駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

朝田ねむい『マイリトルインフェルノ』(祥伝社onBLUEコミックス全2巻)

2019年02月12日 | 乱読記/書名ま行
 「まーくん」が何者かは知らない。デカくて超怖いし、匿えとか言って居座られるし、112万円盗られるし(300万になって返ってきたけど)、初めて会った日には襲われて泣かされて、殺されるかと思ったし死にたい気分だった。でもまーくんは朝食に鮭を焼いてくれて、俺の話も聞いてくれて、嫌いな奴らも追っ払ってくれた…最悪な出会いからスパダリ攻になるまで、天才ハッカー×孤独な大学生の物語。

 初めて読む作家さんでしたが、確かなデッサンのクールな筆致の絵柄で、クールというよりドライというかドライすぎるというか…な気は、ちょっとしました。愛想がないというか、けっこう怖い。ロマンチックさや萌えを感じるにはもうちょっと温かみがあってもいいのでは…?と思うのです。それは作風も。
 一般的にBLは、読者は受けに感情移入して読むのかなと私は思っているのですが(でもそれは所詮シスへテロにすぎない私の狭い了見なのかもしれません)、この物語でそのポジションにいる主人公の仁くんの情けなさはまあまあきついと思うのです。いや親孝行だし、これくらいの不器用さでそれでもそれなりに真面目に生きている、という部分はまあまあ一般的で共感しやすいかもしれません。臆病だとか意外とのんきで流されやすい、とかもある種のあるあるでわかりやすい。人はそんなには強くないから、主人公がこれくらいの方が読者がヘンにコンプレックスを刺激されなくていい、というのはあるでしょう。
 でもその一方で、主人公は読者の「なりたい自分」像を負う部分もあると私は思っていて、それからすると情けなさすぎる、というかカッコ悪すぎてかなりイヤ…というギリギリのところまで描写されていると思うのです。作家のその意地の悪さというか人間観というかクールさというかドライさというか、が私にはちょっと怖かった…キャラにおもらしとかあまりさせないと思うんですよね、全然エロティックな文脈じゃないですしね。もちろん現実にはこんな押し込み強盗みたいなものにあったら恐怖でちびると思いますよ、でもだからこそ物語でまでそんな場面見たくなくないですか?
 ま、そのままやられちゃうのが定番なところをスマタですませるリアリティと、というか結局ラストにハッピーエンドになっても行為としてはまだスマタ止まりってのが素晴らしくてそこは好きですけれどね。
 お話としてはかなり好き。よくできていると思います。キャラクターの布陣もいい。もちろん私はサカモト派なワケですが(笑)。彼に幸あれ。
 志なき天才ってのは悪用されがちだから、まーくんがサカモトではなく仁のもとにいることを選んでくれたのは世界平和のためにはよかったです。そして本物の天才ってホント善悪の観念がなくてそのあたりがよくわかっていないものなのでしょうが、サカモトに出会って、ひととおり楽しんで、でもひととおりしか楽しくなかった、コレジャナイってことを学習できたことが彼と世界にとってはラッキーだったのでしょう。彼はまーくんと一緒ならば平和に過ごせて世界も平和なんだと思うのです。愛ってそういうものですよね。よかよか。
 だから私が思ったことは、主に頬に描かれる斜線、紅潮を表すあの記号、描写ってものすごく大事なんだな、ということです。この漫画にはそれがほぼなかったと思います。そういうテレとかとまどい、ためらい、ときめきみたいな柔らかな情緒がもう少しだけでもあれば、ずっしと読みやすくなる、いじらしい恋物語なのにな、と思うのです。でもこのドライさでファンが多い作家さんなのかもしれません、不勉強ですみません。機会があれば他の作品も読んでみたいと思います。

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宙博多座『黒い瞳』初日雑感

2019年02月05日 | 澄輝日記
 宙組博多座公演『黒い瞳/VIVA!FESTA!in HAKATA』を初日から3回連続観劇して帰京しました。
 1998年の月組初演は家にプログラムがなかったので、なんと生では観ていないようです。でもユウコの雪の精のダンスが素晴らしかったことはすごくよく覚えていて、でも斜め上から見た角度でクルクルしているところとかの記憶なので、スカステ映像なんだろうなあ。大空さんの伝説のプガチョフ代役についても、エピソードとしてしか知りません。
 でもだからこそ、2011年に雪組全ツで再演されたときにはすごく嬉しくて、喜び勇んで初日の梅田を観に行ったんですよね。キムミミにぴったり! と感動したし、キムまっつの馬車の歌で初めてあの歌の正しいメロディがわかった気がしたものでした(笑)。
 今回の三演発表も嬉しかったです。私は柴田スキーなので作品そのものが好きでしたし、私はゆりかちゃんの白い役がわりと好きなんです。ただ『WSS』トニーといい、マミちゃん専科っぽくなっちゃっているのは気になりましたが…まどかにゃんのマーシャはそら似合うだろうと思いました。
 シヴァーブリンとかやらせてもらえないかなあ、ガイチの下衆っぷりがホントよかったんだよなあ、コマもよかったよなあ、でもずんちゃんがいるからなあ、マクシームィチもいいよね、いっそサヴェーリィチでもいいけど? とかいろいろ妄想していたら、ベロボロードフって誰だっけ? ひろみがやってた? 元はるんぱさん? 記憶にない、しょぼん…みたいな。
 あと、せーこがエカテリーナってのもなー。もう観たよそれ、もっと他の誰かを起用していった方がいいんじゃないの? とかも思っていました。パラーシカがせとぅーというのもなかなかに意外なような気も、とかとか…
 ともあれ、細かいところはだいぶ忘れていたこともあって、今回の初日はかなりドキドキしながら、新鮮に楽しく観ました。通路挟んで一列前に謝先生がいらっしゃいましたが、メモなど書きつつご覧になっているようでした。
 博多座は盆もセリもあるけれど、装置(國包洋子)は前回まんまなのかな、それともけっこう新しくなっているのかな? とても抽象的なような、でも何にでもなるような装置でとても印象的で効果的で、なので初日は、舞台そのものもちょっと抽象的というか、観客の想像力を必要とさせるというか、全体にパラパラした作りの作品に思えました。
 トリオがストーリーテラーとして説明していたりもするんだけれど、けっこう時間はバンバン経過するし、刻々と変化する政局の表現も台詞だけだったりであまりダイレクトに表現する場面はないので、わかりづらく感じる箇所も多いのかな、と思ったのです。なんと言ってもニコライが自分ではほぼ何もしない主人公なので、いやマーシャのために決闘したりマーシャを救出しに行ったりとかはしているんだけれど、政治の大きなところに関わっていくような立場の人ではなく、そのあたりに関してはほぼ外野、野次馬、傍観者なので、メインのストーリー展開のひとつであるプガチョフとエカテリーナの対立に関してはどうしても脇の立ち位置になり、観客もそれに合わせてややおいていかれ気味になるのは仕方ないのかもしれません。というか全体に、何が芯の話? ってなっちゃいそう、ってのはあるかな。政局の変化と主役ふたりの恋愛のドラマが絡み合っているところがミソではある物語なんですけれどね。
 でも、二度目からは、まあこちらが話をわかって観ることができちゃうというのもあるんですけれど、役者がちゃんと役を煮詰めしっかりきっちり表現し感情とストーリーをつなぎドラマを盛り立て、歴史の大きなうねりとその中の主役ふたりのささやかでもあたたかな幸せ…というお芝居を、がっつり魅せてくれた気がしました。
 私は好きです、楽しいです。いい作品だとも思います。行かない週末もあるしフルフルで観まくるというほどではないですが、いい感じに回数が観られる予定ですし、飽きずに楽しく通えそうです。そして愛ちゃんの専科異動もあって、これは千秋楽は熱い舞台になるよ…! と今から心震えます。楽しみです。

 ゆりかちゃんのニコライは、やっぱりニンでなくはあるかなー、と思ってしまいました。サヴェーリィチへの何度も繰り返される「うるさいなあ」という文句に象徴的なお子ちゃまぶりとか、ホントはペテルブルクで近衛士官になりたかったのにプンスカ、こんな田舎ヤダヤダ、みたいなボンボンっぷりは、本当はもっと別のタイプのスターにこそ似合うキャラクターなのかもしれません(これも全ツで若い二番手スター主演でまわるような演目になっていくといいのかなあ…)。でも、ゆりかちゃんはちょっとムリしてなくもないかもしれないけれど、のびのびと楽しそうに、まっすぐで気のいい好青年をきっちり演じてみせてくれてはいるかなと思いました。スターとしてのニンは違うんだけど、中の人のキャラとしては合致してそう…というのもあるかな。
 対プガチョフの場面はことにどれも良くて、道案内のお礼に外套を無造作にあげちゃうところや「皇帝」プガチョフに忠誠を誓えないところ、呼び名を決めるくだりや馬車の歌、最後に引っ立てられていくプガチョフを見送るところ…ビンビンきました。
 自分は生まれながらの貴族で、女帝陛下に忠誠を誓っているからプガチョフには忠誠を誓えない、という理屈や、軍人だから上意下達が絶対だ、君たちの組織だってそうだろう、みたいな理屈は本当にいかにも男のもので思考停止していて、実は理屈になんか全然なっていないと私なんかは思うんだけれど、それでわかり合えちゃってなんとなく友愛めいたものを感じちゃう男ふたりのドラマ、ってのがいいんですよね。そらベロさんも妬くよね…これは後述。
 そしてそれと対比するように、マーシャとエカテリーナの女ふたりの名場面もある…これも後述。そこから見える、私が考えるこの作品の古さや問題点についても、後述。
 ともあれゆりかちゃんの意外と(意外と言うな)素朴で優しくてまっすぐで、という性質は対マーシャへの愛の表現にもよく出ていて、そういうところもとてもよかったです。彼をこう育てた彼の両親ならきっと、マーシャを受け入れてくれることでしょう。
 まどかにゃんのマーシャもとてもよかったけれど、歌はもっと上手く聞かせられる気がするんだけどなー。あとやっぱり雪の精のダンスはちょっと苦労して見えて、ガンバレ! となりました。ペテルブルクへ向かう場面のダンスはとてもよかったです。実際の距離がどれくらいあるのか知りませんが、ロシアの国境近い田舎から首都への旅は当時の女性にとってそれはそれは過酷なものだったことでしょう。私は『ファラオの墓』の奇跡の砂漠越えとかをちょっと思い起こしたりしちゃいました。柴田脚本はマーシャというヒロインを、ただ守られ、待っているだけの存在ではなく、愛のためにむしろ男以上のことをしでかしてしまう強さと激しさを持った女性として描いていますよね。そこが、いい。
 自分の出自に関してヘンに卑屈になりすぎていない様子や、産みの親にも育ての親にも感謝しているであろうあたたかで優しくてまっすぐな人柄が演技や仕草から窺えたのもよかったです。意外とみんなが事情を知っていて、でも黙ってくれていて、自分も実はそれを知っているんだけれどむしろ周りのために知らない振りをしている、優しく清らかな少女…でも、ニコライとのあのくだりの中で潔くきちんと告白できる、強さや正直さも持っている。勇気が要ったことでしょうし、震える様子もいじらしい。カマトトに見えないよう、綺麗で清らかに演じるのが意外に難しい難役を、まどかにゃんは立派に務めていたと思いました。
 そして愛ちゃんプガチョフが素晴らしかったですね! 見目もデカいが懐もデカい。愛ちゃんがプガチョフという人物を、また脚本が描こうとしているところをものすごくきちんと理解していて、それをきちんと体現してみせているところが何よりすごいと思いました。ラスプーチンの経験が生きていたりとかももちろんあるんだろうけれど、ホント芝居の人だよなーと思います。並ぶとゆりかちゃんがちゃんと貴族の小倅に見えるのもいい。まあ実はふたりともデカくて、馬車の場面なんか、前回と同じものを使っているのかは知りませんが、はみ出て転げ落ちそうに見えましたよね。でもそういう押し出しも大事ですよね。
 圧巻なのは捕縛され、引っ立てられるのに抗って寝っ転がって暴れるくだりで、ホント宝塚歌劇の男役として、いかにある種の汚れ役とはいえやはりかなり無残だし、ギリギリのところだと思うんですよ。でも愛ちゃんはやっちゃうし、それは正しいし、それが観客の胸を打つんだよなと思いました。愛ちゃんの生徒人生の大きな博打は、みんなが応援しているからね…!
 そして新三番手へのわかりやすい布石が着々と置かれているずんちゃんですが、これまた上手い。シヴァーブリンの小物さ、卑小さを絶妙に演じてみせているし、だけどど金髪でセンターパーツでちょっと小さいのは仕方ないにしてとにかくカッコいいし、剣だけでないペテルブルク仕込みが見えるんですよ。そのあたりも絶妙だと思います。イケメンでワル、正解。
 彼が査問会でマーシャの名を出さなかったあたりは、やはり彼は彼なりに今でもマーシャを愛しているということなのか、ニコライが断罪されたあと自分がマーシャを迎えに行くために彼女を無傷でとっておこうとしたのか…というか彼のこのあとの人生は結局どうだったのかしらん、やはり処刑されてしまったのかしらん…
 せーこエカテリーナも圧巻でした。というかあのSEが素晴らしいですね、そしてそれに負けていない演技がすごい。まっぷーやりっつの重臣バイトは存在感があるだけにちょっと気になりましたけどね。あと、エカテリーナが動かしているロシア正規軍の圧倒的物量みたいなものがどうしてもこの舞台では表現できなくて、そこは弱いかなとは感じました(たとえば私はニコライがコサックのつらい暮らしを見聞きする具体的なエピソードの場面はあった方がいいのではないかと考えているんですけれど、これは追加できそうだと思うんですよね。でも何万もの正規軍の兵士がずらりと並んで進軍! みたいな迫力は、やはり舞台では映画みたいには描けないからなあ、と思うのです)。
 マーシャがニコライの助命を嘆願に来るくだりは名場面ですね。作品違いですが、このときのマーシャの訴えが、エカテリーナの胸をガンガンと打っちゃうんですよね。そう、愛ってヤツがね。わかります、わかります。
 ただ、エカテリーナが女であることを思い出した、みたいなことを歌っちゃっているように、あるいはラストでいかにもプガチョフな愛ちゃん雪のコサックがニコライとマーシャを祝福して踊っているように、この物語はそもそもの問題を主役の男女の愛で解決しようとしている、もっと言えばすり替えようとしているけれど、そしてそれは宝塚歌劇だし柴田ロマンだし昔の作品だから当時はそれで正しかったし充分だったのかもしれないけれと、今観ると、そうじゃないだろう、と少なくとも私は感じてしまったのでした。その意味で、古い、と思いました。
 そもそもの問題、それは差別です。
 ところで私は「コサック」というのはほとんどパルチザンと同義というか、反政府の民兵、みたいなイメージでずっと考えていて、時の政府(ないし国家)の主流の人種、民族とは違う層が構成するもの、という要素は考えたことが実はなかったのですが、今回この舞台を観ていて、やはりそういう点での差別意識もあったの? とかけっこう混乱しました。実際のところはどうなんでしょう…
 主に辺境に暮らし、都会の貴族社会とは無縁で、農奴として使役され搾取され虐げられ差別される一団…皇帝とその周辺にはべる貴族たちからしたら、まつろわぬ土民ども、という認識なのかもしれません。
 けれど同じ人間です。光ってやがらなくても同じ人間なのです(作品違う)。だからプガチョフは立ち上がったのではないでしょうか?
 そんなプガチョフがしたかった世直しとは、貴族の青年とコサックの娘が結婚できるような、誰もが自由に恋愛でき結婚できる世の中を作りたい、というだけのことのはずはなくて、もっと、人種差別も民族差別も階級差別もなく、すべての人間の尊厳が尊重されみんなが真に平等で幸福で、格差もなければ貧困もない、平和な世界を望んでいたはず、だと思うんですよね。
 だから本当ならエカテリーナも、女としてマーシャに愛を思い出させられるだけでなく、政権を担う女帝として、コサックも自分たちロシア人と、あるいは貴族と同じ人間なのだということに気づき、差別のない平和な帝国を築くよう方向転換しなくちゃならなかったはずなのです。
 でも、その視点は残念ながらこの物語にはないように思われます。ピョートルⅢ世を名乗るプガチョフは、ただ皇帝に成り代わりたかっただけの男のように見えてしまいかねません。けれど彼は本当は、皇帝など要らない世界を目指したのではないのでしょうか…?
 もちろん実際のこの反乱は、人権思想から生まれたものというよりは階級闘争にすぎなかったのかもしれません。そしてもう少しの時間が経ったあとではあるけれど、ロシア貴族社会は滅びロマノフの国家も倒れ、社会主義国家が樹立されそしてそれもまたなくなり…ということを私たちは歴史として知っている訳なのですが。そして今なお、差別や貧困のない国家など世界のどこにも樹立できていないことも、残念ながら私たちは知っているのですが…
 マクシームィチとパラーシカは結ばれずに死に別れた、反乱軍は鎮圧されプガチョフは処刑された。帝政は安泰であり、ニコライとマーシャは結ばれた…それで一応めでたしめでたし、なんだけれども、それは本当はただ問題をすり替えただけにすぎないしそれじゃダメだよね、これでよしとしちゃダメだよね…という現代的な視点が、この物語のロマンチックな空気を壊すことなく挿入できれば、アナクロに陥ることなく今なお上演されるに足る名作として進化しブラッシュアップしている、と言えるのではないかな、と僭越ながら考えましたが、まあ、難しいのかな…
 そこまで考えなくても、よかったね、と見終えられるロマンスではあるかと思うので、それで十分とするべきなのかな、とももちろん思っています。
 なんのかんの言って、私はこの作品がこのままでわりと好きなのでした。

 その他の生徒さんの感想やショーについては、また千秋楽後にまとめたく思います。
 あ、トリオがとにかく素晴らしいことに関しては、今から言及しておきましょう!
 では最後にベロボロードフさんについて、ちょっとだけ。

 なんせどんな役かよく覚えていなくて、プガチョフの右腕だけど裏切る男、というだけの知識しかなくて、スチールはまさかのソーランで外見のヒントもないし、プログラムで予習したところではまずはコサックの男としてプロローグに出番がある、とは把握したので、やや気もそぞろに舞台を見守るじゃないですか。幕が開き、トリオの説明が続き、民衆たちがわらわら出てきて、プロローグだしそりゃ総出だなそろそろか? と野性の勘が働いたところに…
 ヒ、髭…!?
 聞いてない!
 てかワイルド! ムサい!! イイ!!! ちゃんとコサックだ、辺境のむさ苦しい農奴の親父だ、イヤしかしイケオジやな…!?
 と、動揺ハンパなかったです。
 そのあとはまずは宿屋の主人として登場するんだけれど、これはバイトではなくベロボロードフさんなんですよね。つまりプガチョフは最初のころは、ベロボロードフが主人を務める宿屋の酒場に金ができると飲みに来るごく貧しい農夫、にすぎなかったのでしょう。それがやがてカリスマを発揮し、農民たちをまとめ組織し皇帝と名乗り、一大勢力となって政権を脅かすまでに成り上がっていくわけです。そしてベロさんはそんなプガチョフの参謀として共に進んでいく…
 ペルジーノがレオナルドに嫉妬し羨望し愛憎を感じたように、ベロさんは自分にはないカリスマを持つプガチョフに思うところがあったりしたのかしらん。いやんせつないわ。それとも単に、女に甘いし貴族の坊ちゃんにも甘いしで実はナンパなしょうもないヤツ、とけっこうハナから気にくわなく残念に思っていたのでしょうか。もう、お堅いんだから―!(笑) そしてゆるい中の人が解説すると裏切りの原因はやきもち、になっちゃうんだから可愛いものですよね。
 まあまあ、と諫めてくれるかなこフロプーシャとは仲良しに見えますが、どういう関係なんだろう。同郷とか幼なじみとかなのかな、これまた萌えますね。ともあれふたりともプガチョフのような信念ある世直しとかは実はあまり考えていなくて、勝ち馬に乗りたいだけで、情勢が悪くなると小金に目がくらんでボスを裏切っちゃう、って浅薄なところも、今までなかなかなかった役どころだと思うので、私はとても楽しく見てしまいました。バレンシア以来の高笑いもなかなかレアかと。凄腕スナイパーなのかと思いきやけっこう外すね!? とかもおもろかったですしね。あげく、褒賞をもらいに行ってあっさり斬り殺されるとは…(そしてロレンツォみたいに生き返って快気祝いで踊ったりしない。正しい)いじましさ、情けなさがホントたまらなくて、バタンとしたひっくり返り方の潔さといい、私は脳内で快哉を叫んでしまいました。ホント、見たことない姿が見られて楽しかったのです。
 からのラスト、雪のコサック! 白のおぼうぼのお伽噺のロシアの皇子キター!! ってのがまたたまりませんでした。初日はここに愛ちゃんプガチョフがいたことを認識できていなかった気がします私。てかここのモンチ、りく、かなこはこの戦いで命を落としたイヴァン、マクシームィチ、フロプーシャなのかもしれませんね。ずんちゃんとそらもいるけれど、シヴァーブリンもおそらくあのあと処刑されてしまったのかもしれませんしね。そして愛を象徴しているトリオのそらは、みんなとはまた違う高次の存在としてこの場面に参加しているのかもしれません。
 プガチョフが、いかにも宝塚歌劇の二番手スターが扮するにふさわしい、主人公に対しての大きなライバル役で、ナンバーも多いし、だから必然的にベロさんも出番が多くて、私は大満足です。多分中の人も楽しんでいると思うなー。普通にしてたらメガネくんタイプの参謀役が与えられちゃいがちな人なだけに、挑戦できて楽しいんじゃないかなー。私は好きだなー。はべりたいけどベロさんは酒はひとりで飲むタイプなんだろうなー…
 おそらく今週末からの三連休がお茶会ラッシュだろうので、あちこちから中の人の役作りについての話などこぼれてくるとまた楽しいだろうなと思います。うちの人はどんなトークを展開してくれるかな、どんな悠長な抽選会をやってくれるかな(笑。←オイ)。楽しみすぎてハゲそうです。あと数日元気に働いて、また元気に博多に旅立ちたいです。そんなこんなではありますが、引き続きよろしくお願いいたします!
 




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宝塚歌劇専科『パパ・アイ・ラプ・ユー』

2019年02月01日 | 観劇記/タイトルは行

 宝塚バウホール、2019年1月31日14時半(初日)。

 1970年頃、クリスマス三日前のロンドン。順風満帆な人生を歩む総合病院のエリート医師デーヴィッド・モーティマー(轟悠)は、出世のかかった重大な記念公演のスピーチを約1時間後に控えていた。医師談話室で必死に原稿を暗記するデーヴィッドだったが、研修医のマイク(真名瀬みら)や妻のローズマリー(遙羽らら)、同僚のヒューバート(悠真倫)に理事長のサー・ドレイク(美月悠)たち個性豊かな面々が入れ替わり立ち替わり医師談話室を訪れ、準備がいっこうに進まない…
 原作/レイ・クーニー『IT RUNS IN THE FAMILY』、翻訳/小田島雄志、小田島恒志、脚本・演出/石田昌也、演出/大野拓史。イギリスの喜劇作家の代表作をストレート・プレイで上演。全2幕。

 主人公の隠し子が現れる話…と聞いて、当初は「けっ」と思いました。だらしない男が主役の話とか、わざわざ宝塚歌劇で観たくないですよ、と。まあイシちゃんがやる分には、理想的な男性主人公を演じるべき各組のトップスターとはまた意味が違うと思うので、イレギュラーとして認めなくもないけれども…という感じでした。
 でもオチまで観たら、別に主人公の妻が忍従させられるとか理解ある振りをするとかいった展開ではなかったので、ならお互い様だし当人同士がいいんだったらいいんじゃないですかね、と容認することができました。いかにもイギリス演劇な、オトナのラブコメディでありホームドラマでありドタバタ喜劇ってことですよね。
 お尻の注射とか下着の柄とか女装とかで笑わせようとする、ホント古いドリフっていうか正直寒い笑いも多いんですけど、でも確かに笑っちゃうし、宝塚歌劇のいいところは作品のキャラクターになんら共感できなくても演じているスターにはそれぞれファンがいることで、まして箱押しするファンも多くて、つまりそれは私のことなんですが、宙組子みんなが適材適所でがんばっていてそれぞれの奮闘ぶりがいじらしいから笑えて楽しめる、というのもあって、まあ要するに楽しく観ました。
 目くじら立てざるをえないところもほぼなく、季節外れとはいえフィナーレの楽しさに流された、とも言えるかもしれません。
 でも、ある種たわいないと言ってしまえるこのストーリーを楽しく観られたのは、出演者の実力のためかと思われます。みんなすごくがんばっていたし、よかったです。最近だと専科バウには月組が狩り出され気味なイメージがありましたが、宙組子もがんばってるじゃん、と誇らしくなりました。専科バウのストレート・プレイという意味では『おかしな二人』『第二章』と観てきましたが、今回が一番楽しく見られた気がするのは、組への贔屓目なんですかねなんですかね…

 というわけで、まずはもあちゃんのコメディエンヌっぷりの開花よ! ここまでやらせてくれてありがとうございます、そしてできちゃうもあちゃんホント素敵!
 そしてイシちゃんの上司役がきっちりできるさお、さすがです。そしてちゃんとそこはかとなくおもろい、さすがです!
 ゆみちゃんのお色気ナースは出番も少なかったし、ゆみちゃんは本当はもっと仕事ができるヒ人だと思うのでちょっともったいなかったけれど、華がありましたし素晴らしかったです。
 そしてりおくんの婦長。これまた中年独身女性が嗤われるという側面はほぼなく、ただりおくんがりおくんとしておもしろく、フィナーレまで娘役姿なんだけどそれはそれは美しく、素晴らしかったです。
 ゆいちぃのお堅い警官がまた良くて、ニンにぴったりでした。そしてキレ気味の若者に扮するあーちゃんがこれまたニンにぴったりで、フィナーレでは歌手の仕事もちゃんとして、素晴らしかったです。
 イシちゃんの奥さん役のららたんもおいしいところをさらっていきましたし、それが嫌らしくなかった。素晴らしいことだと思いました。
 澄風なぎくんの老人芸が冴え渡っていて、でもフィナーレでは白髪のままガンガン踊ってくれちゃうし、素晴らしかったです。これまた老け役にまわったはつひちゃんも、老眼鏡のままフィナーレをキビキビ踊る美しさが反則でした。
 どってぃはキャラとは思えない「C調」ヤング医師をきちんと務めてみせていて、フィナーレはもちろんバリバリに踊っていて、これまたとてもよかったです。

 でもトータルで観るとまりんさんひとり勝ちなのかな、このニンと上手さがないと成立しないお話だよねコレ、としみじみ思いました。そこに、歌がないこともあってかのびのび乗っかるイシちゃん…という構図が、成功の要因かと思いました。

 余興感漂うフィナーレも、季節外れ感ハンパなかったけれど楽しかったし、娘役群舞がナース姿なのも下品すぎず、よかったと思いました。一度お話に戻って、そこからのラインナップ…というのも素敵でした。
 観劇したのは初日でしたがバタつくこともなくテンポが悪いこともなく、よく練られていたかと思います。この先アドリブやおふざけがより楽しくなったりあるいは行きすぎたりするのかもしれませんが、ファンと観客が楽しめる舞台に仕上がればいいな、と祈っています。私はこの先は博多座通いで行けませんが、公演の成功をお祈りしています。そしてとはいえイシちゃんもそろそろ主役ばかりでなくてもいいと思うよ…とは、言っておきます。

 

 


 

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星組日記

2019年02月01日 | 日記
 初観劇は『カサノヴァ・夢のかたみ/ラ・カンタータ!』だったかと思います。シメさんのサヨナラ公演ですね。相手役はアヤカ、二番手スターはマリコ、三番手がノル、四番手がブンちゃんの頃です。映像で遡って勉強したのはネッシーさんくらいまでかな。
 なので私の星組のイメージはこの頃の(花がヤンさんで月がユリちゃんで雪がイチロさんの時代の)、ビッグでゴージャスでビジュアリスティック…というのが基本形です。シメさんのキャラクターから、ノーブルなのにおもろい、というのは当時からちょっとはあったかな。でも体育会系的に熱くて…というのはなかったかと思います。
 宙組ができて、長身のスターが集められていて、都会的でスタイリッシュでお洒落で…というイメージができていった頃から、時のトップスターのキャラクターもあって、徐々に星組も特徴を変えていったのかもしれません。ここ最近はなんか、熱さやパッションが売りの組になっていますよね。
 私は最初期にヤンさんとユリちゃん(とノンちゃん)が好きだったこともあり、また長らくファンだった大空さんがなんと宙組でトップになってそこにくわしくなったこともあって、逆に雪と星はずっと手薄な感じで来ました。好きでつい見ちゃう、というスターをなかなか発見できなかった、というか。ブンちゃんもまひるもノルユリもまあまあ好きではあったんですけれどね。娘役ちゃんなら、今は雪ならきぃちゃんはもちろんみちる、ひまりん、かのちゃんとかが好きだし、星ならあーちゃんはもちろんはるこ、くらっち、水乃ゆりちゃんに澄華あまねちゃんとときめくのですが。あゆみ姐さんのダンスとか、きゃびぃの身のこなしとかにも見惚れます。
 最近、まこっちゃんが好きになってきました。そら歌も上手いしダンスも上手い、下級生の頃から抜擢されてきただけの実力と華があるのは誰もが認めるところでしょう。タッパはちょっと足りないかもしれないけど大きく見えるし、声が低いのも骨太な男役向きで、ずっと童顔で弟キャラに見られがちだったけど本質的な魅力はそこにはないスターだよね、ということが、最近きっちり番手が上がってきてより明確になってきた、期待のスター…という、公式っぽい評価とは別に、私にとってはごく単純に、なんか、好みの枠とは違う気がするのについ見ちゃう、上手い、楽しい、というスターになってきてくれたのです。これはけっこう嬉しいことでした。
 そこに私にとって超新星のかりんちゃんこと極美慎くんが現れてくれたこともあって、最近めっきり星組が楽しいです。まこっちゃんで全ツで『アルジェの男』再演というのも嬉しかったし、くーみん潤色による『霧深きエルベのほとり』も素晴らしかったしで、いろいろ語りたい語らねばと思っていたところに、愛ちゃんの全ツ参戦発表でたぎり、さらに主な配役の発表ではるこサビーヌに愛ちゃんジャックとなって、俄然観劇回数を増やす算段を始めちゃいましたよ私。最近はチケ難なので宙組以外の組の本公演は東西一回ずつ、別箱は一回にしているというのに…!
 というわけで、今回はそんなお話です。

 全ツでまこっちゃんで『アルジェ』(と『エストレ』。こんなに近い上演のショーを主演を変えてすぐ持っていくのもなかなかレアですよね)、と聞いただけの時には、「♪泥にまみれた~」の美声がもう聞こえる気がしましたし、サビーヌはくらっちかな、上手いだろうな似合うだろうな、とルンルンでした。私の中ではくらっちは、いつかまこっちゃんがトップになるときの相手役、要するに次期トップ娘役として組替えしたのだということになっているのです。
 でも最近、星担の後輩から、「ちょっと飽きてきた」みたいな、やや心ない、しかし感覚としてわからないでもない感想を聞いて、ちょっとヒヤッとしたりしたのです。くらっちは歌が上手くて、娘役力も雪組時代より上げてきていて、かつそつなくなんでもこなすしそうなるとホント二番手娘役格として重宝されるんだけれど、使われすぎるとフレッシュさがなくなって「またか、もういいよ」って空気が出てきちゃう…ってことですよね。人事の難しいところです。娘役は特に、超下級生が抜擢されてトントントンと階段上ってあっという間にトップ娘役になっちゃうことが多いけれど、本当は研鑽の場は与えられるべきだしそれで磨かれる実力も魅力もあるはずなので、じっくりきちんと育ててほしいとも思うし、でも一方でそれでは新鮮さが削がれる、初々しさがなくなる、見慣れてしまってときめきや感動が薄くなる…ということはあるのかなあ、とも思うのです。だから酷なようだけれど、逆にみんなにうまくチャンスを広げるためにも、ショーの二番手娘役格というか、新公ヒロインとか別箱ヒロインは、次世代娘役の複数人で上手く分担して回して、トップ娘役に関してはちょうどいいところで時のトップスターの個性に合わせて一番お似合いな人選をする、のがいいのかもしれませんね。二番手カップルがそのまま同時トップ就任、ってのが最も自然ではあるかと思うんだけれど、そのまんまでもつまらない、収まりすぎちゃって見慣れすぎちゃってときめきがない、ってのも確かにあるのかもしれないので…わがまますぎる話ですけれどね。
 そんなこともちょっと考えていたので、いざ振り分け発表があってくらっちが全ツ組でないとなったとき、「なるほどそれもいいかもね」と思ったのです。いつか来たる日のために、今はあえてまこっちゃんとばかり一緒にいさせない、という戦略もあるのかな、と思ったのです。
 また、ちょうどスカステで久々に放送があったので『アルジェの男』をじっくり再見してみたところ(月組きりやん版です。私はこれは生で観ましたが、初演や再演は映像でも見たことがないかな…)、あいかわらず好きな話ではあったんだけれど、サビーヌの出番が意外と少なくてトップ娘役にやらせるにはちょっと役不足かな、三ヒロインの比重がほぼ均等くらいなところがあるからな…とかいろいろ思っていたところなのでした。その意味でも、くらっちがサビーヌでない方がむしろいいのかもしれない、と思ったのです。
 けどじゃあどう配役するんだろう?となかなかに妄想は広がりました。エリザベートもなかなか難しい役だと私は考えていて、これは桜庭舞ちゃんなんかが上手いんじゃないのかな、アナ・ベルもいい役なんだよねはかなくいじらしく美しくあってほしいよね、水乃ゆりちゃんとかかしら、華雪りらちゃんにもやらせてあげたいけど宙組時代はあまりお芝居が上手くなかった印象なんだよな、むしろ澄華あまねちゃんか、『エルベ』新公がめっちゃよかった瑠璃花夏ちゃんかしら、となると小桜ほのかちゃんがサビーヌかなあ、個人的には苦手なお顔なんだよなあ、いっそしどりゅーの女役でどうだ!?とかとか、ね。
 そう、私はせおっちが全ツ組でなかったのもよかったなと思っているんですよ。せおっちのジャックも観てみたかった気はするけれど、『阿弖流為』に続いてまこっちゃん主演の二番手、というのは、ふたりが同期であることを考えても(仲良しなのは感じていますが、それでも)ちょっとかわいそうなんじゃないかなと考えていて。そしてせおっちがまこっちゃんのセカンドなばかりではないように、しどりゅーもせおっちのセカンドばかりじゃもったいないよこの人もっと仕事できるよすごくいいもの持ってるよ、と最近とみに感じるようになっていたので(エラそうですみません、長く星組のファンをしている方からしたら何言ってんねんって言い種かもしれませんすみません)、しどりゅーのジャックでももちろんおもしろいだろうし、ガツンと使って衝撃を与えるならむしろヒロイン!?とまで考えちゃったのでした。
 でも、愛ちゃんが参加するとなったら私は愛ちゃんのジャックが観たかった。ボランジュも素敵だろうけれど、愛ちゃんにはそういうポジションでなくスター専科として他組(という言い方もアレですが)に出演してもらいたかったのです。というか劇団にそう扱ってもらいたかった。
 だから愛ちゃんジャックの発表があって超嬉しかったですねー。いいチンピラっぷりを演じてくれると思うし、ジャックはジュリアンへのコンプレックスとか愛着とか愛憎をもっと見せてもいい役だと思うので(まさおジャックは私はこのあたりがややもの足りなかった)、愛ちゃんの深く熱い芝居が楽しみなのです。
 そしてサビーヌは、トップコンビが演じるにふさわしいほどにはジュリアンとがっつり運命的な恋愛相手、というのとはちょっと違うところにポジションがあるヒロインにも思えましたし、立ち位置としては地元のガールフレンド、なんだろうけれど精神的にはジュリアンよりちょっと年長なところがあって、だからこそ一度は身を退いてジュリアンをパリに送り出すのかなとも思うので、はること聞いて、確かに上級生娘役ってのもアリだよ!とはたと膝を打ったのでした。そしてくらっちがいたらさすがにそれをさしおいては配役できなかったかな、とも思うので、はるこのためにも嬉しかったのです。
 はるこもかつてはれっきとした路線娘役で、新公ヒロインも別箱ヒロインもしてるしそれも東上までしているのですが、当時は歌がひどくて「おんぱたん」と言われていたことも私は忘れていませんし、けれどそこから上級生になるにつれ、洗練されあでやかさとみずみずしさを増し色っぽいお姉さんもできるけれど可愛い娘役もできる、なかなか得がたい上級生娘役になりました。花組のべーちゃんと双璧かと思います。脇でいい仕事をする上級生娘役さんももちろんたくさんいるけれど、一度は路線であったことってやっぱり違うんだと思うんですよ。
 もちろんはるこもいい学年なのでこれが餞で次の本公演でご卒業となることもありえるし、たとえそういうフラグなんだとしても(劇団は姑息かつ周到にこういうことをしてきます。ちょっと長く観てたらそんなのわかるでしょ?と今回の月組人事に関して私は口は閉ざしますがこれは言う)、ヒロイン姿が見られるなら見たい、嬉しい、万々歳です。みんなにわりと祝福、歓迎されているのも嬉しいし、まこっちゃんも頼れてやりやすいんじゃないかと思うんですよね。楽しみです。
 シャルドンヌ夫人は柚長かな白妙なっちゃんかな、いーちゃんでも観てみたいけどな。
 ボランジュはこうなるとかなえちゃんかしらん、最近メキメキと色気を増してますよね。売り出し中の天飛くんや遙斗くんなんかでもおもしろいかもしれません。
 となるとルイーズ・ボランジュはあんる? これももう少し若い娘役ちゃんでも観てみたいかもしれません。
 マギーがやっていたミシュリューはまいけるとかどうかしら。あとあそこに秘書みたいな役がいたじゃないですか、あれはカットにならないといいなあ。ああいう役を作るのが柴田先生は本当に上手いと思うのです。
 もりえがやっていたミッシェルもとても素敵な役だと思うので、ここがしどりゅーかなあ。朝水くんなんかでも素敵かもしれません。
 そしてアンリは私の中ではかりんたん一択なので! そこんとこよろしくお願いいたします!! もーホント萌え萌えするキャラだと思うの! てかエモい! 当時そんな言葉はなかったけれど! 『デビュタント』でも大健闘していたと思うし、それこそ『エルベ』新公カールもすごくがんばってたしよくできていたと思うので、もう少し濃い役でもいいのかもしれないけれど、ここはあえてのアンリが観たいです…! キュン死にする予感しかない…!!

 その他の配役発表は集合日ですかね。そのときにはまたいろいろ情勢が変わっているのかもしれませんが(私は正直あの中華一番みたいなミスター味っ子みたいな作品にはそれこそフラグを感じていますよ…)、まずは楽しみにしたいと思います。ゴールデンウィーク後半は大劇場ではなく梅田にいることになりそうです。だって私『オーシャンズ11』、あんま作品として好きじゃないんですよ。それこそ萌えない…でもやっぱり贔屓が出てるだけで楽しいわひゃっはー!と手のひら返していたらすみません。はー、楽しみ楽しみ!

 というわけで『エルベ』も観てきたのですが、ところで客入りがあまり良くないんだそうですね。どうしてなんでしょう、残念です。まあ『異ルネ』もたいがいだったしそりゃつまんないなら客は来ないだろむしろ健全だよ、とか思ってはいましたが、『エルベ』に客が入らないのは正直納得がいきません。
 最近の露出に惹かれて一度は宝塚歌劇を観てみたいわ、となっている層が出向くにはいい演目だと思うんだけれどなあ。なんと言っても芝居とショーの二本立てなのがいいし、芝居が宝塚歌劇オリジナルなところもベストだと思うのです。二幕一本立ての公演をしているところは外部にたくさんあります。宝塚歌劇の差別化はまずショーをやっていることですよ、レビューカンパニーだってところですよ。そして芝居が新作オリジナル主義であるところ。しかも今回は内容がいい。新作オリジナルというだけの意義しかない駄作とは違います。芝居の内容が多少アレでもショーの楽しさ華やかさに圧倒されて煙に巻かれて満足して帰る、それが宝塚歌劇のいいところだけれど、今回は芝居もいいんだから大満足なはずじゃないですか。
 そのチケットが余っているというのは劇団の経営の下手さの表れですよ。ベルばらとかエリザとかファントムとかの有名演目でないとアピールできないんじゃダメじゃん、前売り完売じゃなくてもチケットが追加でちゃんと買えて売れていくようにしなくちゃダメじゃん。ネットでまだ日を選んで買えることや当日券の存在の情報が、ビギナー層に案内できていないってことですよ。でもそれじゃダメじゃん。大劇場が田舎すぎて遠くて行くのが億劫なのは今さら変えられないんだから、それ以外のところでがんばらなきゃダメじゃん。
 あるいはファンのリピート率が低いんだとしたら、確かに真ん中以外は意外とみんな出番がなくて観ていて寂しいのかもしれないけれど、ショーがあるじゃん通えるじゃん。それとも星組が、ベニーが人気ないってことなの? そういうことになっちゃうの??
 そしてそれより恐ろしいことは、まさか、『エルベ』という作品そのものがウケてないってことなの…?ということです。
 
 『エルベ』は、いい。私はそう思います。私は好きです。
 私も「♪鴎よ~」と「♪ビール祭りのビールの泡から~」の歌しか知りませんでした。水夫と令嬢の悲恋、とは知っていたかな。だから、そりゃ水夫が身を退いて終わる話なんだよね、と想像はつきました。
 でも、それだけじゃないじゃないですか。そういう話ではない、と言ってもいい。そこがすごいんじゃないですか。そこに価値を見出して潤色再演しようとしたくーみんがすごいんじゃないですか。
 昔の話だけれど、古くなんかない。そりゃ今の話だったら、男が勝手に日和って逃げてけったくそ悪い話だぜ、という意見も出たと思う。少なくとも私は言う。女はもっと強くて賢くてしなやかだよ、乗り越えられたかもしれないよ、なのに勝手に良かれと思ってとかカッコつけて勝手に去って、共に乗り越えるために努力する姿勢も見せずに逃げやがって、男ってホント女をなめてるよ、と、私なら暴れたと思います。
 でも、これはあくまで昔の時代の話で、ヒロインがこのマルギットなので、それは無理だなとわかります。フロリアンの言を待つまでもなく、婚約披露のパーティーの場面にそれは如実に現れていました。マルギットはカールの側には立っていませんでした。あくまで自分が今まで育った世界の側にいて、そちらの世界の友達のためにカールのことを取りなそうとしていました。カールのことを恥じていた、というのはフロリアンの言葉が強すぎるかなと思いましたが、マルギットはカールに自分たちのようになってほしかったのです。自分の方がカールの側に行くことを、本当には考えたことがなかったのでしょう。洋服の新調を我慢するとかなんとか言ったって、想像できるのはその程度のことだったのです。彼女にはそれしかできなかったのです。
 もちろん人は誰でもその人の育ちの中でしか育てないしその中でしか学習できないのだから、知らないことや想像できないことがあるのは当然なのです。でも、たとえば聡明なフロリアンにもう少し遠く広く見通せたようなことが、マルギットにはできなかったのでした。それは彼女が女性だったからかもしれないし、個性や能力の問題かもしれません。その無邪気な愚かさは確かに彼女の個性であり魅力であり、だからこそカールも彼女を愛し、そしてそんな彼女のためを思って身を退いたのでしょう。この時代のこのふたりにこれ以外の展開はありえませんでした。今なら違うかもしれない、でも昔はこうでしかなかった。そのドラマをただレトロだアナクロだ古臭いと切り捨ててしまうことは、私にはできませんでした。古い時代にこう生きたこのふたりに心を寄せて、泣きました。私はベニーがあいかわらず苦手だけれど、カールのために泣きました。マルギットといいアンゼリカといい、常に相手の幸せを願ってばかりいるカールのために、カールの幸せを祈って泣きました。幸せになれよ、とカールにこそ言ってあげたくて、泣きました。みんなそうじゃないの? つまんないって切り捨てちゃうの…?
 マルギットは今回の件で少しは学んで、知っていた世界より広い世界があることも知ってちょっとは想像力が増したかもしれません。だから次にまた別の世界の人と恋に落ちたら、今度はもっとがんばれるかもしれません。けれどおそらく彼女はそうした道は進まないでしょう。それよりはあっさりフロリアンとおちつくのでしょう。彼女はそういう人だと思います。
 むしろフロリアンの方が、カールみたいな恋の仕方や生き方を間近で見て、またシュザンヌから想いをぶつけられて意外と動揺してるっぽかったりしたこともあって、マルギットを引き受け結婚し面倒を見ることとは別に、違う恋をしてしてまうのではないのかしらん…なんて思ったりしました。
 フロリアンがいい人すぎて怖い、むしろサイコパスだ、みたいな意見も見ましたが、私はそういうふうには思わなくて、彼はただ本当に優しくて賢くて、でも意外と不器用な人なんだろうな、と思うのです。そんな彼のことが私はかなり好きですね。せつなかったし、彼の幸せも私は祈りたいです。
 シュザンヌやアンゼリカ、ロンバルトの在り方も素敵だったし、トビアスとベティも、ヴェロニカも、もちろん素晴らしかったです。ヨゼフが全然改心しない感じやザビーネが辛気くさい女なままなのも上手い。いいドラマ、いい脚本だと本当に思いました。こんな出来のものを近年なかなか観ないし、くーみんが今の自分ではこれ以上のものを書けないと思う気持ちもわかりました(くーみんが言ったのはカール以上の男性像を描けない、ということでしたが)。もちろん決して派手なお話ではないけれど、それこそ日本人好みの、しみじみいい話だと思うので、これがウケていないのだとなると私は本当に寂しい限りなのでした…

 さて、ついでに新公の話を。
 なんせベニーがハマり役なのでコレかりんちゃんにできるのかいな、と心配していたのですが、どうしてとどうしていい感じのがらっぱちぶり、とてもとてもよかったです。そしてやっぱり優しくていかにもホントはいい人っぽそうで、中の人が好きでがんばってるってこともあって本公演以上にカールのために泣きました。
 水乃ゆりちゃんはお歌が弱かったけれど、あーちゃんとはまた違った浮き世離れしたお嬢さまっぷりでよかったです。
 そしてぴーすけのフロリアンがまたよかった。これまたまこっちゃんよりソフトで優しくて、だからこそせつなくて…
 くらっちが絶妙にいいあんばいで演じていたと思ったシュザンヌは、桜庭舞ちゃんだと上手すぎてやり過ぎて嫌な感じになっちゃうんじゃないかなとかこれまた心配していたのですがこれも杞憂で、こちらも絶妙でした。そのくらっちが演じたヴェロニカが、あたりまえですが本公演より若くて色っぽくて、その感じがむしろよかったと思いました。あとベティの瑠璃花夏ちゃん、めっちゃ上手くて可愛かった!
 はるこのアンゼリカが絶妙だっただけに、星蘭ひとみちゃんの演技は私にはやはりもの足りなく見えたかなー。印象的だったのはそのあたりでした。あ、かりんちゃんのご挨拶もとてもとてもよかったです!

 そんなこんなで私の中でブームが来ているので、ぼちぼち大劇場公演は千秋楽を迎えますが、東京でもなんとか数回は観たいと思っています。変化や進化が楽しみです。ショーはガチャガチャしていた印象しかないのですが、ま、慣れるでしょう(^^;)。
 東京公演はあいかわらず満員御礼なんでしょうが、大劇場公演については本当に心配です。あぐらをかいているとすぐダメになるんだからね、平日二階席真っ赤っかなんてそんな昔のことじゃないですよ、がんばっている生徒が泣きますよ、劇団ががんばってなんとかしないとダメですよ…!
 最近の人事の件でもう観ないとか言っているファンも多いですが、私はなんせ一ジャンルとしての宝塚歌劇の箱押しなので観ないという選択肢はないし、そりゃ贔屓が卒業すればその組だけこんなアホみたいにリピートしているのはおちつくでしょうが観なくなるということはとにかくないでしょう。でもだからってそれに甘えないではいただきたいですしね。劇団さん、本当によろしくお願いいたしますですよ!


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