帝国劇場、2017年10月22日13時。
2014年の世界初演から、2年半ぶりの再演。
初演の感想はこちら。
この日の役替わりはベス/花總まり、ロビン/山崎育三郎、メアリー/未来優希、フェリペ/平方元基。
前回も今回も1回ずつの観劇で通い詰めているわけではないので、どんな変更があったかとかは語れないのですが、個人的には前回より「もっとおもしろくなるはずなのに!」と思う度合いは減ったかな、という印象でした。おもしろく観ました。
でも、まだまだ圧倒的に台詞が、言葉が、説明が、芝居が足りていないと思いました。たとえば、同じ歌ばかりのミュージカルである『エリザベート』は、もう何度も上演されていて観客も内容をほぼ周知で勝手に話の流れやキャラを補完できるから…という部分ももちろんあるかもしれませんが、やはり必要十分なことは歌や台詞でみんなきっちり語られているのです。各登場人物がどういう立場、どういう状況、どういう性格、どういう考えの人で、どういう想いを抱いての行動なのか…歌詞だけでなく台詞でもきちんと語られ説明されていて、そこに各キャストの演技や歌唱力が加わって、楽曲がキャラクターとドラマをくっきり立ち上げていて、それで感動を呼べているんだと思うのです。
この作品は、たとえば冒頭が大きく変わってわかりやすくなっているそうですが、そういう状況説明はわりにできていると思うんですけれど、まだまだキャラが弱いしその感情が見えてこないから、ただパラパラと歌で紡ぐだけの、壮大ではあるけれど心理的に親近感を持ちづらい、単なる叙事詩みたいになってしまっていると思うのです。装置もお衣装もとても素敵、もちろん役者も実力十分で魅力的。そして題材にもとてもいいものがあると思うのです、だからとてもとてももったいない。もっと演出家が、脚本レベルで手をかけてあげて掘り下げてあげないと、キャラとドラマが観客に伝わりづらいと思います。そこは改善の余地があると思うなー、逆に言えばそれができればとても現代的な、今後も再演されていくに足る名作たりえると思うんだけどなー。
私が一番いいなと思うのはタイトルで、それはこれが、ヒロインがクイーン・エリザベス一世になる前の、単なるレディ・ベスにすぎなかった頃の物語だからです。王の娘であり王位継承者ではあってもあくまで一貴婦人程度にすぎなかった少女が、女王に即位するまでの物語である、ということがタイトルに如実に表れている。そこが素晴らしい。そしてわかりやすい。
だからこそ、「エリザベス一世」と言われて一般に人が思い起こすようなイメージとは違う、この作品ならではのベスの姿を、冒頭でもっとくっきりと描き出して、観客のハートをガッチリつかみ、このお話の世界に引き込まなければなりません。それにはただハナちゃんが変わらず若くて可愛らしいわね、だけではダメなんです。そのハナちゃんが扮しているベスというヒロインが、どういう性格のどういうキャラクターなのかをもっと提示しなければなりません。役者が演技だけでできることには限界があります。現状、圧倒的に台詞が、芝居が足りていないと私は思う。
冒頭の場面で、彼女がどんな経緯で生まれ、父王の死去により姉メアリーが女王として即位したかはわかった。で、その後ベスにしっかりした家庭教師のアスカムとよく気がつく優しい侍女のキャット(涼風真世)がつけられたのもわかって、子役からハナちゃんに変わって田舎の屋敷の庭で本を読んでいる姿を見せるのはいいとして、でもそれだけでは彼女が今どんな少女に成長したのか、どんな人間になりそうなのか、わからないじゃないですか。暴君と評判の父を愛し敬い、その娘であることに誇りを抱いていて、淫売と呼ばれ処刑された母のことは疎んじ嫌っていることは描かれているけれど、そういうこととは別に、もっと単純に、性格として、彼女の人間性を、特徴を示してほしいのです。
私だったら、田舎で淋しい環境だけれど周りの愛情たっぷりに育ち、賢くて才気煥発で茶目っ気があって愛嬌があって、みんなに愛されまたみんなにも愛情深く、その愛を向ける先をさらに探しているような娘にします。近隣の村へ行くことは止められているけれど、行ってみたい、人々と交わってみたい、広い世界を知りたいと、冒険心を押さえかねている。姉には遠ざけられているけれど、同じ父を持つ姉妹としてもっと親しくなりたいし、女王としてがんばる姉の役に立ちたい、いつか首都に呼んでもらいたいとも思っている、未来を信じる明るい娘。
もちろん、信心深くて引っ込み思案でおとなしくて、周りの言うことを聞いて敷地の外に出るなんてとんでもないと信じている、おしとやかなタイプにするのもいいでしょう。首都の宮廷に呼んでくれない姉に恨みがましい想いを抱いていて、今に見ていろいつか私が女王になってやる…と思っているようなキャラにする手もあるのかもしれません。それは好みの問題です。とにかくどれかに絞ってその特徴をガツンと示し、観客に「この子はそういう子なのね」と納得させ、そして彼女の魅力で話を引っ張っていかなければならないのです。そこが弱い。
彼女がどんな子かわかって、親近感を持ち魅力的に感じ彼女を応援してあげたいなと観客が思えれば、彼女に感情移入して、ロビンとの冒険にももっとときめけるし、メアリーの仕打ちにもっと怯え嘆き怒れると思うのです。そうやって感情が揺さぶられないと、ただ起きる事件を傍観者のように眺めているだけではおもしろく思えないのです。そこが残念。
プリンセスに生まれるなんていいじゃない、富と権力が手にできるなんてうらやましいわ、ちょっとしきたりが大変とか不自由があるとかいっても我慢できるでしょう、代わりたいくらいだわ…と思う人はけっこう多いと思うのですよね。そしてだからこそ首切り役人の扱い方はとてもおもしろいと思います。高貴な身分に生まれ王冠に手が届くかもしれない立場になるということは、常にライバルから命を狙われ殺される危険があるということなのです。一般庶民はそんな富や権力を手にできない代わりに暗殺の心配で夜も眠れないということはない。でもベスは常に首切り役人の悪夢を見る。これは象徴的ですよね。
それが、ロビンと愛し合い一夜を共に過ごすことで、初めて夢も見ずにぐっすり眠る幸せを手に入れる、というのも素晴らしい。それがごく普通の幸せ、あたりまえの生活なのです。だが彼女の生まれはあたりまえのものではなく、それは一時のものにすぎなかったのだ…これはそんなお話です。
一幕ラストがザッツ・イケコの、ヒロインが絶唱し全キャストがコーラスして盛り上がるものなのだけれど、ここの歌詞というかこの歌の意味も今ひとつわかりづらくて残念なんですよね。私はここで、ベスはこれまでメアリーにどんなに冷たくあしらわれても姉を愛し敬い親しもうとし愛されようと努めてきたけれど、ことここに至ってはもう駄目だ戦うしかない、彼女を廃しいつか自分が王になってやる、と決心し、それでこの歌を歌うのだ、とした方がいいと思いました。姉は狭量だ、世間でも人気がない、私だって勉強してきたし私の方がいい王になれる自信がある、そんなにひどいことをやってくるならこっちだってやり返してやる、ついに反旗を翻すことを決意した、でもそんな私の心の中をあなたは見抜けない、捕らえようと閉じ込めようと心は自由で他人には見えない、私は戦う…!というのは、好戦的かもしれないけれどドラマチックで感動的だと思うんだけれどなあ。今、ベスが「あなたは私の心の中は見られない」みたいなことを歌っていても、メアリーにどころか観客にも見えていないんだからそれじゃダメだと思うんですよね…
『エリザベート』は自由を求めて皇后としての責務から逃げ出し、家族も国も捨てようとした女性の物語ですが、『レディ・ベス』は自由に生きようと誘う恋人と別れて国家に嫁ぎ女王になるベスの物語です。それは愛を捨てたとか幸せを犠牲にしたということとはちょっと違っていて、どちらがより自分らしいか、自分が自分を肯定できる生き方か…という選択にすぎないのだと思うのですよね。彼女は王の娘として生まれ、そのことに誇りを持ち、それにふさわしい人間であろうとして学識も教養も深めてきた。アイデンティティがそこにあるのです。だから確かに愛も普通の暮らしも大事だけれど、犠牲にするとかそういうこととは別に、国のため、国民のためもあるけれど、何より自分自身のために王冠を受ける、王として生きることを選び取る。そこが潔くて、感動的だし、素敵なんだと思うのです。だから現代に生きるキャリアウーマンにも響く…というのはあまりに安っぽい言い方ですが、でも意外にこうしたヒロインの生き方を描いた物語ってないので、そこがいいんだと思うんですよね。
ヒロインの相手役であるロビンが、いつまでもあまり女々しくなく、それこそ「仕事と私とどっちが大事?」みたいなことをねちねち言うことなく、わりと素直に跪き、女王陛下に対する礼を取ることに私は感動しました。『翼ある人びと』で、才能に恵まれた主人公をヒロインは「あなたは自由になるのよ!」と叫んで手放し行かせますが、その逆とでもいうのかな。自由になろう、普通の暮らしをしよう…と一度は誘ったけれど、彼女が自分らしい生き方をすべく過酷な宮廷にあえて行くと言うのであれば、それを応援して送り出し、自分は身を引こう…そんな大きな愛が、見えました。
そして黄金の王冠をかぶり玉座につくヒロインは確かに雄々しく凛々しく神々しいのだけれど、それでもやはり王冠は大きすぎ重すぎるように見えるし、周囲は跪いて仕えてくれていてこの先支えてくれもするのだろうけれど、やはり彼女がひとり孤独に重荷に耐えていくように見えることは間違いない。試練も多いことだろうし、これを物語としてのハッピーエンドとしては捉えづらいかもしれない。なのでそれこそイケコなら、『ロミジュリ』天国展開というか、すなわちベスがロビンに、「いつか王を必要としない国が築けたら、そんな時代が来たら、そのときもう一度生まれ変わり巡り合いましょう」と言うくらいしもよかったのになー、と思いました。♪誰が誰を愛しても許される世界、ですよ。残念ながら今なおそういう世界は訪れていませんが、かつてこうした人々が誠心誠意努力し働き国を動かし世界を変えてきたのだ、今はその途上なのだ…というメッセージで締め、というのはたとえばどうかしらん?
あと、話は戻りますがメアリーはハマコではなくカナメさんにするというのはどうだろう…つまりあまり意地悪おばさんに仕立てるのではなく、同じ王の娘として生まれ良き女王たろうとして、でも上手くできずに病に敗れ去る姉と、対立したし憎みもしたけれど今はその遺志を継いで新たに立つ妹…みたいな美しい姉妹の話にしてもいい気がしたんですよね。シスターフッドの物語というか、女性同士の先輩後輩みたいな関係の側面を出してもよかったのではないかと。
そんな要素がいろいろあるおもしろい作品で、もうちょっと手を入れたらなお良くなるのに、それでやっと完成なのに…という気が私はしましたが、すでにもう定番の人気演目として根付いているのでしたらすみません…
ところでハナちゃんは、私は歌手としていいと思ったことは一度としてなく、当人比ですごく上達していると思いましたがやはりミュージカル女優という柄ではないのではないか…と今回も思いました。ストレートプレイで実際の歳に近い役とかはやらないのかなあ? いつまでもお姫様をやるには確かにミュージカルの魔法が必要なんだと思うのだけれど、それって役者として狭すぎる活動なんじゃないのかなあ? というかもっと他にミュージカル・ヒロイン女優っていると思うんですけれとねえ、たとえトップ娘役OGに絞ったとしても…不思議です。不満ということではなくて、単に不思議…
2014年の世界初演から、2年半ぶりの再演。
初演の感想はこちら。
この日の役替わりはベス/花總まり、ロビン/山崎育三郎、メアリー/未来優希、フェリペ/平方元基。
前回も今回も1回ずつの観劇で通い詰めているわけではないので、どんな変更があったかとかは語れないのですが、個人的には前回より「もっとおもしろくなるはずなのに!」と思う度合いは減ったかな、という印象でした。おもしろく観ました。
でも、まだまだ圧倒的に台詞が、言葉が、説明が、芝居が足りていないと思いました。たとえば、同じ歌ばかりのミュージカルである『エリザベート』は、もう何度も上演されていて観客も内容をほぼ周知で勝手に話の流れやキャラを補完できるから…という部分ももちろんあるかもしれませんが、やはり必要十分なことは歌や台詞でみんなきっちり語られているのです。各登場人物がどういう立場、どういう状況、どういう性格、どういう考えの人で、どういう想いを抱いての行動なのか…歌詞だけでなく台詞でもきちんと語られ説明されていて、そこに各キャストの演技や歌唱力が加わって、楽曲がキャラクターとドラマをくっきり立ち上げていて、それで感動を呼べているんだと思うのです。
この作品は、たとえば冒頭が大きく変わってわかりやすくなっているそうですが、そういう状況説明はわりにできていると思うんですけれど、まだまだキャラが弱いしその感情が見えてこないから、ただパラパラと歌で紡ぐだけの、壮大ではあるけれど心理的に親近感を持ちづらい、単なる叙事詩みたいになってしまっていると思うのです。装置もお衣装もとても素敵、もちろん役者も実力十分で魅力的。そして題材にもとてもいいものがあると思うのです、だからとてもとてももったいない。もっと演出家が、脚本レベルで手をかけてあげて掘り下げてあげないと、キャラとドラマが観客に伝わりづらいと思います。そこは改善の余地があると思うなー、逆に言えばそれができればとても現代的な、今後も再演されていくに足る名作たりえると思うんだけどなー。
私が一番いいなと思うのはタイトルで、それはこれが、ヒロインがクイーン・エリザベス一世になる前の、単なるレディ・ベスにすぎなかった頃の物語だからです。王の娘であり王位継承者ではあってもあくまで一貴婦人程度にすぎなかった少女が、女王に即位するまでの物語である、ということがタイトルに如実に表れている。そこが素晴らしい。そしてわかりやすい。
だからこそ、「エリザベス一世」と言われて一般に人が思い起こすようなイメージとは違う、この作品ならではのベスの姿を、冒頭でもっとくっきりと描き出して、観客のハートをガッチリつかみ、このお話の世界に引き込まなければなりません。それにはただハナちゃんが変わらず若くて可愛らしいわね、だけではダメなんです。そのハナちゃんが扮しているベスというヒロインが、どういう性格のどういうキャラクターなのかをもっと提示しなければなりません。役者が演技だけでできることには限界があります。現状、圧倒的に台詞が、芝居が足りていないと私は思う。
冒頭の場面で、彼女がどんな経緯で生まれ、父王の死去により姉メアリーが女王として即位したかはわかった。で、その後ベスにしっかりした家庭教師のアスカムとよく気がつく優しい侍女のキャット(涼風真世)がつけられたのもわかって、子役からハナちゃんに変わって田舎の屋敷の庭で本を読んでいる姿を見せるのはいいとして、でもそれだけでは彼女が今どんな少女に成長したのか、どんな人間になりそうなのか、わからないじゃないですか。暴君と評判の父を愛し敬い、その娘であることに誇りを抱いていて、淫売と呼ばれ処刑された母のことは疎んじ嫌っていることは描かれているけれど、そういうこととは別に、もっと単純に、性格として、彼女の人間性を、特徴を示してほしいのです。
私だったら、田舎で淋しい環境だけれど周りの愛情たっぷりに育ち、賢くて才気煥発で茶目っ気があって愛嬌があって、みんなに愛されまたみんなにも愛情深く、その愛を向ける先をさらに探しているような娘にします。近隣の村へ行くことは止められているけれど、行ってみたい、人々と交わってみたい、広い世界を知りたいと、冒険心を押さえかねている。姉には遠ざけられているけれど、同じ父を持つ姉妹としてもっと親しくなりたいし、女王としてがんばる姉の役に立ちたい、いつか首都に呼んでもらいたいとも思っている、未来を信じる明るい娘。
もちろん、信心深くて引っ込み思案でおとなしくて、周りの言うことを聞いて敷地の外に出るなんてとんでもないと信じている、おしとやかなタイプにするのもいいでしょう。首都の宮廷に呼んでくれない姉に恨みがましい想いを抱いていて、今に見ていろいつか私が女王になってやる…と思っているようなキャラにする手もあるのかもしれません。それは好みの問題です。とにかくどれかに絞ってその特徴をガツンと示し、観客に「この子はそういう子なのね」と納得させ、そして彼女の魅力で話を引っ張っていかなければならないのです。そこが弱い。
彼女がどんな子かわかって、親近感を持ち魅力的に感じ彼女を応援してあげたいなと観客が思えれば、彼女に感情移入して、ロビンとの冒険にももっとときめけるし、メアリーの仕打ちにもっと怯え嘆き怒れると思うのです。そうやって感情が揺さぶられないと、ただ起きる事件を傍観者のように眺めているだけではおもしろく思えないのです。そこが残念。
プリンセスに生まれるなんていいじゃない、富と権力が手にできるなんてうらやましいわ、ちょっとしきたりが大変とか不自由があるとかいっても我慢できるでしょう、代わりたいくらいだわ…と思う人はけっこう多いと思うのですよね。そしてだからこそ首切り役人の扱い方はとてもおもしろいと思います。高貴な身分に生まれ王冠に手が届くかもしれない立場になるということは、常にライバルから命を狙われ殺される危険があるということなのです。一般庶民はそんな富や権力を手にできない代わりに暗殺の心配で夜も眠れないということはない。でもベスは常に首切り役人の悪夢を見る。これは象徴的ですよね。
それが、ロビンと愛し合い一夜を共に過ごすことで、初めて夢も見ずにぐっすり眠る幸せを手に入れる、というのも素晴らしい。それがごく普通の幸せ、あたりまえの生活なのです。だが彼女の生まれはあたりまえのものではなく、それは一時のものにすぎなかったのだ…これはそんなお話です。
一幕ラストがザッツ・イケコの、ヒロインが絶唱し全キャストがコーラスして盛り上がるものなのだけれど、ここの歌詞というかこの歌の意味も今ひとつわかりづらくて残念なんですよね。私はここで、ベスはこれまでメアリーにどんなに冷たくあしらわれても姉を愛し敬い親しもうとし愛されようと努めてきたけれど、ことここに至ってはもう駄目だ戦うしかない、彼女を廃しいつか自分が王になってやる、と決心し、それでこの歌を歌うのだ、とした方がいいと思いました。姉は狭量だ、世間でも人気がない、私だって勉強してきたし私の方がいい王になれる自信がある、そんなにひどいことをやってくるならこっちだってやり返してやる、ついに反旗を翻すことを決意した、でもそんな私の心の中をあなたは見抜けない、捕らえようと閉じ込めようと心は自由で他人には見えない、私は戦う…!というのは、好戦的かもしれないけれどドラマチックで感動的だと思うんだけれどなあ。今、ベスが「あなたは私の心の中は見られない」みたいなことを歌っていても、メアリーにどころか観客にも見えていないんだからそれじゃダメだと思うんですよね…
『エリザベート』は自由を求めて皇后としての責務から逃げ出し、家族も国も捨てようとした女性の物語ですが、『レディ・ベス』は自由に生きようと誘う恋人と別れて国家に嫁ぎ女王になるベスの物語です。それは愛を捨てたとか幸せを犠牲にしたということとはちょっと違っていて、どちらがより自分らしいか、自分が自分を肯定できる生き方か…という選択にすぎないのだと思うのですよね。彼女は王の娘として生まれ、そのことに誇りを持ち、それにふさわしい人間であろうとして学識も教養も深めてきた。アイデンティティがそこにあるのです。だから確かに愛も普通の暮らしも大事だけれど、犠牲にするとかそういうこととは別に、国のため、国民のためもあるけれど、何より自分自身のために王冠を受ける、王として生きることを選び取る。そこが潔くて、感動的だし、素敵なんだと思うのです。だから現代に生きるキャリアウーマンにも響く…というのはあまりに安っぽい言い方ですが、でも意外にこうしたヒロインの生き方を描いた物語ってないので、そこがいいんだと思うんですよね。
ヒロインの相手役であるロビンが、いつまでもあまり女々しくなく、それこそ「仕事と私とどっちが大事?」みたいなことをねちねち言うことなく、わりと素直に跪き、女王陛下に対する礼を取ることに私は感動しました。『翼ある人びと』で、才能に恵まれた主人公をヒロインは「あなたは自由になるのよ!」と叫んで手放し行かせますが、その逆とでもいうのかな。自由になろう、普通の暮らしをしよう…と一度は誘ったけれど、彼女が自分らしい生き方をすべく過酷な宮廷にあえて行くと言うのであれば、それを応援して送り出し、自分は身を引こう…そんな大きな愛が、見えました。
そして黄金の王冠をかぶり玉座につくヒロインは確かに雄々しく凛々しく神々しいのだけれど、それでもやはり王冠は大きすぎ重すぎるように見えるし、周囲は跪いて仕えてくれていてこの先支えてくれもするのだろうけれど、やはり彼女がひとり孤独に重荷に耐えていくように見えることは間違いない。試練も多いことだろうし、これを物語としてのハッピーエンドとしては捉えづらいかもしれない。なのでそれこそイケコなら、『ロミジュリ』天国展開というか、すなわちベスがロビンに、「いつか王を必要としない国が築けたら、そんな時代が来たら、そのときもう一度生まれ変わり巡り合いましょう」と言うくらいしもよかったのになー、と思いました。♪誰が誰を愛しても許される世界、ですよ。残念ながら今なおそういう世界は訪れていませんが、かつてこうした人々が誠心誠意努力し働き国を動かし世界を変えてきたのだ、今はその途上なのだ…というメッセージで締め、というのはたとえばどうかしらん?
あと、話は戻りますがメアリーはハマコではなくカナメさんにするというのはどうだろう…つまりあまり意地悪おばさんに仕立てるのではなく、同じ王の娘として生まれ良き女王たろうとして、でも上手くできずに病に敗れ去る姉と、対立したし憎みもしたけれど今はその遺志を継いで新たに立つ妹…みたいな美しい姉妹の話にしてもいい気がしたんですよね。シスターフッドの物語というか、女性同士の先輩後輩みたいな関係の側面を出してもよかったのではないかと。
そんな要素がいろいろあるおもしろい作品で、もうちょっと手を入れたらなお良くなるのに、それでやっと完成なのに…という気が私はしましたが、すでにもう定番の人気演目として根付いているのでしたらすみません…
ところでハナちゃんは、私は歌手としていいと思ったことは一度としてなく、当人比ですごく上達していると思いましたがやはりミュージカル女優という柄ではないのではないか…と今回も思いました。ストレートプレイで実際の歳に近い役とかはやらないのかなあ? いつまでもお姫様をやるには確かにミュージカルの魔法が必要なんだと思うのだけれど、それって役者として狭すぎる活動なんじゃないのかなあ? というかもっと他にミュージカル・ヒロイン女優っていると思うんですけれとねえ、たとえトップ娘役OGに絞ったとしても…不思議です。不満ということではなくて、単に不思議…