鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

残念だった勝新太郎「座頭市」シリーズの放映終了

2012-09-07 | Weblog
 BSフジテレビで連日放映していた勝新太郎の「座頭市」が5日放送分で突如終了した。勝新太郎は「悪名」シリーズとこの「座頭市」が代表作であるが、テレビで1時間ものとしてこんなに放送されていたとは知らず、1年くらい前にBSフジテレビの平日午後3時から毎日放映されていたのを見て、以来ずっとリアルタイムで見られない時はビデオに録って、後刻見ることにしていた。世界一周の際も録画できるだけの時間、「座頭市」だけは録っておき、帰ってからも折りを見て録画を見た。盲目で居合抜きができるなど常識では考えられないストーリーに半信半疑ながら、ついつい魅せられてしまった、というのが本心だった。
 5日に放映された最終回は「夢の橋」と題され、勝慎太郎扮する座頭市が夢のなかで、目が見えるようになり、お風呂に入っているとオカマに寄ってこられて逃げ惑い、挙げ句の果てにやくざ一家に取り囲まれて腕を切り落とされて、瀕死の状態になったところで、目が覚める、というストーリー。目明きになって世の中の醜さを目にして、すっかり剣の腕が鈍ってしまう、という勝新太郎一流の世界観が展開される。この最終回の前は岩崎加根子演ずるさる藩の殿様の奥方の肩を揉むうちにその奥方と睦み合ってしまう、といういままでにない色気のある座頭市を演じていたが、その時の回想シーンも登場した。
 座頭市シリーズは毎回、勝新太郎好みの俳優が演じる気のいい娘や若者と馴染みになり、そこで地回りのやくざ一家となんらかの揉め事が起き、最後は座頭市が立ち回りを演じてバッタバッタとならず者を切り捨てて、音もなく座頭市はその場を去っていく。見終わって「そんな恰好よくいくもんじゃない」と思わせながら終わる。
もちろん、原作の子母沢寛によるところが大きいのだろが、勝新太郎が演じることによって一層人気が高まったことは間違いない。人間の一生で1回あるかないか、という大立ち回りが毎日見られるのだから、爽快である。
 ゲスト俳優は毎回替わるが、見ていると勝新太郎お気に入りの俳優、たとえば石橋蓮司や原田美枝子などは格好よく扱われているが、そうでない俳優は不様な切られ方をして消えていくので、勝新太郎の好みがよくわかる。
 終了間際は森繁久弥が2回連続で登場し、いつになく世相を2人で語り合うシーンなどが見られたほか、いつもなら淡々と展開が進むととろ、珍しく勝新太郎の思いが込められた語りがあったりして、それとなくこれで「座頭市」シリーズも終わり、というメッセージが感じられた。それにしては最終回の「夢の橋」は最後、いつものようにやくざ一家を切り倒した後に、伝馬船に乗り込んで川を下っていくシーンで終わっていた。いつもと終わり方が違う点は何か、勝新太郎は言い残したことがあったのではないか、と思わせた。本当はもっと続けたいのに、身体がもういうことを効かない、という無念の想いさえ感じられた。
 そんなことを思っていたら、かみさんが月に一回、行っているアルバム講習会で、仲間のおばさんたちからも「座頭市」を見ている、と話していたと聞いて、女性陣にも座頭市ファンがいたのだ、と妙なところで感心させられた。
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