鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

黒澤映画の偉大さを再認識したGW

2008-05-07 | Weblog
 映画監督の黒澤明が亡くなって10年ということで、NHK衛生第2で連日、黒澤明特集を放映している。先月末から今年末までの黒澤明監督の映画30本を順次放送していくスケジュールとなっている。3年前にもNHK衛生テレビで黒澤作品を数本放映したことがあったが、今回はすべてなのがうれしい。それと同時に黒澤監督が亡くなった時に回顧として制作・放映されたものも集中的に再放送されていて、それらを見ていると改めて黒澤監督の凄さが伝わってくる。
 1日には黒澤明とよくコンビを組んで脚本を書いていた橋本忍の「60年の映画人生」を放映していて、「七人の侍」をつくる時に戦国時代のものをつくろう、ということで、最初は「侍の一日」と題して武士の日常を描こうとしたが、図書館などへ行って調べても実態は何もわからず、企画を放棄してしまった、という。次いで戦国時代から江戸時代までの剣豪のオムニバスをつくろう、ということになったが、これも映画としては盛り上がりに欠ける、ということでボツ。そして、農民に食を恵んでもらう浪人の話から先の剣豪列伝を組み合わせて、「七人の侍」の骨格が出来上がった、との苦労話をしていた。名作誕生の陰にそんな事情があったのだ、と興味深かった。
 そして4日は「黒澤明とその時代」、5日は「黒澤明の世界」、「いま、映画を語る」、「若き日の黒澤明」、「淀川さん、黒澤映画を語る」と生前の特集を含めて過去の黒澤監督に関する特集が一挙に再放送された。画面に黒澤作品の名場面を紹介しながら、監督自ら演技者に演技をつけている場面をドキュメンタリータッチで追っているのが面白かった。「影武者」で当初の主演をつとめた勝新太郎が降りる下りや、そのあとの主演を引き受けた仲代達也に演技をつけているところもあるなど生のやりとりが伝わってきて、なかなか見られない内容であった。
 一番興味を引いたのは黒澤監督の生い立ちで、姉4人、兄3人の末っ子として育った少年時代と、活動弁士であった兄の下宿に転がり込んでから映画監督になるまでの青春時代の紆余曲折で、必ずしも裕福な恵まれた家庭に育ったわけではない。考えてみれば、当時映画などというやくざな仕事につくのはそうした人しかいなかったのだろう。草創期の映画をつくってきたのは黒澤監督のような根太い人だったのだろう。黒澤監督がどうしてそんな根太い人に育ったのかはまだわからなないが、自身、軽佻な流れるような姿勢で映画つくりに携わっているような人を見ると怒りがこみ上げてきて、それが近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのだろう、と推察される。
 黒澤監督に世界的な名声をもたらしたのは「羅生門」がカンヌ国際映画祭で金獅子賞を獲ったことが大きいが、日本国内では評論家の評価は必ずしも高くなく、制作の映画会社、大映の担当者は左遷されてしまっていた、という。カンヌ映画際に出品したのはアメリカの映画配給会社の人で、黒澤監督自身は全く知らなかった、というから神さまも時にはいたずら心を起こす、ということか。日本の場合、海外で評価されると手の平を返したように国内での評価が上がる、ということが往々にして起きる。物事なり、真実を見分ける目がないというか、海外ばかりを見ている、というか情ないことである。
 ともあれ、黒澤映画の偉大さと再認識したゴールデンウイークであった。
 
コメント (1)
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