★はなむけ号(折りたたみ自転車)で、長者・糠塚・吹上の、例のネットメロン編み目地帯を浮漂(7段変速のうち、1速・2速・3速のみ使用し、大河のゆるやかな流れのように^^;^^;走行)中、晩秋の長者山・新羅神社境内に寄る。
スゴク、ロケーションに恵まれた神社だ。
日常と非連続の時空間に身を置くことができる^^;^^;^^;。
根城城址公園も好きだが、彷徨・沈潜する魂の数が、長者山にくらべ、圧倒的に少ないので、日常と非連続の……というわけにはいかない。
ただ、こんなにすばらしい長者山・新羅神社だが、気になるところもある。
建造物と建造物とのあいだに、無造作に電灯線が渡っていたり、粗大ゴミが処理されず、放置されていたり、参道の手すりが、なんと、工事用の足場パイプだったり……ま、徒然草でいう「興ざめ」の部分が、ところどころにあり、少し残念。
◆10月に受診した健康診断で、昨年度と同様、脂質LDLCが「D(要精査または要医療)」という判定だった。
この図でいうと、「軽度」(「軽度」の前半)
昨年度より、よくなっているものの、ま、いわゆる「悪玉コレステロール」だから、気をつけなければいけない。
解説によると、「この検査値が高いと、より厳重に動物性脂肪食を控え、適度な運動を励行して生活習慣の改善に努めてください。それでも改善しなければ、薬による治療の助けが必要になります。」とある。
お好み焼きの食べ過ぎかもしれない。
豚玉を作るとき、表面に、ピッチリ、通常の2倍くらい、豚バラを並べだがるところが、わたしにはある。
ただ、昨年も主治医に指摘されたのだが、わたしの場合、甲状腺機能低下症なので、これが影響している可能性もある。
まず、豚玉の豚バラの量を減らし、はなむけ号(折りたたみ自転車)の低速走行量と、男桐下駄、カランコロン、鞍馬天狗歩きの量を増やして様子をみるつもりだ。
◆テンションが下がるとき、わたしは、必ず、堀辰雄の書簡を読んでいる?……と、ふと、口のうちでつぶやいてしまった(*^_^*)。
ほんとうにそうかもしれない。
いちいち、事例をあげることはしないが、落ちこんでいる場面、正確にいえば、何かをあきらめざるをえなかった場面を思い浮かべると、高い確率で、堀の書簡を読んでいる。
いちいち事例をあげないといったばかりだが、1つだけ。
大学3年の晩秋。
わたしは、かなり早い段階から、卒論は、堀辰雄と決めていた。
テーマは、粗くいうと、堀辰雄の、草食男子に対する肉食男子的な面(堀辰雄は肉食男子です!)……は冗談としても、そのNOMAD(遊牧民)性に、強烈な光をあててやろうと思っていた。
テーマをわかりやすくするために、以前、「下品な対談」として紹介した大岡昇平たちの「堀辰雄を截断する」(『文藝・臨時増刊・堀辰雄讀本』掲載)を、再び、一部抜粋コピーする。
★「ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』をよっぽどよく読んだらしくて、『聖家族』が全然、ラディゲのやり方なんだ」(伊藤)
「あんまり似すぎているんで、アホらしくなったね」(大岡)
★「人からもいろんなものを吸収できるけれども、読む本からも吸収できる能力のあった人だな」(伊藤)
「プルーストから、リルケから、モーリアックから意識的に取り入れ、堀さんなりに消化している」(山本)
「消化してる? 猿まねだと思いますがね」(大岡)
★「ちょうどその時代の青年たちが影響を受けるに具合のいいような作品を見つけて、先に読んでしまうというような、非常に鋭敏な、利口なところがあった」(伊藤)
★「堀の頃の軽井沢は閉ざされた社会でね。そんなところで変にセンチメンタルなことを書いてるのは、人の憧れをそそろうという策略さ」(大岡)
★「ドイツ人のいる教会とかに近づき、恥をかいて帰ってくるんだが、きれいなことだけ書きやがるんだ」(大岡)
これを読み、多恵子夫人は激昂し、わたしは吹きだしてしまった(*^_^*)ということは前にも書いた(*^_^*)。
この大岡たちに対して、「それが堀文学です。堀は自分の領域内に必ず他の文学を鮮明に抱え込んでいます。永遠に非完結の、NOMADの文学です」と、大学生のわたしは言いたかったのだ。
大岡たちは、プルーストやリルケなど、外国のことばかり述べてるいるが、国内にも同じことが言える。
国内の抱え込みこそ、堀の真骨頂なのだ(*^_^*)。(これを言い出すと、現時点の文脈の収集がつかなくなるので、別の機会に述べることにする……。)
しかし、結論をいえば、当時、指導教官だった福村保先生の絶大なご支援にもかかわらず、わたしは資料不足のため、堀辰雄論を断念する。
ショックだった。
断念を、自分に納得させるために、わたしは堀の、昭和16年12月(奈良滞在)~昭和20年8月(信濃追分滞在)の書簡を読んだ。
特に昭和20年8月の次の箇所が印象深い。
〈――多恵子は畑仕事に夢中。
馬鈴薯は上出来だったが、そのあとに蒔いた蕎麦の芽が暑さのためとうとう出ず、悲観している。
もちろん、僕はなんにも手伝えないばかりか、家から二町ばかり離れたその畑へも歩いてゆくのがやっとのことだ。
四、五十坪くらいあるだろう。
早く僕が元気になって、二人で肥桶をかついで歩けるようになるといい、というのが多恵子の唯一の空想らしい。
僕もはやくそれくらい元気になりたいものだ。――〉
脱力の状態で、最低限の呼吸だけをして、読みつづけた。
なお、卒論は、資料不足で断念した堀辰雄とは逆に、ある理由で?豊富に資料がそろっていた伊東静雄(特に大東亜戦争下の詩業)に切り換えた。
堀辰雄1904年(明治37年)12月28日-1953年(昭和28年)5月28日。
伊東静雄1906(明治39年)年12月10日-1953年(昭和28年)3月12日。
堀は、伊東の詩業を高く評価していた。
◆昭和16年。
堀辰雄が『晩夏』を出版するとき、出版元の甲鳥書林から、しゃれた検印紙が送られてくる。
それで、堀も、「こちらもひとつ」と自慢の印を使うことにした……というエピソードは、少し前に紹介した。
念のために「検印紙」の補足説明――
甲鳥書林から送られてきた、本の発行部数と同じ枚数の検印紙1枚1枚に、堀が押印し、その数に応じて甲鳥書林が、堀にお金を支払うというシステム。
今は見かけない。
たぶん、廃止になったのだろう。
しばらくは「著者との話し合いにより検印廃止」と表記されていたが、現在は、その表記もない。
堀が、そのために軽井沢から東京の自宅に宛てた速達――
「小生の紫檀の違い棚の上に、小さな紫檀の四角い箱があり、その中に例の支那の印がいくつもはいっているけれど、それの上側か、(あるいはその中にしまったと思っているのは小生の思い違いで、違い棚の上に他の三つ四つの印とともにむき出しで置いてあるかも知れない)どこかそのへんのところに『我思古人』という大きな印といっしょに『一硯一琴之品』「」という小さな印があるはず。
どうかそれをそこいらへんで探してみて、も見つかったら至急送ってください。」
と依頼している。
この書簡を読んだ高校生のわたしは、ぜひ、その印が押された『晩夏』(甲鳥書林)が見たいと思った。
ずっとあとになって、大阪の古書店の、野積みの書物の中から、『晩夏』を見つけ、ページをめくり、奥付をあけ、堀が押した、その印をみたときには、かなり感動した。(画像)
本の値段は、200円か300円くらいだった。
今は、古書店もインターネットで情報を共有しているから、事情が違うと思うが、当時、大阪での堀の扱いは、この程度だった。
ちなみに、現在の相場は、もちろん初版かどうか、傷みがあるかどうかで違ってくるが、だいたい4000円~8000円くらいだ。
◆パソコンの内部が、火が噴くのではないかと心配なくらい、熱くなるので、裏のフタをあけ、ファンを取り外すと、通風孔の内側に粉状のホコリがこびりつき、通風孔が内側からふさがっている。
掃除機のブラシをこすりつけて、吸い取る。
吸い取りながら、これって、NECの設計ミスではないか?……と思う。
吸気口の編み目はかなり大きい。
反対に、空気が外に排出される通風孔の編み目は細かい。
「これって、さかさまだろう?」
「ホコリが外に出られないのだから、当然、内側にホコリがこびりつく」
「内側だから、その都度、分解掃除をしなければならない」
「とんでもないパソコンだよ」
「次回は、絶対に別のメーカーにする」
――と、ブツブツひとりごと。
ま、とにかくパソコンは快適な状態にもどる(*^_^*)。
◆ところで、テンションが急激にさがっている。
釘にはじかれながら落下するパチンコ玉みたいに落ちていく。
一昨日、昨日と、自由になる時間のほとんどを(といっても、ほとんど自由になる時間だが……)例の木製の、折りたたみ式、ハンモック風、肘掛け椅子に身を沈め、インターネットラジオからのPiano Jazzを聴いている。
MIMIKA BLOGのことを書いているときは、元気だった。
MIMIKA BLOGは、もちろん伏線で、MIMIKA BLOGのあとに、これとこれを書いて……と、わたしなりに企みがあった(^_-)。
昨日、〈古書店DAKA通信〉に、堀辰雄の『晩夏』(甲鳥書林)の「検印紙」を話題にするために、昭和16、7年頃の堀辰雄の書簡をチェックしているあたりに、ああ、自分は、MIMIKA BLOGは、もうどうでもいい……、また、そのあとの「これとこれ」も、もうどうでもいい……と感じていることに気づいた。
堀の書簡を読んでいて、そうなったというより、〈古書店DAKA通信〉に堀辰雄の『晩夏』の「検印紙」を取りあげようとしたときには、既にテンションは下がっていた。
昨日は、オイ、オイ、どうしたんだぁ~と、正直、少しあせった。
しかし、本日、未明、目が覚めたとき、それとは逆に「これでいい。これで、やっと沈潜できる」という気持ちになった。
みなみ在職時、あるいは、教委在職時、孤独に沈潜して、沈思黙考したいと、よく思った。
しかし、なかなか底のほうに沈潜できなかった。
からだの一部が、どうしても水面にプカプカと浮いてしまうのだ。
教委時代などは、沈潜をイメージするために、黒々と、でっかい、鉄玉を描いて、デスクのみえるところにはりつけていたくらいだ。
テンションが下がると仕事にならない。
つねに目一杯、テンションをあげる。
そのキンキンしたテンションのまま、沈潜しようということが、もともとムリな話だったのかもしれない。
◆しかし、おなじみの乱氏は、わたしとは逆に、テンション、キンキン状態なのかもしれない。
これが、現在の乱氏のHPトップだ。
これは、わたしが、WinShotでカットしてきた静止画だが、ホンモノは、「乱」と左右の3つずつの炎マークが燃え上がっている。
〈古書店DAKA通信〉
◆堀辰雄『晩夏』(甲鳥書林・昭和16年)
〈昭和16年8月25日 封書・速達便〉
きょうはまためんどうなお願いをしなければならない。
こんど甲鳥書林から出す本の検印紙、あまりしゃれたものを送ってよこしたので、こちらもひとつ、「わが家の古玩」のひとつを使ってやろうかと思う。
それで、小生の紫檀の違い棚の上に、小さな紫檀の四角い箱があり、その中に例の支那の印がいくつもはいっているけれど、それの上側か、(あるいはその中にしまったと思っているのは小生の思い違いで、違い棚の上に他の三つ四つの印とともにむき出しで置いてあるかも知れない)どこかそのへんのところに「我思古人」という大きな印といっしょに「一硯一琴之品」という小さな印があるはず。
どうかそれをそこいらへんで探してみて、も見つかったら至急送ってください。
もし見つからなかったら、こちらにある印で間に合わせますから、その旨、電報ででもお知らせ下さい。
本ができて印税がはいったら、なんでもお所望のものをごちそうします。
右何卒お願いします。
二十五日 辰雄
俊彦君
★下記が、その検印紙。
★古書店DAKAの玄関付近の花梨
◆自分の葬式を、夢の中で2度、みたことがある。
1度目は、「平成」に入ったばかりの頃だった。
街を歩いていたわたしが、1つのお葬式に出くわす。
風の強い日で、白黒の幕(←「鯨幕」)が、ひきちぎれそうにはためいている。
式場に入っていくと、わたしの葬式だった。
式場をみわたす、わたしの目に、太く書かれた「平成10年」という文字がみえる。
この「夢」以来、「平成10年」を、結構、本気で意識していて、「平成10年」が過ぎたときに、ホッとしたことを覚えている。
2度目は、平成13年の夢だ。
この夢のことは、旧ホームページ「ふたりっ子はん深夜特急」にアップしたものが残っているので、コピーする。
夢のあいだじゅう、強い線香のにおいがしていた。
わたしは、お葬式会場である小学校の体育館に、靴下の足で立っている。
ツルツルと、よく滑る。
場所は海辺らしく、海鳥の声と船の汽笛が鳴き交わすように聞こえてくる。
弔問客は、広いフロアーに敷かれたゴザに座っている。
日焼けしたおばあさんたちがほとんどだ。
うしろのほうには小学生たちの一団があった。
まだ小さく、小学1、2年生というところだ。
ずいぶんと賑やかなお葬式で、僧侶の読経中も、あちこちでおばあさんたちの談笑が続いている。
小学生の中には走り回って、わざとキュッキュッとズックの音をたてている子どももいる。
いったいだれのお葬式なのだろうと、わたしは、しきりに祭壇のほうを見る。
ステージにしつらえた祭壇には、生花や花環があふれている。
しかし、いくら探しても、弔われている人を特定する写真とか文字が見あたらない。
やがて焼香がはじまった。
あちこちのゴザから、おばあさんたちが順々に焼香台の前にやって来る。
合掌と焼香だけをするおばあさん。
弔詞を読むおばあさん。
弔詞をもってきたが、読まないで焼香台に置いてかえるおばあさん。……
みんなまちまちである。
若い僧侶も弔問客と気楽に会話をしている。
「おばあさん、弔詞、読むのんか?」
「どないしようかなァ? 迷てんねん」
「供養になるんやから、読んだったらええやないか」
「ほな、読もせてもらうか」
短い詩のような弔詞だった。
それを聞いたとき、わたしの眼に、熱いものがこみ上げた。(←今、これをコピーしていても、そのときの「熱いもの」がよみがえる。)
汗のにじんだ首筋から、線香の煙が忍びよってきて鼻を打った。
やがて、おばあさんたちが読む弔詞の中味から、わたしは、
「もしかして、このお葬式は、自分のとちゃうのんか?」
と気づく。
また別のおばあさんが来た。
「読むのんか?」
「どないしようかなァ? 迷てんねん」
「供養になるんやから、読んだったらええやないか」
やはり短い詩のような弔詞だった。
もう間違いない。
わたしの葬式だ。
眼からボタボタと涙がこぼれた。
「読むのんか?」
「ううん、ここに置いとくわ」
泣いているわたしの前で、僧侶とおばあさんたちのやりとりが、延々とつづく。
おばあさんたちの焼香に、小学生たちがまじり始めた時、わたしはは、聞き覚えのある声を聞いた。
「アホ、お葬式やでェ。静かにせんとアカンやないか!」
引率の若い教師が、走り回っている子どもを叱っている。
その教師と眼があったとき、わたしは、
「なんや、わたしやなかい?! おい! おい!」
と声をかけた。
しかし、その声は、若い教師にはとどかない。
その瞬間、場面が急転して、ゴザに座っていたおばあさんや、焼香の小学生たちが、円形の流水プールのようにグルグルと回転しはじめる。
「気ィつけなアカンでェ!」
若い教師が、大声で子どもに注意している。
ここで夢が終わる。
◆けさ、ネット上で調べものをしていて、ま、なんといったらいいのか? WEB上の墓標のような、2つブログに出くわした。
H氏のブログ。
H氏に代わって、娘さんが記述している。
〈Hの娘です。父は3月12日23時17分に急性心不全のため急逝しました。突然のことで私たち家族も悲しみを抑えることができません。父の日記をこんな形で終了させることになってしまいとても悲しいです。今まで日記やHPを通して父と仲良くしていただき、本当にありがとうございました。〉
K氏のブログ。
検索中、ブログの1つの記事にヒット。
かなりしっかりした記述なので、どなたのブログかな?と、トップをクリックしたら、
〈くも膜下出血起こすんじゃないかと思うほど多忙で(私のオヤジは40歳を目前にして、くも膜下出血で死んだ。私は彼のように真面目な努力家ではないけれども、やむを得ず多忙になることはままあり、そんなときはふと、自分もオヤジと同じ死に方をするんじゃないかなぁと思ったりもする。それはそれで、ま、いいかって気もあるが)、ブログをほったらかしにしていた。もともと私のブログは単なる寝言だから、さまざまな意味で忙しければ平然とほったらかしにするのである。その程度の感覚でいた方がいい、というのが私のいわば基本的なスタンスだと言ってもいい。〉
これは、今から、ほぼ1年半前の記述だ。
ここから、プッツリとぎれている。
もちろん、K氏の場合、H氏と違って、ブログを引っ越したのかもしれないし、ずっと「ほったらかしに」しているのかもしれない。
そうであることを祈るのだが、そうであった場合、どうかこの不謹慎なわたしの記述を許していただきたい。
◆この「2つのブログとの出会い」 → 「以前、夢でみた自分の葬式」……と思考はつながったのだ。
思考のプロセスを詳細に記述すると、重くなるので、飛躍させるが、このことに関連して、昨日の「転機が訪れ」た云々……の補足をする。
昨日、急いで完成品を提示しなければいけないという「束縛状態」をいったん解除し、1年間、(400字詰め原稿用紙に換算して2500枚、字数にして1000000字)自由に動き回る「遍歴状態」に転じる……と、長いスパンに切り換えている。
そして、その2500枚から、たとえば、Aというテーマで400枚を抜粋することもあれば、Bというテーマで抜粋することもある……。
重なり合いながら、いくつかの400枚ができる……と説明している。
補足したいのは、抜粋した「400枚」が大切なのではない……ということだ。
「400枚」でまとめて、なにかをしようというわけではない。
「400枚」というのは、「このHPにおける、持続感覚と存在感覚を、どう創出していくか?」を追究するための、仮のゴール、いわば虚点、幻化だ。
◆HPを開いたとき、開いたわたしが自身が、「ああ、このHPの時空間に自分が存在している……」「ああ、自分の中に、このHPの時空間がある……」と感じることのできるHP。
やり方のひとつの例&参考として、「MIMIKA OFFICALE BLOG」を取りあげてみたい。
〈中心人物〉
・ニックネーム=MIMIKA
・性別=女性
・誕生日=1985年6月26日13時頃
・血液型:A型
・出身地:香川県
〈夢&夢に向かっての活動〉
・路上ライブ=約1年間でCD1万5千枚以上を路上ライブを中心に販売。
大阪と名古屋では、CDの売上で、ご飯を食べ、カプセルホテルに泊まる。
2007年1月27日、東京で1日で1000枚完売に挑戦し成功。
・夢=紅白歌合戦に出場すること。
こういうコンセプトで、2006-11-30 14:59:16 MIMIKA OFFICALE BLOGがスタートする。
1日、数回(いや、もっと多いかもしれない)新しい記事がアップされている。
10/31の1部をコピーしてみる。
★2009-10-31 17:05:17〈ろじょー〉
インターネットTV、ご覧くださったみなさま、めちゃありがとうございましたっ!!!!!!!
時東さんにお久しぶりにお会いしました♪
そしてこれから路上にむかいますっ!!!!!
18時頃から新宿新南口にて幸美さんと一緒に歌います♪♪
来られる方ぜひいらしてちょー♪
★2009-10-31 20:33:27〈まだ歌ってまーす♪〉
ゆきみみか やってるよー♪
今、ゆきみさんの番♪
★2009-10-31 23:56:34〈ワクチンライブ31日目♪〉
本日結成のレアユニット。
ゆきみみか(笑) 途中からドラムのキッコちんも応援にきてくれたよー♪
ゆきみさんと交互に歌わせていただいて、みみかの番の時はゆきみみかで歌いました♪
いやぁー 1人でやってるのも楽しかったけど、2人でやると倍楽しいっ!!!
また結成できたらいぃな♪
長い時間聴いてくださったみなさま、1曲でも聴いてくださったみなさま、チラシもらってくれたみなさま、優しい目で見守ってくださったみなさま、荷物準備のお手伝いしてくださったみなさま、ほんとにほんとにありがとうございましたっ!!!!!!
IN 新宿、最後まで無事歌えたぁー!!!!!!
今日のおまけは『どこでもドア』でしたぁー♪
いやぁー ゆきみさんの歌まぢいぃー♪
普通に聞き惚れちゃう。。
ほんと楽しかった♪
聴いてくださったみなさまも、楽しんでくれてたらほんと幸せですっ!!!!
また2人でできるよう頑張ります♪
それまでは、1人で一生懸命歌い続けますので、またぜひ聴きにきてくださいねっ♪
お疲れ様でしたぁー♪
★本日のワクチンチケット18枚
★ワクチンチケット合計370枚 もうすぐ400っっ!!!! 頑張るぢょーー!!!!!!
◆記事の更新の都度、次のようなコメントが書き込まれる。
1 ■無題
ライブお疲れ様! 今日は止められることもなく最後まで歌うことが出来て良かったで♪ 「ターボ」は、いつ聞いてもめっちゃ盛り上がる☆ ありがとう♪ 明日は、大阪雨らしいので「どしゃぶりHeart」をリクエストします! まっちゃん 2009-11-01 00:04:23
2 ■いやぁ~
めっちゃ楽しかったねぇ今日は♪ 天気も良く、ジャマも入らず、最高の路上日和♪ 前回は俺のせいで‥‥(笑) その分、今日は楽しませてもらいましたっ!!! ゆきみさんもグッドでした!!! お疲れさまっ!!!!! よっぴぃ~ 2009-11-01 00:06:34
3 ■無題
今日もおつかれ様です♪ 今日はいつもよりギャラリー多いし、楽しかったです!(^O^) 明日からまた頑張りましょう♪ uzura. 2009-11-01 00:08:44
◆TVドラマや小説と同じように、これは、このままで、ひとつの表現のカタチだと思う。
「MIMIKA OFFICALE BLOG」を開いたとき、銭形平次を観たときのように、わたしは「ああ、この時空間に自分が存在している……」「ああ、自分の中に、この時空間がある……」と、持続感覚と存在感覚を、強く感じる。
11/3文化の日も、ライブをやったようである。
★2009-11-03 12:43:48
本日のワクチンライブ
今日のみみか路上は14:30~16:00にさせていただきます♪
場所は、新宿新南口に行ってみます♪♪
短い時間ですが、1人でも多くの方と出会えるように一生懸命心込めて歌っていきます♪
来られそうな方も、ぜひお待ちしておりますよん♪
ぶひー
◆「MIMIKA OFFICALE BLOG」がスタートして、まもなく3年になる。
あとで紹介するが、わたしの旧HP=闇の極限をめざす「ふたりっ子はん深夜特急」は、ちょうど3年目で、朝の光を迎えることなく空中分解してしまった。
「MIMIKA」が、ふたりっ子はん深夜特急のわたしのように、プッツンすることなく、路上ライブに加え、エフエム太郎→ビーチステーション→レインボーFM→愛ステーション→FM JUNGLE→Hits FM→FM愛's→FM POCO→FM OZE→中央エフエム→fmいずみ……と、これからもこれからも疾駆しつづけてくれることを、切に祈りたい。
なお、グーグルの、ウェブページの重要度を示すPageRankでいうと、「MIMIKA OFFICALE BLOG」は、4/10である。
大健闘である。
ついでに、「600字の教育学」はというと、3/10である。
みなみ在職中の一時期、4/10のときもあったが、最近は落ち目になっている。
MIMIKA BLOGに追いつきたい(*^_^*)。
★画像は、ヌメア・アルマ通りのカフェ。2003 ここの人々との接触が、その後のわたしの人生をガラリと変えた???(*^_^*)。この「転機」のことは、またあとで記述したい。
◆乱氏のHPをみたら、トップページに――といっても、トップページしかないのであるが――突然、「転機が訪れる」とだけ記されていた。
「転機」というのは、「ある状態から、別の、他の状態に転じるきっかけ」。
(1)どういう状態に転じようとしているのだろか?
(2)そして、その「きっかけ」とは何なのだろうか?
少し心配である^^;。
いや、楽しみである^^;。
実は、同日、わたしにも「転機が訪れ」た。
急いで完成品を提示しなければいけないという「束縛状態」から、1年間、(400字詰め原稿用紙に換算して2500枚、字数にして1000000字)自由に動き回る「遍歴状態」に転じたのである。
きっかけは、これまでの「明日にはなんとか……」「明後日にはなんとか……」「1週間後にはなんとか……」という納期感覚、あるいは外発動機(=みなみ在職時感覚)を、1年後に(=蟄居感覚)……という長いスパンに切り換えたことである。
1年後に、その2500枚から、400枚を抜粋する。
抜粋する場合、たとえば、Aというテーマで抜粋することもあれば、Bというテーマで抜粋することもある……というふうに考える。
重なり合いながら、いくつかの400枚ができるわけだ。
◆だから、ただ、無秩序に2500枚書いていったらいいのか? いや、ある程度、AなりBなりのテーマを想定して書いていったらいいのか?……については、迷うところである。
ま、徹底した無秩序というのは、偉大なる残がい・屑モノの山ができる恐れがあるし、しかし、A、B、C、D……とあまり厳密にやると、このテーマに縛られてしまう。
現時点では、この中間の、いってみれば「ゆるやかな縛り」で……と考えている。
◆「ゆるやかな縛り」の考察
あくまでも暫定的なものとして――
(1)生活
・日常生活の記録。
・事件、政治、経済、国際、ポーツなどの諸事象に対する感覚思考(1次思考)の記録。
(2)教育
・授業考察の記録
・学社連携考察の記録
(3)「胡堂を追って」または「銭形平次888回を追って」をテーマにした記述。
(4)無人駅線
・単なるわたしの紀行文
・旧HP「ふたりっ子はん深夜特急」の復活
★ヌメアの路線バス
◆ある地域の掲示板をのぞいたら、次のような記述に出くわした。
1102: 三八上北地方さん 2009/11/01 21:28:28
けど、けど、よそから八戸に来た人間にとって、この板、あたたかいわ(*^_^*)。
けど、けど、わたし、ここ(はちのへ)、ホンマ、アカンと思います。
地元の人が、わが町を、愛する気概が、全然、感じられまヘン。
信じられまヘン。
ここ、アカンわ^^;^^;^^;^^;^^;。
ゴメン。
きょうの、今の、わたしの心境でした。(掲示板の引用 以上)
1102番のコメントの前が、「1098 さむい」「1099 八戸市、明日最高気温8度、明後日9度」「1100 >1098 人の心がな」を受けたコメントだ。
一瞬、これ、わたしのコメントではないのか?……と思った。
もう一度、読み返し、「わたしのコメントではないのか?」ではない、わたしのコメントだ。
大阪弁の使い方。
句読点の使い方。
顔文字の使い方。
謝り方とそのタイミング。
なによりも感じ方……これ、まったく、わたしだ。
いつも、酔っぱらって、あちこちの掲示板を訪れて、いろいろ書き込むように、昨夜、ここに来たのだろう。
しかし、変だ。
たしかに、昨晩は、発泡酒のあと、ひさしぶりにウィスキーを飲んだ。
ただ、酔う度合いを――
(1)爽快期
(2)ほろ酔い期
(3)酩酊初期
(4)酩酊期
(5)泥酔期
(6)昏睡期
とした場合、昨晩は、(1)から(2)に突入しかけたあたりだ。
わたしが、掲示板の彷徨をはじめるのは、(3)(4)(5)だ。
だから、絶対に、きのうは、この掲示板に来てヘンわ。
似たヤツ、というか、おんなじヤツ^^;^^;^^;が、おんねんなぁぁ~(*^_^*)(*^_^*)。
1点、違うところがある。
この人は、文と文を改行するとき、1行スペースを空けている(引用する際、そのスペースは削除したが……)。
わたしは、段落的な意味をもたせるときには空けるが、原則的にそれはやらない。