鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

ソプラノ、大西ゆかの美声に魅了された

2008-05-08 | Weblog
 7日も東京・初台の東京オペラシティコンサートホールでの「題名のない音楽会」の番組収録の公開に行った。司会の佐渡裕の都合か、集中的に収録が行われ、10日感に4回も行われる。7日も開始の前に佐渡裕が舞台挨拶をしたのには好感が持て、思わず佐渡裕の主宰する8月のシエナ・ウインド・オーケストラの定期演奏会のチケットを購入してしまった。ただ、7日の前半はテレビ朝日が8月に招聘公演する米国にブロードウエイミュージカル、「スウイング」の前宣伝みたいな内容であったのが残念なことであった。
 「スウイング」は1930年代に流行ったジャズで、東京交響楽団の演奏でランディー・シェインなる女性歌手が「サヴォイでストンプ」なるジャズを歌ったが、いまひとつ乗り切れていなかった。舞台の隅でストールに腰掛けて聴いていた佐渡裕の表情を見ていると、手を顔にやり、必ずしもいいな、と思っている感じではなかった。そのあとの男女ペアによる踊りはまずまずの水準と見えたが、解説に落語家の林家正蔵を持ってきたことを含め、会場の盛り上がりに欠けた。
 後半はのっけから舞台中央の小テーブルに手品師が使うような覆いをかぶせた味の素の小瓶が置いてあり、味のある新進作曲家として服部一族の服部隆之が紹介され、自身が作曲したテレビドラマ「HERO」とベートーベンの交響曲第7番第1楽章が演奏された。交響曲第7番は男性用整髪料のコマーシャルに使ったらという想定のもとに編曲したというが、あまりピンとこなかった。
 次いで、ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」と日本の童謡、さくらを組み合わせた楽曲はすんなりと聞けた、特にさくらを熱唱したソプラノの大西ゆかはいい、と思った。牧神の午後の前奏曲の流れる舞台にふんわりと登場し、さくらを会場いっぱいに響き渡る声で歌った。パンフレットを見ると、東京芸大出身の二期会会員で、美貌、美声、テクニックの三拍子揃った逸材と紹介されていた。帰りに会場ロビーで大西ゆかのCDアルバムは売ってないか、探したがまだCDをつくっていないようであったのは残念なことであった。「題名のない音楽会」は時々いい音楽家を紹介してくれるので、好きである。大西ゆかも今後、著名な音楽家になるとしたら、この歌声をい聴いたこおてゃいい思い出になることだろう、と思った。
 最初の挨拶でも本人が言っていたが、この日は佐渡裕がタクトを振ることはなかった。しかし、佐渡裕の本領はダイナミックなタクトの振り下ろしにあるので、それがない「題名のない音楽会」は気の抜けたビールのようなもので、いつになく佐渡裕に精気が感じられなかったのはそのせいだろうか。
コメント (3)
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