17日、今年の年賀状ハガキの抽選番号が発表され、ことしは昨年10月に姉が亡くなり、喪中のハガキを送付したため、それでも送ってもらった年賀状が30枚ばかりしかなく、3等の年賀切手でも当たれば、と思って早速見てみた。年少の頃から切手を集めていたので、毎年年賀切手シートが当たるのを楽しみにしていたので、途絶えるのが悲しいと思ってチェックしたところ、やはり1枚も当たっていなかった。1等から3等までの当籤番号の末尾の数字で当落を判断していったので、終わってから改めてチェックしたところ、なんと2等のふるさと産品が当たっていて、驚いた。
年賀状で年賀切手シート以外のものが当たったのは数十年前に確か当時の1等の暖房マットが当たって以来のことである。ことしの年賀状の発行枚数は14億4千枚で、2003年の44億6千枚の3分の1に減少している、という。そのなかで、3等のふるさと産品が当たるのは1万分の1なので、当選者は全国に14万4千人しかないことになり、確率的には相当に低いものとなる。
そんな幸運を引き当てたのは本当にめでたいことともいえる。そんなめでたい幸運を運んでくれた年賀状を送ってくれたのは横浜に住む定年まで勤めていた会社の後輩であり、感謝を申し上げるしかない。来週末にはその会社の新年会が開かれるので、お礼でも言っておこうかな、と思っている。もちろん、本人はそんなことが起きているとは思ってもみないだろうが、新年の座興として披露してもいい話題ではなかろうか、とも思っている。
もちろん、そんな幸運をもたらしてくれたのはひょっとして、亡くなった姉ではないか、との思いもしている。たった一人の姉弟であり、小さい頃にはそれほど仲が良かったわけではなく、大きくなってからも東京と名古屋と離れて住んでいたこともあって、親しく言葉を交わすこともなく、お互い老齢となってしまっていた。それが姉が認知症となり、グループホームに入居し、折からのコロナウイルスにも感染し、最後は肺炎を患い、アッという間に昨年秋に天国に逝ってしまった。
亡くなってみると、たった一人の姉弟がいなくなった寂しさが頭から離れない。最後に見舞った愛知県小牧中央病院の最上階の病室で意識不明のまま喉が詰まってもがき苦しむ姉の姿を見て、涙が出て止まらなかったことを思い出すと泣きたくなってくる。その姉を無くしたの喪中の手紙の返礼の年賀状のうちの1枚が思いがけない幸せを運んでくれたのは姉が伝えてくれたのではないか、と思った次第である。合掌!「眞實院釈尼聲美」。