龍馬通りを通って伏見桃山駅へ引き返す。初めの予定では竹田街道を通って市内、東寺のあたりまで歩くつもりだったけれど、この暑さではどうにもならない。30分しか歩いていないのにもう半分以上の体力は消耗してしまった。
寺田屋の前を行き過ぎて京橋の上に立つ。東を見ると三十石船の船着き場があったあたり。当時はこの3倍以上の川幅があったらしい。そして、寺田屋の前から同じ川幅の水路が真南に宇治川まで通じていた。おそらく、上りの船が西からここまで来て、下りの船はここから南へ下がって宇治川へ下っていったのだろう。ここが大きな水運のロータリーになっていた。その中心、要に寺田屋があったことになる。この風景からその面影を拾うにはとても難しい。せめてあの白いマンションがなければ、寺田屋から水路が見えていくらかは空想しやすいのにと恨めしく思う。
庭の入り口に高札が掲げてある。寺田屋騒動の解説が記されている。寺田屋騒動といっても昨日放送された龍馬が襲われたものではなくて、その4年前薩摩藩の攘夷派が藩主島津久光の命によって鎮圧されたときのもの。
ちなみに、当時の寺田屋は現在の建物の東側、この庭の部分に建っていたという。
ちなみに、当時の寺田屋は現在の建物の東側、この庭の部分に建っていたという。