新国立劇場、2014年1月19日マチネ。
夕食のテーブルを囲む家族。父親のクリストファー(大谷亮介)は評論家、母親のベス(鷲尾真知子)は小説家志望。長男のダニエル(中泉秀雄)は学者志望で論文を執筆中、長女のルース(中村美貴)はオペラ歌手を自称しているが、とても一人前とは言えないパラサイト状態にある。そして次男のビリー(田中圭)は生まれつき耳が不自由な青年であった…
作/ニーナ・レイン、翻訳・台本/木内宏昌、演出/熊林弘高。2010年ロンドン初演。全2幕。タイトルの「トライブス」とぱ「種族」の意。
美術は二村周作でしたが、舞台装置が美しく印象的でした。こういうのも演出家が考えるものなのかな。黒で暗い四角い箱が一家の家で、本が床にどかどか置かれていて、クリストファーいうところの「クリエイティブ志向の強い一家」だということもよくわかるのだけれど、ピアノを食卓に使っている行儀の悪さがそこの浅さを示してもいる。家族はみんな黒を着ていて、ビリーだけが白い服で、やがてビリーが家に連れてくるシルヴィア(中嶋朋子)も白い服で。一幕のふたりは清らかで幸せそうで。でも二幕ではシルヴィアはグレーを着るようになっていて、ふたりの間には溝ができている…
場面転換の音楽の効果的な使い方や、ビリーの調子の悪い補聴器を通したような音割れした会話も印象的でした。
これは聴覚障害を題材にしたコミュニケーションの話です。
この一家はディスカッションやディベートを中心にすえていることにしているらしい家庭で、普通の家より確かに会話は多いかもしれないけれど、だからってわかり合っているとか明るく仲がいいということにはなっていない。誰も、特に家長のクリストファーにまったく他人を尊重する精神がなく、人の話なんか聞いてやしないからです。だからとても非建設的。これじゃ子供がまともに育つわけがありません。
クリエイティブ志向を押し付ける一方で、成人したんだから出ていけというダブル・スタンダードでは、そりゃダニエルにストレスで吃音も出ようというものです。後半ダニエルの通訳をするのはルースで、クリストファーにはそこまで明確な女性蔑視はないようだけれど、ルースはある程度軽く扱われたり人数外とされていることもあったろうことがいい方に出て、父親の被害から逃げられる部分もあったのだろうし、家庭の外に友達に恵まれたか母親のベスと上手く共闘することができた幸運な娘だったのでしょう。女は強い。
ビリーは聞こえていないだけでわかっていないわけではありません。しかしゆっくり話をして唇の動きを読み取らせたり、話を言い換えたり話を繰り返すのは確かに面倒で、家族はだんだんビリーを都合よく無視することに慣れていってしまったのでしょう。ただしそれは愛していないということではない。それがまた余計にしんどい。
私は見ていて、そもそも聴覚障害者の興味を引くのに、声をかけても聞こえないからテーブルを叩いたり床を踏み鳴らしたりして振動を与えて気づかせたり、手を叩いて高い音を出したりして見せるのが、実利的だし実際問題としてそうするしかないので仕方ないんだけれど、そして聴覚障害者自体はそのことをなんとも思っていないかもしれないのだけれど、なんか子供とか動物に対してする行為のように見えて、もうそれだけで相手を低く見ていることのようで気に障ったんですね。
でもそんなのは序の口なんですよね。そしてこの家族はビリーをなるべく普通に育てたいと思っていて、口話を教え、手話は学ばせなかったし学ばなかった。ビリーはシルヴィアから手話を教わって初めて、十全に近いコミュニケーション手段を得たのです。
それはビリーの家庭からの独立、自立を意味していました。ビリーをある意味で愛していたし必要ともしていた一家にはそれは耐え難いことだった。特にダニエルには。
一方でシルヴィアは、聾の両親の元に生まれた健常者でしたが、徐々に聴覚を失いつつありました。手話は子供のころから使えてそれで両親とも話してきたけれど、それ以上に外では普通の友達と普通に口で話してきた。それが、音が聞こえづらくなってきていて、自分の声も聞こえなくなってきて話し方もおかしくなってくる。覚悟していてもしきれなくて、世界が狭くなっていくようで、とまどい悩んでいる。手話を知って世界が広がったと思っていたビリーとの蜜月はほんの一瞬のことなのでした。
…で、シルヴィアってあんなキスでダニエルに揺れたってことなの? それとも彼女にとってダニエルは「健常者の世界」の象徴のようなものだったいうこと? ダニエルが必要としていたのはビリーであってシルヴィアにキスしたのは流れにすぎない、というのはシルヴィアにも十分わかったと思うのだけれど、それともビリーとのつきあいには物足りない何かがあったということ?
再び吃音が出るようになってしまったダニエルがビリーにすがって、それでビリーはなんと答えたの? 手話や身振り手振りはわかったりわからなかったりします。私にはオチは読み取れなかった。
ダニエルの想いをビリーは拒否したということ? もちろんそれもアリなんですけれどね。理解はする、でも受け入れられない、ということはありえる。想いを伝えられたとしても成就しない恋愛はある。だからごくごく自然なことなんだけれど、でもそれだけの話ってことなのかな?
なんか消化不良のような、でもあえてオチも展望もない幕切れにしたかったということであればそれはそれでアリなんだろうというような、そんな見終え方でした…
夕食のテーブルを囲む家族。父親のクリストファー(大谷亮介)は評論家、母親のベス(鷲尾真知子)は小説家志望。長男のダニエル(中泉秀雄)は学者志望で論文を執筆中、長女のルース(中村美貴)はオペラ歌手を自称しているが、とても一人前とは言えないパラサイト状態にある。そして次男のビリー(田中圭)は生まれつき耳が不自由な青年であった…
作/ニーナ・レイン、翻訳・台本/木内宏昌、演出/熊林弘高。2010年ロンドン初演。全2幕。タイトルの「トライブス」とぱ「種族」の意。
美術は二村周作でしたが、舞台装置が美しく印象的でした。こういうのも演出家が考えるものなのかな。黒で暗い四角い箱が一家の家で、本が床にどかどか置かれていて、クリストファーいうところの「クリエイティブ志向の強い一家」だということもよくわかるのだけれど、ピアノを食卓に使っている行儀の悪さがそこの浅さを示してもいる。家族はみんな黒を着ていて、ビリーだけが白い服で、やがてビリーが家に連れてくるシルヴィア(中嶋朋子)も白い服で。一幕のふたりは清らかで幸せそうで。でも二幕ではシルヴィアはグレーを着るようになっていて、ふたりの間には溝ができている…
場面転換の音楽の効果的な使い方や、ビリーの調子の悪い補聴器を通したような音割れした会話も印象的でした。
これは聴覚障害を題材にしたコミュニケーションの話です。
この一家はディスカッションやディベートを中心にすえていることにしているらしい家庭で、普通の家より確かに会話は多いかもしれないけれど、だからってわかり合っているとか明るく仲がいいということにはなっていない。誰も、特に家長のクリストファーにまったく他人を尊重する精神がなく、人の話なんか聞いてやしないからです。だからとても非建設的。これじゃ子供がまともに育つわけがありません。
クリエイティブ志向を押し付ける一方で、成人したんだから出ていけというダブル・スタンダードでは、そりゃダニエルにストレスで吃音も出ようというものです。後半ダニエルの通訳をするのはルースで、クリストファーにはそこまで明確な女性蔑視はないようだけれど、ルースはある程度軽く扱われたり人数外とされていることもあったろうことがいい方に出て、父親の被害から逃げられる部分もあったのだろうし、家庭の外に友達に恵まれたか母親のベスと上手く共闘することができた幸運な娘だったのでしょう。女は強い。
ビリーは聞こえていないだけでわかっていないわけではありません。しかしゆっくり話をして唇の動きを読み取らせたり、話を言い換えたり話を繰り返すのは確かに面倒で、家族はだんだんビリーを都合よく無視することに慣れていってしまったのでしょう。ただしそれは愛していないということではない。それがまた余計にしんどい。
私は見ていて、そもそも聴覚障害者の興味を引くのに、声をかけても聞こえないからテーブルを叩いたり床を踏み鳴らしたりして振動を与えて気づかせたり、手を叩いて高い音を出したりして見せるのが、実利的だし実際問題としてそうするしかないので仕方ないんだけれど、そして聴覚障害者自体はそのことをなんとも思っていないかもしれないのだけれど、なんか子供とか動物に対してする行為のように見えて、もうそれだけで相手を低く見ていることのようで気に障ったんですね。
でもそんなのは序の口なんですよね。そしてこの家族はビリーをなるべく普通に育てたいと思っていて、口話を教え、手話は学ばせなかったし学ばなかった。ビリーはシルヴィアから手話を教わって初めて、十全に近いコミュニケーション手段を得たのです。
それはビリーの家庭からの独立、自立を意味していました。ビリーをある意味で愛していたし必要ともしていた一家にはそれは耐え難いことだった。特にダニエルには。
一方でシルヴィアは、聾の両親の元に生まれた健常者でしたが、徐々に聴覚を失いつつありました。手話は子供のころから使えてそれで両親とも話してきたけれど、それ以上に外では普通の友達と普通に口で話してきた。それが、音が聞こえづらくなってきていて、自分の声も聞こえなくなってきて話し方もおかしくなってくる。覚悟していてもしきれなくて、世界が狭くなっていくようで、とまどい悩んでいる。手話を知って世界が広がったと思っていたビリーとの蜜月はほんの一瞬のことなのでした。
…で、シルヴィアってあんなキスでダニエルに揺れたってことなの? それとも彼女にとってダニエルは「健常者の世界」の象徴のようなものだったいうこと? ダニエルが必要としていたのはビリーであってシルヴィアにキスしたのは流れにすぎない、というのはシルヴィアにも十分わかったと思うのだけれど、それともビリーとのつきあいには物足りない何かがあったということ?
再び吃音が出るようになってしまったダニエルがビリーにすがって、それでビリーはなんと答えたの? 手話や身振り手振りはわかったりわからなかったりします。私にはオチは読み取れなかった。
ダニエルの想いをビリーは拒否したということ? もちろんそれもアリなんですけれどね。理解はする、でも受け入れられない、ということはありえる。想いを伝えられたとしても成就しない恋愛はある。だからごくごく自然なことなんだけれど、でもそれだけの話ってことなのかな?
なんか消化不良のような、でもあえてオチも展望もない幕切れにしたかったということであればそれはそれでアリなんだろうというような、そんな見終え方でした…