職員室通信・600字の教育学

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産経の「正論」とは、元々この程度のものだったのか? それとも新保祐司に産経の「正論」は荷が重いのか?

2009-11-26 07:20:13 | Weblog


◆けさ、WEB産経・「正論」で、次のような記述にでくわした。

【正論】文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

(前略)この二人に共通しているのは、肩書がつけにくいということである。いいかえれば、肩書を超越している。森繁さんの死亡記事にも、「ラジオ、映画、舞台、テレビ、歌、エッセー…と芸域の広さ云々」と書かれているように、俳優とも歌手とも何ともいい難い存在である。

 やはり、森繁久彌は森繁久彌とだけいえばいいのである。長嶋茂雄が、元プロ野球の選手とも監督ともいえず、ただ長嶋茂雄という名前だけで通用する人間であり、どんな肩書もふさわしくないのと同様である。

 ≪根底にある詩人の本質≫

 しかし、あえてつければ森繁さんは、詩人であるというのが最もその本質に近いように思われる。その演技、語り、歌い方の根底にあるのは、この詩人性であり、そこから、独特の深み、味わい、抒情が生まれてくるのである。

 このことをはっきりと感じさせてくれるのが、2001年、88歳のときに吹き込んだCD「森繁久彌愛誦詩集」である。このCDには、詩を愛してやまない森繁さんが、特に愛誦する詩を選んで朗読した25編が収められている。


◆ここまで(もう精神の表層部分まで拒否感が沸々しているのにガマンして)読んだとき、ひとつの確信があった。

 25編の中に、わたしの好きな詩は、絶対に含まれていない……と。

 室生犀星の「小景異情」「春の寺」、佐藤春夫の「少年の日」「琴うた」「海辺の恋」、中原中也の「渓流」「湖上」「汚れっちまった悲しみに…」、北原白秋の「落葉松」、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」、萩原朔太郎の「利根川のほとり」、矢野峰人の「行春哀歌」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」、大木惇夫の「空と海」「戦友別盃の歌」、三好達治の「おんたまを故山に迎ふ」、新川和江の「歌」、井伏鱒二の「なだれ」、そして森繁さんの自作の詩6編である。

◆やはり、予期したように、1編もなかった!(^^)!。
 というか、これまでの人生、全身で、忌避してきた、詩人・詩編ばかりだ。

 こういうケースで、カスリもしない……というのが、わたしの特質で、この特質のために、どこでもかしこでも苦しみつづけてきたのだ。

 それにしても、朝×→毎日→読売、そして、遂に産経まで、流れ流れてきて、その産経で、こんなものを読まされるとは思いもよらなかった。
 産経の「正論」とは、元々、この程度のものだったのか?
 それとも、新保祐司に産経の「正論」は荷が重いのか?


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