職員室通信・600字の教育学

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経過した人生の時計の音が、わたしにはやはり根岸のグランドがいちばん聞こえるということになるのでしょう

2006-10-15 10:38:59 | Weblog

 2006 人生の時刻の音 



■朝、起きてすぐ、明日の午後、名川町民ホールで開かれる、トークセッション「学校・地域・社会福祉協議会で進める福祉教育」に使用するパワーポイントデータのチェック。
 説明原稿の準備。

■そのあと、次の仕事への踏み台のつもりで、ちょっと読書を……と思ったのですが、結局、午前中ずっと読みつづけてしまいました。
 『モンマルトル日記』(辻邦生)に没入。
 ひきつづき、『人と心と言葉』(江藤淳)に没入。
 この「没入」から得たエネルギーを、次の仕事につなげることに失敗。
 とうとう、午後の仕事は諦めてしまいました。

 「読む」ことにエネルギーを費やしてしまったのでしょうか?
 あるいは、「読」んだら→「書く」という、わたしのうちにあって、苦しいときには、結構、活躍する仕組みが、このところ、徐々に、徐々に、機能しなくなってきたのでしょうか?

 「読んだら書く」というのは、わたしは、とても危険なことだという思いもありますから、これはこれでかまわないのですけれど、自分のうちに危険な部分がなくなるというのは、さびしくもあります。





 昼過ぎ、気分転換に、はなむけ号(折りたたみ自転車)で散歩。
 西村整形外科→赤田外科→裁判所→博物館→夜間救急診療所→二本木マンション→サンデー……と走りました。
 途中、近所の蕎麦屋の前で、木村Tと青木Tに遭遇。
 「これから昼食です」とニコニコしています。
 誘ってもらえませんでした^^;。

 帰ってから、気分一新、教え子への手紙を書くことにしました。

■拝啓 あなたの第2弾の手紙の〈追伸〉の中に〈小6の時、年賀状に「つづき②③がある」と言っていたのに、つづきは来ませんでした〉とありましたが、今度はその②を、あなたの第2弾が届く前に投函完了していたことで、ホッ!とすると同時に、「私は30年前にも既に〈②……③……〉とやる癖があったのか……。そうだとすると、30年ぶりに出した葉書は、①ではなく②だったのだ……そしてこの手紙は④なのか……」と、いささかの感慨を催さざるを得ませんでした(^_^)v。

 あなたが家に遊びに来たときのことはよく覚えています。
 私も③か④か⑤の手紙に書くつもりでいたのですが、先にあなたに書かれてしまいました。
 何をして遊んだのかは忘れてしまいましたけど、めちゃくちゃおもしろかったことと、みんなが家が壊れてしまいそうなくらいドンドンやったことは覚えています。
 わたしは、もちろん、ドンドンには加わらなかったと思いますが、しかし、加わったのかもしれませんね(*^_^*)。
 もう忘れてしまいました(*^_^*)。

 根岸小(正確には、その周辺)には、ここ10数年くらい、おそらく毎年1回程度は、訪ねていると思います。
 どうして訪ねていくのかは自分でもはっきりしません。
 身過ぎ世過ぎの生活に明け暮れているうちに、胸のうちで「根岸に行きたい、あのグランドの隅でひとりで座ってみたい」という気持ちがだんだん膨らんできます。
 1年に1回ほど、ほんとうに不思議なのですが、必ずそういう気持ちになります。
 校舎は変わってしまいました。
 しかし、グランドと、校舎の位置と、うしろの山、吹く風、頭の上にひろがる空は、わたしたちがいたときと同じです。

 訪ねる理由を、これまでは深く考えなかったのですが、今、こうしてあなたにお便りしながら自分の内心に問うてみると、たぶん、あのグランドの片隅に佇んでいると、あなたたちといっしょに根岸小にいた2年間、別れた後の1年間、その後の、根城中4年間、白銀中4年間、大館中9年間……というふうに経過していった時間、その中には、あなたも同じだと思いますが、結婚とか、失意の転勤とか、愛する人の死とか、別れとか、まさしく人生いろいろあったわけですが、その経過した時計の刻まれる音が、他にも聞こえる場所はあるのだけれども、わたしにはやはり根岸のグランドが、いちばん聞こえる……ということになるのでしょうか?(まだ、ほんとうのところは、よくわかりません。④⑤⑥……ともう少し深く、また角度を変えて考えてみることにします。)

 未熟な教師であったけれど、わたしにとって根岸という小学校は特別な場所です(どう「特別」なのかは、今は置いておくことにしても……)。
 したがって、あなたたちは特別な人です。
 そのあなたからお便りをもらったり、またそのお便りの中に〈※※※※さん〉〈※※※※※さん〉〈※※※※さん〉〈※※※※さん〉などの名前があるのは、教育が人生だと考えているわたしにとって、これこそ人生の至福というべきでしょう。

 ついでにいうと、初詣はずっと小田八幡宮に参拝しています。
 それから、「もし明日死ぬとして、最後に何が食べたいか?」と聞かれたら、(逸見というガンで死んだアナウンサーは放送局前のソバ屋さんでしたが、わたしは)迷わず「ドライブインさつきの豚カツを食べながらビールが飲みたい」と答えます(苦笑)。
 「さつき」というのは、小田の信号の近くにあったお店です。
 行ってみたい、行ってみたいと思っているうちに、もう閉店してしまったようですね。
 きょうはこれで一旦ストップすることにします。




■2度目の風邪は98%治癒。

[2006年10月15日(日)]

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