駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

今年もお世話になりました!&来年の抱負!!

2018年12月30日 | 日記
 今年の観劇回数は144回でした。去年より微減、ほぼ一昨年並みかな。近年で最多観劇回数だったのは2015年でしたが、まあほぼほぼ平均していると思います。
 8割が宝塚歌劇、その8割が宙組だったかと思います。ホントは外部ももっと観たいんだけどなー。とりあえず宝塚歌劇に関してはおかげさまで今年も全演目が観劇できました(DSやタカスペなどのイベント系を除く)、なので満足です。

 仕事は、去年異動したので油断していたら今年は大きな担当業務替えがあって、夏以降はバタバタしましたねー。体重と体脂肪を記録するだけのダイエットアプリを使っているのですが、夏まで横ばいで8月以降が完全に右肩上がりなんですよ。わかりやすいストレス過食…さすがに業務には慣れましたが、本質的には向いているとは思えないことをやっているので、この先はちょっと悩みますね。来年は異動はないと思うけれど、その先、異動希望を出すかどうか、出すならどこへ行って何をやるのか、やれるのか…定年までのカウントダウンもあるので、そろそろ真面目に考えないと、とは思っています。
 ともあれ健康で元気に過ごせたことには感謝しています。ただ、強度の近視で眼圧が高いため緑内障の疑いがあるということで、ここ5、6年ずっと半年に一度くらい視野検査を受けていて、ずっと経過観察という診断だったのについに、左目だけ目薬にしましょうと言われてしまいました。緑内障は治らないので点眼で進行を遅くするしかなく、つきあっていくしかない病気です。私にはアンドレばりにまだまだ見たいものがあるので、きちんとやっていきたいと思っています。副作用でまつげが濃くなるらしいんだけど、ホントかな!? てか左目だけって…

 プライベートでは、去年のさる出来事をやっとあちこちに漏らせたりして、まああとはお友達にも恵まれ、楽しく呑んで食べて元気に過ごせたのでいいのです。パリ旅行も台湾旅行も観劇絡みではあったけれど、楽しく行けました。感謝です。

 そして来年はいよいよ50歳になる年です。人生折り返し地点です!(笑)人生100年時代だと思っていますからね、宝塚歌劇150周年を杖ついてでも観に行く気満々ですからね! アラン・ショレふうに言うと残暑を終えて実りの秋に突入!ってなところです(笑)。なので何かメモリアルなこともしたいと思っていますし、とりあえず三大目標を立ててみました。
 ひとつめは、社交ダンス教室通いの再開。一昨年の異動で仕事の忙しさのレベルが変わって足が遠のいてしまい、また行くとなってもまた入会金を支払うところから始めないとダメかなとも思いますが、そしてなんか全部忘れた気がするしまた初心者クラスからかと思うのですが、とにかく一生の趣味としてもう少しやりたいんですよねえ。えいやっ!と時間を作って再開したいと思っています。
 ふたつめはひとり旅。遠征や出張を別にすれば、純粋な意味でのひとりでの旅行というものをしたことが私はないのです。わりと同行者に頼っていろいろやってもらいがち、というのもある。でももういいオトナなんですから、一度くらいひとりで何もかもがんばってみたいと思っています。
 第一候補はヴェネチア。私はイタリアはフィレンツェとミラノしか行ったことがなくて、ローマとヴェネチアにもいずれ行きたいと思っていて、しかもヴェネチアは沈む前に行かないと、とか思っているわけです。3泊5日のパリ弾丸旅行がけっこうなんとかなって楽しかったことに味をしめているので、行ける気がするんですよね。観光や美術館やカフェやごはんをマイペースに進めまくるのは楽しい気がします。
 次点は香港。返還されてから行っていないのです。あとは、アジアンリゾートはひとりだと退屈しそうな気がしますが、ハノイはちょっと興味あります。ホーチミンが楽しかった記憶があるので。
 さてどこなら休めるかな…
 そしてみっつめは、ややしょっぱいですが、終活第一弾とは言わないまでも、ちょっといろいろまとめて、とりあえず母親と親友に預けておこうかな、実家に関しては逆に預かってもおこうかな、とか考えています。たとえば預金通帳やハンコをどこに閉まってあるかとか、そもそもどこに預金口座があるのかとか暗証番号とか、あるいはこうしたサイトのパスワードとか、そういうもののことです。何かで倒れたら、車に轢かれでもしたら、テロに遭ったりしたら、と明日のことはわからないわけで。両親もありがたくもピンピンしているのですが、どこに何をどうしているのかとか聞いておかないとな、弟と共有しておかないとな、とかちょっと真面目に考えるのです。
 とりあえず、ツイッターに12時間現れないことは海外旅行の飛行機とか寝だめとかでありえると思うのですが、24時間いないとなったら何かあったと思っていただけると嬉しいです(^^;)。まさかのときには、ここの更新とかも誰かにどうしかしてもらわないと、とかね…最後の一筆とかを用意しておいた方がいいのかしらん。
 孤独死云々と言われても、配偶者がいようが子孫がいようが人はひとりで自分の死を死ぬのです。だからそれはいい。ただ後始末とか、逆に長患いすることになったときの対処は、ある程度しておかないとな、とは考えているということです。
 そういうようなことも、来年のうちには一度ちゃんと考えてみて、何かしら支度したいと思っています。

 ともあれ、来年もよろしくお願いいたします。みなさまも良いお年をお迎えくださいませ。



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宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店アニメージュコミックス全7巻)

2018年12月30日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名ま行
 巨大文明滅亡後1000年、人類はわずかに残された居住可能な土地に点在していた。そんな中のひとつ、「風の谷」のナウシカは、ある日腐海で王蟲の抜け殻に出会うのだが…

 アニメ版の方は中学生くらいのときから何度も何度も見ていると思います。原作漫画の最終巻の刊行は奥付によれば1995年のようですが、私が愛蔵しているのは2001年発行のものなので、そのころに揃えたのでしょう。来年歌舞伎になるというので久々に見て号泣し、再読してまた号泣しました。愛蔵コミックスとして記事を立てていないことに気づいたので、今さら書いています。
 しかしアニメ版は原作漫画のごく序盤を、かつかなり単純化して仕立てているのですが、これはこれで本当に素晴らしいなと思います。今なお古びていない動きや演出もそうですし、絵の持つパワーも素晴らしい。そして戦争の愚かさについてなどのモチーフは、残念ながら今なお刺さるのでした。
 原作漫画はさらに複雑で深遠で、また漫画としては残念ながらやや稚拙というかわかりづらいせいもあって、読む人を選ぶタイプの作品かもしれません。けれどやっていることは意外とまっとうな、というか言ってしまえばよくあるSFなんですよね。主人公が少女であることやクシャナが女性であることには、実はあまり意味がありすぎることはない。そこもなんとはなしに私には好ましいです。ナウシカはオーマの「母」になったりしていますが、そこにもヒロインに必要以上の「母性」みたいなものは強要されていない。ナウシカの行動はあくまで人間としての責任感によるものに見えます。そしてこの作品で作家が描きたかったことはあくまで、文明がいかに愚かになりえるかとか、それでも生命は尊く自由であり制御されたり制限されるべきでない、あくまで自律の中でより良く進化できるはずのものなのだ、文明はそれを信じられず統制しようとした瞬間に堕ちた神になるのだ、というわりと単純なテーマかな、と思うのです。聖少女が世界を救う、みたいな話ではない。そこがいい。
 もちろん人類が進化しそびれそして滅びてしまっても、自然も地球も何も困らない。存在し続けるし銀河は回転し宇宙は膨張し続け、すべて世はこともなしなのです。でも私たちはこうした作品からいろいろなことが学べるはずなのです。たとえばここで描かれている戦争の愚かさ、悲惨さです。黄昏のこの世界で、国と国はもはや土地や富の取り合いをしているのではなく、奴隷にする人民、国民にする人間を取り合っている。次の世代を産み育て国を存続させる人間がもはや足りていない世界で、小さないじましい争いを続けているその愚かさに、あきれかえる他ありません。私たちは共存する優しさと賢さを手に入れなければならないのです。けれどそれが全然達成されていないからこそ、まだまだ読み継がれるべき作品なのでしょう。そして舞台化でもなんでもして、広く知られていくべき作品なのです。
 デジタルアニメとか実写化とかには向かない作品だと思うので、舞台化、しかも歌舞伎というのはなかなかにおもしろいかもしれません。楽しみです!

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