■きのう、この9月の「絶不調」と密接不離の関係にある「4人の登場」についての話をしたとき、「4人」のことを「海図あるいは北斗七星」と書いた。 書いたあと、「海図」と「北斗七星」とを同じ文脈上に並べるのは変だなぁ~と思った。 海図といえば、羅針盤だろう。 北斗七星は時代が違う。 しかし、海図と羅針盤として……、では「4人」は、わたしにとって「海図&羅針盤」かというと、これはまたちょっとニュアンスが違う。 水深はどうか? 海岸の地形は? 海底の危険物は?……という話になってしまう。 「4人」は、もっと大きな、運命的な、人生のチャートだ。 だから「北斗七星」がピッタリだ……ということで、次のように書き改めることにする(^_-)。 「いわば、同空間軸上に存在する4人を北斗七星として、大海原を疾駆している」と。 ■2005~2006にかけて、その「4人」は、万にひとつの確率……といった感じで、次々にわたしの目の前に現れるのだが、4人目の八木も、実に不思議な……登場の仕方だった。 八木というのは、このHPの右サイドバーの下のほうに張り付けてあるハガキの主だ。 現在、某企業の研究所で所長をやっている。 何度か、このハガキを削除しようとしたのだが、削除すると、サイドバーのカタチが崩れてしまうので、仕方なく、ズルズルと、そのままにしてあった。 八木については、まず、わたしが、今年の4月25日の全校朝会で、生徒に次のような話をする。 骨子をアップする。
■ま、だいたい、こんな話だった。 「八木」という実名を出したのは、勢いあまったのか? あるいは、他の3人は現れたが、八木は現れていない……もう現れることもないだろう……という、わたしの人生の中では、現存在の人物というより、既に非現実の存在という認識が強かったのか? と、その夜、八木からメールが届いた。 36年間、相互に音信不通状態だったのに、全校朝会で八木の話をしたとたん、その本人からメールというのは、どう考えても、あり得ない話だ。 (みなみの生徒には、ほんとうにもうしわけないが)瞬間的に、イタズラメールだと思った。 しかし、読みすすめていくと、「阿倍野カトリック教会」「清水谷の公園」「阿倍野の喫茶店」など、八木とわたししか知らない単語がでてきて、ホンモノの八木だとわかった。 八木のメールによると、4/24の昼休み、部下の、生まれたばかりの子どもの名前で盛り上がり、互いの名前の同姓同名を「グーグルって」いるうちに、「所長(←八木のこと)、こんなのがありますよ」と、わたしのHPを教えられたそうだ。 「自分の昔の葉書がそのまま掲載されている君のHPに衝突した。なにか虚空に向かっているような気がした」と八木は書いている。 ■「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」の「その人」が、マサカ、マサカで次々に眼前に現れ出たことで、わたしは絶不調に陥る。 現れ出なければ、わたしは絶不調に陥ることはなかった……と思う。 2004までの、ま、好調とはいえないが、絶不調ではない、それなりの安定したペースで、ずっと生きていったと思う。 そのままのほうがよかったのか、今の絶不調に陥るほうがよかったのかは、微妙だ。 絶不調は、ほんとうに苦しい。 もう立ち直ることはないだろう。 しかし、この絶不調を知らないで、生きていくというのは、また大きな不幸であるような気もする。 「4人」の話は、シンドイので、これで、いったん休むことにする。 いや、もう話すことはないだろう。 ■きょうは午後から市内中学校教育研究協議会〈領域〉が開かれた。 会場は市内某中学校。 公開授業が道徳3本、特別活動2本、進路指導1本。 参観者600人に、合計6本の公開では、ちょっとさびしい。(一昨年の本校=みなみ中ですら12本公開している。) こんなことをしていると、この市は滅びる。 進路指導の授業、そのあとの問題提起(2本)に参加する。 ■閉会式で10分間話す。 まず、授業へのコメント。
というようなコメントを述べたのだが、やはり授業する者としての基礎・基本(みなみ中でいうと「授業力向上の5原則」のようなもの)をきちんとマスターしないと伸びない。 みなみ中の授業を見慣れていて、他の授業を見ると、その落差に驚く。 ■問題提起2本に対しては、2本に共通していた「新入試制度」に関する管見を短く述べる。 ここでは、その骨子のみ。 ①学力測定方法の追究 ②中学校・高等学校の関係の追究。 ③学校教育と社会教育の関係の追究。 ■協議会が終わったあと、温泉にいく。 湿疹の悪化、風邪とつづいたのでしばらく温泉にいっていなかった。 湿疹98%治癒(まだかすかに跡が残っている)。 風邪も96%治癒。 山間の怒濤のかけ流し……まで足をのばしたいところだが、あすも勤務。 我慢して、近郊の、一部(露天風呂のみ)かけ流しの温泉へ。 日が暮れた露天でひとり目をつむっていたら、毎日ここにきているというご高齢の方から話しかけられる。(もう記述する力が残っていないので、話の内容は省略) ■上の画像は、みなみの校舎3Fからの風景。絶不調の、わたしの心に、しみる風景だ。 [2006年10月04日(水)] ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ |
■昨日、ここで、自分の「職員室通信」から、次の箇所を引用した。
「時間軸」(自己の時間的・歴史的連続性)というのは、ま、いってみれば、「わたしは、将来、新聞記者か放送記者になりたい」とか「わたしは、将来、医療で社会に貢献できる人間になりたい」という「現在あるいは過去の自分」と「未来の自分」の関係だ。 「空間軸」(所属する社会との連続性)というのは、「同級生のU君のようになりたい」とか「同僚のVさんに負けたくない」とか「職場の同僚たちに認められたい」という「同じ時空間に存在する他の人間」と「自分」の関係だ。 当然、この2軸は絡み合っている。 ただ、経験的にいうと、世の中には、やたら時間軸にこだわる人間と、反対に、やたら空間軸を気にする人間とが存在する^^;。 わたしは、自分のことを、U君も、Vさんも、関係ない……、ひたすら、わが道を驀進する、徹底した「時間軸」人間だと思いたがるところがある。 そのように見せたがるところがある。 しかし、ほんとうのところは、その逆なのだ。 証拠に、だいぶ前になるが、「オマエは、今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」という「その人」を設定している。 4人いる。 設定の根拠については、4人が存命中なので触れたくないが、この「設定」は、自分が死ぬまで解除するつもりはない。(追加することはあり得ると思うが……。) いわば、同空間軸上に存在する4人を、海図あるいは北斗七星にして、大海原を、艱難辛苦、疾駆している……ということになる。 ■話を、この9月の絶不調にもどす。 絶不調と、この4人とは密接不離の関係にある。 4人とは、それぞれ時代は大きく異なるが、かつて、わたしと同じ空間に存在した人物だ。 その後、異なる空間で存在することになる。 異なる空間に存在しているから「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」と言えるわけだ。 ところが、運命のイタズラなのだろう。 2005~2006にかけて、万にひとつの確率で、次々にわたしの目の前に現れることになったのだ。 今は結論だけをいう。 「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」 残念ながら、立てなかったのだ。 その打撃が、この9月に一気に来たというのではない。 今の姿と、願わくは、こうありたいと思う姿との、微妙なヒズミが、たまりたまって、9月に巨大なヒズミとしてむき出しになったのだ。 もう一度、「職員室通信」を引用する。
冗談ではなく、今、わたしは「危険」な状態にある。 ■きょう、珍しい人に遭遇した。 (断っておくが、先の「4人」とは関係ない(^o^)。) 現実から遠い遠い距離の、古い古い時間の層が崩れ、ひょっこり出てきたという感じで、心臓が止まるくらい驚いた。 ■その人は、病院の自動ドアの向こうにいた。 一歩出たところで、 「おひさしぶり」 と声をかけられた。 ほんとうにひさしぶりで、指を折って数えたら25年ぶりだ。 2度、3度と「変わってないね」と言われたので「いやぁ、やはり加齢とともに、あちこち、いろいろと……ね」と笑ったら、 「その言い方が変わっていないよ」 とからかわれた。 わたしも負けないように「あなたも変わってないね」と言いかえしたのだが、これはウソではない。 ボールペンが万年筆くらいに体型は変わっていたけれど、空間への存在の仕方と、その場から次の場へと移動しようとするエネルギーの質は昔のままだった(*^_^*)。 翌日、しかし、なにかが変わっている……と感じた。 ここはエッセーを書くスペースではないので、わたしがその「なにか」にたどりつく過程はパスする。 喫茶店などで向かいあって語りながらでも、うちにシンと鎮まり、遠くを見つめているような「視線」(これは現実のなにかをみる視線でも、他人から見られることを意識した視線でもない)が、欠落していた(ように思えた)。 知人の25年の見過ぎ世過ぎの「時間軸」と「空間軸」を想った。 エッセーだと、ここで自虐的に自分の側にふるという「オチ」が来るのだが、きのうもきょうも自虐、自虐だから、これはパスする^^;^^;σ。 ■きょうは全校朝会だった。 次がわたしのスピーチの骨子。
★画像は、みなみ小・中PTA研修旅行で立ち寄った五所川原市・立佞武多の館で撮影。 [2006年10月03日(火)] ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ |
■9月中旬に「このHPのDiaryにほぼ1ヵ月の空白ができてしまった」と書いた。 それから、またさらに2週間が過ぎてしまった。 自分のHPにDiary的な記述をアップするようになって、足かけ7年になるが、「1ヵ月の空白」+「2週間の空白」というのは、記憶にない。 自分の精神の深部に何が起こったのだろうか? 強烈なブレーキがかかったような不調期間がつづいたことは間違いない。 だが、そのブレーキの正体は?……となると、なかなかうまく言い当てられない。 言い当てることができないから、不調なのだろう。 もし言い当てることができれば、たぶん修正するに違いない。 いや、そうではなく、かりに言い当てたからといって、どうすることもできないのではないのか?……とも考えられる。 とにかく深刻な状況だった。 「状況だった」と過去形で言っていいかどうかも、わからない。 深刻な状況が、今も、つづいているのではないか? そういえば、つづいているような気もする。 8月中旬に、花巻の高村光太郎山荘を再訪し、光太郎の「いずれは一反までは耕作して」を、あるいは、「アトリエも近くに建てて」を、あるいは「農業と彫刻を両立させたい」を転記しながら、それらを自分がこれからやろうとする教育の仕事に置き換え、魂の置き場所を定めた。 その直後の絶不調だけに、ショックは大きい。 ■わたしは、長期休業が終わりに近づいたとき、よく教職員に次のようなコメントを出している。
■あらためて読み返してみると、この自分の記述に、この自分が当てはまってしまっているような気がして、苦笑してしまった。 特に、この箇所――
子どもだけではない。 大人も危険だ。 それに対処法――
なんだ、これって、自分のための対処法ではないのか? だれか、寄り添ってくれぇぇ~ィ!!!!(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T) 泣き面に蜂で、カゼまで引いた。 ま、カゼのほうは80%快癒したが……。 ■けさ、大人のトラを1匹、放し飼いにしたまま、園内に生徒たちを入場させてしまった夢をみた。 自分が動物園長なのか校長なのかは、はっきりしない。 「シマッタ、あのときオリ入れておけばよかった。もう少し自由に遊ばせてやろうと思ったのが失敗だった」とつぶやきながら、 ①このまま知らないふりをしてダンマリを決めこむか? ②即、なにか対応すべきか?…… と、さんざん迷ったあげく、 ③志塚Tに「鎖につないでつれてきてほしい」とたのんでいる。 志塚T「う~ん、犬ではなくて、トラでしょ?」 わたし「犬と同じように首輪がついている。だから鎖の留め金をカチッとやればいい」 「カチッと……ね、なるほど」と、鎖を肩にぶらさげて出かける志塚Tの後ろ姿を見送るところで、目が覚めた。 自分の真の姿を鋭く透視する夢だと思った。 ★画像は、2006みなみ小・中PTA研修旅行から [2006年10月01日(日)] ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ |