Side Steps' Today

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映画『セッション』

2021年11月27日 | CD批評
ジャズドラマーとパワハラ鬼教官の狂気な行動が続くが、この手の映画で訴求したいテーマがきっとなにかある、なんぞを探ってしまう身としては「訴求したいテーマが特に無い」という展開がちょっと意外。当然「パワハラ絶対ダメ!」という啓蒙や「パワハラやるとこうなる」という勧善懲悪の物語でもない。出逢いの場面でブラフ系だったニコルが最後も(彼氏とコンテストに来ると言っていた)ブラフをかましてくるかと想像したがそれもなく、アッサリしたもの。ドラミングの凄さが伝わるだけで全般的にテーマがないものの、この手の雰囲気を音楽体育会系部活動・サークルで経験した身としてはデジャブ感十分。練習しすぎで血しぶきこそ飛ぶことはなかったが、こちとら指の血豆なんて日常茶飯事。ベースの2フィンガー・プレイでは右手の人差し指と中指を使うが、その両指先端に血豆ができる。その2本の指を並べて見せて「エビ!」という自虐的小ネタをよくやっていた(2つの血豆がエビの眼にみえる)が、当時から「血豆は練習し過ぎのためではなく弾き方が悪いだけ」と思い、さらに矯正のために練習するというマゾヒステックなループに陥っていたが、腱鞘炎だけは患ったことがないというのが自慢だった(これは練習不足ではなく弾き方が良い為と好都合に解釈)。Side Steps強化合宿(笑)でも、他3人が腱鞘炎になる中、一人腱鞘炎は回避したが、血豆が激痛。薬局に行き「血豆に効く薬はないか」と問うては呆れられた。このようなシゴキ場面が見どころなので、どうしてもテクニカルな音楽、たとえばクラシックやジャズになるのはよくわかるが、「セッション」というタイトルには違和感。ジャズ系で「セッション」といえば、作り込むことのない軽いタッチでの演奏、もしくは初対面同士による演奏という意味合いが強いが、映画の内容はジャズのビックバンド。音楽学校でのビックバンドならではの主席奏者のポジション争い、いわば「代わりならいくらでもいる」という状況設定でこそ成立するのだが、「セッション」はもっと小規模のジャズコンボに相応しい言葉であるところが違和感の原因か。そもそも原題は「Whiplash=ムチ打ち・痛めつける」で無邪気なほど内容そのままだが、タイトルのみでは音楽感が皆無で、何の映画がわからないことから折衷的に「セッション」となったのだろうが、いずれにせよイマイチなタイトルである。映画紹介では「完璧を目指す鬼教官」等の表現が目立つが、指導内容は一つ一つが完全に非音楽的でイジメの世界。「叩かれて這い上がってきたものが将来の芸術を作る、叩かれて潰れてしまったのは所詮それまでの存在」という考えには何だかちょっと共感するもそれは(これまで身を置くことが多かった)徒弟制度によくある考え方だからか。主人公が目指すのはバティ・リッチ(Dr)。いかにも手数王というスタイルだが「本編のドラムは誰の演奏か」とエンドロール中でプレイヤー名を探していたが、パッと見でスタントン・ムーア(Stanton Moore)を発見し、はたと膝を打つ。
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