7月16日。木曜日。晴れ。
今朝の小さな出来事です。
今年初めて・・・ 『蝉』

『ハルゼミ』
早朝一番、玄関を開けると、玄関の土間に横たわっていた。
濃い緑:棕櫚の新葉の上に横たえさせた。
『ハルゼミ』を調べてみると・・・
日本では、セミの多くは夏に成虫が現れるが、
和名のとおり、4月末から6月にかけて『発生』する。
日本ではマツクイムシによるマツ林の減少、
さらにマツクイムシ防除の農薬散布も追い討ちをかけ、
『ハルゼミ』の生息地は各地で減少している。
各自治体レベルでの『絶滅危惧種指定』が多い。
セミは、卵→幼虫→成虫という不完全変態をする虫で、
『幼虫』として地下生活する期間は 『3-17年』
『成虫』として生きる期間は 『1か月程度』
であると考えられている。
・・・と書かれていた。
”蝉の死骸を鳥が運んでいて、我が家の玄関前で落としてしまったのだろう”
と、夫は言う。
”17年ものあいだ暗い土の中で成長し、 明るい地上で1ヶ月の命を十分に楽しんだかしら?”
と、私が思うのは、余計なお世話だろうか?
人の『命の喜び』はどこにあるのか? 人それぞれであろう。
私のこととして考えても、
青春時代の 『活動の中で感じた喜び』と、
熟年時代の今 『成熟と沈黙の中で見つける喜び』 ですら、違うのである。
ましてや、蝉の命の喜びを、私が知るよしもない。
せめて、見事に自己離脱させてあげたいと、緑の木の下に葬ってあげました。
今朝の小さな出来事でした。
そして。
今日は7月16日。年間第十五木曜日。
『今日の入祭唱』
『新しい歌を主に向かって歌え。

主は驚くべき御業を成し遂げられた。
主の右手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
詩編 98章1節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは言われた。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』
マタイ福音書 11章28-30節
私たちが担う『軛=十字架』は、 つらい日々や悲しい日々で、 本当に大変です。
人の人生は、 つらい日々と楽しい日々のバランスがとれているのだろうか? と思うほどに、
つらく悲しい日々が続きます。
イエスの時代。
『小さな人々』は、
守らなければならない『律法』は600以上もあったと言われます。
守れるはずはなく、「私には救いがない」 とつらい日々でした。
イエスは、
『600以上の掟』を、ただ一つの『愛の掟』にまとめることができる
と、おっしゃったのです。
『愛の掟』とは、
まずは、 どんな人も神に愛されていると『信じること。』
次に, 『神の愛』に応えるために『人を自分の兄弟として迎える』ことです。
勿論、 『お人を愛する』ことは、 とても難しいことです。
そんな時。
イエス様は、おっしゃるのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。』
イエスは、『あなた方の重荷を、私も一緒に担いましょう。』 と励ますのです。
イエス様は、
私たちの『くびき』を取り除くのではなく、
「私の所においでになれば、

『イエス様と同行二人旅』 をいたしましょう。
軛を軽くしてあげます。 共に歩みましょう。」
と言われるのです。
私も、いつも、 イエス様と『同行二人旅』 をしています。
ご一緒と思うだけで、『軛』が軽くなります。
『今日の祈願』
『全能永遠の神よ、あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、まことの自由に導いてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大雨をもたらす梅雨に終わりを告げ、蝉の鳴く夏を迎えたいですね。
大雨の被害を受けた方々のために何ができるか考えます。 お元気で!
今朝の小さな出来事です。
今年初めて・・・ 『蝉』

『ハルゼミ』
早朝一番、玄関を開けると、玄関の土間に横たわっていた。
濃い緑:棕櫚の新葉の上に横たえさせた。
『ハルゼミ』を調べてみると・・・
日本では、セミの多くは夏に成虫が現れるが、
和名のとおり、4月末から6月にかけて『発生』する。
日本ではマツクイムシによるマツ林の減少、
さらにマツクイムシ防除の農薬散布も追い討ちをかけ、
『ハルゼミ』の生息地は各地で減少している。
各自治体レベルでの『絶滅危惧種指定』が多い。
セミは、卵→幼虫→成虫という不完全変態をする虫で、
『幼虫』として地下生活する期間は 『3-17年』
『成虫』として生きる期間は 『1か月程度』
であると考えられている。
・・・と書かれていた。
”蝉の死骸を鳥が運んでいて、我が家の玄関前で落としてしまったのだろう”
と、夫は言う。
”17年ものあいだ暗い土の中で成長し、 明るい地上で1ヶ月の命を十分に楽しんだかしら?”
と、私が思うのは、余計なお世話だろうか?
人の『命の喜び』はどこにあるのか? 人それぞれであろう。
私のこととして考えても、
青春時代の 『活動の中で感じた喜び』と、
熟年時代の今 『成熟と沈黙の中で見つける喜び』 ですら、違うのである。
ましてや、蝉の命の喜びを、私が知るよしもない。
せめて、見事に自己離脱させてあげたいと、緑の木の下に葬ってあげました。
今朝の小さな出来事でした。
そして。
今日は7月16日。年間第十五木曜日。
『今日の入祭唱』
『新しい歌を主に向かって歌え。

主は驚くべき御業を成し遂げられた。
主の右手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
詩編 98章1節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは言われた。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』
マタイ福音書 11章28-30節
私たちが担う『軛=十字架』は、 つらい日々や悲しい日々で、 本当に大変です。
人の人生は、 つらい日々と楽しい日々のバランスがとれているのだろうか? と思うほどに、
つらく悲しい日々が続きます。
イエスの時代。
『小さな人々』は、
守らなければならない『律法』は600以上もあったと言われます。
守れるはずはなく、「私には救いがない」 とつらい日々でした。
イエスは、
『600以上の掟』を、ただ一つの『愛の掟』にまとめることができる
と、おっしゃったのです。
『愛の掟』とは、
まずは、 どんな人も神に愛されていると『信じること。』
次に, 『神の愛』に応えるために『人を自分の兄弟として迎える』ことです。
勿論、 『お人を愛する』ことは、 とても難しいことです。
そんな時。
イエス様は、おっしゃるのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。』
イエスは、『あなた方の重荷を、私も一緒に担いましょう。』 と励ますのです。
イエス様は、
私たちの『くびき』を取り除くのではなく、
「私の所においでになれば、

『イエス様と同行二人旅』 をいたしましょう。
軛を軽くしてあげます。 共に歩みましょう。」
と言われるのです。
私も、いつも、 イエス様と『同行二人旅』 をしています。
ご一緒と思うだけで、『軛』が軽くなります。
『今日の祈願』
『全能永遠の神よ、あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、まことの自由に導いてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大雨をもたらす梅雨に終わりを告げ、蝉の鳴く夏を迎えたいですね。
大雨の被害を受けた方々のために何ができるか考えます。 お元気で!