職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

「4人」の話は、シンドイので、これで、いったん休むことにする。……いや、もう話すことはないだろう。

2006-10-04 05:24:02 | Weblog

 2006  遂に4人目・八木の登場


■きのう、この9月の「絶不調」と密接不離の関係にある「4人の登場」についての話をしたとき、「4人」のことを「海図あるいは北斗七星」と書いた。
 書いたあと、「海図」と「北斗七星」とを同じ文脈上に並べるのは変だなぁ~と思った。
 海図といえば、羅針盤だろう。
 北斗七星は時代が違う。
 しかし、海図と羅針盤として……、では「4人」は、わたしにとって「海図&羅針盤」かというと、これはまたちょっとニュアンスが違う。
 水深はどうか? 海岸の地形は? 海底の危険物は?……という話になってしまう。
 「4人」は、もっと大きな、運命的な、人生のチャートだ。
 だから「北斗七星」がピッタリだ……ということで、次のように書き改めることにする(^_-)。

 「いわば、同空間軸上に存在する4人を北斗七星として、大海原を疾駆している」と。

■2005~2006にかけて、その「4人」は、万にひとつの確率……といった感じで、次々にわたしの目の前に現れるのだが、4人目の八木も、実に不思議な……登場の仕方だった。

 八木というのは、このHPの右サイドバーの下のほうに張り付けてあるハガキの主だ。
 現在、某企業の研究所で所長をやっている。
 何度か、このハガキを削除しようとしたのだが、削除すると、サイドバーのカタチが崩れてしまうので、仕方なく、ズルズルと、そのままにしてあった。

 八木については、まず、わたしが、今年の4月25日の全校朝会で、生徒に次のような話をする。
 骨子をアップする。

 中学という時代、思春期という時代は、未来にむかって人生、独立のために一歩一歩前進していく時代だ。
 「お父さん、お母さん、ここまでこんなふうに育ててくれて、ほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます。」

 このように、親の庇護から離れ、親に心配をかける量を減らしながら、逆に、自分で判断し、自分で責任をとる量を徐々に増やして、一歩、一歩、大人の仲間入りをしていく、そして、心も体も飛躍的に成長していくという時代だ。

 しかし、自分で判断し、自分で責任をとるということはなかなかたいへんなことだ。
 迷うことも多い。
 苦しみ、悩み、時には大失敗をしてしまうこともあると思う。

 そういう君たちにひとつアドバイスをしたい。
 自分が何かをしようとするとき、「意識する人間」、「気にする人間」を3、4人持つといい。
 こうしようと思うが、この人はどんなふうに思うだろう?……と。今のような自分の姿で、この人の前に出られるか?……と。

 わたしにも意識する、意識してきた人間が4人いる。
 1人は八木という男で、わたしと同じ年齢で、高校・大学時代の友人だ。
 2人目は教え子で、教師1年目、学級担任をしていたクラスの生徒だ。
 3・4人目は同じ教師で、わたしより歳が若い。




■ま、だいたい、こんな話だった。
 「八木」という実名を出したのは、勢いあまったのか? あるいは、他の3人は現れたが、八木は現れていない……もう現れることもないだろう……という、わたしの人生の中では、現存在の人物というより、既に非現実の存在という認識が強かったのか?

 と、その夜、八木からメールが届いた。

 36年間、相互に音信不通状態だったのに、全校朝会で八木の話をしたとたん、その本人からメールというのは、どう考えても、あり得ない話だ。
 (みなみの生徒には、ほんとうにもうしわけないが)瞬間的に、イタズラメールだと思った。
 しかし、読みすすめていくと、「阿倍野カトリック教会」「清水谷の公園」「阿倍野の喫茶店」など、八木とわたししか知らない単語がでてきて、ホンモノの八木だとわかった。

 八木のメールによると、4/24の昼休み、部下の、生まれたばかりの子どもの名前で盛り上がり、互いの名前の同姓同名を「グーグルって」いるうちに、「所長(←八木のこと)、こんなのがありますよ」と、わたしのHPを教えられたそうだ。
 「自分の昔の葉書がそのまま掲載されている君のHPに衝突した。なにか虚空に向かっているような気がした」と八木は書いている。

■「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」の「その人」が、マサカ、マサカで次々に眼前に現れ出たことで、わたしは絶不調に陥る。
 現れ出なければ、わたしは絶不調に陥ることはなかった……と思う。
 2004までの、ま、好調とはいえないが、絶不調ではない、それなりの安定したペースで、ずっと生きていったと思う。
 そのままのほうがよかったのか、今の絶不調に陥るほうがよかったのかは、微妙だ。
 絶不調は、ほんとうに苦しい。
 もう立ち直ることはないだろう。
 しかし、この絶不調を知らないで、生きていくというのは、また大きな不幸であるような気もする。

 「4人」の話は、シンドイので、これで、いったん休むことにする。
 いや、もう話すことはないだろう。




■きょうは午後から市内中学校教育研究協議会〈領域〉が開かれた。
 会場は市内某中学校。
 公開授業が道徳3本、特別活動2本、進路指導1本。
 参観者600人に、合計6本の公開では、ちょっとさびしい。(一昨年の本校=みなみ中ですら12本公開している。)
 こんなことをしていると、この市は滅びる。

 進路指導の授業、そのあとの問題提起(2本)に参加する。

■閉会式で10分間話す。

 まず、授業へのコメント。


(1)授業冒頭からタラタラと青い山脈型授業をやっていると、はっきりいうけど、半ばあきれていた。
 が、結果として15分後、生徒全員(1人1人)に学習課題をしっかりつかませていた。
 これは見事、感激、スゴイと想った。
 ただし、できれば5分間で、この過程は終わらせたい。

(2)今、述べた青い山脈型授業だが、冒頭だけでなく、ず~と、延々と続く。
 決して、全部は、否定しないが、しかし、ポイント、ポイントでは、たとえば、賛成か反対かを挙手させたり、あるいは短くその理由を書かせたりする等、適切な作業を取り入れるような授業設計が必要だ。

(3)指導者の目線に課題がある。
 全体を見ていない。
 教卓からみて左後方に厚く、右後方に薄い。
 前方は欠落している。
 したがって当然、目線が流れている。
 1人1人と目をあわせ、授業が終わったあと「わたしと目があった人」と聞いたら、全員挙手するような目の配り方が必要。

(4)「これから5分間でやってもらいます。3分間に切り上げるかもしれません」というような指示・時間設定はしない。
 「まだの人もいますが、はい、やめなさい」もマズイ。

(5)授業の展開に積み重ねがない。
 次から次に学習課題に取り組ませるだけで、前の学習があとの学習に生かされていない。
 「ニートが増える理由」をグループで話し合わせ、発表させたあと、それに対する教師の評価やまとめがないまま、次にいきなり「生徒のグッジョブ前後のアンケート」が提示される。
 わたしだったら、生徒のグッジョブ体験をもとにして、「ニートが増える理由」を考えさせる。
 授業者はきょうの授業の展開を「力わざ」と言っているが、こういう授業のやり方を「力わざ」とは言わない。
 こういう授業でいいなら、こんなに楽な仕事はない。

(6)語りが魅力的だ。
 自分の思い(楽しい・興味がある等)が的確に生徒に伝わっている。
 これは、うらやましい。
     (授業対するコメント以上)

 というようなコメントを述べたのだが、やはり授業する者としての基礎・基本(みなみ中でいうと「授業力向上の5原則」のようなもの)をきちんとマスターしないと伸びない。

 みなみ中の授業を見慣れていて、他の授業を見ると、その落差に驚く。

■問題提起2本に対しては、2本に共通していた「新入試制度」に関する管見を短く述べる。
 ここでは、その骨子のみ。
 ①学力測定方法の追究
 ②中学校・高等学校の関係の追究。
 ③学校教育と社会教育の関係の追究。

■協議会が終わったあと、温泉にいく。
 湿疹の悪化、風邪とつづいたのでしばらく温泉にいっていなかった。
 湿疹98%治癒(まだかすかに跡が残っている)。
 風邪も96%治癒。
 山間の怒濤のかけ流し……まで足をのばしたいところだが、あすも勤務。
 我慢して、近郊の、一部(露天風呂のみ)かけ流しの温泉へ。

 日が暮れた露天でひとり目をつむっていたら、毎日ここにきているというご高齢の方から話しかけられる。(もう記述する力が残っていないので、話の内容は省略)




■上の画像は、みなみの校舎3Fからの風景。絶不調の、わたしの心に、しみる風景だ。
     [2006年10月04日(水)]

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同空間軸上に存在する4人を、海図あるいは北斗七星にして、大海原を、艱難辛苦、疾駆していくわたし

2006-10-03 12:56:49 | Weblog

 2006  その人の前に立てるか?


■昨日、ここで、自分の「職員室通信」から、次の箇所を引用した。

  わたしは自分のアイデンティティー(同一性)を、時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。


 「時間軸」(自己の時間的・歴史的連続性)というのは、ま、いってみれば、「わたしは、将来、新聞記者か放送記者になりたい」とか「わたしは、将来、医療で社会に貢献できる人間になりたい」という「現在あるいは過去の自分」と「未来の自分」の関係だ。

 「空間軸」(所属する社会との連続性)というのは、「同級生のU君のようになりたい」とか「同僚のVさんに負けたくない」とか「職場の同僚たちに認められたい」という「同じ時空間に存在する他の人間」と「自分」の関係だ。

 当然、この2軸は絡み合っている。
 ただ、経験的にいうと、世の中には、やたら時間軸にこだわる人間と、反対に、やたら空間軸を気にする人間とが存在する^^;。

 わたしは、自分のことを、U君も、Vさんも、関係ない……、ひたすら、わが道を驀進する、徹底した「時間軸」人間だと思いたがるところがある。
 そのように見せたがるところがある。

 しかし、ほんとうのところは、その逆なのだ。
 証拠に、だいぶ前になるが、「オマエは、今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」という「その人」を設定している。
 4人いる。
 設定の根拠については、4人が存命中なので触れたくないが、この「設定」は、自分が死ぬまで解除するつもりはない。(追加することはあり得ると思うが……。)

 いわば、同空間軸上に存在する4人を、海図あるいは北斗七星にして、大海原を、艱難辛苦、疾駆している……ということになる。





■話を、この9月の絶不調にもどす。
 絶不調と、この4人とは密接不離の関係にある。

 4人とは、それぞれ時代は大きく異なるが、かつて、わたしと同じ空間に存在した人物だ。
 その後、異なる空間で存在することになる。
 異なる空間に存在しているから「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」と言えるわけだ。
 ところが、運命のイタズラなのだろう。
 2005~2006にかけて、万にひとつの確率で、次々にわたしの目の前に現れることになったのだ。
 今は結論だけをいう。
 「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」
 残念ながら、立てなかったのだ。

 その打撃が、この9月に一気に来たというのではない。
 今の姿と、願わくは、こうありたいと思う姿との、微妙なヒズミが、たまりたまって、9月に巨大なヒズミとしてむき出しになったのだ。

 もう一度、「職員室通信」を引用する。


 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 わたしはキライではないが、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

 冗談ではなく、今、わたしは「危険」な状態にある。




■きょう、珍しい人に遭遇した。
 (断っておくが、先の「4人」とは関係ない(^o^)。)
 現実から遠い遠い距離の、古い古い時間の層が崩れ、ひょっこり出てきたという感じで、心臓が止まるくらい驚いた。

■その人は、病院の自動ドアの向こうにいた。
 一歩出たところで、
 「おひさしぶり」
 と声をかけられた。
 ほんとうにひさしぶりで、指を折って数えたら25年ぶりだ。
 2度、3度と「変わってないね」と言われたので「いやぁ、やはり加齢とともに、あちこち、いろいろと……ね」と笑ったら、
 「その言い方が変わっていないよ」
 とからかわれた。

 わたしも負けないように「あなたも変わってないね」と言いかえしたのだが、これはウソではない。
 ボールペンが万年筆くらいに体型は変わっていたけれど、空間への存在の仕方と、その場から次の場へと移動しようとするエネルギーの質は昔のままだった(*^_^*)。

 翌日、しかし、なにかが変わっている……と感じた。
 ここはエッセーを書くスペースではないので、わたしがその「なにか」にたどりつく過程はパスする。
 喫茶店などで向かいあって語りながらでも、うちにシンと鎮まり、遠くを見つめているような「視線」(これは現実のなにかをみる視線でも、他人から見られることを意識した視線でもない)が、欠落していた(ように思えた)。
 知人の25年の見過ぎ世過ぎの「時間軸」と「空間軸」を想った。
 エッセーだと、ここで自虐的に自分の側にふるという「オチ」が来るのだが、きのうもきょうも自虐、自虐だから、これはパスする^^;^^;σ。

■きょうは全校朝会だった。
 次がわたしのスピーチの骨子。


 
 
決意して強くなる
                                〈全校朝会スピーチ〉

◆学校からわたしの家まで10㎞。
 はなむけ号(折りたたみ自転車の名前)だと、35分~40分。
 周りにはたくさん自動車が切れ目なく走っている。
 スーパー周辺にはたくさんの人々が集まっている。
 こういうなかを自転車でひとり、タラタラと走る孤独感が大好きです(*^_^*)。
 まわりに人々がたくさんいるのに、孤独。
 わたしはこういう孤独を、開かれた孤独と呼んでいる。
 この孤独感の中で、わたしは教師でもない、夫でもない、親でもない、いわば本来の自分?とつきあえるのです(^_^)v。
 いよいよ秋本番。
 みなさんも「開かれた孤独」の中で、自分のこと、自分の過去のこと、自分の先々のことを考えることを勧めます。

◆しばらく前から、みなさんに聞いてみたいと思っていることがあります。
 前回、前々回と、ある同じ話をしました。
 人間は決意すると強くなる。
 感謝すると大人になる。
 他のためにがんばると美しくなる。
 3つのうち、なんとなくわかる、自分もやれそうだ……というのと、よくわからない、自分にはむずかしそうだ……というのがあると思う。
 そこで聞きます。
 よくわからない、自分にはむずかしそうだ……と思うものを1つ選んでください。
 決意すると強くなる。
 感謝すると大人になる。
 他のためにがんばると美しくなる。
 この中から、自分にはむずかしいというものを1つ選んで手をあげてください。
 では、
 決意すると強くなる。(8人)
 感謝すると大人になる。(300人)
 他のためにがんばると美しくなる。(100人)

◆この3つはだれかが言っているとか、どこかの本に書いてあるというのではなく、わたしの体験から言っていることです。
 きょうは、みなさんの手がいちばんあがらなかった、すなわち、みなさんが「いちばんわかる」と言っている「決意すると強くなる」について、短く、わたしの体験を話します。

 春休みで、だらだらとして、遅く起きて、寝っ転がってテレビで高校野球をみたりしていました。
 そういうわたしが、ふとしたことで父親の汗水流して働く姿をみてしまったんです。
 父親は気づいていなかったです。
 父の姿をみて、「もうしわけない」と思いました。
 もう1つ、同じ時期のこと。
 わたしは中学のとき、アマチュア無線をやっていました。
 当時は送信機や受信機は全部自分で作っていました。
 その技術をサークルで教えてもらうんですが、まわりはみんな大人。
 当時は中学生の無線技士はめずらしかった。
 自己紹介の場面。
 大阪朝日放送で……をしている早川です。
 ○○高校の島田です。物理を教えています。
 生野区の林寺で電気店をやっている五十川です。
 いやぁ、格好いいなぁ。
 みんな自分の仕事をもって、自分で稼いでアマチュア無線をやっているんだなぁ……親の金でやっているのは自分だけだ……。

 父の働く姿を見、仕事を持ってがんばっている仲間に出会い……これ以降、わたしは「決意」して、確実に変わりました。

◆その頃のわたしとみなさんが同じ歳です。
 みなさんは、日々、決意し、大きく強くなっていく時期です。
 決意の10月になることを願っています。




★画像は、みなみ小・中PTA研修旅行で立ち寄った五所川原市・立佞武多の館で撮影。
[2006年10月03日(火)]

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強烈なブレーキがかかったような不調期間がつづいたことは間違いない。だが、ブレーキの正体は?となると

2006-10-01 13:45:16 | Weblog

誰か寄り添ってくれぇぇ~ィ!!



■9月中旬に「このHPのDiaryにほぼ1ヵ月の空白ができてしまった」と書いた。
 それから、またさらに2週間が過ぎてしまった。

 自分のHPにDiary的な記述をアップするようになって、足かけ7年になるが、「1ヵ月の空白」+「2週間の空白」というのは、記憶にない。

 自分の精神の深部に何が起こったのだろうか?

 強烈なブレーキがかかったような不調期間がつづいたことは間違いない。
 だが、そのブレーキの正体は?……となると、なかなかうまく言い当てられない。
 言い当てることができないから、不調なのだろう。
 もし言い当てることができれば、たぶん修正するに違いない。
 いや、そうではなく、かりに言い当てたからといって、どうすることもできないのではないのか?……とも考えられる。

 とにかく深刻な状況だった。
 「状況だった」と過去形で言っていいかどうかも、わからない。
 深刻な状況が、今も、つづいているのではないか?
 そういえば、つづいているような気もする。

 8月中旬に、花巻の高村光太郎山荘を再訪し、光太郎の「いずれは一反までは耕作して」を、あるいは、「アトリエも近くに建てて」を、あるいは「農業と彫刻を両立させたい」を転記しながら、それらを自分がこれからやろうとする教育の仕事に置き換え、魂の置き場所を定めた。

 その直後の絶不調だけに、ショックは大きい。




■わたしは、長期休業が終わりに近づいたとき、よく教職員に次のようなコメントを出している。


 2学期のはじめは
 
アイデンティティの危機に寄り添う
                              〈学年・学級経営のポイント1〉

◆アイデンティティという語に対する適切な日本語訳がないといわれる。
 実際、日本語のいろんな文脈のなかで、「正体」、「身元」、「本質」、「独自性」、「主体性」、「本性」、「存在証明」「自己像」「本来の自分」……などと使われている。
 8/21みなみ小・中連携研究会の席上でも、講師の佐藤亜希氏が「先生方のアイデンティティ……」という言い方をし、それを受けるかたちで、わたしもお礼のことばのなかで「佐藤亜希氏のアイデンティティ……」という言い方をしたが、たぶん2人の「アイデンティティ」の概念には微妙なズレがあったと思う。

◆わたしは迷わず(というか長いあいだ「迷」った結果として、現在は単純、頑迷に)「同一性」と直訳している。
 と同時に、これを時間(垂直)軸と空間(水平)軸の2軸でとらえている。
 「時間軸」は、もちろん自己の時間的・歴史的連続性、つながり。
 「空間軸」は、所属する社会との連続性、つながりである。
 それぞれについて具体的に語りたいところだが、時間とスペースの関係で全部はしょる。

◆今、この時期、ここで話題にしたいのは、空間軸のほうだ。
 空間軸の例として、
(1)学級・学年の友人とのつながり
(2)教師とのつながり
(3)家族とのつながり
(4)地域の人々とのつながり
(5)インフォーマルな友人とのつながり
(6)部活動仲間とのつながり
(7)いわゆる「第4の領域」の仲間とのつながり……等々。

 経験的にいって、いわゆる「急性のアイデンティティ混乱」も含め、2学期はじめは、自己の存在の意味を見失ってしまう中・高校生が多い(自殺者も圧倒的にこの時期が多い。)

 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 わたしはキライではないが、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

◆欲をいえばきりがない。わたしは(1)~(7)のどれが1つが、つながっていれば、「さしあたって今は大丈夫」と考えている。(←かなり粗い話だか……。)

 先生方には、「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、2学期、どんなところがよくなりたいと思って出校してきているのだろうか?」)とともに、ひとりひとりの(1)~(7)のつながり(=空間軸のアイデンティティ)を観察していただきたい。
 そして、消滅しかかっている空間軸のアイデンティティに寄り添っていただきたい。

 「観察」については
(1)子どもといっしょに「存在」する。ただ、いっしょに「存在」するだけでいい。
(2)アンケート調査(含ミニ課題作文)
(3)チャンス相談……など、プロとして多様な手法を組み立てて工夫を。

 「寄り添う」については、いつもの〈カウンセリングの三角形〉でいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは、避ける)ことを基本に、
(1)将来への目標を持たせる。
 体育祭に向けて……市中体にむけて……文化祭にむけて……修学旅行にむけて。
 行事の運営はたいへんだが、こういう状況ではかなりの威力を発揮する。
 先生方ご自身の2学期の夢もぜひ熱っぽく語ってほしい。
(2)自分のよいところに気づかせる
(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。〈「職員室通信」より抜粋〉

 



■あらためて読み返してみると、この自分の記述に、この自分が当てはまってしまっているような気がして、苦笑してしまった。

 特に、この箇所――

 空間軸の崩壊が、それに複雑に絡みつつ形成されている時間軸の崩壊につながるのだろう。
 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。
 わたしはキライではないが、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。

 子どもだけではない。
 大人も危険だ。

 それに対処法――

 「寄り添う」=〈カウンセリングの三角形〉でいうと「A←一体になる・B←味方になる」部分をぶ厚くする(=即助言というのは、避ける)ことを基本に、
(1)将来への目標を持たせる。
(2)自分のよいところに気づかせる
(3)自分の存在が他のためになっていることに気づかせる……など。

 なんだ、これって、自分のための対処法ではないのか?
 だれか、寄り添ってくれぇぇ~ィ!!!!(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)

 泣き面に蜂で、カゼまで引いた。
 ま、カゼのほうは80%快癒したが……。




■けさ、大人のトラを1匹、放し飼いにしたまま、園内に生徒たちを入場させてしまった夢をみた。

 自分が動物園長なのか校長なのかは、はっきりしない。

 「シマッタ、あのときオリ入れておけばよかった。もう少し自由に遊ばせてやろうと思ったのが失敗だった」とつぶやきながら、
 ①このまま知らないふりをしてダンマリを決めこむか?
 ②即、なにか対応すべきか?……

 と、さんざん迷ったあげく、

 ③志塚Tに「鎖につないでつれてきてほしい」とたのんでいる。




 志塚T「う~ん、犬ではなくて、トラでしょ?」
 わたし「犬と同じように首輪がついている。だから鎖の留め金をカチッとやればいい」
 「カチッと……ね、なるほど」と、鎖を肩にぶらさげて出かける志塚Tの後ろ姿を見送るところで、目が覚めた。

 自分の真の姿を鋭く透視する夢だと思った。

★画像は、2006みなみ小・中PTA研修旅行から
[2006年10月01日(日)]

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