鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

楽しい演劇「マニラ瑞穂記」のなかで存在感見せつけたのは終始無言で演じた老婆だった

2014-04-06 | Weblog
 5日は東京・初台の新国立劇場で、演劇「マニラ瑞穂記」を観賞した。演劇を見る時はいつもなんの予断もせずにぶっつけ本番で観賞、せいぜい観る直前にパンフレットを一読するだけで臨むことにしているので、一体何が演じられるか、ワクワクして観客席に座っている。題名からはフィリピンに関係しているとしか想像できなかったが、観ていくうちに実際に1898年にフィリピンのマニラで活躍した日本人の女衒、村岡伊平治を中心に大使館の領事、武官、志士、娼婦がフィリピンの独立をめぐる騒動のなかで右往左往する様をコミカルに描いていて、楽しい演劇であった。
 当時、フィリピンはスペインの統治下にあり、これを米国が奪い取ろうとしていて、これらに反対するフィリピン人が独立運動を起こし、賛同する日本の若者たちが革命支援の志士として加わったりした。日本は日清戦争に勝利を収め、アジアへ覇権を伸ばそうとしている時期にあたり、フィリピンにもなんらの足場を得ようとしていた。そんな思惑が錯綜するなかで、シンガポールからマニラに現れた村岡伊平治は多くの日本人が憩える「マニラ瑞穂館」なるものをつくることを思いつく。瑞穂は日本をほめたたえる言葉で、タイトルのマニラ瑞穂記がそこからきていることを納得させられた。
 幕が上がると、天井から日の丸がぶら下がった部屋らしき舞台が中央にあり、日本の領事館らしい。そこで執務をする武官の脇に日本から来たもって革命の志士を任ずる青年たちが」雑魚寝をしている、そこへ娼婦たちが乗り込んできたり、シンガポールから引き揚げてきた村岡がやってきて、戦乱のフィリピンだ様々な思いが交錯する。
 村岡はマニラ瑞穂館なんるものをつくることを言い出し、実際に建てるが、折りからの戦乱のなかで灰塵に期してしまう。それでも村岡はめげることなく、一方では革命の志士たちを応援し、フィリピンの独立に手を貸すことも辞さない。そんな折りに米国がスペインから2000万ドルでフィリピンを購入することで話がまとまり、日本人は一斉に本国へ戻ることとなった。ただ、村岡は志士を扇動したとして米国軍から追われることとなり、逮捕されることとなる。これに対し、それまで村岡に付いてきた娼婦たちも行動をともにすることとを表明し、何事にもとらわれず奔放に生きる一般庶民の逞しさを浮き彫り彫りさせる。
 途中、武官と村岡が決闘をしたり、米国兵士が娼婦と戯れるシーンがあったりして退屈させないが、なかでも存在感を見せつけたのが領事館のお手伝いを演じた老婆だった。腰の曲がった状態をお盆の上に乗せた水差しをゆっくりと運び来て、交換したり、おしぼりを運んできて領事に渡すのかと思うと村岡に差し出し、その間無言で終始している。領事がフィリピンの山奥から連れてきて使っているとかで、日の丸を見ると君が代を歌うとかで、村岡が「歌え」と命じるしゃ枯れ声で歌ったりして、会場の注目を集めていた。1幕と2幕の終わりでも最後の演技をしていて、稲川実代子という名前を印象つけられた。演劇のなかで舞台回しを務める役柄というものがあるが、こんな舞台回しもあるのだ、と思った次第。
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