吉永小百合の座長芝居みたい。
他の登場人物が時代の変化によって大きく変動する中、一人だけブレずに全体の要になっているが、その分単調。
ラストでは一同をバックに御挨拶みたいな正面切った決め台詞まである。もっとも芝居と違ってカメラのレンズが寄るとさすがに苦しい。
もっとも、その他大勢の変化がキャラクターのさまざまな面を見せるという具合に必ずしもうまくつながらず、場面によってバラバラ。バックグラウンドの書き込みと膨らみがあまりないからだろうか。
食うにも事欠く状況を今の日本人の肉体で表現するのは、まず無理。
よく考えると、一つの集落とその周辺の話なのだが、このくらいの規模の方が映画ではスケール感が出るみたい。でかくしすぎると書き割りみたいになってしまうので。
オープンセットや四季に渡るロケーション等、丁寧なスタッフの仕事ぶりが見もの。故・篠田昇キャメラマンの名前がなぜかエンド・タイトルに特に職能抜きで出るが、ときどきディフュージョンや色あいなど篠田調の画面が混じる。
西洋人(踊りからしてスコットランド人)(後註・実在の人物エドウィン・ダン)は英語を喋っていて、アイヌが日本語を喋るってなんだ、しかも豊川悦司が演じるっていうのはどうも、などと思っていると実はアイヌに触れるのは避けている。実際問題として今の日本のスタッフでアイヌの生活をリアルに描くのは不可能だから安全パイなのか知らないが、アイヌが前から住んでいるという視点が完全に抜けているあたり、アメリカの西部劇でいうなら60年代以前のセンス。「零」年って、それまで蝦夷地に人がいなかったみたい。
(☆☆☆)
北の零年 - Amazon
他の登場人物が時代の変化によって大きく変動する中、一人だけブレずに全体の要になっているが、その分単調。
ラストでは一同をバックに御挨拶みたいな正面切った決め台詞まである。もっとも芝居と違ってカメラのレンズが寄るとさすがに苦しい。
もっとも、その他大勢の変化がキャラクターのさまざまな面を見せるという具合に必ずしもうまくつながらず、場面によってバラバラ。バックグラウンドの書き込みと膨らみがあまりないからだろうか。
食うにも事欠く状況を今の日本人の肉体で表現するのは、まず無理。
よく考えると、一つの集落とその周辺の話なのだが、このくらいの規模の方が映画ではスケール感が出るみたい。でかくしすぎると書き割りみたいになってしまうので。
オープンセットや四季に渡るロケーション等、丁寧なスタッフの仕事ぶりが見もの。故・篠田昇キャメラマンの名前がなぜかエンド・タイトルに特に職能抜きで出るが、ときどきディフュージョンや色あいなど篠田調の画面が混じる。
西洋人(踊りからしてスコットランド人)(後註・実在の人物エドウィン・ダン)は英語を喋っていて、アイヌが日本語を喋るってなんだ、しかも豊川悦司が演じるっていうのはどうも、などと思っていると実はアイヌに触れるのは避けている。実際問題として今の日本のスタッフでアイヌの生活をリアルに描くのは不可能だから安全パイなのか知らないが、アイヌが前から住んでいるという視点が完全に抜けているあたり、アメリカの西部劇でいうなら60年代以前のセンス。「零」年って、それまで蝦夷地に人がいなかったみたい。
(☆☆☆)
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