、
行きたい所に
優先的に行っておく方が
良いのかもしれませんね。
私が行きたい所は。
キリスト教三大巡礼地・・・『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』

私が歩きたい道は 『トゥールーズの道』
世界中からの巡礼者が、 年間35万人、1500kmの巡礼路、 徒歩で歩くのです。
フランスからピレネー山脈を越えて、 スペインの巡礼の拠点の街を目指すのです。
私は、 自分の信仰生活とアスリート生活の集大成として歩きたいと、 長年の願いです。
巡礼は、聖地への旅の過程において、人々は「神との繋がり」を再認識し、信仰を強化するのです。
幸いに、私は、キリスト教三大巡礼地の二つを訪れ、
『神との繋がり』を認識させていただきました。
最後の一つ:サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼で、三つを制覇して、
『神の存在』を確信して、自分の信仰を現実として確信するのです。
目的地は・・・ 『サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂』

『聖ヤコブの墓』
42年頃。 聖ヤコブは、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、
エルサレムで殉教。
殉教の771年後。
813年。 ヤコブの遺体が、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で
”奇跡的に発見された”。 これを記念してその墓の上に大聖堂が建てられた。
旅を重ねてきた私だったが、
コロナ禍のお陰で、
1月早々の東京旅行を最後に
6ヶ月間の外出自粛生活である。
ある日突然に
日常の茶飯事が終わるときが来る
と思い知らされました。
私の場合の自粛の日々は、
コロナ禍に限らず、 年を重ねる現実が、


と納得する、大事な時間となっています。
神様の御心なら・・・
私は、私の長年の『夢』がかなえられ、『トゥールーズの道』 を歩むことでしょう。
皆様! 素敵な、格好いい老人、になりたいものですね。
がんばりましょう。
皆様は、老人にはほど遠くお若いお方なら、沢山の旅を楽しんでください!
そして。
今日は7月25日。年間第十六土曜日。
『聖ヤコブ使徒 祝日』

『ヤコブ』 エル・グレコ作品
ゼベダイの子ヤコブは、イエスの使徒の一人で、
使徒ヨハネの兄弟である。
ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共に
ガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、
そのまま父と雇い人を残して、ヨハネと共に弟子になった。
彼ら二人は「ボアネルゲス」(雷の子ら)とよばれた。
ヤコブは キリストが大切な奇跡を行う場に居合わせ、
エルサレム教会において中心的な立場を占めていた。
44年頃。 ヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教した。
『今日の入祭唱』
『イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、
船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

彼らをお呼びになった。
この二人はすぐに、 船と父親とを残してイエスに従った。』
マタイ福音書 4章18&21-22節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、
その二人の息子 と一緒に
イエスのところに来て、

ひれ伏し、 何かを願おうとした。
イエスが、 「何が望みか」 と言われると、
彼女は言った。 「王座にお着きになるとき、
この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」
イエスはお答えになった。 「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」
二人が、 「できます」 と言うと、
イエスは言われた。 「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。
しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」
ほかの十人の者はこれを聞いて、 この二人の兄弟のことで 腹を立てた。
そこで、
イエスは一同を呼び寄せて言われた。
「あなたがたも知っているように、
異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。
あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
マタイ福音書 20章20-28節
世の母親は、子どもの出世を願うものなのかもしれませんね。
ヤコブの母の気持ちもわからないではないような・・・。
でも。 上司のイエス様に、 息子の出世を直接に談判に伺うとは、 なんと!
更に。 ヤコブ兄弟以外の12人の弟子は、ヤコブの先駆けを許せないとばかりに、二人にいきどうります。
考えられないような・・・場面です。
ところが。
当然。
イエス様のお考えは別です。
イエス様は、以前に、弟子たちに3回も、 『お話し』 していたのです。
『私は、苦しみ=杯 を受けることになる。』 と。
弟子たちは、 イエス様の『お話し』を理解することはできず、
イエスは、 『偉い人』、『王』 になると考えていたのです。
そこで、 ヤコブ兄弟は、イエスのそばの『特別席』を頼んだのです。
イエス様は、この際に、弟子達に、
ご自分 と 弟子たちの これからを詳しく『話』をなさいました。
『イエス自身が、先に苦しみを受けて、苦しみを通して、 『栄光』 に入る予定である。
同様に。
弟子たちも、同じように、先に苦しみを受け、苦しみを通して、『栄光』に入るのである。』
イエス様は、 御父に従順で、
御父が望まれたとおりに、 『十字架の苦しみ』 を果たされて後、

『栄光』 に入られたのです。
同様に。 弟子たちも、イエスの従順に倣って後に、 『栄光』 の席に着くのです。
弟子たち全員は、 イエスのそばで、 『偉い人』になることを望んでいたのです。
イエスは、 そんな弟子たちの気持ちが分かり、 『忠告』をしたのです。
『あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。』
イエスご自身が、神の身でありながら・・・
『この世の民に仕えるために』 御父・神から、この世に派遣され、
人々に棄てられるまで、 『人に仕える者』 であられたのです。
弟子たちは、 イエスの『話』を聞き、 イエスの『十字架』を見て・・・
初めて、『イエスの話』を理解することができました。
イエスのために、『苦しみ』を受けることができました。
私たちも、イエスの復活を知っているので、
『苦しみ』においても、 イエス様が共に支えてくださると、 『苦しみ』を乗り越えていきましょう。
『今日の祈願』
『聖なる父よ、御子イエスが受けられた苦しみの洗礼によってわたしたちを清めてください。
殉教したヤコブを祝うわたしたちが、み心にかなう供え物を捧げることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍が終息したら、何をやりましょう!と、『希望』を持っていましょうね。
『希望』は、何をも我慢できる、『力』です。 お元気で!