職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

わがひとのかなしき声をまねぶ……(行つて お前のその憂愁の深さのほどに明るくかし処を彩れ)と

2009-11-11 15:23:48 | Weblog

◆あいかわらず、テンションが低下した状態がつづいている。

〈「テンション低下状態も、結構、いいもんだぁ~。
 未来も、過去も、見えない。
 右も、左も、関係ない。
 自分の五感だけを頼りに、ナメクジみたいに、ノロノロ、這いまわっていく……。
 ま、わたしのことばでいえば、感覚思考(または1次思考)だ。
 この感覚思考、および、感覚思考の発露が、大の苦手だから、このテンション低下状態を大切にして、一から修業し直そう。」〉(11/9)

 とはいうものの、テンション低下に陥る直前の11/4(水)に記述した文字数は10629字。
 これに対して、昨日は969字。

◆だから、実際には、かなりむずかしいのだけれども、テンションが低いまま記述できるようになると、あるいは、意識的にテンションを低下させて――こういうことが可能かどうかはわからないが――記述できると、わたしにとって新しい世界、未知の世界にめぐり会えるのではないか?

 伊東静雄の詩集『わがひとに与ふる哀歌』の一編。「行つて お前のその憂愁の深さのほどに」

行つて お前のその憂愁の深さのほどに

大いなる鶴夜のみ空を翔(かけ)り
あるひはわが微睡(まどろ)む家の暗き屋根を
月光のなかに踏みとどろかすなり
わが去らしめしひとはさり……
四月のまつ青き麦は
はや後悔の糧(かて)にと収穫(とりい)れられぬ

魔王死に絶えし森の辺(へ)
遥かなる合歓花(がふくわんくわ)を咲かす庭に
群るる童子らはうち囃して
わがひとのかなしき声をまねぶ……
(行つて お前のその憂愁の深さのほどに
明るくかし処(こ)を彩れ)と

◆わたしには、この「お前のその憂愁の深さのほどに」をバネに、あるいは、断ち切り、もう一方の「明るくかし処(こ)を彩れ」の、いってみれば、積極的な、ストイックな意識を、より強く記述しようとするところがある。

 今、「バネに、あるいは、断ち切り……」といったが、厳密には「バネに」と「断ち切り」は、まったく意味が異なる。
 でも、精神上、これを明確に区別することは、なかなかむずかしい。
 たいていは混在している。
 バネ>断ち切り……の場合もあれば、バネ<断ち切り……の場合もある。
 バネ>断ち切り……「明るくかし処を彩」る記述ができればいいのだが、わたしの場合は、バネ<断ち切り……テンションを上げて「明るくかし処を彩」る記述になってしまうようだ。

 これをやると――
(1)憂愁の細部をパスする
(2)展開が軽くなる。(早い展開になる。)
(3)(やや論理が飛躍するかもしれないが)自身の記述に対し、低い評価をしがちになる。(慢性的自信喪失症)

 ま、だから、「憂愁の深さのほどに」という深い悲哀の淵に密接しやすい、「テンション低下状態も、結構、いいもんだぁ~」となる。

 なんだか、ただ一回りまわってきただけのようだ(>_<)(>_<)。



◆重度のテンション低下状態だが、具体的に、ひとつ企みがある。
 テンション低下状態で、「教育」を語りたいのだ。
 テンションが高い状態で、教育を語ると、わたしの場合、どうしても「国レベルの施策 → 教育現場」という方向の記述になる。
 みなみ在職中の「職員室通信」は、たぶん、ほとんど、この方向の矢印上にのっかるはずだ。
 そうではなく、「教育現場 → 国レベルの施策」の方向で語りたい。
 ド~ンと落ちこんだ瞬間、両の手で頬杖をつきながら、まっさきに思ったのは、「ああ、この気分で、ボソボソと……であれば、今、わたしは教育が語れる」ということだった。

◆けさ、夢に、早逝した森岩Tが出てきた。
 2人で、来年度の学校経営の細部を語り合っていた。
 森岩Tが、力強くビジョンを打ち出し、わたしはそれに圧倒されながら聞いているという夢だった。

 昨日は、十数年前に早逝した友人・田中隆夫がやってきた。
 田中とは、学生時代、いっしょに同人雑誌をやっていた。
 当時、わたしはお城のそばに住んでいた。
 お城の中に図書館があったので、「図書館にいってきたんだ」と、よく寄ってくれた。
 夢の中でも、そういうひょっこりという感じで現れて、三島由紀夫のことを語っていた。


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