鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

Oさんが戻ってきた

2007-10-11 | Weblog
 10日、早朝の会議から戻ると、電話番の女の子がメモを持ってきて、Oなる人から電話があった、という。一瞬「ええっ!」と驚き、思わず「声は元気そうでしたか」と聞き返した。Oさんはこの2年、消息が途絶えていて、ひょっとしたらもう亡くなっているのではないか、と懸念していたからだ。「『また、連絡する』と、言ってました」とその女の子は言った。少なくとも生きていたのだ、良かった、と思った。
 で、10分くらいして、果たしてそのOさんから電話が掛かってきた。やはり元気そうな声で名乗ったので、「生きていましたね」と返した。大手新聞社系の広告代理店に雇ってもらうことになった、という。これから挨拶に来たい、というので、地下鉄のルートを教えた。40分くらいして現れたOさんは2年前のガリガリに痩せていたよりはふっくらとして最悪期は脱し、見掛けは普通のサラリーマンに見えた。
 聞けば、営業マン募集の広告を見つけ、応募したところ、すでに募集は終わっていたが、面接してもらえて、運よく1年契約の営業マンとして雇ってもらえた、という。いま59歳で、成績が良ければ、5年くらいは雇ってもらえる見込みだ、という。と言って、懐から封筒を取り出し、以前に貸していたお金を数えて「利子はなくて済みません」と言って返してくれた。見ると、封筒にはまだ数枚の福沢諭吉が残っていて、珍しく手元流動性に余裕がありそうだった。
 Oさんはサラ金地獄にはまって、以前の会社を辞めざるを得なくなり、4年くらい前から来る度に何がしかのお金を借りていっては返しに来ることを繰り返してきた。その間、定職には就けず、アルバイトをしながら食いつないできた。それが2年前から、ぷっつり消息を絶ってしまっていたのだ。
 さらに聞くと、この間、丸2週間、何も食べずに暮らしていたこともあった、という。見かねて隣の人が食べるものを恵んでくれた、という。まさに生死の間を彷徨ったわけだ。
 Oさんがサラ金地獄にはまった理由はお酒のようである。見かけは温厚な感じであるが、お酒が入ると前後不覚になるようで、泥酔して正体をなくすのだ。話を聞いていて、そんなOさんにも暖かく迎えてくれる飲み屋のかみさんと励ましてくれる友人が2、3居ることがわかった。大袈裟に言えば、Oさんが生還できたのもそんな友人が支えたからこそだろう。鈍想愚感子の勤める会社にも同じような競馬にのめり込み、サラ金地獄にはまって6年経ってもいまだに行方不明の人がいる。その人にはきっとOさんのように周りに手をさしのべてくれる人がいなかったのだろう。
 久し振りにOさんの元気な顔を見て、正直嬉しかった。そして、良かったと思った。人間、生きていればいいこともある。今度こそ、平穏無事に過ごしていけるよう頑張れと、Oさんにエールを送りたい。
 
コメント
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